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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十章 深淵の呪鎖

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第99話 守るための呪い


 東方古代魔法都市エルディア。


 朝日が昇るよりも早く、ミレイユは宿を出た。


 手には杖。


 腰には魔法具を詰め込んだ小さな鞄。


 そして、鞄の中には昨夜から調べ続けている古書が入っていた。


 《深淵の呪鎖》。


 古代文明が封印した、第四の器。


「……さて」


 ミレイユは街の中央にそびえる図書塔を見上げた。


「昨日の続きを始めましょうか」


 昨夜、ギルドから届いた連絡によれば、各地の古代遺跡で黒い魔力の異常が確認され始めているらしい。


 エルディアの魔力観測塔も、その一つだ。


 偶然とは思えない。


 誰かが、古代文明の魔力経路を意図的に動かしている。


 そして、その影響は封印された呪術にまで及んでいた。


「問題は、誰が、何のためにやっているのか……ね」


 ミレイユは地下書庫へと足を進めた。


     *


 図書塔の地下。


「ミレイユさん、お待ちしておりました」


 司書が、いつになく険しい顔で出迎えた。


「封印扉の状態は?」


「昨夜から変化はありません。ただ……」


 司書は一枚の記録板を差し出した。


「封印区域の魔力を調べたところ、奇妙な反応が見つかりました」


「奇妙な反応?」


「はい。封印が弱まるたびに、別の場所から魔力が流れ込んでいるのです」


 ミレイユは記録板を受け取った。


 そこには、地下書庫を中心に、複数の魔力経路が描かれていた。


 そのうちのいくつかが黒く染まっている。


「……この経路、街の外まで続いているわね」


「その通りです。しかも、終点が分かりません」


「なるほど」


 ミレイユは記録板を見つめた。


「誰かが外から魔力を送り込んでいる。しかも、単に封印を壊すのではなく、封印の中にあるものを動かそうとしている……」


「それは、いったい何のために?」


「さあね」


 ミレイユは肩をすくめた。


「でも、ろくな目的じゃないでしょうね」


 彼女は記録板を返した。


「封印区域に入るわ。昨日の異形が、まだ残っているかもしれない」


「危険です!」


「だから、私が行くのよ」


 ミレイユは笑った。


「危険なものを放置するほど、私は無責任じゃないわ」


 そう言って、彼女は封印扉の前へ進んだ。


     *


 封印扉の向こうは、昨日とは様子が違っていた。


 壁に刻まれた魔法文字が、淡い紫色に輝いている。


 床には、幾重にも重なった魔法陣。


 その中心には、黒い亀裂が一本だけ走っていた。


「……ここね」


 ミレイユはしゃがみ込み、亀裂に杖を近づけた。


 魔力を流す。


 すると、亀裂の奥から微かな反応が返ってきた。


 まるで、何かがこちらを見ているようだった。


「……気味が悪いわね」


 ミレイユは立ち上がった。


「でも、何も分からないまま帰るわけにはいかない」


 彼女は魔法陣の周囲を調べ始めた。


 すると、壁の一部に古い碑文が刻まれていることに気づいた。


 文字はかすれていたが、読み取れる部分もある。


『第四の器は、力を縛るものではない』


『暴れる力を受け止め、流れを次へ渡すためのもの』


『しかし、器に願いを重ねすぎた者は――』


 そこで文章が途切れていた。


「……また、ここで切れているのね」


 ミレイユは眉をひそめた。


「都合の悪いところだけ消されている……?」


 単なる経年劣化ではない。


 文字が削られた跡がある。


 誰かが意図的に、記録の一部を消したのだ。


 ミレイユは壁を調べ、隠された仕掛けを見つけた。


 石板の端を押す。


 カチリ。


 壁の一部が開いた。


 その奥には、小さな記録室が隠されていた。


「……当たりね」


 ミレイユは中へ入った。


     *


 記録室には、三枚の古い石板が並んでいた。


 一枚目には、七つの器の図。


 二枚目には、魔力を循環させる仕組み。


 そして三枚目には――


 鎖に縛られた人々の姿が描かれていた。


「……何よ、これ」


 ミレイユの表情が変わった。


 石板には、古代文字が刻まれていた。


『守護のために生まれた鎖は、やがて人の願いを受け取った』


『失うことを恐れた者は、鎖に願った』


『もう二度と、誰も失わない力を』


 ミレイユは息を呑んだ。


 石板の絵が続く。


 鎖は人々を守るように広がっていた。


 崩れた建物を支え、暴走する魔力を押さえ、傷ついた者たちを危険から遠ざける。


 だが、次の絵では様子が変わっていた。


 鎖は街全体を覆い、人々の手足に絡みついていた。


 誰も外へ出られない。


 誰も自由に動けない。


 そして、鎖の中心には、一人の術者が立っていた。


『願いは、やがて命令へと変わった』


『守るために縛り、失わないために離さず、ついには世界の流れを止めようとした』


 ミレイユは石板から目を離せなかった。


「……そんな」


 鎖は悪いものではなかった。


 もともとは、暴走する力を受け止め、世界の流れを守るための器だった。


 しかし、使い手が願いを重ねすぎた。


 守りたい。


 失いたくない。


 誰も傷ついてほしくない。


 その願いが、いつしか他者の自由を奪う力へ変わってしまった。


「……これが、《深淵の呪鎖》の封印理由?」


 ミレイユは唇を噛んだ。


 古代文明は、鎖そのものを危険だと判断したのではない。


 鎖に自分の願いを預け、他人の意思まで支配しようとする使い手を恐れたのだ。


 そして、その力を制御できなくなった結果――


 世界の魔力循環まで崩壊させかけた。


「……馬鹿げているわ」


 ミレイユは小さく呟いた。


「守るために力を求めたはずなのに、どうしてそんなことになるのよ」


 答えは分かっていた。


 分かっているからこそ、胸が痛かった。


 守りたいものがある。


 失いたくないものがある。


 その気持ちは、決して間違いではない。


 けれど。


 その気持ちが強くなりすぎたとき、人は相手のためと言いながら、自分の不安を消すことばかり考えてしまう。


「……私は、違う」


 ミレイユは自分に言い聞かせた。


「私は、そんな使い方はしない」


 だが、その言葉を口にした直後。


 石板の奥から、かすかな声が響いた。


『本当に?』


「……っ!」


 ミレイユが振り向く。


 誰もいない。


 ただ、石板の鎖だけが、淡く紫色に輝いていた。


     *


 そのとき、地下書庫の奥で爆発音が響いた。


 ドォンッ!!


