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青春とは大人になるための準備である。  作者: 赤枝しゅん


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第一章  風紀委員会は祭と嵐!

 入学式も滞りなく終わり、教室に戻った新一年生は先生が戻って来るまでの間、お互いに牽制しながら探り合うあの新生活特有の時間が流れていた。

 初めはそれぞれ黒板に書かれた自分の席から動かず辺りを見回すだけだったクラスメイト達も、同じ中学だった者同士からだんだん輪が広がり始め、今では携帯片手に談笑しているグループが大小問わずあちらこちらで出来上がっている。

「ふふふ。こうなる事は想定済み。まだ動くのは早い。きっと数ヶ月のうちにヒエラルキーは変貌し形作られ、その携帯に入った番号のほとんどが無意味と化す事を僕は知っている。まだ素性も知らない者と寂しさを埋めるように繋がってしまうと後々、挨拶するべきか否かと迷う面倒くさい存在になる事を知らないとは見かけによらず頭が悪いなみんな」

 僕は何も気にしていない素振りでキョロキョロと伺いながら胸の内で毒づく。でも、裏腹に心臓の鼓動はとんでもない祭り囃子を奏でていた。

 入学式で見た信じられない光景がまんま縮小される形でこの教室にも広がっている。

「……が、ガリ勉いなくね?」

 無理して毒づいたさっきの自分は何処へやら。早速、本音が胸の内で木霊する。

 僕は入学式の席に座るまでの間、そして式の最中もずっと心此処に非ずで視線を泳がせていた。

 教室に着いた時はハズレを引いてしまったかと自分の引きの悪さを呪ったが、入学式が行われる体育館でそれは絶望に変わった。

 ガリ勉が居ない。

 みんなチャラチャラと言うかキラキラと言うかイケイケと言うか……

 何て言うか……普通だった!

 思った以上に普通。むしろ中学の景色よりもイケているんじゃないかと思える。いや、実際にイケている。自信と希望に満ちあふれ、人生を謳歌していますという表情を浮かべるうら若き男女はそれだけでイケている。もうオーラからして違うのだ。

 きっとオーラが見えるあの美輪○○なんかがいたら僕の所を指差して、

「何かあそこだけ黒いわね」

 と言うだろう。

 本当に、冗談ではなく、あからさまなガリ勉君は『僕』しか居なかった。

 残念だけど、式もそっちのけで探していたからこれは事実だ。

 それを経てのこの状況……。

 僕は動けない。

 どうしたらいいかわからない。

 フル回転する頭の中で、考えや策が目紛しく浮かんでは消えていく中、とんでもない恐怖が肥大化していった。

 もしかしたら僕は中学以上に浮いてしまうのかも知れない。

 まだ始まってもいない青春を早々に諦めかけた頃、先生が現れてようやく喧騒は静まった。

 次に行われるのは自己紹介。

 これはまぁ普通。十人十色ではあるものの、みんな明るく健全な雰囲気でありきたりな事を述べていた。僕がガリ勉でなければこのクラスは『当たり』だったかも知れない。

 みんなで素敵な一年にしようという、眩しくて目も当てられない程の輝きをみんなが共有していた。そして、その影を僕が一身に受け止めている。

 とは言っても、僕がしたたどたどしい自己紹介も笑う人なんか一人もおらず、むしろ、よろしくな! なんてムードが漂うから調子が狂う。

 いよいよ、どうしていいかわからない。やはり普通じゃない気がした。

 そうだ。ここは天才の集う場所なのだ。余裕を持って行動しないと足下をすくわれる。

 僕はふんどしを締め直して前を向く。こうなったら自ら飛び込んで楽しまなければなるまい。流れに逆らわず、流れに身を任せればこの天才達が一緒になって流してくれるはず。

 そうだ。僕だって天才なんだ。地元じゃ神童と呼ばれていた、ここにいるみんなと何一つ変わらない人間なんだ。

 僕は明日から少し制服を来崩してみようかと思案して、ホームルームを終えた。

 残念ながら、僕は結局、誰からも話しかけられず(それでも、半分が教室を去るまで自分の席で待ってみた)そそくさと鞄を取って引き戸を開けた。

 廊下にはまばらな生徒達。もちろん、まだ部活に入っている人なんかいないのだから帰るだけなんだけど、新生活に浮き足立って何となく残ってしまっているのだろう。

 興奮しているのはわかる。僕も一緒だ。これからなんだ僕たちの高校生活は。

 だけど、誰も相手にしてくれないのでは帰るしかないではないか。

 そこの君。話しかけてはくれまいか?

 あ、今、君。目、合ったよね? 何か見えてないようなフリしているけど見てなかったで済まそうとしているけど。

 あ、君は同じクラスの。そうか、君は他のクラスにも知り合いが居るのか。いいね。僕は同じクラスにも、いやこの学校に一人も居ないのに……。

 心の声は口にしないと届かない。

 わかっている。僕たちにはまだテレパシーは備わっていない。

 だけど、仕方ないじゃないか。僕は中学時代ずっと周りから浮いていて人と話す機会も中々なかったんだから。テスト期間ですら、僕よりもそれなりの成績を取る奴の方が人気だったんだから。

 そりゃ悪かったと思ってる。今ならもう少し伝わるように柔らかく言う事が出来る。僕だって同じ中学生なんだから仕方ないじゃないか。

 ————何で出来ないの? 逆にそれがわかんないんだけど。

 勉強を教えてくれと頼んで来た女子に僕が言った言葉。その子がどうしても解けない数式を前にして頭を抱えていた時に言った僕の言葉は、彼女の涙を誘った。

 それ以降、僕に教えを請う人は居なくなり、代わりにコソコソと聞こえるように陰口を叩かれるようになった。



「あそこまで言う? 普通」

 何度も教えているのに何で出来ないのか理解出来なかったんだ。

「分からない人の気にもなれよ」

 そっちこそ僕の気持ちを知らないくせに。

「いいよな天才は」

 天才かも知れないけど、それなりに努力している。君らよりは勉強して来たつもりだよ。

「頑張ってもダメな事だってあるんだよ」

 言い訳だ。それは頑張った奴なら絶対に口にしない。頑張ってないからそうやって言い訳するんだろ?

 僕は出来てしまった溝を自ら深めるように聞こえて来た陰口に対して反論した。

 もちろん、先の出来事で反省していたから、心の中で。だけど。

 でも、それはしっかり態度として現れていたみたいで、だんだんと陰口すら言われなくなり、僕は居るんだか居ないんだか分からない、まるで幽霊のような存在になっていた。

 まぁ、この秋城高校ではそんな事になる心配はないんだろうけど。

 それでも、それなりに努力しなくてはいけない。僕はここへ人並みの青春を味わう為に来たんだ。淡い淡いやつ。とびっきりのやつを。

 下駄箱から靴を取り、指定された場所へ渡されたネームプレートを貼ると共に上履きを放り込んだ。

 床に投げたローファーが跳ねた、その時だった。

「ねぇ君」

「え?」

 不意にかけられた声に僕は振り向く。もしかしたら僕にかけた言葉じゃないかも知れないのに、僕はその澄んだ声に反応してしまった。

「あ、やっぱりそうだ。君は見つけやすいわね。おかげで助かったわ」

「あ、あの時の風紀委員……さん」

 目の前に立っていたのはあの校門前で僕を褒め讃えた清楚系美女。彼女は手を後ろで組んで小首を傾げながら微笑んだ。

「あら? 覚えててくれたの? 初めまして。二年の風紀委員。千上寺嵐せんじょうじあらしです」

「あ、は、じめまして……一年一組、瀬谷奏汰せやかなたです」

「瀬谷奏汰君。良い名前ね」

 千上寺嵐さんはそう言って二歩、僕に近づいた。

 そう言えば、今日初めて僕の名前を呼ばれた気がする。

「瀬谷君。もう部活とか決めてる? やっぱり、やりたい事とかあるのかしら?」

 微笑みながら真っ直ぐ僕を見つめる瞳の力が強すぎて、僕は何も言えずに、少し体を反らしながら首を横に振る事しか出来なかった。

「よし! 決まり!」

 千上寺嵐さんはパンと両手を胸の前で合わせた。そして僕に右手を差し出す。

「瀬谷君。私と一緒に風紀委員会で働いてみない?」

 僕はその手と千上寺嵐さんの顔を交互に見る。真っ直ぐに向けられた眼差しは凛としていて、初めて見た時と全く変わらない清廉な印象を持ち、伸ばされた手は透き通るような肌で、細い指が僕を誘う。

