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16 月夜のパズル

「一人で帰るなんて何考えてるんだ? 危ないだろ!」

 悲鳴を上げそうになるのを何とかこらえ、顔を上げて思わず口ごもった。


 落ち込みすぎて、まったく足音に気が付かなかった。強く掴まれた腕も痛いけど、泣き顔を見られたのが嫌すぎる。慌てて目元を強引に拭った。

 だけど、必死に走ってくれたのか、息を切らしているレント君が、何でここにいるのかわからない。しかも、怒っているようで更に委縮してしまう。


「……腕が痛いから離して。それに、私が一人で帰ってもレント君には関係ないよ。用事があるんでしょう? 早く戻って」

 自分でも可愛げがないと思う。でも、気持ちがぐちゃぐちゃなのに、冷静に振る舞うなんて今の私には無理だ。

 この場を離れたくて、思いっきり手を振り払おうとするけど、なぜかレント君は離してくれない。

 ――なんで。


「ごめん……。傷つけてばかりで。パズル受け取った……ありがとう。越村から見ると俺はあんな風に見えているのかと思うと感動した。」

 レント君のもう片方の手には、私があげたパズルが抱えられていた。

 ……受け取ってくれたんだ。しかも、感想までくれて……嬉しい。

 球技大会のレント君の姿を水彩画で描き、それをパズルとして残した。あの思い出を、青春の思い出をキャンバスに閉じ込めた。

 太陽の下、ゴールへとシュートを放つ、眩しいくらいに素敵なレント君を。「好き」と言う想いも込めて。


「あ……。いらなかったら捨ててね」

 そう言うと、苦笑しながらレント君が私の腕を離した。

「……捨てないよ。越村が一生懸命描いてくれた大切な絵だから」

「……ありがとう」

 素直に嬉しかった。

 さっきまで落ち込んでいて、ひねくれていたのに、レント君の一言でここまで気持ちが変わるなんて……。やっぱりまだ、私はレント君が好きだ。

 まだ当分、レント君が好きな想いは消えないらしい。

 でも、気まずさは中々消えない。

 それはレント君も同じなようで、考えるように頭を掻きながら私を促した。


「……家まで送るよ」

「えっ? 大丈夫だよ。もうすぐ着くから」

 早足で歩けば五分もかからない距離。送って貰うほどでもないし、なにより二人きりだと何を話せば良いのかわからない。

 それなら、一人で帰った方が気が楽だ。

 

「送るよ。裕太さんとも約束したから」

「えっ……裕兄と?」

 いつの間に裕兄と話しをしたのか不思議に思って、レント君を見上げた。

「榊からさっきパズル渡された。越村が泣いてたって言うから心配になって。裕太さんに連絡したんだ。越村、携帯持ってないだろ?」


 携帯……?

 そう言えば、パズルのことで頭がいっぱいで携帯のこと忘れてた。

 ポケットを探るけど勿論なくて、リビングのローテーブルの上に置きっぱなしにしたことを思い出す。

「……家に置いて来た」

 携帯がないと不安という依存症でもないし、急ぎの用もないからそこまで気にならない。


「夜に出かける時は持っていた方がいいよ。危ない時どうするの?」

 私が怒られているように感じるのは気のせいかな? なんだか凄く不満だ。

「レント君には関係ないじゃん」

「関係あるよ。何かあった時にすぐに行くって約束しただろ?」

 ……その約束は今も続いているの? もう、その約束は「ない」って思っていたのに。


「越村に謝らなきゃいけないことがあるんだ。屋上で、酷いこと言って傷つけた。本当にごめん。あの噂、どうして広まったかわかったんだ。それも謝りたくて……」

「えっと……。球技大会の前日に広がったレント君のこと?」

 レント君のお父さんのことや、レント君がジュニアで有名だったって一気に広がった、あの噂だ。

「越村はその日、学校休んでいなかったって日下部の彼女に聞いた。凄く怒られたよ」

 苦笑いするレント君を見ていたら、瀬奈がどういう風に伝えたか想像できた。いつも、クラスを仕切っている、きびきびとした才女の瀬奈が浮かんだから。


 それよりも、いつの間に瀬奈はレント君にそんなことを言ったのだろうか?

