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9 失ったピース

「越村。ゴールあっちだから。味方ゴールに走ってどうすんの?」


 呆れながら、溜息交じりのレント君の声に申し訳なさすぎて落ち込んでしまう。暗くならないように、日本人特有の愛想笑いをして誤魔化す私はだめ人間かも知れない。


「ごめん……。焦るとつい、わからなくなっちゃって」


 レント君からサッカーを教えてもらって十日が経った。競技大会まであと四日。

 私のサッカーセンスは皆無だったけど、何とか蹴りたい方向へとボールは転がってくれるようになった。だけど、焦ると、今みたいに訳がわからなくなる。

 これには自分自身が落ち込むけど、嬉しいこともあった。

 レント君が練習に支障がない日は、夕飯を毎日一緒に食べることになった。保護者である卓兄が言うには、私へのコーチ代だと言う。

 食べ終わった後は、レント君がクラブチームの練習に行った。レント君の練習が終わる時間になると、家からレント君の元へと、裕兄が私を送ってくれる日々が続いた。


 レント君の負担は大きいはずだけど、嫌な顔一つしないで私に教えてくれる。私はとても充実した日々を送っていた。

 ただ、里美に聞いた事件の噂は、レント君に何も聞けないままだった。

 こんなにもレント君が一生懸命教えてくれるのだから、球技大会では頑張りたい。なのに、またしても蹴りそこなったボールを見ると、神様に頼りたくなってくる。


「まあ、そんなこともあるよ。越村の、おっちょこちょいな所も、見ていて面白いから気にしないで良いよ」

「えっ、面白いってどこが?」

 こんな会話も出来るようになった。

 最初に出会った頃よりは、確実にレント君との関係は進歩したはずだ。だけど、やっぱり降ってくるボールは、まだ怖かった。

 レント君もそれを気にして、何度も気遣いながら教えてくれるけど、私の恐怖はすぐには消えない。

「ごめんな。まだボール怖いだろ?」

 あの日から、いつもレント君は同じ言葉で私に謝る。

「大丈夫だよ。気にしないで。私にそんなにボール来ないよ。それに、ドリブルならなんとかなるから。危なくなったら、レント君が助けてくれるんでしょう?」

 何度も謝るレント君に、冗談だとも受け取れるように、私は勇気を振り絞ってそう伝えた。

 違うクラスなのに、私を助けてくれるなんてある訳ないのに。

 レント君と同じクラスなら、もっと楽しめたはずだけど、それだと今の関係はない。この関係が心地よい

 すると、レント君は目を丸くしたあと、照れたような笑みを浮かべ頷いた。


「もちろん。必ず助けに行くよ。安心して」

 とても、嬉しかった。

 大げさだけど、このまま気を失っても良いほど。私達の関係は、お互い名前さえも知らない関係から前進した。

「レント――。柚月ちゃん!」

 二人で、ちょっと照れながら話していると、遠くから私達を呼ぶ大きな声が聞こえた。振り返ると、そこにはケン君の姿。

「もうすぐ終わる? 雨が降りそうだから、今日は早めに切り上げろって」

 空を見ているケン君につられ、私達も空を見上げた。

 確かに空は、ぶ厚い雲で覆われていて星一つ見えない。

 フィールドには、人工的な照明の光だけ。

 そう言えば、朝のニュースで夜は大雨になるって言ってた。時間はいつもよりも早いけど、切り上げた方がよさそう。


「わかった。じゃあ、もう一回ゴール決めてから戻るよ。そうオーナーに伝えて」

「ああ。雨降ったら急いで来いよ」

 レント君がそう言うと、ケン君が戻って行く。

「越村。もう一回ドリブルして俺を抜いてみて。手加減するから。ゴールに向けて蹴って。それで今日は止めよう」

「う、うん。頑張る」

 最後に出された課題はとても無茶なもので、正直無理だと思う。けど、ここまで教えて貰ったんだからと気合を入れた。

 目の前のサッカーボールを見つめ走り出した。

 ドリブルは出来るようになったけど、人をかわすことは出来ない。蹴って前に出すだけの簡単なことしか出来ない。


「越村、そこで止まったら確実に取られるよ」

 思わずレント君の前でボールを止めると、私の動きがわかっていたかのように、足元のボールを奪われた。

「えっ? わっ!」

「越村!」

 自分では止まったつもりがなくて、ボールが消えて驚いた。空を切った足はバランスを崩し、後ろ向きに倒れてしまった。

 ウソ。これ絶対に痛い。

 芝生だけど、受け実をとる余裕がなくて、目を瞑り衝撃に備えた。でも……いつまで経っても、どこも痛くない。

 その代わりに背中に温かさを感じた。


「あっぶな――!」

 目をあけると、今にも雨が降ってきそうな黒い雲の塊。そして、私は何かに包まれるように守られていた。

「……っ!」

 状況を悟り体が強張った。

 なぜなら、私は今、芝生に座り込んでいるのに、上半身はレント君に後ろから抱きかかえられている。

 どうやら私が後ろへと倒れた瞬間、レント君が庇ってくれたと推測する。

 そして、私が重かったのか体制を崩し倒れた……。だから、レント君の腕が私を支えているんだ……。おかげで私は頭も背中も守られ痛くない……。

 冷静に分析していたら、あることに気付いて青ざめた。


「レ、レント君! 怪我しなかった? 大丈夫?」

 私はともかくとして、レント君が怪我でもしたら取り返しがつかない。

 高校ではサッカー部に所属していないと言っても、クラブチームではプレーしているんだから、プロを目指しているはず。

 プロになると、完治していても、メンタル面では古傷一つでも致命的な欠点になると聞いたことがあった。

 半分泣きながらレント君の顔や体を確認する。


「ごめんね。私が運動神経ないから迷惑ばかりかけて。怪我したら治るまでお世話するから!」

「越村落ち着いて……大丈夫だから」

 そう言いながらも、目の前のレント君が顔を少し歪めた

「大丈夫じゃないじゃん。本当にごめんなさい。プロを目指しているんでしょ? ここで怪我でもしたら」

 そこまで言って言葉に詰まった。

 私のせいで、レント君のプロへの道が閉ざされるのではと顔を青くする。

「いや、だから越村落ち着いて。怪我してないから。それとこの体勢はやばいから」

 やばい……。なにが?

