第101話 つながれた街道
翌朝。
「よし! 出発!」
ソア・ミュスカは、宿屋の前で元気よく拳を突き上げた。
その隣では、レイナが地図を広げている。
「エルディアまでは、東の街道を進むのが最短ね。ただし、昨日の報告によれば、途中の村でも魔力異常が起きているらしいわ」
「魔力異常って、どんな感じ?」
「魔法道具が動かなくなったり、魔力が逆流したり。ひどい場合は、魔物が突然凶暴化することもあるそうよ」
「なるほど……」
ソアは真剣な顔で頷いた。
「つまり、魔物がいっぱい出てくるかもしれないんだね!」
「どうしてそうなるのよ!」
「だって、魔力異常って危ないんでしょう?」
「危ないのは魔物だけじゃないの!」
「そっか。じゃあ、鎧にも気をつけないとね」
「あなたはまず、自分の身体に気をつけなさい!」
いつものやり取りに、シードが小さく笑った。
「……ソア、げんき」
「うん! 元気が一番だからね!」
「……レイナ、たいへん」
「……本当にね」
レイナは深いため息をついた。
*
東の街道を進むこと、数時間。
周囲の景色が変わり始めた。
草原の草は不自然に倒れ、道端の木々は葉を垂らしている。
風が吹いているはずなのに、枝はほとんど揺れない。
「……静かすぎない?」
ソアが呟いた。
いつもなら聞こえる鳥の声も、虫の音もない。
まるで、この一帯だけが世界から切り離されてしまったようだった。
シードが立ち止まる。
「……いやな、ながれ」
「魔力の流れ?」
「……うん。ここだけ、ひっぱられてる」
レイナは周囲を警戒した。
「何かが魔力を吸い上げているのかもしれないわ。二人とも、慎重に――」
そのときだった。
「た、助けてくれ!」
街道の先から、男が駆けてきた。
荷車を引いていたらしい。
服は泥だらけで、顔は青ざめている。
「村が……村が大変なんだ!」
レイナが男を支えた。
「落ち着いて。何があったの?」
「村の魔力炉が暴走したんだ! 水車も、農具も、魔法灯も……全部おかしくなって!」
「魔力炉?」
「村の共同設備だ! あれが壊れたら、村の生活が成り立たない!」
男は必死に訴えた。
「頼む! 冒険者なら助けてくれ!」
ソアはレイナを見た。
レイナも頷く。
「もちろんよ。案内して」
「ありがとう……!」
男は何度も頭を下げた。
ソアは剣と盾を確かめる。
そして、世界巡鎧の胸元に触れた。
「……よし。今度は壊さないように頑張ろう」
「その宣言、毎回している気がするわね」
「今回は特別!」
「何が特別なの?」
「新しい鎧だから!」
「理由になっていないわ!」
シードはソアの手を握った。
「……いっしょに、たすける」
「うん!」
三人は、男の案内で村へと向かった。
*
村に到着した瞬間。
ソアたちは異変を目の当たりにした。
「うわ……」
村の中央にある石造りの建物。
その地下から、黒い光が漏れ出していた。
建物の周囲では、農具が勝手に動き、井戸の水が泡立っている。
魔法灯は点滅を繰り返し、地面には黒い筋が走っていた。
「これは……」
レイナが眉をひそめた。
「ただの故障じゃないわね」
シードが両手を胸元に当てる。
「……くるしい」
「シード?」
「……このながれ、むりやり、つながれてる」
ソアは地下へ続く入口を見た。
黒い光の奥に、何かが脈打っている。
「……行ってみよう」
「待って。先に村人を避難させるわ」
「うん!」
レイナの指示で、ソアは村人たちを広場へ誘導した。
ところが。
「きゃあっ!」
突然、村の広場で悲鳴が上がった。
石畳が盛り上がり、地面から黒い蔓のようなものが飛び出したのだ。
それは魔力を帯びた細い管だった。
管は近くの魔法灯に巻きつくと、その光を吸い上げていく。
「何、あれ!?」
ソアが剣を抜いた。
管の先端が、ゆっくりとこちらを向く。
次の瞬間。
ビュンッ!
黒い管がソアへと襲いかかった。
「危ない!」
レイナが盾を構える。
ガァンッ!
攻撃は《絶対鏡盾》に弾かれた。
しかし、管は消えない。
地面を這いながら、今度はレイナの盾に巻きつこうとする。
「……魔力を吸っている?」
レイナはすぐに盾を引いた。
「ソア! この管を切って!」
「了解!」
ソアは踏み込んだ。
ザシュッ!