 レント君と話をしたって、私は聞いていない。

 瀬奈だけではなくて、絶対に里美も関わっているだろう。あの二人はとても心配してくれていたから。


「あの噂の出どころはクラスの担任だったんだ。実は、越村が休んだあの日、俺にも内緒で両親が学校に来ててさ。進学とかサッカーの相談とか色々ね」

 申し訳なさそうに頭を下げるレント君は、まるで怒られた猫のように項垂れた。その姿を見ていたら、こんな時だけど何だかとっても可愛いいと思ってしまう。


「前にも言ったと思うけど、両親と仲が悪くて。俺の事情を知っていた担任が気にしていて、タイミング良く、その日に面談だったって……。球技大会が終わってから聞かされた」

 どうやら、私が熱を出したあの日、レント君のご両親が学校に呼び出されていたらしい。レント君にも内緒で面談が行われたそうだ。

 そしてその帰り、サッカー好きの担任がレント君のお父さんのファンで、サインを貰っている所を生徒達に見られて噂が広まったと。

 レント君が知ったのは球技大会のあとだと言う。

 なにそれ……。私はまったく関係ないじゃん。

 思わずがっくりと肩を落とした。


「本当にごめん。それにさ、越村が思っているほど、俺……かっこよくないから。すぐに落ち込むし感情的にもなるし、そんなに完璧な人間じゃないよ」

「えっ……?」

 真っ直ぐにレント君を見ると、何だか困ったような、泣きそうな顔をしている。

「越村はサッカーをしている俺しか見ていないから、そう思うんだよ。普段の姿を見たら、きっと幻滅する。人見知りで不愛想だし、気のきいたことも言えない。越村の顔にボールぶつけるし、それに……また泣かせた」

 乱暴に拭った目元は、やっぱり赤くなっていたらしく、レント君に泣いていたことを見抜かれてしまった。

 

「そんなことない。レント君はいつも優しかった。だから、私はレント君に恋したよ」

 力強く拳を握りしめ、レント君に届けとばかりに声を上げた。

「私はサッカーをしているから、レント君を好きになったんじゃない。最初は……確かにサッカーをしているレント君に一目惚れしたけど、今はそれだけじゃないって断言出来る」

 二回目の告白は自分でも予想外だ。

 でも、不完全燃焼よりはずっといい。もう一度伝えたくなった。

 これで最後だから、皆に言われたように後悔しないようにと。

 たとえ、また告白の返事を貰えなくても私は満足だ。


「話すきっかけは鼻血だったけど、出会いは予想外だったけど、それからのレント君をずっと見ていて気づいたの。なんでもこなせるように見えるのに傷つきやすくて、不器用な面も全部知っているから……。優しいところも全部」

 これにはレント君にも予想外だったらしく、手で口元を覆い顔を逸らした。顔はほんのりと赤く見えたのは気のせいだろうか?


