13 球技大会③
「柚月! いったよ」
里美の叫び声に、目の前に転がってきたボールを足で止めた。敵にとられる前に、味方のキーパーへとボールを蹴った。
午後の最後の試合は、レント君のクラスでもある普通科と勝負だった。
もうすでにスポーツ科の優勝は決まっている。だけど、全敗を阻止するためにクラスメイト達は必死だ。
サッカー以外の競技は早めに終わったらしく、ギャラリーが物凄い。この後、グラウンドで閉会式と表彰式があるからだ。
人が多いのは仕方がないけど、この中でボールを蹴るのは凄く緊張する。
ボールが転がってくる度に、レント君に教えて貰ったことを思い出す。自画自賛だが、今の所、上手くいっている気がした。
里美はサッカー経験者ということもあって、前線へ出て攻撃へと回っている。頭の切れる瀬奈は中盤。
そして、何気に使えない烙印を押されている私は、邪魔にならない味方の左サイドバック付近。
思ったよりも里美や攻撃陣が善戦し、たまにしかボールが回ってこない。
残り二十分ほどで、〇対〇のまま。良い勝負をしている。
……里美、頑張ってるなあ。
敵のゴールポスト付近で、ボールを追いかける里美に、心の中でエールを送りながらも、私の心は別にあった。
……レント君。
これが最後の試合だからか、レント君の姿がそこにあった。
私とは反対側の中盤あたりにいる。
でも、パスが来ても無駄な動きは一切せずに、的確にボールを回すだけで、目立つ気配は一切ない。
いつものように眼鏡をかけ、雰囲気からもやる気のなさが伺えた。
なによりも、私と目を合わせない。
……どうしたらレント君と、元のように話すことが出来るのだろう?
「越村、前!」
レント君にばかり意識を奪われていたらクラスメイトからの突然の叫び声。
「えっ……わっ!」
普通科の男子がドリブルで私に突っ込んで来た。
慌ててかわそうとするが反応が遅れた。肩がぶつかると足をとられて地面に倒れ込んだ。
そのまま相手はゴールポストに向かってボールを蹴る。だが、ボールはキーパーに阻まれ得点にはならない。
良かった……。点が入らなくて。私のせいで一点とかだったら落ち込むわ。
「柚月、大丈夫?」
倒れたままゴールを見ていたら、瀬奈や近くにいたクラスメイト達が駆け寄って来た。
「あ、大丈夫、大丈夫。ごめんね、抜かれちゃって」
立ち上がると、倒れた際についた砂を軽くはらう。
「気にしなくていいよ。残り時間も少なくなってきたからラフプレー多いの。無理だと思ったら避けるんだよ」
瀬奈がそう言うと、周りの女子達の顔つきも固くなった。
「最後の試合だからって、ちょっと男子が荒れてるわね。皆、怪我しないようにね……。一か月後にコンテストがあるから手だけは守って」
コンテスト……。そうだ、夏に向けて作品を一点仕上げなくてはならない。手を怪我したら大変だ。
皆が神妙に頷き、また散らばっていく。
「柚月。島津君が気になるのはわかるけど、集中して。怪我につながるよ」
「うん……」
瀬奈を見送りながら、何気なくレント君を見ると目があった。でも、すぐに逸らされ背を向けられる。
もしかして心配してくれたのかな? だとしたら……嬉しいな。レント君のことも気になるけど、今はボールを追わないと。
それからも、〇対〇の死闘が繰り広げられギャラリーも大いに盛り上がった。
たまに自分の名前を呼ばれて何事かと声の主を見ると、ケン君達スポーツ科が声援を送ってくれている。
止めて欲しい。……周りの女子の目が怖いから。
わざと私の名前を呼ぶ意地悪なケン君を無視して、瀬奈やキーパーの言う通りに動く。
そして残り時間十分を切った頃、また私に悪夢がおとずれた。
「柚月! 危ないよ、避けて!」
瀬奈の叫び声は遠くからで、敵チームが蹴ったロングボールが空から降ってくる。
それも、私の顔面めがけて。
――また、思い出してしまった。
レント君のボールが顔にぶつかった時の恐怖を。
――動けなかった。
やっぱり怖くて足が動かない。
迫ってくるボールから目が離れない。早く逃げればいいのに、地面に根を張ったように、私の足は言うことをきいてくれない。
またボールがあたる。怖い……。
あの夜を思い出した。慌ててレント君が駆け寄って心配してくれたあの夜を――。
やっぱりダメだ……。まだ、私はボールが怖い。あの時の痛みと鼻血が出るのを覚悟して目を瞑った。
「……最後までボールを見ろって教えただろ。危ないよ、目を瞑ると」
――えっ?