 状況を整理してみた。私が動いたせいでさっきと体勢が変わっていた。

 レント君は両手を後ろへとつき体を支えていて、私はレント君の肩に両手を置いている。

 今までで一番近い。

 遠くから見れば、私が抱き付いているようにも見えた。


「――――っ、ごめん!」

 あたふたとレント君から離れる。

 ここまで自分がバカだとは思わなかった。まるで私がレント君を襲っているようだ。

「越村は怪我してない? 気にしすぎだから。俺は昔の古傷を思い出しただけで何ともないよ」

 反省して、正座して俯いている私に、レント君が近寄って来た。

 二人の距離は……人、一人分。

「古傷って……」

 里美の話が脳裏を過る。


「……自分が輝いていた時ってさ、自分が一番って思う時がない? 何でもやれて、人と違って自分が特別なんだって……」

 足を投げ出し、両手を後ろについて、空を見上げるレント君は悲しそうだ。

 レント君は過去を話してくれようとしている。

 そう考えたら、少しでも心を許してくれたのかと嬉しかった。でも、それと同時に怖かった。

 私は、レント君の話を聞いたあとで、彼の欲しい言葉をかけることが出来るのかと不安になった。

「自分で言うのもなんだけど……。俺、サッカー上手かったんだ。日本代表のU―十五に招集されるくらい」

 里美やケン君から少し聞いていたけど、やっぱり凄い人だったんだ。最初に見た時からレント君は他の人と違っていた。

 それは技術的なものも勿論だけど、ボールを追い続ける気迫が、他の人とは違うように見えたから。

 ボールを追いかける姿は、凄く楽しそうに見えた。でも、そこには絶対に自分が ゴールを決めるという強い意志も常に感じられた。


「ある日さ。U―十五の合宿で事件は起こったんだ。有頂天になっている俺に、周りはやっぱり気に入らなかったんだよな……俺も態度悪かったし。それは今も反省してるよ」

 そこからは聞かなくても想像はついた。

 陰湿な大人達にはわからない子供達だけの世界があったのだろう。私にも、似たような感情を抱いたことがある。

 だけど、私はレント君とは反対……。絵の感性の違いで嫉妬する側だった。

 無邪気に、大人へと成長する子供は……時に残酷だ。

「色々あったけど、一番辛かったのはボールを回してくれなかったことかな……。監督やコーチには俺が動いていないと怒られるし。あの頃が一番辛かった」

 かける言葉が見つからない。

 ジュニアと言えども、将来の日本代表候補達だ。

 熾烈な代表争い。皆がライバル。そんな世界は想像がつかない。

 十七年、呑気に生きてきた私には、その辛さがわからなかった。


「そんな雰囲気だとやっぱり何かが起こるんだ。練習試合の時に接触した……。それも思いっきり」

 空を見上げていたレント君が、左足を曲げ、痛みを堪えるように手を添えた。

「俺は左足の靭帯損傷。相手は右足の捻挫と全身打撲……。お互い打ち所が悪くてさ」

 傷が痛むのかレント君が苦しそうに足を撫でた。

「一番辛かったのは、俺が悪いと頭ごなしに怒られたことかな。その時、周りにいたチームメイトも、俺のラフプレーのせいだと大人達に伝えたんだ」

「そんな……。決めつけるなんて酷い」

 泣きそうになった……。

 周りから決めつけられて信じて貰えない苦しさを想像して。


「監督も見ていたのに俺を信じてくれなかった。コーチは庇ってくれたけどね」

 渇いた笑いは痛々しさを誘う。

「それからサッカーが嫌いになったんだ。ボールを見るのも嫌になるくらい引きこもって、すべてが嫌でたまらなかった」

「ご両親は?……」

 息子が怪我をしたなら両親が黙っていないはずだ。

 それも、日本代表へ招集される実力を持っているのなら、なおさらだ。