「越村は、いつも素直で癒し系」

「レント君こそ勘違いしてるよ。私はそんなに女の子っぽくないから。考えずに行動しちゃう時多いし、落ち込みやすいもん」

「確かに、夜一人で出歩くのは危ないから危機感持って欲しいかな……。でも、今の越村が俺も好きだよ。そろそろ行こう。送るよ」

 私達の横を人が通りすぎた。

 話に夢中で気が付かなかったけど、車が何台も通っていた。何気に周りで歩いている人からも見られていたんだと思うと気まずくてしょうがない。


 でも、それよりも、私はレント君の言葉に驚いて目を丸くすることしか出来ない。

 だって、レント君が私を「好き」だと言ってくれたから。

「行こう。歩きながら話そう」

 背を向けて歩き出したレント君の後を、動揺しながら追いかけた。

 人生で初めて好きな人に貰った「好き」と言う言葉は、自分が思っていたよりも、遥かに舞いあがってしまい熱が頬に集まってあつい。


「屋上で酷いこと言ってごめん……。球技大会でも傷つけてばっかりでごめん」

 私の狼狽えた様子も気にすることなく、普通に話が変わった。しかも、私に謝ってばかりだ。

 淡々と話し出すレント君を見ていると、特別な意味の「好き」だと思ったけど違うみたい。 私の考えている「好き」とレント君の考えている「好き」は違うようだ。

 レント君は、友達として私を見てくれているらしい。ちょっとがっかり。ううん。けっこうがっかり。

 途端に胸が切なく軋む。


「だ、大丈夫。球技大会のとき助けてくれたから。……ありがとう。嬉しかったよ」

 ショックでだった。告白の返事をして貰えない悔しさを隠すように、お礼を伝えた。けど、声が若干震えたのは仕方がない。

 私の複雑な胸の内を、知ってか知らずか、レント君は話を続ける。私はと言うと、落ち込んでいると思わせないように、気丈に顔を上げて笑みを浮かべた。


「やっぱり、レント君はサッカーをやるべきだよ。ボールに触れていると、ボールが意志を持っているみたいに楽しそうに見えるもん」

 胸はズキズキと痛いけど、レント君の隣で、肩を並べて歩くことが出来るなんて、数時間前の私には想像もしていなかった。

 さっきまで一人分だった影が二人分に増えて、何だか不思議だ。足音が傷ついた心を癒してくれるようだっ。


 さっきは、苦しくて泣いてばかりだったけど、レント君が普通に話してくれるだけでも満足だ。避けられていたのが一番辛かったから。


「俺さ、サッカーに戻ることにした。越村のおかげ……。あのゴールを決めた瞬間、昔を思い出したんだ。仲間とプレーする醍醐味と面白さをまた見つけたから、また最初から始めようと思う」

 私のおかげ。そう言って貰えるのが凄く嬉しい。

 レント君がサッカーに戻ってくれて、一番嬉しいのは私だから。


「私、ずっと応援しているから。レント君のこと。だから頑張って。そうだ、私も油絵描けるようになったの。レント君のおかげ。ありがとう!」

 レント君に関わったから、榊君達のあの空間に入ることができた。あの一体感のある空気は、個人行動の多い芸術学科では到底体験出来ない。

 チームプレーだからこそ、分かち合える空気を感じた。

 ゆっくりと歩いていたつもりなのに、楽しい時間はあっと言う間で、もう家に着いてしまった。


 残念すぎる。もう少し話したいけど、今の私達はあいまいな関係だ。友達でもなく、もちろん彼氏や彼女でもない、ただの同級生。

 家の前で二人の足が止まる。

「そんなことないよ。越村は俺がいなくても、また油絵が描けていたよ。越村が努力していたこと知っているから」

 レント君から褒められると、嬉しいけど照れてしまって背中がむず痒い。

「家でも学校でも、いつもスケッチブック持ち歩いていただろう?」

 ……気づいてくれていたんだ。スケッチブックのこと。意外だ。そこまで見てくれていたなんて。


「努力は時間がかかっても自分の力になるよ。今は上手くいかなくても未来に繋がると、俺は思っている。欲しい結果じゃなくても報われる日がくる。それまで努力して頑張れ」

 そう言われると、私の心に強く残った。

 ずっと小さい頃から、遥か高みにいて、常に上を目指し努力していたレント君の言葉は胸に響く。

「……うん、ありがとう。頑張る。じゃあ、行くね。送ってくれてありがとう。あ、レント君、何か用事があったんじゃない?」

 名残惜しくてたまらない。

 パズルも渡せたし、話せたし、もう、満足なのに。なのに、離れたくない。

 そう言えば、さっき会ったレント君は何かを気にしていた感じがした。榊君も何か言いかけていたのを思い出す。


「……ああ、両親が来ているんだ。これからのことを話し合うために」

「えっ、そうなの? なら、早く戻って。ありがとう送ってくれて……」

 またね、とは言えない。次があるかわからないから。離れたくないけど、これ以上傍にいると泣いてしまいそうになる。

 泣くなら家に入ってからだ。


「越村!」

 玄関に向かおうと歩き出すと、レント君の声がかかって手を掴まれた。

 えっ……?