すぐ近くで声が聞こえた。恐る恐る目をあけると、いつも見ていた頼もしい背中が、視界に飛び込んできた。
私にぶつかる予定だったボールは、魔法のように音もなく地面に落ちる。
「……レント君」
『もちろん。必ず助けに行くよ。安心して』
あの、言葉が蘇る。
ボールを足で止めていたレント君は、振り向くと私を追い抜き、左足でゴールに向かってボールを蹴った。
あ……怪我をした左足。
すると次の瞬間、歓声が沸き起こる。
レント君の蹴ったボールは、綺麗に弧を描きゴールネットを揺らした。
……凄い。振り向きざまにシュートってテレビでしか見たことがない。
「怪我はない?」
見惚れていたら、固い表情でレント君が私に声をかけてくれた。
こんな時だけど……凄く嬉しい。
「うん、大丈夫だよ。助けてくれてありがとう」
何でもないように答えるけど、本当はまだ怖くて、手が震えている。
「……そう」
レント君の視線が私の手に向けられたのを感じた。何でもないように手を隠す。 レント君は私から背を向けると、自分のポジションへと戻ろうと歩き出した。
その時、レント君に向かって叫んでいた。
「あの、レ……島津君」
周りに人がいることを考慮して、いつもとは違い苗字でレント君の名前を呼ぶ。
「私、島津君が、もっとサッカーをやっている姿を見てみたい……。いっぱいの人の前で」
すると、レント君の歩みが止まった。
「……今ので充分だろ? これ以上目立ちたくない。本当なら助けるつもりもなかったんだ」
嘘だ。助けるつもりがないなら、ここまで走って来てくれないよ。
レント君がいた場所は、私とは反対側だったから。急いで駆けつけてくれたのがわかった。
嘘が下手だな……。
歩き出そうとするレント君の袖を掴んだ。
やばいかもしれない……。こんなにもギャラリーいっぱいの中で注目を浴びたら、この後が大変だ。でも、人の噂も七五日って言うしね。
騒ぎが収まったら、また地味に学校生活を送ろう。
……ここで何とかするんだ。レント君にサッカーをして欲しいから。
「越村、離して……。凄く目立っているよ、俺達」
それは、私も凄く感じてる。
試合は再開しているのに、私達は話をしている。しかも、私はレント君をつかまえているから周りの視線が痛い。
「べ、別に目立ってもいい! 私はレント君のサッカーを見てみたい! 承諾してくれるまで離さないから!」
残り時間はあと五分。
これには、さすがのレント君も困り果てたように周りを見渡した。
私はと言うと、恥ずかしすぎてレント君しか見ることが出来ない。正確にはレント君しか目に入らない。
これが最後かもしれない。また嫌われて一生避けられるだろうな……。なら、最後に勇気を出してみよう。
――一生分の勇気を。
「私、レント君が好きだよ……。学校にいるレント君も、サッカーをしているレント君も、どの姿も一番好きだよ。半年前から、ずっと好きだった。お願いだから、もう一度、勇気を出して」
こんな形で告白するなんて、思ってもみなかった。本当は、もっと、もっと色々伝えたかったのに。
じわりと視界が歪んだ。
その先に見えたのは、驚いた顔をしたレント君。でも、すぐに固い表情に戻る。
「……ゴールを決めたら、越村は俺になにかしてくれるの?」
なにか……。私が出来ることは応援することしか出来ない。傍にいて励ますことしか。でも、好きだと伝えた今、失恋は決まった。
だって、レント君は凄く困った顔をしているから。少しでも喜んでくれるかな?……って淡い期待もあったのに、現実は上手くいかなかった。
心に棘が刺さったように痛くて、痛くてたまらない。
――――なら。
「あのメールの通りにする。二度と島津君には関わらない。最初に約束した通り、校内で見かけても声もかけない……」
本当はそんなことしたくない。
