第100話 第四の器を求めて
「……痛い」
町へ向かう山道。
ソア・ミュスカは、右肩を押さえながら歩いていた。
「痛いというより、疲れた……」
「自業自得ね」
隣を歩くレイナが、呆れた顔を向けた。
「新しい能力を使った直後に、あれだけ動き回れば当然でしょう」
「でも、ちゃんと成功したよ?」
「成功したことと、無茶をしていいことは別よ」
「うっ……」
ソアは言葉に詰まった。
そして、そっと右肩を振る。
ガシャッ。
世界巡鎧の肩当てが、小さな音を立てた。
「……壊れてないよね?」
「今のところはね」
「よかったぁ……!」
「そこは自分の身体を心配しなさい!」
レイナの声が山道に響いた。
シードは二人の後ろを歩きながら、ソアの顔を見上げた。
「……ソア、つかれた?」
「うん。ちょっとね」
「……いたい?」
「少しだけ」
「……なおす?」
「えっ、シードって治療もできるの?」
「……できない」
「そっかぁ……」
「……でも、そばにいる」
シードはソアの手を握った。
ソアは一瞬きょとんとしたあと、柔らかく笑った。
「ありがとう、シード」
「……うん」
その小さなやり取りを見て、レイナもわずかに表情を和らげた。
しかし。
「……それにしても」
ソアは腰に下げた小さな雫型のペンダントを見た。
《巡りの雫》。
世界樹の魔力と反応し、古代遺跡への道を示してくれたものだ。
今も、その表面には細い亀裂が残っている。
「さっきの黒衣の人、何がしたかったんだろう?」
「記録を奪いに来たのは間違いないわね」
レイナが答えた。
「でも、あの人は単に力を集めたいわけじゃない。何かを恐れているように見えた」
「……失いたくないものがある、って言ってた」
ソアは、黒衣の男の言葉を思い出した。
あの声には、嘘をついている人間の響きとは違うものがあった。
焦り。
後悔。
そして、誰にも触れさせたくない何か。
「……でも、だからって、何をしてもいいわけじゃないよね」
「ええ。守りたいものがあるなら、なおさらよ」
レイナは自分の盾に触れた。
《絶対鏡盾》。
守るための力。
それは一人で抱え込むためのものではないと、彼女は試練を通して学んでいた。
「まずはギルドへ戻りましょう。今回の記録を調べてもらう必要があるわ」
「うん!」
ソアは元気よく頷いた。
そして、歩き出そうとした瞬間。
ペンダントが、淡く光った。
「……あれ?」
緑色の光が、亀裂の奥からにじみ出ている。
シードが足を止めた。
「……また、よんでる」
「また?」
「……ちがう。さっきより、つよい」
光は一度強く瞬き、空中に細い線を描いた。
その線は、山道の先ではなく――東を指していた。
「東……?」
レイナが地図を取り出す。
「この先に何があるの?」
「……わからない」
シードは東の空を見つめた。
「……でも、くるしい」
その言葉に、ソアの表情が変わった。
「シード?」
「……ながれが、また、とまってる」
ペンダントの光が、ふっと弱まった。
そして最後に、一つの紋章が浮かび上がる。
紫色の鎖。
「……これ」
ソアは息を呑んだ。
世界樹の記憶で見た、七つの器の一つ。
暴走する力を縛り、流れを安定させる器。
《深淵の呪鎖》。
「第四の器……」
レイナが呟いた。
その瞬間、ペンダントの光は消えた。
まるで、何かを伝え終えたかのように。
*
同じ頃。
東方の古代魔法都市エルディア。
地下図書館の最深部で、ミレイユ・アルカナは一冊の本を見つめていた。
《深淵の呪鎖》。
その表紙に刻まれた紫色の鎖は、以前よりも濃い光を放っている。
「……また反応したわね」
ミレイユは本を閉じた。
昨夜、彼女が魔力の流れをつなぎ直したあとも、異常は完全には収まっていなかった。
古代遺跡から伸びる魔力経路。