 驚いて振り返ると、レント君は真っ直ぐに私を見つめている。


「また、ご飯食べに行ってもいいかな?」

「ご飯……? う、うん。いいよ。私はこれからコンテストで忙しいけど、裕兄はいつでもいると思うから食べに来て」

 意外なお願いに目を瞬かせた。

 私は夏休みになると、秋に行われる学園祭の準備に忙しい。それに、今は課題提出にも追われていて、帰りも遅く、レント君と時間が合わない気がした。

 私が家にいなくても、裕兄とレント君は仲がいいから大丈夫だろう。

 そう思ったのに、レント君は困り顔だ。


「そうじゃなくて……。じゃあ、朝は一緒に登校してもいい?」

 驚きすぎて意味がわからない。

 一緒にって、それって。

「あ、あの。でも、レント君はサッカーの朝練あるよね?」

 その時閃いた。

 そうか。私と登校じゃなくて多分……。


「朝ご飯? 大丈夫だよ。いつでも食べに来て。たくさん作っておくから」

 ご飯とレント君は言ったから、朝ご飯のことだ。一人暮らしだと食事の用意が大変なんだろう。そのくらい問題ないし私も嬉しい。

 満面の笑みで頷くと、レント君はがっくりと大きな息を吐きだした。

 ……えっ何で?


「越村、違うから。ご飯が目的じゃなくて、越村と一緒にいたいって意味」

 絶対に今の私は間抜け面だ。

 えっ……。私とって、それって。

  意味がわかると顔に熱が集まった。火照る頬を手で抑え、レント君を見上げた。

 繋がれたままの手も熱くて、そして照れくさい。


「あのさ、いくら故意じゃなくてボールぶつけても、何の感情も持たない子にサッカー教えたりしないから」

 ふと、ケン君が前に言っていたことを思いだした。

『レントが柚月ちゃんに、ボールぶつけたのワザとだって言ったらどうする?』

もしかして……あれって。

「レント君は、私にわざとボールぶつけたの?」

 思わず声を上げると、レント君は目を泳がせた。

「違う、わざとじゃない。顔にボールなんてぶつけない。でも、越村が見ていてくれたように、俺も越村のこと見てたよ」

 これは、どんな反応をしていいのか、ますますわからない。

 なんて言えばいい? まさか、レント君が私を見ていたなんて予想外だ。


「それって……」

「察してよ……。いや、もう一度言うから。俺、越村のこと好きだよ。絵が大好きで、常に一生懸命で、友達思いなところも。すぐ泣くところも好きだから」

 さっきと違って、真っ直ぐに見つめられた告白は、嬉しいほど切なかった。

 レント君も恥ずかしいのか月を見上げてしまうし、私も幸せすぎて言葉にならない。


「球技大会の時……本当は嬉しかった。でも、あんな場所で言われても何も言えない。越村、気が付いてなかったようだけど、ケンやスポーツ科の皆が凄い見てたから。それに、まだ学校で噂になってるよ。芸術学科は陸の孤島だからそこまで噂ない?」

 えっ……。嘘、そうなの? レント君だけを見ていたからそこまでわからなかった。じゃあ、あの私の告白シーンを学校中が知っているってこと?

