15 決断の時
「柚月、今日は帰りにアイス買ってやる」
「は? 裕兄なんで? 夜に食べると太るからいらないよ」
学校が終わって家に帰ると、くつろいでいた裕兄に、フットサルの練習について行きたいと伝えた。
その日はちょうど水曜日で、裕兄はフットサルの練習日。タイミングが良かった。
少し大きめの箱を両手に抱えて、裕兄と夜道を歩いている。
ずっと何も言わなかったのに、なぜにいきなりアイスなのか……。
「ご褒美だ。柚月が一つ大人になった」
ぽんぽんと頭を軽く叩かれた。
大人って……。裕兄もわかっているんだ。私がレント君に会いに行く決心をしたって。そうだよね、いきなり連れて行って欲しいって言えばわかるよね。
「柚月、綺麗な月だぞ」
裕兄に言われて空を見上げた。
そこには、絵に描いたような綺麗な丸い月が浮かんでいた。
「……今日って満月なの?」
「いや、少しかけてる。満月は明日だ。……満月より少し欠けていた方が願いは叶うから、願えば?」
裕兄がよくわからないことを言った。
満月の方が縁起が良いと思うのに。
「不思議そうだな。少し欠けていた方が、その分頑張ろうと思うんだよ。全部が完璧だとそこで満足して成長が止まる。だから、少し欠けていた方が前進できるだろ?」
そう言われ、もう一度月をじっと見る。
……これが終われば少しは成長出来るかな。前を向いてまた歩き出せるかな……。
「そうだね……」
「最初から実る恋なんてほとんどないぞ。後悔はしないように頑張れ」
まさか兄貴に励まされるなんて変な気分。しかも、里美と同じことを言う。
「……うん、泣いたらアイス買ってね」
「…………太るぞ」
あきれたように笑った裕兄が頭をくしゃりと撫でてくれた。
段々と、レント君に近づいていると思うと足取りが重くなる。だけど、裕兄が隣にいてくれるから逃げ出さずにすんだ。私、一人だと、やっぱり逃げていただろう。
口には照れくさくて言い出せないけど、とても感謝している。ありがとうね、裕兄。
心の中でこっそりと呟き、夜道に響く二人分の足音に誓いを立てた。
絶対に後悔しないように頑張ると。
「じゃあ、あっちにいるから。何かあったら連絡しろ。危ないから、泣いても一人で帰るなよ」
「うん。わかった」
私が返事を返すと、フットサル場に向かって裕兄は歩いて行った。裕兄を見送ってから、緊張で重い足を一歩踏みだした。
一カ月前までは、レント君に会えると思うだけで足取りは軽かった。なのに、今は泥沼の中を歩いているように足取りが重い。
何度も深呼吸を繰り返して月を見上げた。
レント君が、これだけでも受けとってくれますように。勇気を出せますように。
月に願いを強く込めて、抱えている箱を抱き締めた。
月明かりの下、人工的な照明の光が照らされるグラウンドは、普段よりも少し明るく感じた。
その月の光はあの時、レント君を初めて見たスポットライトと同じで、遠目からでも一目で彼を見つけることが出来た。
――レント君だ。
一カ月ぶりに見かけるレント君は、相変わらず皆の中心にいて、楽しそうにボールを追い駆けていた。あの頃と変わらないレント君がそこにいた。
フェンスに近づき目をこらす。
猫のように身軽にボールを追いかける姿も、真剣にパスを出し、声をかけている姿も見惚れてしまう。
今でも、一瞬にして心が奪われる。今でも好き。レント君が大好き。
心の中で叫ぶたびに胸が切なくて、辛くて、泣きそうになった。
目が離せなくて、レント君をいっぱい見ていたくて、しばらくじっと練習を見守っていた。
ホイッスルの音で我に返り時計を見ると、ここに着いてから三十分も時間が経っている。
……あ、練習終わったんだ。どうやって、これを渡そう。
そう言えば、ここに来ることに夢中で、レント君と話す手段を考えていなかった。ケン君が私に気付いてくれたらいいけど。
そのケン君を見つけられない。
レント君はすぐに見つけられるのに、やっぱり私は、まだレント君を好きなままだ。
フェンスに更に近づき目を凝らす。だが、試合が終わるとクラブハウスに向かったり、その場に座り込んだりと人がいっぱいで、良くわからない。
……どうしよう。
あ、レント君が行っちゃう。
フィールドに座り込んでいたレント君が立ち上がり、クラブハウスへと歩いて行く。
あ、待って……。
思わず駆け出した。
「あ、あのレント君」
ここまで来たら、帰るという選択肢はない。と、震える声でレント君の名前を呼んだ。その声は、思ったよりも大きくて、レント君の周りにいた男子達も一斉に私を見る。