「何!?」


 ミレイユは記録室を飛び出した。


 封印扉の前で、司書たちが慌てている。


「ミレイユさん! 魔力経路が急激に乱れています!」


「また黒い魔力!?」


「はい! 今度は封印区域だけではありません! 街の観測塔にも異常が!」


 ミレイユは歯を食いしばった。


「……同時に動かしているのね」


 誰かが複数の魔力経路を操作し、封印を揺さぶっている。


 目的は、単なる破壊ではない。


 各地の器をつなぐための経路を、無理やり動かそうとしているのだ。


 その影響で、封印された呪術まで反応している。


「司書さん! 地上の人たちを避難させて!」


「分かりました!」


「私は魔力経路を止めるわ!」


 ミレイユは杖を構えた。


「《百呪領域》!」


 紫色の魔法陣が地下書庫全体へ広がる。


 複数の呪いを重ね、黒い魔力の流れを細かく分断する。


 だが、今回は昨日よりも強い。


 黒い魔力が魔法陣を押し返してくる。


「くっ……!」


 ミレイユは片膝をついた。


 魔力が削られていく。


 このままでは持たない。


 もっと強い拘束が必要だ。


 相手の流れを完全に止めるほどの力が。


 その瞬間。


 彼女の鞄の中で、古書が輝いた。


 《深淵の呪鎖》。


 表紙の紫色の鎖が、まるで生きているかのように動いている。


 ミレイユは本を取り出した。


「……あなたの力があれば、止められるの?」


 古書は答えない。


 しかし、表紙の鎖がゆっくりと伸び、ミレイユの指先へ触れた。


 頭の中に、言葉が響いた。


『願え』


『守りたいものを』


『失いたくないものを』


 ミレイユの呼吸が止まった。


 脳裏に浮かんだのは、古代都市の人々。


 逃げ惑う研究者。


 怯える司書。


 そして――


 ソアの顔だった。


 危険な場所へ飛び込み、何度傷ついても笑う少女。


 自分の力を恐れず、他人の手を取ることをためらわない少女。


「……ソア」


 ミレイユは小さく呟いた。


 今、彼女はどこにいるのだろう。


 無茶をしていないだろうか。


 ちゃんと食べているだろうか。


 また鎧を壊して、修理代に困っていないだろうか。


 ……いや。


 最後の一つは、たぶん間違いなく困っている。


「……本当に、心配ばかりかける子ね」


 ミレイユは苦笑した。


 そして、古書を閉じた。


「でも……」


 彼女は立ち上がった。


「私が守りたいのは、あの子が自由に進めることよ」


 ソアが自分の意志で選び、自分の足で歩き、自分の大切なものを大切にできること。


 そのために、誰かを縛りつけるつもりはない。


「だから、あなたの力を借りるとしても……私の願いまで、あなたに決めさせるつもりはないわ」


 古書の光が、わずかに強まった。


 だが、何も起こらない。


 まだ、器は彼女を選んでいないのだ。


     *


 ミレイユは杖を握り直した。


「《百呪・分流》!」


 昨日と同じ術。


 黒い魔力を複数の流れへ分け、吸い込まれる力を散らしていく。


 しかし今回は、さらに別の呪いを重ねた。


「《呪鎖》!」


 紫色の鎖が、黒い魔力の流れに沿って伸びる。


 その鎖は、相手を縛らなかった。


 魔力の通り道を示し、分流した力を次の経路へとつないでいく。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 分断されていた流れが、少しずつ本来の経路へ戻っていく。


「そう……止めるんじゃない」


 ミレイユは目を見開いた。