「なにも……俺の親父ね、元日本代表なんだ」

 前にケン君から聞いたから、黙って頷いた。

「ケン君から聞いたよ。凄いね……レント君のお父さん」

「そっか。サッカー好きなら大抵気がつくかな。島津の苗字とサッカーを合わせれば……。島津純一の名は有名だから」

「そ、そうなの?」

 まったくサッカーに興味がなくて、名前を聞いてもわからなかった。

 私が申し訳なさそうに頭を下げると「全然」と笑われた。

「一応、ゴールキーパーとしてワールドカップにも出てて。俺が怪我をしたU―十五の監督もしてた」

「えっ……。監督がお父さん?」

 思わぬ告白にまたしても何も言えない。

 信じて貰えなかったんだ。自分のせいじゃないって……。実のお父さんに。


「……越村が泣くなよ」

「泣けなかったレント君の代わりに、泣いてあげているんだよ」

 頬に流れる涙を手の甲で拭いながら、レント君を見た。

「いいよ。俺はあきらめてるから……」

「嘘……。本当にあきらめているなら、そんなに悔しそうな泣きそうな顔はしないよ! 待っているんでしょ? お父さんが謝ってくれて自分を見てくれるのを。でも、待っているだけじゃ何も変わらないよ」

 思わず叫ぶと、レント君が怒ったように立ち上がった。

「越村に何がわかるんだよ! いきなり手を振り払われた俺の気持ちがわかるのか? 目標にしていた人から突き放された気持ちが、呑気に生きてきたお前にわかるかよ」

 私を見下ろしながら大声を上げるレント君は、いつも冷静で声を上げることなんてなかった。

 私は地雷を踏んだんだ。

 レント君の入ってはいけない心の中に、ズカズカと入り込んでしまった。


「リハビリに耐えて家に帰っても親父はいない。たまに会っても『大丈夫か?』の一言もない。俺に関心がない。だから俺が先に……逃げたんだ」

 何も口を挟めなかった。何て言ったら良いのかもわからないし言葉が出てこない。

「息苦しくて、耐えられなくて逃げたんだ。叔父さんを頼ってここへ転がり込んだ」

 それでレント君は一人暮らしなんだ。まだ十七なのに不思議だったけど、そんな理由があったんだ。


「もう一年、親とは会ってない。母親からは連絡はあるけど、親父とは話していないんだ。現役時代と同じでサッカーに夢中なんだよ。怪我でサッカーが嫌いになった息子なんていらないんだ」

 違うと思う。レント君はサッカーが嫌いな訳じゃない。ただ……お父さんに信じて貰いたかっただけなんだ。

 私が、パパとママを恋しいのと同じで。

 私にはお兄ちゃん達がいるから、まだ我慢出来た。でも、レント君は誰もいなかったんだ――頼れる人が。

「レント君はまだサッカーしてるじゃない。私が油絵を辞められないのと同じで。必要なんだよ。今の自分に」

 泣き出さないように思いっきり自分を奮い立たせるように、立ち上がった。

 上手く伝えられないけど、逃げてばかりいてはだめだと。

 逃げて、逃げて、逃げられなくなったら立ち向かわなくてはならない。

 どん底まで落ちたら、あとは這い上がるだけだとママが教えてくれた。絵を上手くかけないと落ち込んでいた私に。


「勇気を出してよ。いつまでも逃げてばかりだと、レント君かっこ悪いよ」

 レント君に負けないくらい叫んだ。

 だけどレント君は何も言わないで、私に背を向けると、クラブハウスの方へと歩いて行った。

 残された私は、取り残されたボールと同じで、ぽつりぽつりと降ってきた雨に濡れながら、その場に立ち尽くすことしか出来ない。



 ――夢のような時間は、私の不用意な一言ですべてが泡へと消えていった。

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