五話目 桃花の目的
翌日――日曜日。
部活動を終えた私は、午後の電車に揺られて二駅先の町へ向かっていた。
目的地は、この地域で最も大きな神社。
昨日訪れた神社も立派ではあったけれど、ここは比べものにならない。
初詣の時期ともなれば参拝まで一時間以上並ぶことも珍しくなく、長い歴史を持つ名社として観光客も多く訪れる場所だ。
スマートフォンで調べても、その由緒は群を抜いていた。
――ここなら。
自然と期待が膨らむ。
昨日の二人のような、得体の知れない話にはならない。
きっと現実的な答えをくれるはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、駅から十五分ほど歩き、大きな石造りの鳥居をくぐった。
だが、その足取りとは裏腹に、胸の奥では小さな不安がくすぶり続けていた。
本当に信じてもらえるのだろうか。
もし、お祓いが必要だと言われたら、その費用は。
朝霧さん一家には、何と説明すればいい。
考え始めると、次々と問題が浮かんでくる。
私は小さく首を振った。
今は、それを考える時じゃない。
せめて時間を稼ぐ方法だけでも。
少しでも危険を遠ざける方法があるなら、それだけで十分だ。
本殿へ進み、賽銭箱の前で手を合わせる。
鈴を鳴らし、深く頭を下げた。
――どうか、うまくいきますように。
その願いだけを胸の中で繰り返し、静かに目を開く。
「……よし。」
自分を奮い立たせるように小さく呟くと、私は社務所へ向かった。
幸いにも事情を話すと、宮司が直接話を聞いてくれるという。
昨日と同じように応接室へ案内され、私は背筋を伸ばしたまま待ち続けた。
しばらくして、襖が静かに開く。
「お待たせいたしました。」
現れたのは、白髪交じりの初老の宮司だった。
落ち着いた所作で向かいへ腰を下ろすと、穏やかな笑みを浮かべる。
その姿を見ただけで、昨日とは違う。
そんな安心感が胸に広がった。
私はこれまでの出来事を、一つひとつ説明していく。
悠斗くんのこと。
朝霧家で見た異様な出来事。
恒一さんの様子。
宮司さんは時折相槌を打ちながら耳を傾けていたが、その表情はどこか半信半疑といった様子だった。
ところが――。
「昨日、近くの神社で仙道という方にも相談したんですが……」
「えっ!」
宮司さんの顔が固まり、血の気が引いていく。
「失礼ですが、まさかその方は……」
宮司さんの喉が鳴った。
「仙道聖人様でございますか。」
「え……?は、はい。」
私は目を丸くした。
仙道さんって、そんなに有名な人なの?
昨日の飄々とした姿が思い浮かび、どうにも結びつかない。
宮司は身を乗り出すようにして、さらに問い掛けてきた。
「失礼ですが……その相談とは、死害に関することなのでしょうか。」
その言葉を聞いた瞬間、全身が強張った。
――どうして。
昨日の話を、この人まで知っているの。
あれは冗談じゃ、なかったの?
私の表情だけで察したのだろう。
宮司はゆっくりと目を閉じ、小さく頷いた。
「……死害なのですね。」
声は震えていた。
だが、その眼差しだけは鋭く、事実を確認するように私を見据えている。
「あ……はい。いえ、まだ死害だと決まったわけじゃなくて……可能性がある、と。」
しどろもどろになりながら答える。
宮司は深く息を吐いた。
「でしたら……私どもでは力になれません。」
「え……?」
「どうか、もう一度仙道様のもとへお戻りください。」
「そんな……。」
私は思わず立ち上がりかけた。
「あの人、本当に信用できるんですか?
お祓いとか、お札とか……何でもいいんです。
少しでも方法があるなら――」
「そのようなものは、効きません。」
鋭い一言だった。
思わず肩が跳ね上がる。
部屋の空気が、一瞬で凍り付いたようだった。
「あ……申し訳ありません。」
宮司はすぐに頭を下げる。
だが、その横顔には深い焦りが滲んでいた。
膝の上で固く手を組み、静かに語り始める。
「死害が相手では、私どもではどうにもならないのです。」
苦しげに言葉を選びながら続ける。
「……いえ。」
一度、言葉を飲み込む。
「普通の人間では、誰にも。」
そして、ぽつりと呟いた。
「裏三種の神器……桃花殿を除いては。」
——なにそれ……桃花?