 ————あの時から、思っていたんだ。

 また会えたら言いなって。

 叶うならば生の声を聞きたいって。

 こんなに、澄んだ声だったんだ。この人の声は。

 細く、でも芯があるその声は僕の心を突き刺した。

 青春。出来るかも? って言うかこんな展開あるんだな。

 ……逃す手はないよな。色々と予想を超えていた今日だったけど、最後の最後でまさかの急展開。嬉し過ぎる誤算。

 これを逃したら……でも、この人に彼氏居たら結局……と言うより、風紀委員がどんなものかもわからないよな。もしかしたら男子は男子で別の可能性もある。

 だって、校門にはあの女子二人しか居なかったんだし。

 ここは慎重に思案するべきか。一旦、持ちかえらせてもらって、しっかり調べ上げた後に後日、返答と言う形を取って……。

「……風紀委員とかはやっぱり興味ない?」

「いえ。最初からそのつもりでした」

 僕はしっかりと千上寺嵐さんの手を握った。少しだけヒンヤリとした指先にはあまり力を込められなかったものの、しっかりと握り返してくれた。

 もう一生、永遠に、この手を離したくなかった。

 うん。時には勢いも大事だ。青春ってそういうもんだろう。

 僕は体の温度が上がるのを実感しながらギリギリで保った理性で決め顔を作り(前日に鏡の前で練習済み)握った手に全神経を集中させた。

 もちろん、放った言葉は嘘である。



 千上寺嵐さんに連れられて僕は校舎の最上階である三階、一番端の教室に辿り着く。

 もちろん、あの後直ぐに手は離れてしまい、そのまま三歩程後ろをついていく形で。

「お待たせ。勧誘成功よ」

 千上寺嵐さんが引き戸を開けると、そこには沢山の荷物や段ボール、それに何かの資料がきちんと整理されて積み上げられ、少しばかり狭くなった室内の中心には二つが合体した長机が置かれていた。

「おー。やっぱり? やったねぃ!」

 千上寺嵐さんの声に返って来た言葉はトラメガの時とさほど変わらない快活な声。

 その主は長机の端にある椅子に座り、頬杖をつきながら全力の笑顔を向けていた。

 あの、スポーツ系の情熱美女だ。

「さ、入って。適当に鞄置いちゃっていいから」

「あ、は、はい」

 これまた予想外の展開に体がカチコチになりながら促されるまま机の上に鞄を置く。

 まさか、この美女二人とこんな室内に居るだなんて。他に委員らしき人もいないし。

 これは、まさかの大当たりか?

「ねぇ? 名前はなんてーの?」

「は、はい!」

 スポーツ系に問われ僕が背筋を正すと、千上寺嵐さんがチョークを渡してくれた。

「私も漢字が知りたいから、そこの黒板に書いてくれるかしら?」

「わわ、わかりました」

 目の前にした黒板にはまだ何も書かれていない。僕はそこに控えめな大きさで自分の名前を記した。

【瀬谷奏汰】

「せやー……そうた!」

「祭。残念。かなた君よ」

「おしー! 当て字かー!」

 美女のやり取りを見ながらモジモジしているしかで着ない自分が何とも情けない。でも、二人とも最初の印象を全く変わらないのがちょっと嬉しかった。

「奏汰……奏でる汰か。かなた、かなでる、た。かなで……うん。かなて君!」

「はい!」

 千上寺嵐さんが黒板から僕に視線を移す。よく、分からない事を口走っている気がしたが、そんなのを気にする余裕もなかった。

 千上寺嵐さんは、そんな僕を指差し高らかに宣言した。

「今日から君のあだ名はかなて君! うん! 決まりね!」

「よろしくーかなてー!」

 別に『かなた君』で良かったのではないかと思いながらも口にはせず、二人に頭を下げる。するとスポーツ系が手を挙げて口を開いた。

「私は二年の秋川祭あきがわまつり! 今日からよろしくねー!」

「はい! よろしくお願いします!」

 千上寺嵐さんは黒板に【秋川祭】と書いてくれた。なるほど、そう言う字を書くのか。

 何だか本当に存在しそうなお祭りだな。

「私の名前はこう書くの」

【千上寺嵐】

 黒板に書かれたその名前は何とも威厳がある名前に見えた。まるで日本の歴史上で起きた事件のようだ。

 千上寺嵐さんはチョークを置いて手を払うと、僕と秋川祭さんに手を開く。

「ちなみに委員は今の所この三人。私が委員長で祭が副委員長よ」

「は、はい! よろしくお願いします! 委員長! 副委員長!」

「あー! そんなかしこまらないでいい! いい! 私は祭でいいから!」

「はい! 分かりました! 祭さん!」

 敢えて先輩も外してみたが、祭さんは満面の笑みで頷いてくれたので大丈夫だったようだ。よし、一歩近づいた。そしたら次は!

「私は委員長で良いわよ!」

 撃沈。

 目が合うや否や最高の笑みでそう言われては「はい……」と答える他なかった。

「嵐は委員長って呼ばれるの夢だったもんねー!」

「ちょっと祭。変な事言わないで。でも、かなて君。いくらでも呼んでいいから」

「はい……委員長」

 委員長は僕が呼ぶと、確かに少し嬉しそうに微笑んだ。もしかしたら、もしかしたらだけど、少しだけ変わった人なのかも知れない。

「じゃあ今日はかなて君に簡単な説明をしたら帰りましょうか」

 座って、と指された椅子に腰掛けて本当に簡単な説明を受ける。

 風紀委員と言っても、一番重要な役割は、この学校でのイベントが滞り無く終わるようにサポートする事なのだそう。

 もちろん、風紀を乱す者が居たらしっかりと指導するらしいのだが、元々校風も緩い上に生徒もバカじゃないので変な行動を起こす者はいないらしい。現に、先輩達が風紀委員になってからは一人も出ていないとの事。

 よって、風紀委員の活動としてはそっちがメインとなるのだそうな。

「でもって風紀委員は選ばれた者しかできないんだぜー?」

「選ばれた者……ですか?」

「現風紀委員によるスカウトでしか入る事が出来ないってだけよ。もちろんかなて君はその選ばれた者である事には変わりないけど」

「もう本当に一目見た時から、こいつだ! って感じだったよね? 嵐も絶対に入れたいって意気込んじゃってさ!」

 絶対に入れたい。良い言葉だ。僕はそんな風に見られていたのか。こんな美女達のお眼鏡にかなうなんて僕も成長したもんだ。

「だって今時、こんなザ・ガリ勉なんて奴見た事ないもん! 本当にビックリしたよ! 思わず挨拶止まっちゃったもん!」

「もう祭。それじゃバカにしているように聞こえるわよ。かなて君。私の直感だけど君は風紀委員としての素質を持っているわ。本当に直感だけど。うん。直感で」

 委員長。そんなに根拠がないって事をゴリ押ししなくても……ある意味、祭さんよりひどいっす。

「よっしゃ! そしたらかなての入会祝いに購買でパン買い漁ってパン祭りしよう!」

「祭。今日は午前で終わりだから購買はやってないわ」

「えー……じゃ、帰ろっか」

 帰っちゃうの? 購買やってないだけで? それ、パン食べたかっただけじゃないの?

「じゃあ帰りましょう」

 やっぱり帰るんだ! 入会祝いの話は何だったんだ!

 本当にそのまま教室を後にして、僕は委員長と祭さんの後を歩き、昇降口で別れた。

「じゃあなー! かなて! 放課後は毎日あそこに集合だから!」

「かなて君。本当にありがとう。これからが楽しみだわ。放課後は毎日あの場所で待ってるから」

 二人に手を振って僕は見送る。二人とも同じ事を言うくらい、大事な事だったのだろうか。それとも、入会した次の日に来なかった奴でも居たのだろうか。

 真意はわからない。でも、委員があの二人しか居ない所を見ると確かに選んではいると思う。なにやらガリ勉スタイルが功を奏したようだ。まぁ、一長一短だけれども。

 青春はまだ始まったばかり。

 そう。これから始まるんだ。きっと。そうであってくれ。

 心で念を押しながら、この数十分の出来事を整理する。

 とりあえず分かった事は、風紀委員の主な仕事内容。そして、祭さんは明るく少しアホと言うかバカと言うか抜けている。そして委員長は真面目だけど真顔でよく分からない事を言う掴めない人。二人とも天然っちゃ天然なのかも。

 まぁ何より、校門出てもしばらく下り坂の一本道なのにバラバラに帰っている事から全く距離が縮まっていないって事だな。嫌われてんのかな? いや、天然なんだ!

