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5 特訓

「……越村、もっとボールの芯を狙って蹴ろよ」


 そう言われても……。自分では蹴ってるはずなんだけどな……。

 すぐ隣にいるレント君に、何回注意されても上手くいかない。

 次の日から、さっそくサッカーを教えてくれることになった。夜になると、裕兄にレント君のホームグラウンドまで送って貰った。

 もちろん裕兄は、にやにやと気味の悪い含み顔で私を見る。照れながらも背を向けると「頑張れ。柚月にしては頑張ったな。困ったことあったら言えよ」と呟き去って行った。


……中々お節介な兄貴だ。


「こう、かな?」

 教えられたことを何度も頭の中で復唱し、深呼吸をして思いっきりボールを蹴る。

 すると、何十回目の正直だろうか? 上手くゴールポストへと飛んでいった。

「そうそう、最後までボールから目を逸らすなよ」

 初めてレント君に褒められた。

 げんきんな私は、嬉しくなって張り切ってしまう。

 レント君は、そんな私の頭を、ぽんぽんと二回軽く叩くとボールを取りに駆け出した。


 ……今の絶対に無意識なんだろうな。レント君って何気に罪作り。こんなことされたら、気になって仕方ないじゃない。

 思わず、髪を整えるふりをして、レント君が触れたくれた辺りを、恥ずかしくなりながらも、ぎゅっと髪を掴む。

 なんだか……照れる。

「越村! そっちに蹴るから俺に返して」

「う、うん!」

 顔の火照りを気にしながらも、私の元へと一直線に転がってきたボールを、教えられた通りに一度足で止め、レント君に狙いを定めて送り返す。

 そんな練習を何回も繰り返した。


 変な感じだ。

 一昨日までは、フェンスの外から見ていただけなのに……。今はレント君と会話して一緒にボールを蹴っている。

 レント君にボールを戻す。すると、レント君はボールをふわりと大きく上げて蹴ってきた。

 ボールは、私をめがけて、頭上からゆっくりと弧を描き降ってくる。その白いボールを見つめていたら、足が痺れたように動かなくなった。

 ――怖い。

 思い出してしまった。あの夜、レント君の蹴ったボールが顔面に当たった出来事を、凄く痛くて、何よりも怖かったことを。


「……っ!」

 思わず両手を頭に上げて咄嗟に庇った。

「越村!」

 慌てたレント君の声が聞こえたあと、ボールが私のすぐ傍に落ちる。

「きゃっ――」

 小さな悲鳴は、次の瞬間、レント君の焦った声にかき消された。

「怪我は! ごめん。いきなりボール上げて……越村?」

 レント君の問い駆けに何も答えられず、足元に落ちたボールを見つめる。すると、怪訝そうなレント君の声が耳に届いた。

 どうしよう……。私、ボールが怖いんだ。あの夜のことが頭を過って体が動かない。

 わずかに震える手が、恐怖を示していた。


「越村。もしかしてボールが怖い?……俺のせいだな。ごめん」

 落ち込んだ声で、やっとで我に返り顔を上げる。

 そこには、顔を強張らせているレント君の姿。

「ち、違うよ。レント君のせいじゃないよ。私がどうして良いのかわからなかったのが悪いんあよ。もう大丈夫だから」

 自分を責めているようなレント君に、慌てて否定する。何でもないよ。と笑顔を浮かべたが、上手く笑えたかわからない。

 すると、なぜかレント君が私の手を掴んだ。

 ……えっ?

