6 恋の病
「柚月、もう授業終わったよ。皆、帰ってるけどどうしたの? この頃ぼんやりしすぎじゃない。何かあったの?」
自分の席で窓の外を眺めていると、前に座っていた里美が振り返り声をかけてきた。
「そんなことないよ。いつもと一緒だよ?」
自分では、そんなつもりはないんだけど、里美から見るとおかしいらしい。
でも、確かに一日一日が早く過ぎていく気がする。
レント君のことを考えていたら、いつの間にか放課後になってるもん。今日の授業内容、なにも頭に入ってないや……。
「そうかな。今日のデッサンの課題の最中も集中してなかったよ。全然、描けてなかったみたいだけど本当に大丈夫?」
言おうか迷った。
里美にレント君のことを。
レント君との出会いや、夜になると、サッカーを教えて貰っていることとか……。
思わず里美の顔をじっと見つめた。
「……わかった。柚月、今、恋してるでしょ?」
絶句した。
どうしてわかったんだろう? それよりも言おうか迷う。
思わず里美から目を逸らしてしまった。これでは肯定しているようなものだ。
私の動揺した様子に、目の前の里美はにやりと笑った。
「当たり? 聞かせてもらえるの?」
無理に聞きださない所が里美のいいところだ。私の考えが纏まるまで待っていてくれる。
その間にゆっくりと目を閉じ、考えが纏まると里美を見た。
「う、うん。あのね……。半年前、私が一目惚れしたって言ってたの覚えてる?」
ちょっと恥ずかしいけど、ぽつりぽつりと口を開く。
「ああ、あの秋に騒いでた……。ええ――! あれ、まだ続いてたの?」
いきなり里美が大声を出した。そのせいで、残っていたクラスメイトの視線を、一斉に集めてしまった。
「ち、ちょっと! 声がでかいよ」
取り繕うように、クラスメイト達に何もないと「また明日」手を振った。しばらく、私も里美も口を開かず、人が少なくなるのをひたすら待っていた。
「それで、いつ声をかけたの? もしかして、もう付き合ってたりするの?」
教室に数人しかいなくなると、目を輝かせた。
「う、ううん。この前、初めてレント君と話したばかりで付き合うとかそんなのまだ……」
「この前って……。やっとで? 柚月はこの半年間、何やってたのよ? もしかして、ただ彼を見ていただけとか言わないよね?」
う……。そのまさかに笑みが引き攣った。
その通りだから言い返せない。
「半年間、ただ見ていただけなんて、まるでストーカーだから。でも、それはまあいいわ。で、どうやって話したの? きっかけは?」
里美の勢いに、しどろもどろになりながらも、ボールが顔面に当たった話から始まり、レント君にサッカーを教えて貰っていると、照れながら話し出す。
「だからこの前、遅刻したんだ。今日は一緒に帰ったりはしないの?」
話している間も、里美のにやにやは止まらなくて凄く照れる。
「うん。夜に会えるから登下校は別々にしたの」
さすがに朝も放課後も夜も一緒だと、レント君は負担に感じるかも知れない。私は嬉しいけど。
そう思って、登下校は別々にした。
「柚月も素直じゃないよね。気にしないで一緒にいたらいいのに」
「それは考えたんだけど、あんまり重い女になりたくないから。適度な距離が必要だって、前に裕兄が言ってたから」
ああ見えて裕兄は意外とモテる。
よくわからないけど常に彼女がいる。
でも、結構頻繁に彼女が変わっているのも知っている。
前に飲み会で酔って帰って来た時に「彼女が重い」と喚いていた。私に彼氏が出来た時の心得とか何とか説教された時がある。
その時に断片的に覚えていたのが「最初から突っ走ると重い女だと思われる」だった。だから、適度な距離は大切だと学習した。
「相変わらず柚月はブラコンだね」
ブラコン……。その台詞は昨日も言われた。……あのケン君に。
「ブラコンじゃないから」
思わずふて腐れる。
「ごめん、ごめん。ところで、どんな人なの? レント君だっけ」
私のムッとした様子がわかったのか、里美が慌てて話題を変えた。
「普通科なの……。同じ学校でびっくりした。私の絵も褒めてくれたし、凄く優しい」
「ああ。柚月のあのパズルの絵? あれ私も気に入ってる。先生に言って私や瀬奈の分もお願いしといてね」
里美が褒めてくれるのが嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。
レント君も勿論だけど、里美や瀬奈に褒めて貰えるのも凄く嬉しい。
「うん、勿論。もう先生にはお願いしてあるから大丈夫」
「なんなら、そのレントくんとやらのサッカーしている姿も描いて、パズルにしたら?」
里美の思い付きに思わず目を丸くする。
それ、いいかも……。
「描いてみようかな。レント君のこと」
「良いんじゃない。恋をすると色彩もまるで違うって言うし。柚月、この頃自分の画力に悩んでいたでしょ? 何か見つかるかもよ」
まさか、里美にも悩んでいたことがバレていたなんて思わなかった。
「気づいていたんだ?」
顔を見られたくなくて、窓へと視線を向けた。