 そう、二人は天然!

 僕は自分にそう言い聞かせながらも、追いつかないように少し、その場で立ち尽くしてからゆっくりと歩き出した。

 春風は温かく、少しだけ目にしみた。



「あ、お帰りー。どうだった?」

 入学初日にどうだったもこうだったもないと思うのだが、居候させてもらっている身なので、玄関で靴を脱ぎながらしっかりと答える。

「別に普通だったよ」

 嘘ではない。非日常が舞い込んだ訳でもなく、ただ単純にクラスと馴染めずに終わり何故かその足で風紀委員となるだけの、良くある日常だ。

「あんたみたいなの全然いなかったでしょ?」

「んなっ!」

 思わず晴子さんを凝視してしまう。この人、まさか知っていて僕を送り出したのか?

 そんな格好していたら浮いちゃうよと一言かければ僕の人生が変わったかも知れないのに、この人は言わなかったのか?

「やっぱりねぇ。今時、頭の良い子でもそこまでキッチリしてないもんね。まぁいいじゃん。個性個性!」

 晴子さんはそのまま居間へ戻ってしまった。

 個性……だと?

 そんな一言で片付けられる問題じゃない!

 制服の着方は個性の表し方として分かりやすいものだけど、僕は好きでこんな格好している訳じゃない。何となく無難だと思ったからだ。こういうのが大勢居ると思ったからだ。

 でも、確かにそのおかげで風紀委員に入れたんだけど……。

 災い転じて福となす。で許すのはまだ早いな。決断は焦らないでいい。

「早く着替えちゃいなさいよー! お昼まだでしょ?」

「うん。食べます!」

 機嫌良く返事をしておく。僕には仕返しの仕方が分かっていた。

 この晴子伯母さんは年齢もそこまでいっていないからか『おばさん』という言葉に敏感だった。そういうお年頃なのだろう。でも、僕にとっては正に『伯母さん』なのだから『おばさん』と呼んでも差し支えないはずだ。それでも、呼ばない僕の優しさを褒めて欲しい。出来た甥だよ僕は。

 制服を着替えて居間に行くと、もうご飯は用意されていた。

「今日のお昼は晴子炒飯です!」

「おー!」

 僕は座布団に座るなり「いただきます」と手を合わせてそお炒飯を口に放り込んだ。

 この晴子さん。料理の腕は確かで、中でもこの特製炒飯は僕の好物だった。

 一体、何が入っているか分からないけど、ガツンと来るパンチの効いた旨味はどこでも味わえない。

「御馳走さま!」

 一気に平らげて高らかに叫ぶ。晴子さんはまだ食事中だった。

「あんたさー。何か部活入るの?」

「部活は入らないよ」

 晴子さんは器用に食べながら合間に喋って来る。

「じゃあバイトとかすんの?」

「しないよ」

「じゃあ何かすんの? 暇すんの?」

「何だよ。何かしないといけないみたいな言い方じゃん」

「そんな事無いけどねぇ。折角、秋城に入ったんだから何かやった方が絶対楽しいのに。あそこは勉強だけじゃないんだよ本当」

「ふーん。まぁ一応、風紀委員には入ったけど」

 晴子さんのレンゲが止まる。

「風紀委員?」

「うん。風紀委員。誘われちゃってさ」

 僕が何の気無しにそう答えると、晴子さんは途端に手を叩いて笑い出した。

「あっははは! いやー! 血は争えないねぇ!」

「な! ど、どうしたの? 急に」

 晴子さんは「はー! おっかし!」と目を擦るとまた食事を始めた。

「お姉ちゃん。つまり、あんたのお母さんも秋城の風紀委員だったんだよ」

「え? お母さんが?」

「そう。私は入らなかったけどね。風紀委員かぁ。まさかあんたが入るとはねぇ」

「何だよ。そんなに凄い所なの?」

「凄い? うーん。凄いって言うか……大変?」

 最後の一口を口に入れて晴子さんは首を傾げた。そして手を合わせてごちそうさまを唱えると食器を片しながら僕に振り向く。

「お姉ちゃんはやり遂げたからね。あんたも頑張んなさいよ!」

「う、うん。わかってるよ」

「なら良し!」

 晴子さんはそう言うと台所へ消えていった。その笑いの理由も釘を刺された意味も僕には全く分からなかった。

 翌日。当たり前のように始まった授業も、やっぱり一人で食べたお昼も乗り越えて、放課後、僕は風紀委員会室へと足を運んだ。

「おー! かなて! 良く来たね!」

「いや、来ないわけないじゃないですか」

「まぁいいから座んなよ。嵐は今、生徒会室に行ってるからその内戻って来るよー」

 祭さんは何だか心を弾ませているようだった。この人は常に笑顔なのかも知れないな。

「さーて。かなて。何してようか?」

「何してようかって……何しますか?」

 その机に突っ伏した体に付いている豊満な二つの何かをどうにかいたしましょうか?

「うーん。嵐が戻って来るまで多分、しばらくかかるんだよなぁ」

 じゃあちゃんと入念に調べられますね! 何か形とか色とか……弾力とか!

「そうだ!」

 ガバッと体を起こした祭さんはその勢いで立ち上がった。

「風紀パトロールがてら、かなてにこの学校の中を案内しよう!」

「え、あ、あぁ。はい……」

「何よー? いっちょまえに不満なのー? あんたまだ全然知らないでしょーよ」

「もちろんです。知りません」

 あなたのその主張が強い胸の事も全然知りません。

「ん! なら行こうか! パトロールじゃ!」

 ほら! と祭さんは僕の腕を引いて、教室を出て行く。引っ張られる形で立ち上がった僕はそのまま、手を繋いでしまうんじゃ? なんて期待したけど、教室を出るとあっさり手を離されてしまい、昨日みたい少し後ろを歩く形になった。

「パットロール! パットロール!」

 上機嫌に口ずさむ祭さんの後ろを歩いていると、幾度となく声を掛けられる事に気付く。

 上履きのラインを見る限り、上級生のようだ。二年はもちろん、三年も声をかけて来る。

 ……男女分け隔てなく。

 祭さんは本当に分け隔てなく誰にでも快活な返答をして、二言三言会話をしていた。必ず笑顔を向け合って。

 もしかしてこの人、結構な有名人なのかも知れない。そりゃこんなに気安く話せる美人が居たら男子は放っておかないし、何か雰囲気からして良い人オーラが出ているから女子人気もありそうだ。少しボーイッシュな所もあるし。

「ねー。かなてはどんな家族構成なの?」

 祭さんは一年の教室エリアに来ると視線は集めるものの、流石に声を掛けられなかった。すると、こうしてやっぱり気安くプライベートな質問を僕にして来た。

「家族構成は父と母と、あと妹が居ます」

「えー! かなて妹いんの? いくつ? 似てる?」

「今年、中三です。似ては……いないと思います」

 あんな妹、僕に似ているはずがない。どちらかというと……うーん。誰でもないな。

「じゃあ受験だねー。妹ちゃんも秋城狙ってんの?」

「どうでしょう? あんまりそう言う話はしてませんけど。でも、遠いしわざわざ受ける事は無いんじゃないですか?」

「え? かなて何処から通ってんの?」

「いや、僕は叔母の家に居候しているので、そこから」

「あー。そう言う事ね。まぁ確かにそれくらいの価値あるもんなぁ秋城は」

「そうなんですか?」

「……あんた何でここ受けたの?」

「いや、うーん……」

 僕が返答に困ると、祭さんは体ごと振り返って「ま、いっか」と後ろ歩きしながら笑みを浮かべた。

「多分、かなてはここに来て良かったって思うはずだよ! 楽しーんだから秋城は! イベントも盛り沢山だし! 良い奴らばっかだし! ってわぁ!」

 祭さんは廊下のど真ん中、何も無いとこで盛大にズッコケた。

 ……水色だった。

「ちょっと! かなて! 見たでしょ! 見たよね! 見た見た! 絶対見た!」

 祭さんはその短めなスカートを廊下に押し付けて睨みつけて来る。

 こんな状況で正直に「見ましたけど?」なんて溜め息をつけるクールキャラには程遠い僕は小刻みに首を横に振る事しかできない。例え不可抗力と言えど、許してくれはしないのだろう。この剣幕は本物だ。