そこを通じて、何者かが各地の魔力を強制的につなぎ、どこかへ流し込んでいる。
そして今、その流れが第四の器にまで届き始めていた。
「誰が、こんなことを……」
ミレイユは本の隣に置いた記録紙を手に取った。
そこには、古代文字を読み解いて書き写した一文がある。
――鎖は、力を縛るためにあらず。
――暴れる力を受け止め、次へ渡すためにある。
「……力を集めるためではなく、流れをつなぐため」
ミレイユは小さく息を吐いた。
自分が得意としてきた呪いの力。
相手を弱らせ、動きを封じ、抵抗する力を奪う。
それは戦いでは有効だった。
けれど、古代の器が本来持っていた役割は、単純な拘束とは違う。
縛ることと、支えること。
似ているようで、決定的に違う。
「……私は、ちゃんと選べるのかしら」
誰にも失われてほしくない。
誰にも手の届かない場所へ行ってほしくない。
その願いが、いつか誰かの自由を奪ってしまうのだとしたら。
自分は、本当に違うと言い切れるのだろうか。
ミレイユは目を閉じた。
答えはまだ出ない。
そのときだった。
地下図書館の扉が、激しく叩かれた。
「ミレイユ様!」
若い研究員が、青ざめた顔で駆け込んでくる。
「大変です! 都市の外壁に設置された魔力観測装置が、すべて同じ反応を示しています!」
「同じ反応?」
「はい! 東方の古代遺跡から、強制的な魔力接続が始まっています!」
ミレイユの目が細くなった。
「……場所は?」
研究員が震える指で地図を広げた。
東方の山脈。
その奥に記された、地図にもほとんど載っていない古代遺跡。
そこには、ひとつの名称が残されていた。
《深淵の祭壇》。
「……なるほどね」
ミレイユは本を閉じ、立ち上がった。
「私を呼んでいるのは、あなただけではないということかしら」
その言葉に応えるように、本の表紙の鎖が黒く染まりかけた。
ほんの一瞬。
しかし、ミレイユは見逃さなかった。
「……急がなければ」
彼女は必要な記録を鞄へ詰め始めた。
そのとき、机の上の通信結晶が淡く光った。
ギルドを通じた、遠距離通信だった。
発信者の名前を確認し、ミレイユはわずかに目を見開く。
「……ソア?」
*
その頃、ソアたちは町へ到着していた。
ギルドの建物に入るなり、ソアは受付へ駆け寄った。
「すみません! 東の方で何か起きてませんか!?」
「えっ? 東ですか?」
受付嬢が慌てて資料を確認する。
「……実は、今朝からエルディア周辺で魔力異常の報告が相次いでいます」
「エルディア……!」
ソアとレイナは顔を見合わせた。
そこは、ミレイユが調査に向かっていた都市だった。
「連絡は取れますか?」
レイナが尋ねる。
「現在、ギルドの通信網を使って確認していますが、先ほどから応答が不安定で……」
その瞬間。
ソアの腰のペンダントが強く光った。
同時に、受付の通信結晶が震えた。
ザーッ……。
雑音の向こうから、聞き慣れた女性の声が響く。
『……こちら、ミレイユ』
「ミレイユさん!?」
『ソア? ちょうどよかったわ』
声は落ち着いていた。
しかし、わずかな息切れが混じっている。
『東の古代遺跡で、魔力の強制接続が始まったわ。おそらく、第四の器を狙っている人間がいる』
「第四の器って、《深淵の呪鎖》のこと?」
『ええ。詳しい説明は後にするわ。ただ――』
そこで通信が乱れた。
ザーッ、ザザッ……。
『……ソア。もしあなたが来るつもりなら、気をつけて』
「もちろん行くよ!」
『まだ最後まで聞いていないでしょう!?』
「えっ?」
『……本当に、あなたは変わらないわね』
呆れた声。
けれど、その声には少しだけ安堵が混じっていた。
『遺跡には、魔力を無理やりつなぐ装置がある。下手に壊せば、周囲の魔力が一気に暴走する可能性があるわ』
「じゃあ、壊さずに止めればいいんだね!」
『簡単に言わないでちょうだい!』