 恥ずかしすぎる。

 どうりで、芸術学科から出たら、周りの視線が突き刺さった訳だ。

「そ、そうなんだ。こっちは別に日常だった……」

 呆気にとられて放心状態だ。だから、瀬奈の彼氏の日下部も、私のことを生温かい目で見ていたのか。

「でも、その噂も真実にすれば良いと思うんだけど、どうかな?」

 レント君が困ったような、照れたような表情で私を見る。

 ドキドキしてたまらない。


「う、うん。お願いします」

 満面の笑みを浮かべると、レント君もはにかんだように頷いてくれた。


「レント君にメールしてもいい?」

「もちろん。俺もおくる。それに、ボールが怖くなくなるまでサッカー教えるから」

 繋がれたままの手に力がこもる。

 凄く嬉しい……。

 まさかのレント君の言葉に幸せすぎて倒れそうだ。

 甘い余韻に浸っていたら呆れたような声が聞こえた。


「……お前ら、恥ずかしいわ」

「だめだよ、卓兄。青春の邪魔をしたら」

 身体が強張った。


 いつかの悪夢の再来とばかりに、慌ててレント君の手を離した。声の主を見ると、少し離れた場所に車を止め、窓を開けて私達の様子を見ている卓兄の姿。

 そして、車によりかかり、手にはコンビニの袋を持って、にやにやと私達を見ている裕兄の姿。


「なっ、な……いつからいたの?」

 恥ずかしさを隠すように声を上げた。

「……甘酸っぱい青春ストーリーなら全部聞いた。車を車庫に入れたいからどいてくれ。充分待ったから、もういいだろ?」

 ぐったりしている卓兄は、仕事でお疲れの様子。でも、私達が話していたから声をかけずに待っていてくれたらしい。

 ……いつから見ていたの気配を感じなかった。

 最悪だ。……またしても兄達に見られた。しかも、思い出に残る告白シーン。一生からかわれる……。

「でも、丸く納まって良かったな。柚月が一人で帰ったって聞いた時は、どうなることかと心配したけど、これで安心だ」

 卓兄が車庫に車を入れるのを見ながら、裕兄がにやにやした顔を私達に向けてきた。


「レント、明日の朝な。朝食から来るんだろ?」

「なっ――――!」

 全部聞いていたのか! 本当に気づかなかった。兄二人が見ていたのを。


「照れるな、柚月。いいもん見させて貰った。昔を思い出して恥ずかしかった。やっぱり、身内の恋愛は、見ているこっちが疲れるな」

 恥ずかしいって言った! 裕兄め。私も見られたくなかった……。

「こんなに早く帰らなくても良かったな。柚月、家の前でのラブシーンはきついわ」

 車を止めた卓兄は、あきれ顔だ。

「なっ! ラブシーンって……」

 しかも言い方、古いっ!

 言うだけ言って兄貴二人は、声にならない私を一瞥すると、家の中へと入って行った。


「相変わらず面白いね、越村のお兄さん」

 レント君は何だか楽しそうだ。

「まあ……ね。レント君、明日は朝ご飯食べにくる?」

「越村が迷惑じゃなければ行きたい」

 爽やかにそう言われると嬉しくなる。


「うん、待ってる。サッカーが忙しい時は無理しなくてもいいからね」

「わかった。その時はメールするよ。そうだ、これ……」

 レント君がポケットから何かを取り出した。手を差し出されて、不思議に思いながらも、それを受け取った。

「……パズルのピース?」

 渡されたのは、パズルのピースが一枚。

 この絵柄は、見たことがあるような、ないような。どのパズルだろう?