「流れを、正しい場所へ戻すのよ!」


 最後の魔法陣が輝いた。


 黒い魔力が、大きく揺らぐ。


 そして――


 スッ。


 吸い込まれていた魔力の流れが、元の向きへ戻った。


 地下書庫を覆っていた黒い光が消えていく。


 封印扉の亀裂も、ひとまず動きを止めた。


「……はぁっ……!」


 ミレイユは壁に手をついた。


 全身から力が抜けていく。


 完全に解決したわけではない。


 それでも、街へ広がる異変を食い止めることはできた。


 司書が駆け寄ってきた。


「ミレイユさん! 魔力経路が安定しました!」


「……そう。よかったわ」


「いったい、どうやって……?」


 ミレイユは、自分の手を見つめた。


 さっきの術は、今までの自分とは少し違っていた。


 相手の動きを封じるのではなく、流れそのものをつなぎ直した。


 まるで、鎖が本来持っていた役目をなぞるように。


「……まだ、分からないわ」


 ミレイユは鞄の中の古書を見た。


「でも、調べる価値はありそうね」


     *


 その夜。


 ミレイユは宿の机に向かい、調査記録をまとめていた。


 古代文明の失敗。


 《深淵の呪鎖》の本来の役割。


 そして、黒い魔力による経路の強制接続。


 点と点が、少しずつつながり始めている。


 誰かが、世界樹の力を一つの場所へ集めようとしている。


 そのために、各地の古代遺跡を動かしているのだ。


「……ソアたちも、きっと何か見つけているわね」


 ミレイユは通信結晶を手に取った。


 連絡を入れようかと考えたが、すぐにやめた。


「……いえ。まだ、確かなことが分からないもの」


 それに。


 もし連絡すれば、あの少女はきっと言うだろう。


『ミレイユさん、大丈夫ですか!? 今すぐ行きます!』


 そして、鎧をガシャガシャ鳴らしながら駆けつけてくる。


「……本当に、やりそうなのよね」


 ミレイユは小さく笑った。


 その笑顔が消えたのは、机の上の古書が再び開いたときだった。


 紫色の鎖が、ゆっくりと浮かび上がる。


 そして、新しい文字が現れた。


『願いを、手放すことはできるか』


 ミレイユは、その文字をじっと見つめた。


「……できるわよ」


 すぐに答えた。


「私は、誰かを縛りつけるために力を使うつもりはないもの」


 しかし、文字は消えなかった。


 代わりに、その下へ新たな一文が浮かび上がる。


『では、失うことを恐れたときも?』


「…………」


 ミレイユは答えられなかった。


 窓の外で、夜風が吹いた。


 古代魔法都市の明かりが、静かに揺れている。


 大切なものを守りたい。


 失いたくない。


 その願いを、間違いだとは思わない。


 けれど――


 もし、本当に失いそうになったとき。


 自分は、それでも相手の自由を尊重できるのだろうか。


「……まだ、答えは出せないわね」


 ミレイユは古書を閉じた。


 今はまだ、力を求める必要はない。


 まずは真実を知る。


 そして、自分が何を願っているのかを知る。


 それからでも、遅くはないはずだ。


 ――その頃。


 古代都市の地下深くでは、黒い魔力が再び小さく脈打っていた。


 ミレイユが分流させた魔力の一部が、誰にも気づかれないまま、別の経路へと流れていく。


 その先にあるのは、東方から遠く離れた古代遺跡。


 七つの器を示す装置の一角だった。


 そして、紫色の鎖を示す紋様が――


 ほんの一瞬、黒く染まった。

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