7 彩の時間
「柚月。今日の夕食、下準備しておいたから、あとよろしくな」
家に着いて手を洗うと、すぐに渡されたのはママの手書きのレシピ集。
それと裕兄考案のメニュー表。
ごぼうときのこの炊き込みご飯に、豆腐とわかめの味噌汁。サーモンの蒸し焼きに、きゅうりと茄子の漬物。そして、大量のから揚げが指示されている。
「裕兄こんなに食べるの?」
驚いて聞くと、裕兄がレント君を指さした。
「柚月、聞いてないの? レント大食いなんだぞ」
「へっ? そうなの?」
するとレント君がちょっと気まずそうに、大きく頷いた。
長身で、どちらかと言えば食が細い印象だったのに、やはり、サッカーをしているからか、良く食べるらしい。
意外な発見だ。そう言われたら作るしかない!
「越村、無理しなくてもいいよ」
レント君が申し訳なさそうに私を見る。
「全然大丈夫。すぐ作るから待ってて」
「柚月もこう言ってるし、俺達はテレビでも見ようぜ」
なぜか一切手伝う気がないらしい裕兄が、レント君を連れてリビングのソファへと腰を下ろす。
……普通反対じゃない? 裕兄が作ってくれればいいのに。そうすれば、私がレント君とおしゃべり出来るのになあ。
でも、良いか。レント君に手料理食べて貰えるから。作る前に先に着替えて来よう。油が飛んだらいやだし。
急いで二階の自分の自室へと駆け込む。部屋着でもなく、お出かけ用でもない無難な服を選ぼうと、クローゼットを開けた。
……なにを着ればいいのか迷うなあ。でも、ゆっくりもしていられないし。
何着もの服をつかむとベッドへと置いていく。
うーん。これだと、少し張り切っている感じがする。こっちは手抜きの感じがするし、どうしたら良いの……。
混乱しながら服を選んでいると、シャツワンピースが目に入る。
この前、ママと買い物に行った時に買って貰った。私にしては、落ち着いたモノトーンのシャツワンピース。
襟の飾りも可愛いし、そんなに頑張ってもなく部屋着風でもないかも。これにしよう。
急いで着替え終わると、リビングのドアを開けた。置いてあったエプロンを付けると、調理を始めた。
料理と言っても、裕兄が下ごしらえはしてくれていたようで、あとは、から揚げとサーモンを焼くだけだった。肉も下味がしっかりとついていた。
……さすがは料理上手な兄貴だ。少しは見習おう。
でも何回見ても、凄まじい肉の量に、本当に全部作れば良いのか迷ってしまった。
「から揚げの数多すぎない? これ全部食べられるの?」
全部で五十個はある。残ったらどうするの。この大量のから揚げ。
「何か手伝おうか?」
「うわっ!」
いきなりレント君に声をかけられ驚いてしまう。その拍子に、から揚げを一つ落としてしまった。
「ごめん、驚かせて。大丈夫?」
昼間の眼鏡をかけた真面目な姿から一転、眼鏡もかけていない夜仕様に変わったレント君が、申し訳なさそうに謝ってくる。
「大丈夫だよ。裕兄は?」
二人でテレビを見ていたはずなのに、どうしたのかとリビングを見渡しても、裕兄の姿はなかった。
どこに行ったんだろう?
「電話がかかってきてコンビニに行ったよ。明日、講義に使う資料がいるとか言ってた。裕太さんが、遅くなるかも知れないから先に食べててって言ってた」
「そ、そうなんだ」
思わず動揺した。
いきなり二人っきりにされると緊張してしまう。
いつの間に裕兄は出て行ったんだろう? 料理に集中していて気が付かなかった。私にも声をかけてくれたら良かったのに。
「レント君。も、もう出来るから、お皿運んで貰ってもいい? そこの食器棚にあるから。その白いやつ」
「うん。これかな?」
レント君が食器棚の皿を指さす。ママの趣味は食器集め。シンプルな白い陶器や磁器もあるが、木のぬくもりの物が多い。
「うん。その白い磁器の皿。あ、我が家は大皿から好きなだけ取り分けるスタイルなんだけど大丈夫?」
人によっては、他人と同じ皿から取るのが苦手な人がいる。最初から何個もの小鉢や皿に、きっちりと分ける家庭があるから確認しとかないと。
「大丈夫だよ。俺の家も大皿から取り分けるタイプだから」
良かった。また一つ発見だ。小さいけどレント君と一つ共通点を見つけた。
思わずにやけてしまう。
「越村、サラダ持っていけばいいの?」
何となく食べたくなったベビーリーフと生ハムのサラダ。そして貧血に重要な鉄分が豊富なチーズをレント君が指さした。
「う、うん。お願いします」
にやけていた顔を慌てて元に戻し、レント君にお願いする。
……危なかった。危うくまた変な人に思われる所だった。
最後のから揚げが出来上がると、皿に盛り付けダイニングテーブルへと運んだ。
そして飲み物の用意を済ませる。エプロンを外して、レント君の座っている正面の椅子に腰を下ろす。
「裕兄、帰って来ないね……先に食べよう。レント君?」
並べられている料理を、じっと見つめたままレント君が動かない。
……どうしたんだろう?
