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10 消えたピース

「起きていて大丈夫か、柚月?」

「うん。明日は学校に行くよ。明後日には球技大会もあるから。それに、微熱だから大丈夫」

 卓兄が心配そうに、私の寝ているベッドの端へと腰かけ耳元へと体温計をあてる。


 昨日、ずぶ濡れで家に帰ると、兄二人はいなかった。

 この頃、夜はいつもレント君が家まで送ってくれるのが習慣になっていた。家でお茶をして、どちらかの兄が帰宅するまでいてくれた。

 それが凄く嬉しくて、楽しくて、むず痒くて……当たり前になっていたのに。

 昨日は一人で帰ると、雨で濡れた身体は寒くて、すぐにシャワーを浴びてベッドへと入った。


 身体がだるいと感じたのは朝になってから。

 レント君を傷つけた後悔が押し寄せて眠れなかった。凄く落ち込んだ。

 レント君に会ったら、どんな顔をして言いかわからなくて、うじうじと考えていたら熱が出た。

 心の影響が体に現れるのは、小さい頃と変わらない。悩むと体調に異変が出る。

 レント君のことが気になって仕方がない。


「……熱は下がってる。体調が悪くなったのは、柚月の場合は気持ちの問題だろ。レントと早く仲直り出来ると良いな」

 レント君と何かあったことは、卓兄も察しているみたいで、思わず目を逸らした。

「なんでわかるの……」

「すぐにわかる。昨日、レントが居なかっただろ。それと、お前は落ち込みすぎ。裕太が心配して、レントに電話をかけても出ないって嘆いてたぞ」

 思わず掛布団を顔まで引っ張り上げる。

 裕兄の電話にも出ないなんて。――レント君、怒ってる。私のこと嫌いになったんだ。傷つけてしまった……。


「……言いすぎたの。レント君、お父さんと怪我のことには触れてほしくないみたい。なのに、言っちゃった」

「レントもお前もまだ若いから、売り言葉に買い言葉で言い合ったんだろ。柚月、男はプライドを気にするもんだ。それに、お前達まだ知り合って間もないだろ? すぐに踏み込みすぎ」