「それ、越村が鼻血出した日に落ちてた。渡そうと思っていたけどタイミングがつかめなくて」

「鼻血って……。あっ! そうだ。あの日はパズルをしていて箱をひっくり返したんだ」

 思い出した。

 このピースだ。裕兄が一枚足りないって言っていたパズルのピース。

「偶然だと思うけど驚いたよ。だってそれ、サッカーボールの絵柄でしょ?」

 私の方が驚いた。これだけで良くわかるなあと感心する。

 このパズルは裕兄の趣味で、サッカー日本代表の写真だったりする。完成した絵柄を、レント君は知らないはず。なのに、やっぱりレント君は詳しい。


「サッカー大好きだね」

「……うん。越村も油絵好きだろ?」

 レント君の笑顔に負けないくらい満面の笑みで大きく頷いた。

「もちろん!」

「じゃあ明日、また」

 時間を思い出したのか、レント君が背を向ける。

「また」その言葉が嬉しかった。

「うん、また明日!」

 見送っていると、レント君が立ち止まり何かを投げてきた。


 ――えっ。

 弧を描きながら落ちて来るそれを、焦りながらも何とか両手で受け取った。そこには、ビーズで作ったミサンガがあった。

 これって……

 レント君を見ると照れくさそうに笑った。


「パズルのお礼……。久しぶりに作ったから、そこまで上手に出来なかったけど、俺の手作り。願いが叶うお守り。使えたら使って。あ、でも学校じゃ出来ないか」

「えっ、あ……ありがとう。嬉しい。学校でも大丈夫だよ。芸術学科はセンスが独特で、先生達も話がわかるから。今日から付けるね」

「うん。ありがとう。じゃあ、また、明日」


 照れくさいのか、返事もそこそこに背を向けて行ってしまった。残された私は、レント君が見えなくなるまで見送り、手の中のミサンガを強く握りしめた。


 まさかのレント君の手作りに、にやけた顔は止まらなくて、人生で最低だと思った日は、忘れられない幸せな一日になった。


 あの月夜に誓った私の想いは、一度目は届かなかったけど、違う形で伝わった……。

 柔らかな太陽の下、生き生きとプレーする絵を通して。


 思わず空を見上げると、そこには……柔らかな光を向けている、温かな月が輝いていた。






「お前ら、いちゃついてないで早く学校行けよ!」

 朝から食卓に、卓兄の怒鳴り声が響いた。

「えっ、まだ早いよ、卓兄。ねえ、レント君」

「うん、まだ大丈夫かな」

 レント君との朝ご飯も一カ月がたった。回数を重ねると慣れたもので、たまにしか揃わなかった兄達も、レント君が来る日は必ず一緒に食べている。


 朝は裕兄が作ってくれるから凄く楽だ。

 レント君は毎日は無理だけど、週に三回ほど朝ご飯を食べにくる。その日が何よりも待ち遠しい。

 何気に兄貴達も楽しそうに見えるのは、気のせいではないだろう。


「いいから早く行け。静かに新聞読めないだろ!」

 人数が多いと自然に会話も増える。卓兄は新聞を読む暇がないらしい。

 しょうがないなと、レント君と顔を見合わせ椅子から立ち上がった。

「行って来ます。今日は課題があるから遅くなるから」

「俺が送りますからご心配なく」

 課題をこなすために帰宅が遅くなることもしばしばで、その時は、同じく練習で遅くなるレント君が送ってくれる。


 いつもは課題の提出が遅れると嫌な気分だったけど、今は凄く楽しい。

「わかった。気をつけてな」

「行ってらっしゃい」

 新聞を広げたままの卓兄はまるでパパのようだ。パンケーキをつまむ裕兄は、いつものようにのんびりで羨ましい。

 二人の兄に見送られて家を出る。


「お父さん達との話し合いは上手くいった?」

 二人で並んで歩くのは、今も不思議な気分だ。学校に行くことが楽しいなんて、一年前の私ならありえない。

「うん。とりあえず卒業まではこっちにいるよ。この高校もサッカーのレベルは高いから」


 レント君のご両親は、サッカーを続けるのならと転校を勧めたが、レント君は拒否した。もう少しこのチームでプレイしたいからと。

 スポーツ科へは、二学期から移るとレント君の口から聞いた。榊君や日下部君、それにケン君の喜ぶ姿が見えるようだ。

「良かった。レント君が転校しなくて」

「越村も忙しい? コンテスト」

「うん。でも楽しいよ」

 決まって繰り返される会話のあとには、いつもレント君が無邪気な笑みを見せてくれる。


「今日も頑張ろうか」

「うん――!」


爽やかな夏晴れの中、私達は今日も元気に歩き出した。



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