気まずくてすぐに逃げだしたくなったけど、これが最後かも知れないと、毅然と顔を上げた。
レント君は驚いたように私を見るが、すぐに私の後ろへと視線を向けた。
……なんでだろう。私の他には誰もいないけどな。
不思議に思って首を傾げていると、レント君がチームメイトから離れて私の傍へと歩いてくる。
「一人で来たの?」
良かった。話して貰えるんだ。
無視されると辛かったから嬉しくなった。
「あ、あのね……。私これを――」
「一人で来たの?」
早く渡さないと、と気が焦る。箱を差し出そうとすると、レント君が固い声でもう一度同じことを口にした。
その声が何だか怒っているように感じて、箱を差し出す手が止まった。
「あ、ううん。裕兄がフットサルにいるから。私だけここに来たの」
「なら、早く戻った方がいいよ。ここ暗いから危ないよ。あのさ……」
私に何かを言いかけようとしたけど、後ろからレント君を呼ぶ声が聞こえた。すると、その声に反応してレント君が私に背を向けた。
あ、行っちゃう。これだけでも渡さないと。
「あ、あのね、レント君これを……」
「ごめん。俺、用事があるんだ。悪い……」
私の引き止めようとした声は、そのまま夜空へと消えていった。
レント君は私を気にしながらも、何度も名前を呼ばれて、私に「早く戻れ」とだけ言って早足でいなくなってしまった。
渡すことも、何も伝えることも出来ないまま終わってしまった。
残された私は、俯いたまま、興味津々のクラブチームの面々からジロジロと見られて居たたまれない。
違う……それだけじゃない。
レント君が、話を聞いてくれなかったから泣いているんだ。
ぽたりぽたりと手に持っている箱に滴が落ちて、箱の色が変わっていく。
こんなに嫌われていたんだ。まだ私のことを、少しでも気にかけてくれているかも知れないと、己惚れていたんだ。
「……大丈夫か?」
ぼやける視界の先に黒いサッカーシューズが飛び込んできた。
誰だろうと顔を上げる。そこには、私よりも少しだけ背が高い榊君が立っていた。その顔は凄く気まずそうで、榊君も困っているらしい。
でも、今の私は気を使えないくらい弱っている。だから、大人の対応は無理だ。
「大丈夫じゃ、ない……よ」
それだけ伝えるのが精一杯。
嗚咽を抑える。これ以上誰かに慰められると、自分が可哀想だと言われているようで、ここで大泣きして榊君に迷惑をかけそうだ。
「あのさ。レントはあんな態度だけど、あんたのこと気にかけてた。今日はタイミングが悪くて。あいつ今――」
榊君なりに励ましてくれているらしい。それが嬉しくもあるけど辛くもある。もう、ここに居たくなくて、逃げたくてたまらなくなった。
「榊君、これ、レント君に渡して貰えないかな? いらなかったら捨ててもいいからって……伝えて。ミサンガの代わりって言えばわかるから」
榊君の言葉を無理やり遮った。押し付けるように箱を差し出す。
「それは良いけど。直接渡さなくていいのか? 明日なら、レントも余裕ができると思うけど」
榊君が迷いながらも箱を受け取ってくれた。
「……うん、もういいの。お願いします。じゃあもう行くね」
「おい!一人で帰るのか? もう遅いから危ないぞ」
榊君は、不愛想だけど根は優しく心配性みたいだ。
「うん、大丈夫。ありがとう」
そう言うと、榊君に背を向けて走り出した。
一人になりたかった。誰にも邪魔されないように、誰にも居ない場所で気兼ねなく泣きたかったから。
榊君から逃げるように帰路につく。
とぼとぼと歩いていると、月の光に照らされて、歩くたびに黒い影が揺れた。傷ついているせいか、夜なのに、不思議と怖いと思う気持ちがなかった。
長く伸びる影を見ていると「我慢しなくても大丈夫」と言われているように思えて、涙が溢れてくる。
何度も頬に落ちてくる涙を、乱暴に拭った。
早くお風呂に入って、温かいベッドへと入り何も考えずに眠りたかった。
明日は学校サボろうかな……。失恋記念日と言うことで。そうだ、そんな記念日もいいと思う。
この恋は届かなかった……。終わってしまったけど、また新しい恋が出来るように、心をリセットしよう。
すぐには新しい恋は出来ないけど、月日が流れると、この痛みも薄れるかな? また、恋が出来るのかな?
――ねえ、教えてお月様。
誰かに縋りたくて、道路の真ん中で月を見上げていると、いきなり後ろから腕をつかまれた。