 ただ、その短いスカートからしっかりと覗いた水色を僕はしばらく忘れる事が出来ないだろう。ごちそうさまです。

 気を取り直してパトロールは再開したが、祭さんはしばらく僕に「やっぱり見たでしょ」と間を置きながら何回も聞いてきて、さっきまでの「ここは科学室で……」とかの説明は一切無くなり、ただの校内散歩と化してしまった。

 校内は全て回り、下駄箱で靴を履き替えて今度は校庭に出る。この頃には祭先輩も気にしなくなったようで、例の質問はもう僕に向けられる事は無かった。

 高台にあるこの学校は、教室の窓から見える街並、そしてその向こうに広がる空と海が一望出来て、それはもう見事な景色だ。展望台と広告をうっても差し支えが無いくらい。

 よって校庭に出ればそこには遮るものが無い紺碧の天井が広がっていて、特別な開放感があった。きっと端にあるフェンスまで行けば、街並も見下ろせるのだろう。

「いやー! やってるねー!」

 祭さんが視線を向けたのは左右にあるバックネットの左側。ソフトボール部の練習している場所だった。

 春だと言うのに浅黒く日焼けした女子が二列に広がってキャッチボールをしている。

「かなて! 行くよ!」

 祭さんはいきなり走り出した。僕は呆気にとられてかなり出遅れてしまう。

 走る祭さんのスカートが揺れる。視線はもうそこに釘付けだ。

 現れろ! もう一度その姿を見せろ水色!

 そう念じながら追いかける後ろ姿。その風を切って走る快活な女子から信じられない言葉が発せられる。

「混ぜてーー!」

 何を言ってるんだこの人? と顔を上げると、手を大きく振りながら走る祭さんに女子部員達も笑顔で手を振り返していた。

 混ぜて。は、その言葉通り私も一緒にソフトやる。という意味で、僕はグローブを手渡され、同じように列に加わり祭さんとボールを投げ合う。

 やった事ないのに、投げるのはまだしも不思議とキャッチが上手くいくのは、きっと祭さんが投げるの上手なせいなんだろう。と思った。

「ははは! かなての投げ方おっかしい! 女子より女子じゃん! ほら! 見て見て!」

 爆笑しながら指を差してくる祭さんのおかげで、僕は周りの視線を独り占めしながらボールを投げるハメになった。途端に起こる笑い声に顔の温度が上昇していく。

「もう! やった事無いんですよ! 仕方ないじゃないですか!」

 思いっきり投げるが、ボールの描く弧は祭さんより大分山なりで、スピードも無かった。

「いやいやごめんごめん! さっきの仕返しって事で!」

「仕返しって……何かしました?」

「パンツ。見たでしょ?」

 僕はボールを取り損ねる。後ろがすぐフェンスだったので遠くまで走る事は無かったが、心臓の鼓動は少しだけ強くなった。

「みみみ見てませんよ!」

 必死に否定するが、投げ返すボールはワンバウンドで祭さんに届く。祭さんはそれを軽快に拾ってステップを踏みながら軽く投げ返して来た。

「いーよもう。今度は見んなよー!」

「わかってますよ! 見ませんよ!」

 僕がさっきより山なりに飛んで来るボールを目で追い、しっかりキャッチすると祭さんは笑いながらグローブで口元を隠した。

「やっぱり見てたんじゃん!」

 ……やられた。

 僕はボールを投げ返しながら「……すいません」と呟いた。この謝罪は見た事にではなく、嘘をついた事に対してのものだったが、聞こえたかどうかはわからない。

 ただ、祭さんの投げるボールは元の早さに戻っていた。



「はーい! 次レフトー!」

 キン! と気持ちのいい音が響き渡る校庭。

 キャッチボールの次はノックが行われた。それを何で祭さんがやっているかは疑問だったが。

「はい次! センター!」

「はははい!」

 快音と共に高く打ち上げられた白球を追いかける。何より謎なのは僕がセンターに居る事だった。

 端から見れば正に青春な光景。しかし、やってる側からするとそんな爽やかなものじゃない。

 天空から舞い落ちる真っ白な球体は、それこそ取り損ねたら大けがをする、言わば凶器にも等しい存在。

 キャッチボールすらやった事が無い僕にフライキャッチなんて出来る訳無く、取り敢えず追いかけたもののグローブで頭を守りながらしゃがむ事しか出来なかった。

 じゃあ何で近づいたのかと言うと、理由は僕にもわからない。とにかく追いかけなきゃと言う気持ちになってしまうのだ。このフィールドにはそんな魔力があった。

「こらー! かなて! しっかりボール見て! もういっちょ!」

 祭さんは、そう言いながらも次はしっかり地面をバウンドしながら向かって来るようにボールを打ってくれた。アメとムチが上手い。と言うよりノックが上手い。

 言った方向にちゃんと打ち分けられる祭さんの姿を見て、何で当たり前のようにバッターボックスに立っていて、それを部員達も当たり前に受け入れているかが分かった気がした。

「はい! ナイスキャッチ!」

 バタバタと慌ただしくボールを体で受け止めた僕に向けられた満面の笑顔。

 悪くなかった。

 祭さんは見た目通りスポーツ万能なんだろう。快活でムードメーカーみたいな雰囲気も持っているし。一緒に何かをしているだけでこっちも楽しい気持ちになる。

 だから部員達も快く受け入れてくれるのだ。恐らく、この光景はこれが初めてじゃないと思われる。秋川祭……ポイント高し!

「ふぃー……いやー! 疲れたねぇ!」

「……全然元気じゃないですか」

 ノックの次にベースランニングとフリーバッティングを終えた僕と祭さんはようやく、部を抜けて、校舎と校庭の間にある階段に腰を下ろした。

「いやー笑った! かなて全然ダメじゃん!」

「やった事無いんですよソフトボール」

 と言うより球技全般が苦手だ。あ、でも卓球はちょっと得意だった。

「はい。これ使いなよ」

「え?」

 手渡されたのは白いハンカチ。汗を拭けという意味なんだろうけど、いいのか?

「早く! 次、私使うんだから!」

 ええ? 僕の後に? 僕の汗を拭いた後に?

「あーもう! ほら! 顔貸せ!」

「わわわ! ちょっと祭さ!」

 頬を掴まれ顔を引き寄せられると少し乱暴に顔を拭かれる。何このプレイ。

 青春プレイ?

「はいオッケー! あーあっちー!」

 パシッと僕の頬を叩いて普通にそのハンカチを使って自分の汗を拭く祭さんに胸が高鳴ったのは言うまでもない。汗をかいたその姿は妖艶で活力に満ちていて、それだけではなく今、僕の汗を拭いた布を気にもせずに自分に擦り付けている美女が隣に居るのだ。

 この人、どこまで……どこまでなんだ?

「あの……祭さん?」

「なにー?」

「それ、僕の汗拭いたやつ……」

「それがどうしたの?」

 祭さんは首を傾げる。そのまま首筋の汗も拭った。僕は言葉を飲み込んでから口を開く。

「いや、何でも……疲れましたね」

「ほんとだよー! はしゃぎすぎちゃった!」

「そう。あなた達は風紀委員の仕事を放ったらかして遊んでいたのね?」

 ごく自然に挟まれた言葉。自然すぎてつい「そうなんですよー」と言ってしまいそうだったが、祭さんの動きが固まる。僕も体が硬直した。

「あ、嵐。これは、その……」

 ゆっくり振り返りながら祭さんは今までに無いか細い声を出した。その顔の動きに会わせて僕もゆっくりと振り返る。

「祭。あなたはいつもそうね。仕事を任せると直ぐに脱線する。今回は何してたの?」

 そこには腕を組んで微笑んでいる委員長の姿があった。ただ、その笑顔は凍り付くようなオーラを孕んでいて、後から滲んでいた汗が一気に引いていく。

「あ、あのね? ソフトボール部がね? 何か手伝ってくれって言うからね?」

「そう。じゃあ聞いてきましょう」

「あー! あー! ごめん! ごめんなさい! ちょっと楽しそうだから混ざってました!」

 本当に聞きに行こうとした委員長を縋り付くように止める祭さん。何だか亭主関白な夫に振り回される健気な妻のようだ。内情は全然別物なんだけど。

 委員長はふうっと溜め息をついて手に持っていた書類で祭さんの頭をポンと叩いた。

「最初から正直に言いなさい。まぁ今回は不問としましょう。別に仕事を任せた訳じゃないしね」

「でしょでしょ? 嵐ー! 話が分っかるー!」

「いいから汗を拭きなさい」

 祭さんは体を離して笑みを浮かべながら、またハンカチで汗を拭った。

 それをボーッと見ていたら、委員長は不意に僕に視線を向ける。

「かなて君」

「は、はい!」

「やっぱり君は有望ね」

 背筋が凍り付く。この微笑みは期待しているというよりは「入会早々、良い度胸じゃねーか」という意味を持っていた。目は口程に物を言う。目どころか全身でそれを物語る委員長に「いや、僕は祭さんに巻き込まれただけで……」なんて言い訳が出来る度胸は僕には無かった。