「久しぶりだなと思って。ケンの母さん……おばさん以外の手料理。すげー美味そう」
私の不思議そうな視線に気づいたのか、レント君が照れたように笑った。ちょっと子供っぽいレント君も新鮮だ。
「そう言って貰えると凄く嬉しい。ありがとう」
そう言えば、家族以外に手料理を食べて貰うのは始めてだ。しかも、それが好きな人だもん。嬉しさも倍になる。
「食べよう、レント君」
二人で手を合わせると食事が始まった。
食べ始めると、食欲旺盛なレント君に目を丸くした。手に持っていた箸が止まる。
大食いとはさっきも聞いていたけど、その通りで、大量に作った料理が瞬く間に皿から消えていく。
……凄い。裕兄も結構食べる方だと思っていたけどレント君はそれ以上だ。
なのに……細身って羨ましい。食べても太らない体質なのか、消化が早いのか……。でも、こんなにも美味しそうに食べてくれると、舞い上がってしまう。
「越村、すげー美味い。ありがとう」
「う、うん。いっぱい食べて」
学校にいる時には決して見られないレント君の無邪気な様子に、胸がいっぱいになって、ありきたりの言葉しか出てこない。
……嬉しすぎる。
二人で楽しく話ながら食べ続けていたら、綺麗に料理がなくなっていた。もちろん、兄二人の分はよけてあるから問題ない。
そうは言っても、私は全然ご飯が喉に通らなくて、ひたすらレント君の食べっぷりを見つめていただけ。
変な気分だ。レント君が私の作った料理を、こんなにも嬉しそうに食べてくれるなんて……。
またしても顔がにやけて止まらない。このまま刻が止まればいいのに。
「ごちそうさま。美味しかった。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。綺麗に食べてくれて」
レント君が気になって気になって、自分で作ったのに、味を覚えていないのは内緒だ。
食器を洗おうと立ち上がると、レント君も手伝ってくれた。
スポンジに洗剤を出すと、小さなシャボンが舞い上がる。
いつもは何とも思わない透明なシャボンは、虹色に輝いて見えた。
変なの……。レント君が隣にいるからか、すべての色が違って見える。……これが恋しているってことなのかな?
二人並んで食器や鍋類を洗っていると、いつもは面倒だと思っいたのに、今日は丁寧に時間をかけてしまう。
「裕太さん遅いけど何かあったのかな?」
こそばゆさを感じていると、レント君の声に現実に引き戻された。
「うーん。裕兄、夜に出かける時もあるから。朝まで帰らない日もあるよ」
裕兄も遊びたい年頃だ。そんな時は大抵彼女の所にいて帰らない。
「夜に一人だと怖くない?」
心配そうなレント君の声に、泡だらけの皿を手に持ったまま顔を上げた。
「大丈夫だよ。慣れているから。そんな時は、一番上の兄が帰ってくるから問題ないよ」
確かに夜に一人だと怖いけど、二人共帰らない日はない。裕兄がいない日は卓兄が帰って来てくれる。
さすがに私を一人にしたと両親に知られるとまずいらしい。二人で連絡を取り合って、今日、家に帰るか決めているのだろう。
「越村、もう少し警戒した方がいいよ。それと、夜も一人で練習見ていたら危ないよ」
ちょっと強めに言われると返答に困ってしまう。
だけど、思わずレント君に向けて言ってしまった。ずっと思っていたことを。
「なら、何かあった時はレント君に電話するから、レント君の連絡先を教えてもらっても……いいかな」
勢いで言ってしまったけど、さすがに図々しいと思い直し、最後は声が小さめだ。絶対に困っているはず。
レント君を見ると、驚いている。私がレント君の立場だとしたら……確かに困るだろう。
思わず落ち込んだ。
「……いいよ。困ったことがあったら電話して。意外と家も近いから。自転車だと十五分くらいかな」
予想外のレント君の返答に、持っていた泡だらけの皿をシンクの中に落としてしまった。とおたんに、ゴンと大きな音を立てた。
「あっ!」
「大丈夫? 越村動揺しすぎ。連絡先教えるくらい普通だと思うけど。俺達、もう友達だし」
何とかお皿は欠けることなく無事だったけど、動揺しすぎて、また皿を落としそうだ。
何気ない「友達」の一言に
嬉しいけど何か悲しい。複雑な心境だ。
そのあと、嬉しいやら悲しいやら、何とも言えない気持ちになりながらも、二人でリビングのソファに座った。
テレビを見ながらだから、恥ずかしながら隣同士に座っている。
もちろん前と同じで、人一人分スペースがあいている。でも、前より少し距離が近いのは気分の違いだろうか?