「震えてるよ」

 手を握られて恥ずかしいと言うよりも、今にも泣きだしそうな顔をした、レント君を見ている方が辛かった。


「だ、大丈夫だよ。これから練習して克服すれば問題ないよ。深く考えすぎだよ、レント君は……。教えてくれるんでしょう? サッカー」

 明るくそう答えると、レント君は、ほっとしたように頷いた。

「もちろん。球技大会までには、越村が普通にサッカー出来るように、俺も頑張るから」

 ……普通にって。私の今の状況はそんなに酷いのかと微妙な気持ちになった。だけど、レント君が元気になってくれたなら良いかな。

 単純な私は、それが一番嬉しかった

 でも、問題は、私の手を掴んだままの、大きくて温かいこの手。

「あの、レント君。手なんだけど……」

 熱が顔に集まるのがわかった。私の顔は今、林檎のように真っ赤だろう。

「――っ、ごめん」

 レント君も今の状況をやっとで理解したらしく、慌てて手を離した。足元に転がっていたボールを拾い、何だかとっても気まずそうだ。


「もうすぐ十一時だから今日は帰ろう……。送っていくから」

「う、うん」

 レント君も私もと同じなのか、気恥ずかしいらしく、お互い顔を見れない。

 背を向け歩き出すレント君の後ろを、少しあけて追い駆ける。

「今日はありがとう。レント君」

「……全然。越村は、久しぶりに体動かしたんじゃない?」

 少しずつ会話を始めると、レント君が私を振り返る。どうやら、私の歩調に合わせてくれているみたいで、レント君の隣に並び歩き出す。

 少し、何とも言えない、じれったいような、余所余所しい雰囲気が恥ずかしい。でも、このまま、ずっと続いて欲しい。そう、思ってしまう。


「うん。久しぶりにこんなに走ったよ」

 大げさかも知れないけど、こんなにも走ったり、ボールを蹴ったりして体を動かすのは、いつ以来か思い出せない。

 中学では美術部で、基本的に室内に引きこもり。家にいてもパズルや本ばっかり読んでいて、外で遊んだ記憶があんまりないように思える。

 ……私って悲しい中学時代だったんだな。

 今、思い出すと、昔の自分が可哀想だ。

「それにしても暑いな。越村、シャワールームもあるけど、どうする? 汗だくだろ」

 レント君は何気なく言ったかも知れないけど、私は固まった。


「え、ううん。着替えだけで大丈夫だよ」

「そう? じゃ着替えて帰ろうぜ。十二時までには送るって祐太さんと約束してるから」

 ……いつの間に裕兄とそんな約束をしたのだろうか? 裕兄とレント君の仲の良さが羨ましい。まさか、私の知らない所で二人は繋がっているとか? 帰ったら、裕兄を問い詰めなきゃ。