昨日会った、あの少年の顔が脳裏に浮かぶ。
「桃花って……彼はいったい何者なんですか。」
思わず尋ねる。
宮司はゆっくりと首を横へ振った。
「申し訳ございません。」
その声音には、どこか畏れが混じっていた。
「私の口から申し上げることはできません。
それが決まりなのです。」
そして、小さく息を吸い込む。
「どうか今お聞きになったことも、お忘れください。」
静かだった声に、切迫した色が宿る。
「お願いです。」
「仙道様と……桃花殿に、助けを求めてください。」
一拍置いて。
宮司は、私の目を真っ直ぐ見据えた。
「あなたも――死にたくないのであれば。」
その一言が、胸の奥へ深く突き刺さる。
私は拳を握り締めた。
怒りではない。
震えていた。
指先が、自分のものとは思えないほど小刻みに震えている。
――死にたく、ないなら。
私は……一体、何に関わってしまったの。
冷房の効いた部屋だというのに、背筋を這い上がる寒気だけは、いつまでも消えなかった。
結局、私はそれ以上何も言えなかった。
宮司へ深く頭を下げ、重い足取りのまま神社をあとにする。
別れ際に告げられた言葉だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。
「……必ず、仙道様のもとへ行ってください。」
その声音には、忠告というよりも懇願に近い切迫感があった。
電車に揺られながら、私はぼんやりと窓の外を眺める。
流れていく街並みを見つめても、何一つ頭に入ってこない。
昨日の私は、仙道さんたちの話を笑い飛ばそうとしていた。
怖い思いをして相談へ行ったのに、返ってきたのは「死害」だの「鬼」だの。
まるで子どもの空想話。
そう思って腹まで立てていた。
なのに――。
今日、あの宮司さんは同じ言葉を口にした。
しかも、怯えるような顔で。
正直、今でも信じられない。
でも……。
二人が口裏を合わせて私を騙す理由なんてあるのだろうか。
高校生の私を騙して、何の得になるというの。
答えは浮かばない。
それよりも。
もし昨日見た、恒一さんの背後にいた"あの黒い影"が、本当に死害という存在なのだとしたら――。
ごくり、と唾を飲み込む。
無意識に拳へ力が入っていた。
電車を降り、私は重い足取りで家へ向かう。
あれほど大きな神社にまで断られてしまった以上、もう頼れる場所など思いつかなかった。
その時だった。
――ピロン。
バッグの中でスマートフォンが震える。
取り出して画面を見る。
送り主は、悠斗くんだった。
『お姉ちゃん、今日はどこか出掛けてるの? お姉ちゃん家に行ったけどいなくてさぁ。 宿題、手伝ってほしいんだけど。』
いつもと変わらない文章。
いつもの悠斗くん。
私は返信画面を開いた。
けれど。
返事を書こうとして、指が止まる。
違う。
止まったんじゃない。
震えている。
指先が、小刻みに。
「……どうしよう。」
自然と漏れた独り言は、誰に向けたものでもなかった。
「返事、返さないの?」
「ひゃっ――!」
すぐ耳元で声がした。
心臓が跳ね上がる。
私は悲鳴を上げ、その場へ尻もちをついた。
「ごめん。」
穏やかな声。
「驚かせちゃった。」
顔を上げる。
目の前には、一人の少年が立っていた。
鬼切桃花。
いつから、そこにいたのだろう。
まったく気配がなかった。
足音も。
呼吸も。
人が近づいてきた気配すら感じなかった。
まるで最初からそこに立っていたかのように。
私は息を呑む。
激しく脈打つ鼓動が耳の奥で響いていた。
桃花くんは何事もなかったように腰を下ろし、私へ手を差し伸べる。
「ほら。立てる?」
私はようやく我に返ると、その手を軽く払いのけ、自分で立ち上がった。
「だ、大丈夫だから。」
服についた砂を払いながら睨みつける。
「いきなり後ろから話しかけないでよ!」
桃花くんは気にした様子もなく、足元へ視線を落とした。
「これ。」
地面へ落ちていたスマートフォンを拾い上げ、私へ差し出す。
「メール、返さないの?」
「返すわよ。」
スマートフォンを受け取り、少し強い口調になる。
「あなたには関係ないでしょ。それより、どこから現れたのよ。」
桃花くんは答えない。
ただ静かに私を見つめているだけだった。
私は画面を開き、返信を打ち始める。
――『今日は少し用事が……』
そこまで入力したところで、また指が止まる。
昨日の洋館。
五年前の家族写真。
仙道さん。
宮司。
そして――死害。
様々な光景が頭の中で入り混じり、指先から力が抜けていく。
送れない。
送って、いいのだろうか。
その一瞬の迷いだった。
すっと横から手が伸びる。
「え……?」
桃花くんは私の手からスマートフォンを抜き取ると、画面をみて一笑した。
そして慣れた手つきで画面を操作し、軽く指を滑らせる。
送信完了の音が鳴った。
「ちょっ……!」
私は慌てて手を伸ばす。
「何してるのよ!」
スマートフォンを取り返そうとした、その瞬間。
桃花くんは私のすぐ目の前まで顔を寄せた。
眼鏡の奥の瞳だけが、静かに私を見つめている。
そして、小さく微笑んだ。
「昨日話してた、その子——
僕に紹介してよ。」