「レント君、時間大丈夫?」
「俺一人暮らしだから誰も待っていないから問題ないよ。裕太さんが帰ってくるまでいるから」
「あ、ありがとう」
食べ終わると、レント君がすぐに帰ってしまうのかと不安だったけど良かった。 やっぱり、この一軒家で、夜に一人は寂しいから。
お茶やジュース。それに戸棚にあったクッキーやスナック菓子をテーブルの上に広げた。
ご飯を食べたばかりなのに、目の前にあると、ついお菓子を食べてしまう。
「家でもパズルやってんの?」
お菓子をつまみながらレント君の視線を辿る。そこには、やりかけのパズルが無造作にチェストの上に置かれていた。
「うん。パズルは趣味だから。落ち着くんだ。ピースが合わない時は苛つくけど、仕上がると達成感があるから」
「それ、わかる。俺は二百ピースで挫折した覚えがあるけどね」
何でもそつなく器用にこなすタイプだと思っていたのに。細かい作業は苦手なのかな? また一つ、レント君のことを知ってしまった。
「意外。レント君は何でも器用にこなせるイメージがあるのに」
「まさか、そんなことないよ。成績は平均だし、俺はサッカーしか出来ないから」
ふいに俯き、なぜか左膝を抑えるレント君を不思議に思った。空になっているコップにジュースを注いだ。
「サッカー出来るだけでも凄いよ。私はあんなにボールを操れないから。初めて見た時のレント君かっこよかった。まるでボールがレント君を大好きで、追いかけているようだったから」
あの時、月明かりの下、走っていたレント君は、一人だけスポットライトを浴びているように輝いていた。
目が離せないほどに。
「……ありがとう。越村はいつも褒めてくれるよな。そんなに俺かっこよくないよ。ジンクスに頼ったりもするし」
「ジンクス?」
レント君も迷信まがいなことを信じているんだと少し驚いた。どういうジンクスか凄く気になる。
「一昔前に流行ったの覚えてる? ミサンガって言葉」
聞いたことがあった。裕兄も一時期、カラフルな紐を手首に付けてた気がする。
「切れたら願いが叶うって言うやつ?」
「そうそれ。俺も一年前までは願掛けも込めて付けてたんだ」
レント君は、何をミサンガに願っていたのだろう。やっぱりサッカーのことかな?