 家に帰った僕は部屋のベッドに寝そべりながら、携帯電話を眺めていた。

【秋川祭】

【千上寺嵐】

 風紀委員会とグループ分けされた電話帳にはこの二人が入っている。秋城高校に入って初めて入った番号だ。

 それを眺めながら僕は番号とアドレスを交互に表示してはジタバタと悶えて少しニヤついてしまう。

「うーん。祭さんもアリだなぁ……」

 部屋で一人。こんな時はいくらでも本音を口に出来る。第一印象では委員長派だったが、今回の出来事で一気に祭さんのポイントが上がった。

 もちろん、相変わらず委員長の評価は高いけど。

 向こうからの評価はゼロ、委員長からの評価はマイナスかも知れないが、これからいくらでも取り返せるだろう。祭さんはちょっと強引な所があるけど、しっかりとそれを嗜める事が出来れば、委員長の評価はグッと上がると見受けられる。

 委員長も祭さんの予測不可能な直感的行動力には手を焼いている事が今日で分かった。

 僕はちょっと楽しかったけど。毎日、あれだと確かに嫌になるかも知れない。

「かなたー! 晩ご飯出来たー!」

「あ、はーい!」

 ベッドから飛び起きる。平屋のこの家はどこからどこへでも声が届くから便利だ。

 いつものように美味しいご飯を食べながら晴子さんの世間話に相槌を打つ。

 この家に来てからずっとこの調子だ。元々、母の実家でもあるこの家はどことなく懐かしい気さえする。幼い時に来た記憶も全然ないのに。

「どう? 風紀委員だからもう活動してるんでしょ?」

「そうなの? 確かに今日は一応、校内パトロールしたけど……」

 一応。だ。あれは校内パトロールだった。途中からソフトボールになったけれど始まりは確かにパトロールだった。

「そっかぁ。じゃあこれからだね。頑張れよかなた!」

「頑張るって。晴子さんはやけに風紀委員を気にかけるよね?」

「そりゃあ秋城の風紀委員ってちょっとした役職だからね。誰でも出来る事じゃないんだよ本来」

 その言い方は、お前がやれるような仕事じゃないんだと取れるんだけど……。

「ま、やってりゃその内わかるよ。折角なんだから楽しみなさいな青春小僧」

「言い方が悪いよ……ま、ありがたく受け取っておきます先輩」

「よろしい!」

 晴子さんは満足気に頷いて、ハンバーグを頬張った。

 部屋に戻ると携帯のランプが点滅していた。

 確認すると祭さんからのメール。少し高鳴った胸を知らんぷりしてメールを開く。

『今日はごめん! 今度はしっかり庇ってやるから安心してな!』

 祭さん。案外、気にするタイプなんだな。

 僕としてはそこまでのダメージを受けていないんだけど折角なので甘んじて受け入れよう。

『お気になさらず! でも、次回はお願いします!』

 と、返信する。こんくらいあっさりした方が良いだろう。いきなりがっついても気持ち悪がられるだけだし。

 本当は折角のメールなので何通かやり取りしたかったけど、まだ出会って二日。アドレスを知って初日なので焦らずに慌てずに。

 するとまたメールが来た。

 今度は委員長だった。

『かなて君。明日は私と一緒に校内を回りましょう。祭に任せるとまた同じ事になりそうだから』

 デートならぬパトロールのお誘い。それでも、ちょっと嬉しかった。

『是非お願いします! 今日はすいませんでした!』

 きっと委員長はわかってるんだろうけど、こうして僕も悪かったんですって雰囲気を持たせた方が印象が良いだろう。

 返信して、ベッドに寝転がる。

 もしかしたら? なんて期待してしばらく携帯片手に待ってみたけど、やっぱり二人とも返信は無かった。



 翌日、言われた通り僕は委員長と共に放課後の校内をパトロールしていた。

「あ、また祭……本当に元気ね」

 三階の空き教室から校庭を覗くと委員長は深い溜め息をついた。

 その視線の先には元気にサッカーボールを追いかけている祭さんが居た。体操着に着替えている辺り、今度はかなり本気と見える。

「祭さんって何か友達多いですよね」

「そうね。ああいう子だから、みんなから好かれていると思うわ。悪口を聞いた事が無いもの」

「それって……結構凄い事ですよね?」

「ええ勿論。でも祭はそんなの全然凄いと思っていない所が何より凄いわ」

「うんうん。確かに飾らない感じですよね」

「かなて君。やけに祭を褒めるけれど……もしかして特別な感情を?」

「い、いい、いえいえ! 滅相もございません!」

 委員長はクスッと笑って「冗談よ」と教室を後にする。でも、振り向き様にイタズラな顔を見せて僕に言った。

「祭は彼氏居ないわよ?」

 僕は視線を逸らして何も答えられなかった。祭さんに彼氏が居ない事より何より、振り向いた委員長の顔が可愛くて仕方がなかった。

「あ、そうだ。かなて君。そろそろ一年生の最初の行事があるんだけど」

 校内をグルグルと歩き回りながら委員長は思い出したように口を開いた。

「その行事。かなて君は参加出来ないから」

「はい?」

「いや、厳密には参加出来るんだけどみんなと一緒に行動は出来ないから」

「どういう意味ですか?」

 委員長はニコッと笑う。

「ここからが風紀委員の本領発揮。そして醍醐味よ」

 何やら楽しそうな委員長はそれ以上、何も言ってはくれなかった。

 翌日、確かに担任から野外炊飯が行われる事が告げられたが、僕は風紀委員だからとグループ分けから外され、ものの見事に蚊帳の外状態だった。

 親睦を深める為の記念すべき第一回目の行事なのに、参加出来ないとは。増々、クラスと馴染めなくなるではないか。

 でも、僕のそんな気持ちをよそに、先生も当たり前のように言うので、恐らく風紀委員というのは代々そういう役目なんだろう。

 ……どういう役目なのかわからないけど。



「————で。これは一体どういう事ですか?」

「サプライズだよ! サプライズ!」

「かなて君。これが風紀委員の仕事よ」

 結局、何も分からないまま迎えた野外炊飯当日。近くのキャンプ場で、少し、よそよそしさを持ちながら盛り上がっている一年生達を眺める僕。と、委員長と祭さんが居た。

 二人の私服姿が新鮮だったけど、今はそれどころじゃない。すごく可愛いけど。

「本当は早めに伝えたかったんだけど、祭が内緒の方が面白いって言うから」

「嵐もノリノリだったじゃーん!」

「ちょっと祭。はしゃがないの」

 そう言う委員長も凄く機嫌が良かった。いつもよりテンションが高い二人はじゃれ合って、僕に説明しようともしない。

「あの。結局、どうなってるんですか?」

 痺れを切らして、楽しそうにじゃれ合う二人に少し強めに言葉を投げる。

 僕が少しイライラしているのを悟ったのか、二人は落ち着きを取り戻して委員長がいつものクールな表情に戻った。少し顔は赤らんでいたが。

「風紀委員はこの秋城高校のイベントをサポートする役目があるの」

「それは知ってます」

「全ての。ね」

「はい……はい?」

「かなてー! つまり! 私達風紀委員はこの学校で行われるイベントの全てに参加しないといけないんだよ! 学年問わず! だから修学旅行も毎年行けるんだ!」

「ちょちょ、ちょっと待って下さい! 修学旅行? 毎年?」

突然の衝撃的事後報告に僕の頭は全然ついていけない。全部のイベントに参加? 学年問わず? それって僕だけ授業を休んだりするんだよな? 大丈夫なの? 風紀委員ってそんな仕事なの? 嘘でしょ? そんなのってある?