 クラブハウスに向かって二人で歩いていると、同じ年くらいの男が一人、私達に向かって歩いて来た。

 レント君と同じ赤と白のユニフォームだ。


「レント終わった? 父さん達がそろそろ時間だから止めろってさ」

 出て来た男は、爽やかな笑顔を振りまく。だけど、なぜかとっても胡散臭い気がした。気のせいかな……。

「ああ、終わった。家まで送ってくる。越村、こいつケン。俺の従兄で同じクラブの仲間。ついでにクラブのオーナーの息子。俺達と同じ学校のスポーツ課で同い年なんだ」

 私の視線が気になったのか、レント君が紹介してくれた。

「初めまして。島津健です。ケンって呼んで。ええっと、ストーカーさんだよね?」

 同じく自己紹介しようとしたら、まさかのストーカー発言に呆気にとられた。

「ケン……。それはちょっと」

 レント君が慌ててケン君を止めるけれど、私は一気に落ち込んだ。

 例えるなら、頭の上に石が落ちてきて死んでいる状態だ。


「ストーカーじゃなかったのか? 半年前からずっと僕達の練習を見ているから、てっきり誰かのストーカーだと思っていたけど?」

 そんな噂が流れていたなんて……泣く。

 項垂れていると、レント君が苦笑しながらケン君に説明してくれた。

「越村の兄貴がフットサルで遊んでるから、その間うろついていたらしい」

「兄貴? なに、いい年してブラコン?」

 またしても、ズコーンと石が頭に落ちてきた。

 まさかのブラコン扱い。苦し紛れで嘘をついた私が悪いけど、この年齢でそれを言われると、危ない妹みたいじゃない。

 爽やかな笑顔と切れ長の瞳。鼻筋の通った整った顔立ちに騙されてはいけない……。ケン君は口が悪い。


 爽やかだが、周囲を気にせず思ったことを、そのまま口に出す。ある意味最強人種。もちろん悪いと思ってない。

 悪気のない天然って感じだ。

 でもここで否定したらすべてが終わりだ。レント君を見に来てたなんて、まだ恥かしくて言えない。

 「違う」と言いたいのを、ぐっと我慢する。

「……家で一人になりたくないもんで」

 愛想笑いを浮かべ、頭をかきながら自虐的に答えた。

「もう兄離れしないと、あとで困るんじゃない? いい歳なんだし」

 物凄く憐れんだ瞳を向けないで欲しい。失礼な人だ……ケン君って。

 初対面だけど、私の中で要注意人物のリストに入った。

「そうだ。顔大丈夫? レントが思いっきり蹴ったから、顔崩れなかった?」

 さらに酷い……。早く帰ろ。

「うん、大丈夫。原型は留めているから。元から綺麗な顔ではないから気にしないで」


 人間落ち込むと、ここまで自虐ネタに走るのかと悲しくなる。気にしてはダメと、何度も自分に言いきかせた。

「もしかして落ち込んだ? 大丈夫だよ、柚月ちゃんだっけ? レントは可愛いって言ってたから」

 ケン君の爆弾発言に驚きながら、レント君とケン君の顔を交互に見比べる。

「ケン、お前戻れ。俺は越村送ってくるから」

 ちょっと怒っているようにも見えるレント君が、ケン君に「あっちへ行け」としきりに言い始めた。

「ああ、ごめん。つい言っちゃったよ。他意はないから。柚月ちゃん、また明日ね」

 ケン君が手を振りながら戻って行った。取り残された私達は、何だかとっても微妙な雰囲気だ。


「送るよ。着替えよう……」

 私に背を向け、レント君が何事もなかったかのように歩き出した。つられるようにして、私も後を追う。

 すると、いきなりレント君が立ち止まり振り返った。

「あのさ。越村は普通に可愛いから。もっと自信もちなよ。それに絵も上手だから。やりたい仕事があるなら、あきらめずに挑戦したら? 俺は応援するから」

「えっ?」

 気が動転しすぎて頭が変になりそうだ。

 私のこと「可愛い」って言ってくれた。それだけでも嬉しいのに、私が迷っていることも覚えていてくれたんだ。

 頭の中で、同じ言葉が何回も回っている。


「先に着替えてくるから。正面の入り口で待ってる」

 そう言うと、レント君がいきなり走り出し中へと入って行った。

 可愛いって言ってくれた。お世辞でも嬉しいな。

 思わず顔がにやけた。

「へー。まさかレントがあんなこと言うなんてな。柚月ちゃんは大丈夫なんだ。あんなにも人を寄せ付けなくて、自分さえも隠してたのに。意外」

 先にクラブハウスへ向かったケン君を追い越しレント君は行ってしまった。

 そして、なぜかケン君が私を見る。

 真剣な表情の、ケン君の意味深な発言が気になってしまう。だから、思わず聞いてしまった。


「それ……どう言う意味?」

 レント君がいなくなったフィールドは、なぜか凄く冷たく感じた。

 夜だから気温が落ちたのかな? それとも、汗をかいたから? 違う、不気味なんだ。目の前の、人の良さそうな笑顔を見せるケン君が……怖い。

 でもレント君のことはもっと知りたい。彼がサッカーを嫌いな理由も含めて。


「柚月ちゃん。レントのこと本当に知らないの?」

「う、うん。昨日、初めてレント君が同じ学校って知ったくらいだから」

 遠くにいたケン君が、一歩、また一歩と私に近づいてくる。

 その姿が、同じ年とは思えないくらい大人びていて圧倒された。

「レントは有名人なんだ。U-15にも選ばれて海外遠征にも行くほどだ。それに、父親は有名なサッカー選手で元日本代表。そして今は、あるクラブチームの監督」

「レント君のお父さんが、日本代表に監督?」

 クラブチームの名前は、私でも聞いたことがあるくらい有名だった。

「そんなに凄い人なんだ。レント君のお父さん」

「ワールドカップに行けたのもレントのお父さんのおかげだよ。皆が羨望し憧れだった。僕達の世代のヒーローだ。そんな男の息子がレント」

 ケン君は、どうして私に教えてくれる気になったのかな。もしかして、邪魔だから、うろつくなってこと?