 卓兄が体温計を持って立ち上がった。

「レント君、私のこと嫌いになったかな……」

 部屋を出て行く卓兄に、ぼそりと聞いてみる。

「柚月。それはレントに聞かないとわからないだろ。それに、怒ったってことは、半分は図星で気にしてるってことだ」

 卓兄は年の功か、何でもお見通しのようだ。

「柚月、明日レントと話して来い。いつまでも、うじうじ考えていても答えは出ない。頑張れ。あとで後悔しないようにな」


 そう言うと、卓兄は部屋を出ていこうとドアノブに手をかけた、だが、何かを思い出したように振り返る。

「そうだ。裕太がお前のやりかけていたパズル作ってたぞ。でも、一ピース足りないって叫んでたけど失くしたのか?」

「えっ。あのパズル作ったの? 失くした覚えはないけどな……。わかった。ハガキに書いて送って貰うよ」

 レント君に会ったあの日に作り始めたパズル。サッカーの練習をこの頃していたから、すっかり忘れてた。

 卓兄が出て行くと携帯を取り出す。

 見つめるのはレント君の連絡先。

 教えてもらってから、電話もメールも送ったことはなかった。

 毎日会うし、それに緊急の用事でもないから。連絡先を教えて貰ったのは、「何かがあった時のため」。


「送ってみようかな……メール」

 本当は、昨日も送ろうかずっと迷っていた。でも送れなくて。悩んで今に至っている。

『昨日は言いすぎてごめんなさい』

 何度も文章を考えては消して、何度も打ち直す。出来たのはたった一言。

 メールを送るだけなのに、こんなにも時間をかけるのは初めての経験。送信ボタンを押せずに時間だけが過ぎていく。

「私も勇気を出さないと……何も始まらない」

 深呼吸をしたあと、意を決し送信ボタンを押した。

 初めて送るメールが謝罪文。

 残念すぎる……。

 それからずっと携帯を握りしめて返信を待っていたけど、夜になって、朝になってもレント君からの返信はなかった。







「柚月。熱はもういいの? 明日の球技大会は出れそう?」

 教室の椅子に座り、寝不足の目をこすっていると、瀬奈が心配しながら飴をくれた。

「……ありがとう」

 受け取ると、包み紙をあけて飴を口の中へと入れる。とたんに、レモンの味が口いっぱいに広がる。


「柚月。次は油絵だけど大丈夫? 弱っている身体に匂いがきついかもよ」

 瀬奈が道具を用意しながら私の様子を伺った。

「大丈夫だよ。それに描きあげたい絵があるの……」

 レント君とのミサンガの約束。

 瀬奈が頷くのを確かめると、私も道具を取りに向かおうとした。すると、教室のドアが思いっきり開き里美が入って来た。

 息を切らし、焦っているような里美の姿に、私だけではなく、その場にいたクラスメイト達も何事かと視線を向けている。

「柚月、大変だよ……。島津君のこと噂になってる」

 私に近づいて来ると、強張った顔で告げられた。

「……えっ? レント君のことが……なんで」

 意味がわからなくて困惑していると、里美が、私と瀬奈の手を引っ張り教室から連れ出した。


「次の授業サボろう。言い訳は『モチーフを探して空想を働かせていました』これで乗り切るよ」

 里美が訳のわからない言い訳を考え、近くにいたクラスメイトに伝言を託すと、私達を屋上へと連れて行く。

 なんて適当な言い訳。

 ……でも、レント君の噂の方が気になるから、先生から注意を受けても課題提出が増えるぐらいだから何とかなる。

 瀬奈を見ると、難しい顔をして何かを考えている。その耳元には、彼女のトレードマークとなりつつある鉛筆がささっていた。

 あ、瀬奈……鉛筆そのままで来たのか。

 予鈴が鳴り響く中、最後の階段を一気に駆け上がり屋上の扉を開ける。

 とたんに、爽やかな風と眩しい太陽が私達を迎えた。

 そして、フェンスの近くには見覚えのある後姿が見えた。とたんに私の鼓動が跳ね上がる。


「……レント君」

 里美と瀬奈も、私と同じで、そこにレント君がいるとは思わなかったのだろう。

 驚いた様子で私とレント君を交互に見ていた。

 扉の開く音が聞こえたのか、レント君が振り返る。


 私を見ると、驚いた表情を見せたのは一瞬で、すぐに表情を失くした。そのまま、私達の方へと歩いて来た。

 レント君、どうしたんだろう? いつもと雰囲気が違う。

 誰も近づけないような、野良猫のような警戒心丸出しのレント君に狼狽えてしまった。私に向けてくれたような笑顔は、ひとかけらも見えない。

 言い過ぎた夜のことを謝ろうと、里美と瀬奈をその場に残して、レント君に駆け寄った。


「レント君。あの夜は言い過ぎてごめんなさい。あのね……」

「もう話しかけないでくれない? 練習も見に来ないで……。まさか親父のことを話すなんて思わなかったよ」

 ――――えっ?

 すれ違う直前、私を視界にも入れずレント君が固い声で言い捨てた。


「待って、レント君。どういう意味? 私は誰にも言っていない! レント君!」

 言っている意味がわからなくて、レント君に向かってそう叫ぶ。でも、レント君は私に背を向けたまま屋上から出て行った。

 何が何だかわからなくて……ただ心が張り裂けそうだ。心が潰されそうで、痛くて痛くてたまらない。

 頬に流れる涙は、拒絶されたことよりも、レント君が傷ついて、自分の殻にまた閉じこもってしまったことの方が悲しい。

 とめどなく頬に涙がつたう。


「……柚月。少し落ち着こう。私が聞いた噂から話すから。それと、島津君と何かあった?」

 里美が泣いている私の手を取ると、日差しを遮れる建物の影へと連れて行く。

 私を真ん中に座り込むと瀬奈がハンカチを渡してくれた。

「……ありがとう」

 震える手で、ありがたく受け取り、涙で濡れたハンカチを見つめる。

 こんな時、傍にいてくれる友達の存在がありがたかった。


「……実はね。柚月が休んだ昨日から少し噂が広がったんだ。島津君がサッカーで有名だったってこと。それとお父さんのことも……。今日は更に話が大きくなって、普通科はその話題で持ち切りだって」

 里美が説明してくれたことを纏めると、いきなりレント君の噂が出回ったらしい。

 レント君がジュニアの日本代表だったことも、お父さんが有名なサッカー選手だったことも。

 噂は大きくなり、なぜ普通科なのか、今はその話題で持ちきりだと言う。


「明日球技大会でしょ? タイミングが悪いことに島津君はサッカーに出るから、皆凄く注目してるの……。スポーツ科も」

「スポーツ科……」

 ケン君を思い出した。

 でも、ケン君に会っても何て言えばいいのか、わからない。それに、レント君に会えないなら、ケン君に会う可能性も少ないだろう。

「レント君は、私が噂を流したと思っているんだね……きっと」

 レント君は、今までサッカーのことを隠してきた。

 それなのに、昨日いきなり噂が立った。

 さっきのレント君の頑ななまでの硬化した態度を見れば、私が噂を流したと誤解されていることがわかる。


「柚月、もう一度島津君と話してみて……。何日もサッカーを習っていたじゃない。話せば柚月じゃないって、わかってくれるよ」

 今まで黙っていた瀬奈が励ましてくれた。

「うん、そうだね。今日の夜に行ってくるよ」

 何とか誤解をとくんだと決意する。すると、持っていた携帯が振動した。

 思わず手に取り画面を見ると、そこにはレント君からのメールが届いていた。

『もう、メールもしないで。お願いだから話かけないで』

 書かれている文字を見つめたまま動けなかった。

 ――一線を引かれた。

 あんなに近づいたと思ったのに、これ以上入ってくるなと拒否されたんだ。私を嫌いになったんだ。


「柚月? どうしたの?」

「誰からだったの?」

 固まった私に話しかけてきた二人に、何も答えられなかった。何も言えないまま、その場で声をあげて泣きじゃくった。


 空はとても晴れやかなのに、私は人生でもっとも最悪な一日を迎えた。

 誰かを好きになると言うことは、とても難しくて、理想通りにはならないものだと、十七歳で初めて知った。


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