 僕は様々な疑問や不安が浮かんで来る中、ある日の晴子さんが言った言葉を思い出した。

 ————お姉ちゃんはやり遂げたからね。あんたも頑張んなさいよ!

 そう言う事か。

 風紀委員とはこのイベントが多い事でも有名な秋城高校で全てのイベントに参加しながら尚かつ成績を保たなくてはならない過酷な役職なのだ。

 何が、ちょっとした役職。だ。こんなのとんでもなく大変な役割じゃないか。

 それでも、やり方はある。僕には似合わない立ち位置だけどやるしかないのだから。

 建設的に計画的にやれば何とか出来るだろう。

「じゃ、じゃあ先輩方。向こう一年のイベントスケジュールを教えて下さい」

 僕は二人に視線を交互に送る。しかし、二人はお互いに顔を見合わせて微笑むと、声を揃えて僕に伝えてくれた。

「知らない(わ)」

「は?」

「私達にはわからないのよ」

「でも、去年やった事だから……」

「かなて君。残念だけど。行事は毎年すべて変わるの」

「え?」

 委員長は淡々と端的に説明してくれた。

 行事を決めるのは毎年、生徒会がやるらしく、その内容も時期も数もその年で違うらしい。生徒の自主性を重んじるこの秋城高校の伝統なのだそう。

「じゃあ……二人ともこの野外炊飯は?」

「やった事無い(わ)」

 またもや揃う声。僕は目の前が真っ暗になった。

「つまり生徒会がデスク。風紀委員が現場仕事って言えば分かりやすいかしら。全てのイベントに関わるのはこの二つの委員会だけだからこの学校でもかなり重要な役割よ。やりがいあるでしょ?」

 委員長は誇らしげに胸を張るが、僕には答える気力が無い。一気に生気を吸われてしまった。

「まぁまぁ! 楽しいぞ! 私達がサポートするから気楽にいこう!」

 バシバシと背中を叩かれて僕は無理矢理、現実世界に呼び戻される。

「かなて! 気合い気合い! 私達は現場に立つのが仕事なんだからそんな顔しちゃダメだよ! 盛り上げつつしっかり支えるんだから。事件は会議室で起きてるんじゃない! 何処で起きてる!?」

「まず、起きてません」

 一本取られた! と笑う祭さんは委員長の肩に掴まってお腹を押さえていた。委員長も笑っている。

 この二人。ただのイベント好きなのだろうか。浮かれ過ぎだろ。

 しかし、これはとんでもない事になったぞ。

 ただ、僕はこの美女二人とこれからの忙しい未来を天秤にかけてもやはり答えは変わらない。この二人と居られるんだ。それも沢山。全てのイベントを共有出来るんだ。

 そうだ。プラス思考が大事だ。こういうのはマイナスに考えてはいけない。

 僕は心の底に溜まった不安をねじ伏せて二人に向き直る。

「迷惑をかけるかもしれませんがよろしくお願いします」

「はーい! よろしくー!」

「かなて君。安心して。しっかりサポートして君を一人前にするから」

 僕は力強く頷いた。

 そうしている内に、いよいよ、野外炊飯が始まりだす。僕たちは手分けして手こずっているグループの手伝いをする事にした。

「じゃあ私は一人で行くから嵐はかなてのサポートしてあげて!」

「わかったわ。かなて君。ついて来て」

「はい! ……っわ!」

 歩を進める委員長についていこうとすると、祭さんに肩を掴まれ、引き止められる。

 バランスを崩した僕に祭さんはグイッと顔を寄せて、僕の耳にそっと吐息をかけた。

「……嵐はすんごいお嬢様だから、常識はずれのとんでもなくぶっ飛んだ事するぞ。気をつけて。かなてがしっかり止めるんだぞ」

 んじゃ、よろしくー! と走り去る祭さん。僕はその場に立ち尽くし、その背中を見送った。耳たぶを掴んで、熱を冷ます。

 言葉の意味よりも、耳にかかった吐息の感触が忘れられないでいた。

 ……しかし、直ぐにその言葉の意味を知る事になる。



 まず初めに、委員長が目をつけたのは火起こしに困っている女子のグループだった。

「なかなか点きづらいわね……」

 委員長は女子グループを率先して火起こしに取りかかる。だが、そのやり方は僕から見ても間違っていて、炭を無造作に敷いて端っこにチャッカマンで点火しては先っぽが燻るのを見て、また別の先っぽを燻らせるという流れだった。

「何よこれ。不良品?」

 チャッカマンを訝しげに眺めてカチカチと火を点ける。

 火力の問題じゃないです、委員長……。

 周りを囲う一年生女子達も上級生、しかも風紀委員長に間違いを指摘するべきか迷っている雰囲気だった。

 何となくこちらに視線を向けられる。ちょっとお前どうにかしろよという視線。

 既に、そのまま放っておいたら、この子達だけで火を点けられたんじゃないかと思えるくらい時間が経っていた。

 周りはもうほとんど火起こしが終わっている状態。

 仕方がない。ここは僕がいくしかないみたいだ。

「あの、いいんちょ……」

「かなて君。ちょっとガソリン持って来てくれる?」

 はい? 今なんと?

「このままじゃ埒があかないわ。とりあえず火を点けないと」

 ここら一帯に、でしょうか?

 しかし、しゃがみながら僕に振り向く委員長の顔は真剣そのものだった。

「いや、でもガソリンはちょっと……」

「大丈夫! テレビでも良く使ってるの見てるから! 早く持って来て! この子達が可哀相でしょ!」

 委員長は語気を強める。その、テレビってもしかしてサスペンスドラマとかの事を言ってらっしゃるのでしょうか?

 僕はたまらず後ろにいる女子達に視線を送るが、全員に逸らされてしまう。

 まずい。何か不穏な空気が流れている。

 ……何だよこいつら。ただ邪魔しに来ただけじゃねーかよ。

 ……って言うか、もう良いよ。もうめんどくさい。早く帰りたい。

 そんな心の声が落とした視線からヒシヒシと伝わってきた。

 やばいぞ。もう諦めムードになっているじゃないか。

「いい、委員長! ちょっと貸して下さい!」

「え? 何よいきなり。ちょっとかなて君!」

 委員長からチャッカマンを素早く奪って、強引にポジションを変わる。僕だって見よう見まねだがテレビはテレビでもアウトドア番組だ。決してガソリンを使うような方法ではない。

 たしかこれは空気の通り道を作らなければいけなかったはず。

 炭で少し隙間が空いた煙突を作るように円を描いて、中心に捻った新聞紙を何個も放り込んだ。

 そして一つだけ手に取った新聞紙に火を点けて中心に放り込む。

 確かこんな感じだったはず。

「あ、点いた? 点いた!」

 後ろで女子の声がした。メラメラと燃え上がる炎は煙を吐いて勢いを増す。

 どんどん燃え上がる炎。同じくして後ろのテンションも上がって来るのが声で分かった。

「すごいすごい! 点いた点いた! ありがとうございます!」

 しっかりと炭に燃え移ったのを確かめて立ち上がると、女子グループにお礼を言われた。

 さっきまでの雰囲気が嘘のように盛り上がる女子達にチャッカマンを返して僕は立ち去る。その去り際に前に練習しておいた決め顔で振り返った。

「また何かあったら呼んで下さい!」

「はーい!」

 声を揃えて明るく返事をする女子グループ。みんな満面の笑みだ。うん。悪くない。

 さて、次は……うわ!

「かなて君……そう。凄いじゃない。流石だわ」

 委員長は一歩引いた所で氷の微笑を僕に向けていた。言葉は褒めていても、顔は笑っていても、オーラが笑っていない。そして目も全然笑っていない。

 何だ? 何か今日の委員長はいつもと違うぞ?