「はい!」
『……本当に分かっているのかしら』
ソアは胸を張った。
「大丈夫! 今回は鎧も新しくなったし!」
『その鎧を壊すなと言っているのよ!』
「えっ、なんで分かったの!?」
『あなたの行動を考えれば分かるわよ!』
レイナが額を押さえた。
「……この二人、通信越しでも変わらないわね」
シードは通信結晶をじっと見つめていた。
「……ミレイユ」
『あら、シードもいるのね』
「……うん」
『元気そうでよかったわ』
「……ミレイユも、きて」
通信の向こうで、わずかな沈黙があった。
『……ええ。合流しましょう』
そして、ミレイユの声が少しだけ低くなる。
『ただし、ソア。ひとつ約束して』
「なに?」
『何があっても、一人で全部を背負おうとしないこと』
ソアは目を瞬かせた。
それは、かつてレイナが試練の中で学んだことと、どこか似ていた。
「……うん」
ソアは、今度は真剣に頷いた。
「約束する。みんなで行こう」
『……そうね』
通信が切れる直前。
ミレイユの声が、かすかに聞こえた。
『……今度こそ、間に合わなければ』
プツン。
通信が途切れた。
「……今度こそ?」
ソアは首を傾げた。
何かを失った人間が口にするような言葉だった。
けれど、詳しいことは分からない。
「……ソア」
シードが、そっと手を握った。
「……いこう」
「うん!」
ソアは顔を上げた。
「ミレイユさんのところへ行こう!」
レイナは地図を広げ、東方への道を確認する。
「エルディアまでは急いでも二日はかかるわ。途中の街道も、魔力異常の影響を受けている可能性がある」
「じゃあ、飛んでいこう!」
「……あなた、さっき疲れたと言っていなかった?」
「……言った」
「まだ疲れているのよね?」
「……うん」
「なら、休みなさい!」
「はい……」
ソアはしゅんと肩を落とした。
しかし、すぐに顔を上げる。
「でも、明日の朝には出発しよう!」
「それなら賛成よ」
レイナは頷いた。
シードも、ソアの手を握ったまま頷く。
「……みんなで、いく」
その言葉に、ソアは笑顔を返した。
「うん。みんなで行こう」
第四の器。
《深淵の呪鎖》。
そして、その器を狙う何者か。
それぞれ別の場所にいた三人の道が、再び同じ方向へと向かい始めていた。
*
東方の山脈。
地図にもほとんど記されていない古代遺跡。
《深淵の祭壇》。
その最深部で、一人の男が立っていた。
黒いローブ。
右腕には、かつてソアから奪った《巨神の籠手》。
男の前には、巨大な石の装置がある。
七つの器を示す紋章。
そのうち三つは、すでに光を放っていた。
そして今。
第四の紋章に、紫色の光が灯り始めている。
「……見つけた」
男は静かに呟いた。
「《深淵の呪鎖》……」
彼の背後で、黒い結晶が脈打った。
装置から伸びる魔力の筋が、紫色の紋章へとつながっていく。
だが、その流れは途中で不自然に折れ曲がっていた。
紫色の光が、黒い光へと変わり始める。
「……急がなければ」
男は拳を握った。
「もう、時間がない」
その声には、焦りがあった。
彼はまだ知らない。
自分がつなごうとしている魔力の流れが、少しずつ別の場所へと引き込まれていることを。
そして。
七つの器を集めた先で、誰が本当に力を手にするつもりなのかも。
暗闇のさらに奥。
装置の光が届かない場所で、何かが目を開いた。
人の形をしているのかどうかさえ、判然としない影。
その前に、無機質な文字が浮かび上がる。
【第四の器:接続反応を確認】
【世界樹経路:強制接続を開始】
【想定外の循環反応――検出】
影は、ゆっくりと口を開いた。
「……よい」
「器は、自ら集まり始めている」
そして。
「今度こそ、すべてを一つに戻そう」
紫色の光が、黒く染まった。
第四の器を巡る物語が、動き出す。