 不安がよぎる。


「でも、そんなヒーローの息子と言われレントは悩んでいた。世間からの重圧と、親の七光りと陰口を叩かれる日々。でも、レントは頑張っていた。父親に認めて貰いたい一心で」

 なぜかケン君が苦しそうに眉間に皺を寄せながら、吐きだした。

「レントは、父親から褒めて欲しかっただけなのに。なのに……だから、あんな事件が起こったんだ」

「事件?」

 それが良くない内容だと、ケン君の顔を見ればわかる。

 ケン君は、見ている私が辛いほど、苦しそうな顔をしていたから。

「それは……」

 さっきまでのケン君とは違い、神妙な面持ちで、私の緊張が高まった。

「……ごめん。やっぱり言えない。レントが柚月ちゃんに話す時がきたら聞いてやって。その時は、レントが柚月ちゃんに本当に心を許した時だから」

 本当に心を許した時? そんな日が来るのかな。まだ、全然レント君のことがわからないけど、少しずつ知っていきたい。

 だって、一昨日初めて話したんだもん。いきなり仲良くは無理だけど、少しずつ頑張るんだ。


「うん。その時がきたら、レント君の話を最後まで聞くよ」

 そう答えるとケン君が嬉しそうに大きく頷いた。

 怖いとさっきは思ったけど、今見ると、普通の高校生だ。

「早く着替えたら? レントが着替え終わって待ってるかもよ」

「あ、うん」

 思わず話し込んでしまった。

 時計を見ると、もう十一時を過ぎている。

 さすがにやばい。裕兄に怒られる。


「思ったより柚月ちゃんがまともで良かったよ。最初、不安だったんだ。レントが柚月ちゃん気になり出してから」

「えっ……?」

 呟いたケン君に、驚いて足が止まった。

「あ……」

 私の反応に、ケン君が不自然なほど狼狽える。さっきまでの余裕な姿とは大違いだ。


「聞かなかったことにして。でも、柚月ちゃんにボールをぶつけたの、ワザとだって言ったらどうする?」

「……えっ?」

 なにがなんだか分からなくなった。すべてが許容量を超えている。

 レント君は、私のこと、もしかしてボールをぶつける前から知ってたってこと?

「どういう意味? 説明してケン君!」

 思わずケン君に詰め寄った。

 絶対に聞き出すまでは逃がさないんだから。

「顔めがけてボール蹴った訳じゃないから……」

 その後のケン君の話に、私の心は、どこか別世界に飛んでいる気分だった。なんとか話を理解出来た自分を褒めてやりたい。

 まさか、レント君が私に声をかけようとしていたなんて思わなかった。

 ケン君が言うには、私の足元にボールを蹴ろうとしたらしい。レント君が蹴る瞬間、ケン君がふざけたせいで、私の顔面にボールがぶつかったと、気まずそうに謝ってくれた。

「ケン君。レント君は、私を不審者だと思ったから声をかけようとしたの?」

 確かに、毎週練習を見ている不審な女がいたら怪訝に思うだろう。それで、きっかけが欲しかったとか?

「そこらへんはレントに聞いてよ。僕は誘われただけだし」

 なんとも中途半端な回答だ。

 素直に教えてくれるのかと思っていたのに、のらりくらりと質問をはぐらかされた。


「じゃあ、柚月ちゃんにいい情報あげる。レントは今、家族から離れて一人暮らしだよ。差し入れとかしたら? でも、料理下手そうだね」

 またしても失礼な! 両親は基本不在だから、簡単な料理くらい出来るから。手の込んだものは無理だけど。

「ケン君って何気に失礼だよね?」

「そう? 皆には『いつも正直だね』とは言われるけど?」

 本人は気づいているのかわからないけど、それは嫌味だと思う。

 でも、レント君って一人暮らしなんだ。家族と離れて寂しくないのかな? 私はお兄ちゃん達がいるから大丈夫だけど。

 レント君が学校で姿を偽って目立たないのも、サッカー部に入らないのも、一人 暮らしなのも、お父さんが関係しているんだろうな。

 いつか、話してくれるかな……。


 まだ、全然そこまでの仲でも、ましてや友達でもないけど……。球技大会までには友達になるんだ。

 でも、パズルで言うなら、全然ピースが足りない感じ。レント君が家を出るきっかけになったピースが不足してる。

 目の前のケン君は、絶対に教えてくれないと思う。

 ケン君に視線を向けると、最初に会った時のような愛想笑いを浮かべた。

 これ以上、話す気はなさそうだ。


「……じゃあ私、着替えてくる」

「うん、またね。柚月ちゃん」

自分でも頭の中を整理したくて、いつまでも話し込んでいる訳にもいかなくて、ケン君に声をかけると駆け出した。

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