「次……行きましょうか」

「ははは、はいぃ!」

 背筋を伸ばして敬礼する。それを流し見て踵を返す委員長はまるで鬼教官だった。

 続いては男子グループ。

 こちらは野菜の切り方に悩んでいるようだった。

「カレーよね。それならテレビで見たからわかるわ」

 貸りるわね。と調理スペースで包丁を男子から奪う委員長。周りの男子もその美貌に目を奪われてメロメロになっていた。

 無理も無い。こんな一見、クールビューティーな女性が自分らの為に料理をするなんて一面を見せられたら、そりゃ骨抜きだ。髪の毛を縛ってエプロンをわざわざ着る所も狙っているのか天然なのかわからないけど、その姿は正にキングオブギャップ!

 ギャップ万歳! と、目線だけで僕たちは会話する。

「えーと……玉ねぎって以外と身が出て来ないのね」

 委員長の放ったその言葉に、今まで恍惚に満ちていた僕たちの目線は大きく見開いて一気にその手元へ集中した。

「あら? 終わっちゃった。ハズレだったのね」

 委員長! 野菜はくじ引きじゃありません! 茶色い部分だけ向けば良いんですよ!

「あの! いいんちょ……」

 僕の口はそこで止まった。振り向いたクールビューティーは凍り付く美貌で笑いかけて来る。

「かなて君? 男子厨房に入るべからず。わかるでしょ?」

 こ、古風な考えをお持ちで……。

 僕は口を噤んだままコクコクと頷いた。委員長はそれを確認するとまた玉ねぎを剥き始める。何個も何個もハズレが出てきて、とうとう無くなってしまった。

「あら。私って運がないのね。かなて君。申し訳ないんだけど予備の野菜を取って来てもらえるかしら?」

 何の疑いも無く玉ねぎを全て剥いた委員長の目には一点の曇りも無く、僕は戦慄した。

 周りの男子達もどうしたら良いのか分からず、お前が言えよ、いや、お前が言えって。と小声でなすり付け合いを始めていた。

「かなて君? 急いでね?」

「はい! ただいま!」

 僕は逃げるように、その場を走って立ち去った。

 どうする? このままじゃ予備の玉ねぎも無くなってしまう。第一、テレビで見たって言ってたけどあの人は一体何を見ていたんだ? って言うかテレビでしか知識を得ていないのか?

 予備の野菜置き場は管理室の中になっていて、先生に断りをいれなくてはならない。

 そうして管理室に入って玉ねぎを手に取るまでの間、ずっと考えを巡らしていた。

 ……祭さんの言っていた言葉。

 ————嵐はすんごいお嬢様だから、常識はずれのとんでもなくぶっ飛んだ事するぞ。

 あの人……もしかして僕に押し付けたんじゃないだろうな?

 僕は、とりあえずこの玉ねぎを取ったら祭さんの手を借りようと決断する。

「一応……多めに持って行くか……ん?」

 棚に置いてある玉ねぎを見繕っていると、後ろからシャツの裾を引っ張られる。

「な、何? ん? あれ?」

 後ろを振り向くと、視野の下方に金色が映った。そのまま視線を落とすと、そこには外人の女の子がいた。しょ、小学生? だよな?

「ど、どうしたの? あ、ワットディヂュードゥー?」

 なるべくネイティブっぽい発音で言ってみたが、女の子は表情も変えず僕を真っ直ぐ見て斜め上を指差した。

 その先に視線を移すと、そこには『じゃがいも』と書かれた段ボールがある。

「ぽ、ポティトゥ?」

「デス」

 女の子は相変わらず僕の裾を引っ張ったまま頷く。って言うか今「です」って言わなかったか?

 とにかく、一旦、玉ねぎを戻してじゃがいもの段ボールをとってあげると、女の子はおもむろに四つのジャガイモを取ってペコリと頭を下げた。

「ありがとうデス」

「え、あぁ。どういたしまして」

 走り去っていく女の子の背中を見送って僕はようやく我に返る。

 何でここに小学生? 貸し切りのはずなのに。

 って言うかあの子。日本語喋ったよな? って事はハーフとかか? いや、それよりも日本語話せるんなら言えよ! 先に言ってくれよ!

 決め顔で「ポティトゥ?」とか言っちゃったじゃんか!

 じゃがいもの段ボールを戻して、玉ねぎを手に取り、早々と管理室を出る。全く、余計な時間をかけてしまった。早く戻らないと……

「ちょっとー! 何するんですかー!」

 管理室を出た瞬間に轟いた声。悲鳴にも似たその叫びの後に聞き慣れた笑い声がした。

「ははは! こういうのは豪快にいった方が良いんだって! 男の料理でしょー!」

「ま、祭……さん?」

 声のした方向には男子の手を振り払って、両手一杯に持った色んな調味料を鍋の前で豪快に振っている祭さんの姿があった。

「な、何やってんの。あの人……」

「わー! 危ない危ない!」

 今度は別の方向から悲鳴が上がる。視線を投げるとそこにはポリタンクを持っている委員長の姿があった。

 ……まさか、ガソリン!?

「ちょちょちょちょっと委員長ーー!」

 玉ねぎを持ったまま、委員長の元へと走る。また祭さんのほうから悲鳴が聞こえたけど、今はこっちのが先だ。

「い、委員長! 何してんですか!」

「あ、かなて君。遅かったわね」

 委員長は今、自分の使用としている事の異常性に全く気付いていない。

 僕は玉ねぎを男子に手渡してポリタンクをその手から奪う。中には明らかに液体がなみなみと入っていた。

「ががが、ガソリンなんて使ったら大惨事になりますよ!」

「何言ってるの? それは灯油よ」

 危険な事に変わりねーよ!

 小首を傾げる委員長に心の中で突っ込みながら僕は一歩、また一歩と遠ざかる。

「ちょっと待ってくださいよー! 焦げちゃいます! 焦げちゃいますって!」

「だーいじょうぶだって! これじゃ火力たんないよ! もっともっと燃えろ燃えろー!」

 また別の場所であの声が響いた。

 ポリタンクを持ちながら、顔を向けると、そこには飯盒をぶら下げている火元にどんどん炭や新聞紙を投げ入れて遊んでいる祭さんが居た。

「ちょっと! 祭さん! 何やってんですか!」

「あ! かなてー! それ何ー!」

「祭。これは灯油よ」

 必死になって祭さんの所に辿り着いた僕の後ろには、いつの間にか委員長が立っていた。

「灯油! いーね嵐! んじゃいっちょこの火によろしくー!」

「もう祭。遊びじゃないのよ? 少しだけにしなさい」

 少しもダメだよ! 危ねーよ!

 もう……何なんだこのコンビ……。

 風紀委員の本領発揮どころか、二人の本性露呈じゃないか。

 とんでもないぞ。この二人。

 何が、サポートは任せて、だ。何が一人前の風紀委員にする、だ。

 僕がいなかったらこの野外炊飯は大惨事じゃないか!

 いつの間にか僕がサポートする側になっているじゃないか!

「ほら! かなて! それ貸して!」

「かなて君。重たいでしょ? 変わるわよ?」

 こここ恐過ぎる! 純粋なその曇りない目が何より恐ろしい!

「だだ、ダメです! これは戻してきます! ちょっと! しばらく大人しくしていて下さい!」

 その場から立ち去るが、直ぐに戻らなければなるまい。きっと僕の忠告なんか聞かずに二人ともまた勝手にトラブルを起こすはずだ。一刻の猶予もないぞ。

 灯油を戻して、ダッシュで戻って来た僕の予想は、しっかり当たっていた。

 いや、遥かに超えていた。

 あちらこちらで騒ぎが起きている。

 爆笑している祭さんと、真顔でとんでもない事をしている委員長。

 最早、一年生達はされるがまま状態で、被害を被っていないグループはどうにかこちらへこないようにと、迅速に作業を終わらせにかかっていた。

「かなてー!」

「かなて君。ちょっと良い?」

 二人とも勢いが収まらない。その名の通り、野外炊飯は嵐と祭りが一緒にやって来たような賑わいを見せている。いや、被害だな。

 もう楽しんでいる者はこの二人だけだった。

 ……大きく深呼吸。

 ここからはノンストップだ。無い体力を振り絞って全力でこの野外炊飯を守り切らなければならない。

 何故なら僕は風紀委員だからだ————。



「うーん! おいしー! やっぱ働いた後のご飯は格別だなー!」

「えぇ。かなて君。カレー作るの上手ね。見直したわ」

見直されるのも無理は無い。僕だって自分の底力に驚かされているんだから。

 この呑気にカレーを頬張る二人の巻き起こす騒ぎの沈静化に奔走しながら自分達の分であるカレーを作っていたんだから。

「かなては食わないの? おいしいよ?」

「お腹が空き過ぎたのかしら? 大丈夫?」

 落ち着くと一転、天使のようなオーラを放つこの美女二人は底知れない。僕はこの美貌と間違った行動力に体力も気力も奪われてしまった。

「はい……いただきます」

 口に入れたカレーは、ほとんど何も考えずに作ったのに今までに無いくらい美味しかった。

 また一口、また一口とスプーンが止まらない。

「あ、かなて! カレー付いてるよ?」

 微笑みながら頬を叩いて祭りさんが知らせてくれた。

「もう、しょうがないわね。かなて君ったら」

 それをティッシュで拭き取ってくれる委員長。

 何このアメとムチ。あんな事があった後だからか、こんな優しさが凄く嬉しい。

 ギャップか? これまたギャップなのか?