聞きたいけど、悲しそうな顔を見せるレント君に、聞いてもいいものか凄く迷った。
「越村顔に出すぎ。願ったのは『父さんが俺を見てくれますように』だよ」
そんなに顔に出ていたのかな。
それよりも、レント君の口からでた「お父さん」の言葉に動揺した。
ケン君は、レント君のお父さんのことを凄く気にしていたから。
「ケンから少し聞いた? 俺のこと」
「……うん、ごめんね。少しだけ聞いちゃった」
嘘はつけない。それに、レント君が話してくれるなら聞きたい。少しでも、何か私に出来ることがあるなら力になりたいから。
「越村が謝ることじゃないよ。越村が俺のことを知らなくて嬉しかったんだ。自分で言うのもなんだけど、二年前までは、俺も意外と知られていたから。監督の息子ってことで」
レント君が目の前のクッキーをつまみ一口食べた。
甘いはずのクッキーも、辛そうに食べるのを見ていると不安になる。だって、クッキーを食べ終えてからも、口を開かずに黙り込んだままだから。
「無理に言わなくてもいいよ。話したくなったら、いつでも聞くから。そうだ。 私、レント君にミサンガ作るよ。願いが叶うように!」
「……越村作れるの? 簡単に見えて意外と繊細な作業だよ」
話が逸れて、レント君がほっとしたように見えたのは、見間違いではないだろう。
「大丈夫だよ。私、ならではのミサンガになるけど」
本当はミサンガではない。あげるのは……パズルだ。私が初めて見たあの日のレント君。サッカーをしている姿を描く。
「越村ならでは? 良くわからないけど、わかった。楽しみにしてる」
さっきまでの沈んだ顔から、料理を食べていた時のように、屈託のない笑顔を向けられる。その姿を見ていると、私も元気を貰えた気がした。
「うん。絶対に願いは叶うから。サッカーとも仲直り出来るよ。私も油絵と仲直り出来るように頑張るから、二人で頑張ろう」
「越村、油絵と喧嘩しているの? 仲直り出来そう?」
真剣に聞いてきたレント君は、多分自分と重ね合わせているのだろう。
離れたいのに離れたくない。やらなきゃいけないのに見たくない。でも、身体が動かない。嫌で嫌で仕方がないけど、本当は大好き。
だから迷うんだ。それがないと、生きていけないと、心の底ではわかっているから。
「大丈夫だよ。喧嘩の期間が長ければ長いほど、その分また大好きになれるから。前よりももっと」
私があの日、レント君と一緒にいた時間がその証。油絵とまた向き合えたから。
「そっか……」
レント君は、また左膝を抑えて何か考えている様子だ。
しばらく二人の間に沈黙がおとずれた。
部屋の物音と言えば、つけっぱなしにしているテレビから聞こえる音だけ。妙に耳につく。
「……ボールと向きあってみるよ。二年前から止まったままだけど頑張ってみる」
「うん。仲直りできたら教えて。私もゴール決めに行くから!」
意気込んで、レント君の腕に触れそう言うと、レント君は声をあげて笑った。自分でも何を言っているのか、わからないのは内緒だ。
「そんなに笑わなくても良いのに」
「ごめん。ゴールって言われると、越村のサッカーセンス思い出しちゃって」
……そう言われると返す言葉がない。自分でも再確認した。意外と運動神経がないという事実を。
頬を膨らませてレント君に抗議する。
「ごめん、悪ふざけしすぎた。サッカーと仲直りしたら、一番に越村に教えるから見に来て」
「うん。勿論だよ!」
満面の笑みで二人の世界を作っていると、いきなりリビングのドアが開いた。
「お前ら仲いいな。聞いてるこっちが恥ずかしい」
「卓兄、これが青春だよ。俺達がなくした純粋さだよ。あれも、あと数年後にはなくなる淡い経験だよ」
声に驚いて振り返る。
そこには、スーツ姿であきれている卓兄と、コンビニの袋を持ってにやにやしている裕兄の姿。
声にならない。
いつから見てたの――!
「柚月。大胆すぎるのも、どうかと思うけど?」
仕事が忙しかったのか、卓兄が不機嫌に見えるのは気のせいだろうか?
レント君も卓兄の迫力に圧倒されているのか何も言わない。
二人がリビングへと入って来ると、卓兄は眉間に皺を寄せて私達を見た。
その視線の意味にやっとで気が付いた。
「きゃ――! ごめんなさい」
思いっきりレント君とは反対側のソファの端へと後づさる。
なぜなら、いつの間にか私はレント君の腕を掴んでいた。
しかも至近距離で。夢中になって話していたからか、いつの間にか、人、1人分開けていたスペースはなくなっていた。
これにはレント君も驚いたようで、目を大きく見開いて固まってしまった。
「柚月、もう少し考えろ」
「まあまあ、卓兄。落ち着いて。レントに触れたくなった柚月が悪い。全て柚月が悪い」
裕兄が卓兄を宥めてくれる。
裕兄に抗議したい!
触れたくなったって聞き捨てならない。無意識だから。
「悪いな、レント。物事に夢中になると、傍にいる人の腕をつかむ癖が柚月にはあるんだ。俺達も注意はしてたんだけどな」
う……それは否定出来ない。自覚がないから、兄、二人に注意されていた。もちろん、誰でもって訳じゃないけど反省した。
「気にしていませんから大丈夫ですよ」
「そうか、気にしてないか。だって柚月」
なぜか私とレント君の間に割り込むように裕兄が座った。
凄く邪魔だけど、今の状況だと反論出来ない。
裕兄は、私達の顔を何度も見ている。
裕兄のいじわる――!
その後も、レント君が帰るまで、兄二人、正確には裕兄のからかいが永遠に続いた。