告白する前から拒絶されているなんて……私の恋は最低だ。でも、今のレント君には勇気が必要だ。
待っている仲間の元へと戻るきっかけが。
「……わかった。その条件飲むよ」
いきなりレント君が眼鏡を外し私に預けてきた。
「持っていて……」
すると、私の掴んでいる手を離し一気に駆け出した。
今の戦況は、芸術学科が攻めている若干有利な展開。里美が頑張ってパスを回し声を張り上げている姿が見える。
でも、私はそこへと向かって走って行くレント君の後姿に目を奪われた。
初めて見た月夜の姿に重なって、預かった眼鏡を強く握りしめる。
楽しそうに、子供のようにうきうきとした様子でボールへと近づき、一瞬にしてボールを奪い取った。
ボールを奪われた里美は、何が起こったのかわからない様子で呆気にとられていた。それは周りにいる誰もが同じようで、レント君を唖然とした表情で見つめている。
そして、あの夜のように、レント君が私を見て不敵に笑った。
ボールを左足で蹴ると、それを合図に試合が動き出す。
周りの歓声を受けても素知らぬ顔で、私に向かって駆けて来る。
素人の私から見ると、まるでボールを持っていないように見えた。私達がレント君を止めるなんて至難の業だろう。
そこは、レント君の独壇場だった。
止めようと、レント君の前へと出たクラスメイトも何も出来ない。かろやかに追い越されると、茫然と見送ることしか出来ない。
ボールがレント君の意志に呼応するかのように、華麗に宙を舞い、地面に吸い付くように放たれる。
……負けないから。
もう勝負は決まっていたけど、私もレント君の前へと立ちふさがりボールを奪いに行く。
教えて貰った通りにボールから目を離さずに――。でも、それは無謀な行為で、華麗にレント君は私を抜き去った。
「……ごめんね」
私の横を通りすぎる時、レント君がそう呟いた。
何に対しての「ごめん」なのだろう? 私の告白に対しての返事?
振り返った時、レント君がボールを蹴った。
それはさっきとは違って、低く地面を這うような力強いシュートあった。そのボールは、ゴールポストへと一直線へ吸い込まれていく。
キーパーが、反応出来ないくらい強烈なシュートだった。
悲鳴のような歓声と拍手が包みこむ。そして、無情にも、時間切れのホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
二対〇
芸術学科は、今年の球技大会も全敗という不名誉な記録を更新した。だけど、私はとても嬉しかった。
クラスメイトの祝福と、ケン君達スポーツ科の仲間達の「おめでとう」の声に、学校では見たこともない無邪気な笑顔を見せるレント君が見られるだけで十分だ。
それだけで胸がいっぱいになる。
「柚月ちゃん!」
立ち尽くす私に、ケン君が人ごみから離れて駆け寄って来た。
「レントに何て言ったの? あいつがここまでやるなんて思わなかったよ。これで、サッカーに戻る決心がつくかも」
確かに今のレント君は幸せそうだ。
まるで、何かの不安が剥がれたように清々しい笑顔。それが見れただけで十分だ。
「ケン君。これをレント君に返しといてくれる? あとかっこよかったって伝えて!」
泣きそうになるのを何とかこらえ、レント君の眼鏡をケン君に押し付ける。
「柚月ちゃん。自分で返さないの?」
「うん。私、授業の課題提出遅れているから補講なの。しばらく毎日……。だから会えそうにないから、お願い……」
もう会えないから……なら、このままでいい。大好きなレント君の笑顔を目に焼き付けるだけで。
「よろしくね。ばいばい、ケン君」
訝しがるケン君に背を向けたら、頬に熱いものが伝った。それを噛みしめ「泣くな」と自分を励ましながら、その場を後にした。
十七歳。初めて立ち向かった恋の味は、甘いだけではなく、失くしたパズルのピースのように、心に穴があいたみたいに切なかった。