 こんな事で少し回復してしまう自分の単純さが憎い。

 しっかりおかわりのカレーも平らげて、一息ついていると、さっきまでの大騒ぎががまるで嘘みたいに、和やかなムードが漂っている野外炊飯の場に気付いた。

 台風一過みたいに晴れやかなその雰囲気。時折、ここまで届いて来る笑い声。

 いざ、こうして一段落してみると親睦を深めると言う目的は達したように思う。

 だからと言ってこの二人のおかげだとは思わないけど。確かにバウンド効果で予想以上に楽しそうだけど。緊張から解き放たれた開放感で満ち満ちているけれど。

 それは僕が最終的に何とかしたからだ。ギリギリの所で食い止めたからだ。

 さもなくば今ごろこの風景はさながら地獄絵図になっていたに違いない。

「秋川せんぱーい! キャッチボールしません?」

 食後の自由時間をのんびり過ごしていると、三人の女子達がやって来る。何となく見覚えのあるその顔は「キャッチボール」の言葉で、ソフトボール部員の姿と結びついた。

「よーし! 腹ごなしにやるかー! 遠投でやろうぜー! 遠投で!」

 右腕をブンブンと回して立ち上がる祭さんに女子達は手を叩いて喜んだ。

 あんなに場をめちゃくちゃにした人なのに、何故こうも慕われているんだ?

 もう忘れたのか? あの惨劇を……。

 そんな僕の疑問は当然、女子達に届くはずも無く、カレーを三杯食べた祭さんと共に、広場の方へと去って行った。

「祭さんって何か計り知れませんね……」

「そうかしら? 結構分かりやすいタイプだと思うけど?」

 あなたも計り知れませんよ……。

 のどかなキャンプ場で委員長と二人きり。待機場には爽やかな風が通り抜けた。

 風下にいた僕には隣から委員長の香りが届いて来る。すごく良い。

「今日はお疲れさま。かなて君って物知りなのね」

「いえ。そんな大したもんでもないです」

「そう? でも……私より活躍してたじゃない」

 カレー皿に視線を落とした委員長は少し寂しげな表情で微笑んでいた。

 どうしたんだろう。あの凍り付くようなオーラは何処へ行ったんだ?

「……委員長?」

「私ね」

 委員長は顔を上げて精一杯の笑顔を僕に向ける。

「ちょっと変わった家柄だからテレビで得た知識ばっかなのよ。本とかも娯楽物はあまり呼んだ事が無くて……実体験が少ないと言うか世間知らずなのよね。だから隠れて見ていたテレビくらいしか得る物が無かったの」

「そう……なんですか」

 委員長はお嬢様だと祭さんは言っていた。特殊な家柄とはそう言う事なんだろう。多分、俗世間とは離れた場所で温室の中、大切に育てられたに違いない。将来を見据えてのこの学校なんだろうな。

 それでも、テレビの知識を間違った形で受け取り過ぎだけど。

「それにダメね。まだまだ子供だわ。ついつい、かなて君に対抗心を燃やして頑張っちゃう。どうにかしたいものだけど、まだまだどうにも出来そうにないわ」

 自嘲する委員長は肩をすくめて僕に言う。

「かなて君はどうしてこの学校を選んだの?」

「どうして……ですか? 何だろうな」

 委員長は黙って僕の返答を待っていた。この真っ直ぐな目に嘘をつく気にはなれなかった。

「僕はその、中学で浮いた存在でして。だからこんな僕でも人並みに青春したいと思ったんです。ここなら、人一倍勉強ができる僕でも馴染んでいられると思って。まぁ将来も考えてますけど。良い大学入って良い会社に就職して。とか」

「そう。そうなんだ」

 委員長は目を閉じて頷くと、広場の方に視線を移して呟いた。

「青春……か」

「何か、変でした?」

「ううん。全然。ねぇかなて君?」

 委員長は再び僕に向き直る。

「青春ってさ。準備だと私は思うの」

「準備ですか?」

「そう。大人になる為の準備。だから色んな経験をするべきだし、色んな悩みを抱えてそれを乗り越えて少しずつ大人になるの」

「変わった意見ですね」

「ふふふ。そうね。でね? 風紀委員の仕事はその準備を手伝う仕事なの。だからやりがいもあるし、何より楽しいの。ほら、お祭りも本番よりも準備の方が楽しいって言うじゃない? だから楽しいの。風紀委員の仕事も。青春も」

「青春は準備だから楽しいって事ですか。大人が本番だと」

「そうよ? でも、その準備がいつ終わるかなんて誰にも分からない。もしかしたらずっと準備し続けている人もいるかもね」

「それ……良いんだか悪いんだか分からないですね」

「そうやって考えるのも青春よ」

「どんだけ万能な言葉なんですか青春って」

 委員長はうんうんと頷いて立ち上がった。そして僕に手を差し伸べる。

「細かい事はいいの。だからかなて君。この高校で、この風紀委員会で、私と、祭とみんなと一緒に」

 ————青春しましょうか。

 委員長は微笑んで、風になびいた髪を耳にかけた。その仕草の美しさは僕の心を完璧に撃ち抜いてしまった。

 まるで僕の心の内を見透かしていたような言葉だったけど、おかげで辟易としていた心もすっかり晴れていて、僕は言われた通り深く考えずにその手を取る。

 僕は真っ直ぐ委員長と視線を合わせて頷いた。

「……はい」

 本心だった。僕はこの人達と青春したい。全力で青春したい。

 何でも良い。何だって良い。この人達と楽しもう。かけがえの無い高校生活を。青春を。

 遠くから祭さんの声が届いた。大きな笑い声とともに響いたその声は聞いているだけで心地いい。気付けば大所帯で遊んでいて、その中心で笑う祭さんは先輩の理想とも言える姿だった。

 何だかんだやっぱり先輩なんだな。委員長も、祭さんも。ちゃんと考えているんだ。

「かなて君」

「はい」

 僕は立ち上がる。委員長は微笑みを崩さずに口を開いた。

「次は……負けないわよ?」

「……はい?」

 いつの間に、あの冷徹な微笑に変わっていた委員長。

 どういう事だ? つい今まで爽やかに笑っていたよな?

 何だ何だ? 根に持っているのか? 今日の出来事を。

 そう言えば、どうにも出来ないとか言っていた。それってどうするつもりも無い。変えるつもりは無い。という意味か。

「……いつっ!」

 握られた手に力が込められる。完全に思いっきり握りつぶされていた。

 委員長は冷涼な目を緩ませて僕の目を真っ直ぐ見ている。 何この力……強くない?

 結局、この人。何が言いたかったんだ?

 勝負はこれからだから逃げんなよ? とでも言いたかったのだろうか。

 調子に乗んなよ一年坊主。とでも言いたかったのだろうか。

 テレビから得た間違った知識を天然の頭で惜しみなく行動に反映させるこの美女。

 もうインテリ何だかなんだかわからないこの美女。

 爽やかに良い事言っておいて、次の瞬間にはダークサイドに落ちるこの美女。

 やはり、計り知れない。風紀委員コンビ恐るべし。

 僕も先輩も大人なのか、子供なのかも分からない高校生。それにしても、振り幅が大き過ぎるこの二人とともに僕はこの秋城高校での時間を過ごすのだ。

 僕の青春はこの先どうなってしまうか分からない。

 ただ、風紀委員を辞める選択肢は最早無い事と、握られたこの手に走る痛みは分かり切っていて、紛れもない真実だった。
















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