「そりゃあね。いきなりコンテスト出さないとか言うんだもん。課題も提出していないでしょ? デッサンばっかりで、油絵触ったのも久しぶりだったんじゃない?」
そこまで見られていたなんて気づかなかった。
授業は個人の進み具合で、各自が取り組むことが出来る。単位と出席日数、課題の提出で乗り切ることが出来る。何をするかは自由だ。
私は、この一カ月、ひたすらデッサンばかりで筆を触ることもなかった。
――迷っていたから。
「自分の才能に限界を感じたの」
つい、言ってしまった。この一カ月間、ずっと悩んでいたことを。
「柚月。才能なんて自分で決めるもんでも、他人に決めて貰うもんでもないよ……。ある日突然来るんだよ。もう十分だって。やり切ったって」
思わず里美の顔を見ると、いつも明るい里美にしては珍しく悲しそうに笑った。
「私のお父さんが言ってたの」
そうだった。里美のお父さんは有名な陶芸家だ。
二年前に急に陶芸を辞めた。人気絶頂の陶芸家に何があったのかと、当時は話題になったほど。
「そっか……」
それ以上何も言えなかった。
「うん。柚月はまだ悩んでいても、スケッチブックをいつも傍においてるから大丈夫だよ。これを乗り越えると新しい何かに出会えるよ! たぶんね」
この時ばかりは、里美が同い年に思えないほど眩しく見えた。
「ありがとう、里美。参考になったよ」
「なら良かった。そうやって悩むと良い色が出せるんだって。『まだ若いから、悩んで苦労しろ』って言われたわ。あの陶芸一筋だったお父さんに」
里美はお父さんのことが好きなのだろう。
また陶芸に戻って欲しい。そう思っているはずだ。
「うん、ありがとう里美。頑張るよ……」
「――越村!」
いきなりだった。
泣きそうなになりながら里美と話していたら、名前を呼ばれた。
「えっ……」
いきなり苗字を呼ばれる経験はほとんどない。
聞き覚えのある声に立ち上がると、驚きすぎて声が出ない。
私達の他に残っていた数人のクラスメイト達も、何事かと声の主を見ていた。
一斉に皆の視線がレント君に集中し、声の主は気まずそうだ。
「柚月。もしかして、あれが噂のレント君だったりする?」
なぜか里美が凄く驚いている。
「う、うん。どうしたのかな。今日は別行動のはずだけど。それに……」
学校では「話しかけるな」って言ってたのに。
驚きすぎて、椅子から立ち上がったままレント君を見つめる。そんな私の姿に、困ったようにレント君が近づいて来た。
「芸術学科って教室の作り普通科と違うんだ。広いね」
レント君が、物珍しそうに室内を見渡した。
「普通科は物があんまりないもんね。私達は道具が多いから、一人のロッカーがでかいのよ。廊下にも専用のロッカーあったでしょ?」
呆けている私の代わりに、里美がレント君に説明してくれた。
「あ、私、柚月の友達の水城里美。よろしくね、レント君」
「ちょっと里美!」
いきなり名前で呼ぶなんて。それに、私もやっとで名前で呼ぶようになったばかりなのに。
嫉妬も相まって、じろりと里美を睨むと、里美が苦笑した。
「ごめん。柚月から名前しか聞いてなくて。苗字聞いてもいい? レント君」
「島津連斗。よろしく、水城さん」
「うん。よろしくね、島津君」
私の視線に気が付いたらしく、里美がレント君のことを苗字で呼び直してくれた。
さすが里美。気がつく良い女だ。
でも、レント君の苗字を聞いて、里美が動揺しているように見えた。気のせいかな?
「里美。どうかした?」
不思議に思って聞いても、「なんでもない」と首を横にふった。
里美の様子が気になったけど、それ以上は聞けなくてレント君に視線を戻す。
「ところで、レント君は私に用事でも出来た?」
レント君がわざわざここまで来るなんて、よほどのことだろう。
「ああ。裕太さんがご飯食べに来いって言うから。越村と一緒にすぐに帰って来いって伝言。越村の携帯が繋がらないって裕太さん困ってた」
思わず携帯を取り出して確認すると、裕兄からの着信が五件。
……全然気づかなかった。
それよりも、ご飯一緒に食べるの? レント君と我が家で?
「レント君、今日練習は?」
「今日は休養日だから。さっき裕太さんから連絡来て……迷惑なら断るけど」
私の慌てぶりを、迷惑だと思思われたようで慌てて否定した。
「全然大丈夫! そうじゃなくて、どうして、レント君が裕兄の連絡先知ってるの?」
そこだ。一番聞きたかったのは。私もレント君の連絡先知らないのに!
「前に病院で連絡先聞かれたから。俺もあの時は越村のこと気になってたから裕太さんと連絡先交換したんだ」
病院……。私が鼻血を出した時だ。裕兄いいな。羨ましい。ここで「私も教えて」と、言える勇気がないのが悔しい。
「なら、二人とも早く帰った方がいいんじゃない?」
里美も状況を把握したようで、すでに手をふり帰れと言われた。
「そうだね……。また明日ね、里美。行こうレント君」
里美や残っていたクラスメイトに声をかけ、レント君と肩を並べて教室を出た。
だから、私は気づかなかった。里美がレント君をじっと見ていたことなんて。