剣が管を切り裂く。
だが、切断面から黒い光が噴き出した。
「うわっ!」
ソアは慌てて飛び退いた。
切り裂かれた管は、地面に落ちてもなお蠢いている。
「……気持ち悪い!」
「見た目の感想は後にしなさい!」
レイナが叫ぶ。
村のあちこちから、同じ管が次々と伸びてきた。
その一本が、逃げ遅れた少女の足に絡みついた。
「お母さん!」
「ミナ!」
母親が駆け寄る。
しかし、管は少女の身体から魔力を吸い上げていた。
少女の顔色が、みるみる悪くなる。
「……っ!」
ソアは走り出した。
「今、助けるから!」
管を切ろうと剣を振り上げる。
その瞬間。
「待って、ソア!」
シードの声が響いた。
「……きったら、もっと、ひろがる!」
「えっ!?」
ソアは剣を止めた。
シードは地面に手をつく。
小さな根が石畳の隙間を走り、黒い管へと伸びていった。
「……わかった」
シードの眉が寄る。
「……この管、むらの魔力炉と、つながってる」
「つまり、根元を止めないと駄目なのね」
レイナが状況を理解した。
「ソア! 私が少女を守るわ。あなたは地下へ!」
「でも、管がいっぱいあるよ!?」
「ここは任せて!」
レイナは《絶対鏡盾》を掲げた。
盾から広がった光が、少女と母親を包み込む。
吸い上げられていた魔力の流れが、わずかに弱まった。
「今よ!」
「ありがとう、レイナ!」
ソアは地下への階段へ駆け出した。
*
地下室。
そこには、村の魔力炉があった。
中央の大きな結晶。
その周囲には、黒い管が何本も巻きついている。
結晶から放たれる魔力は、本来なら村の設備へ流れていくはずだった。
しかし今は違う。
魔力は黒い管に吸い上げられ、地面の下へと流れている。
「……やっぱり」
ソアはペンダントを取り出した。
《巡りの雫》が、弱々しく光っている。
結晶に手を近づける。
すると、鎧の表面にも緑色の光が走った。
「この魔力の流れ……さっきの遺跡と似てる」
黒い管の一本が、ソアの腕へと伸びてきた。
「わっ!」
ソアは盾で弾く。
ガァンッ!
管は壁にぶつかり、すぐに方向を変えた。
「しつこいなぁ!」
ソアは剣を構え直す。
しかし、ふと気づいた。
黒い管は、ソア自身ではなく、鎧の表面を狙っている。
「……鎧の魔力を吸おうとしてる?」
試しに、ソアは肩当てを少しだけ動かした。
管の先端が、それを追う。
「……なるほど」
ソアの口元に、笑みが浮かんだ。
「だったら、こっち!」
ソアは肩当てを外した。
ガシャッ。
《全解除・パージ》。
取り外した肩当てが、空中へ浮かぶ。
黒い管が一斉にそちらへ向かった。
「よし!」
ソアは肩当てを操作し、黒い管を引きつけながら魔力炉の周囲を回らせた。
管が絡まり合い、一本の太い束になる。
その瞬間。
「今だ!」
ソアは肩当てを急旋回させた。
黒い管の束が引っ張られ、魔力炉から一瞬だけ離れる。
結晶の光が、わずかに明るさを取り戻した。
「……いける!」
だが。
次の瞬間、肩当てが激しく震えた。
「えっ?」
黒い管が肩当てに絡みつき、魔力を吸い始めたのだ。
肩当ての表面が、黒く染まっていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
ソアは必死に操作する。
しかし、肩当ては思うように動かない。
まるで、別の何かに操られているようだった。
「……っ、言うこと聞いてよ!」
ソアの額に汗が浮かぶ。
そのとき。
胸元のペンダントが、強く光った。
鎧の内部を、緑色の魔力が駆け巡る。
肩当てへ。
腕当てへ。
そして、空中に浮かぶ肩当てへ。
魔力が一本の線となってつながった。
「……あれ?」
ソアは、流れを感じた。
無理やり押さえつけるのではない。
肩当てを自分の手足のように動かすのでもない。
自分の魔力を送り、肩当ての魔力を受け取り、また送り返す。
流れを途切れさせない。
それだけを意識する。
「……そうか」
ソアは小さく呟いた。
「動かそうとするんじゃなくて……つなげるんだ」
肩当ての動きが、少しだけ滑らかになった。
黒い管が、再び肩当てを引き寄せようとする。
ソアは逆らわなかった。
代わりに、流れの向きを変えた。
「こっちに、返して!」
肩当てが旋回する。
黒い管を伝っていた魔力が、反対方向へ押し戻された。
結晶がまばゆい光を放つ。
黒い管が、一本、また一本と地面から剥がれ落ちた。
そして最後の一本が外れた瞬間。
ドンッ!
地下室に衝撃が走った。
「きゃっ!」
肩当てが勢いよく飛んできて、ソアの兜に直撃した。
ガァン!
「いたぁっ!」
ソアはその場にしゃがみ込んだ。
静寂。
それから、肩当てを拾い上げる。
「……」
傷を確認する。
「……よかった。壊れてない」
真っ先にそこを心配するソアだった。
*
地上へ戻ると、村の魔法灯が一斉に点灯した。
井戸の水も落ち着き、地面を這っていた黒い管はすべて動きを止めている。
少女を縛っていた管も消え、母親が娘を抱きしめていた。
「ありがとう……本当にありがとう!」
村人たちが次々と頭を下げる。
レイナは盾を収め、ソアの肩を叩いた。
「よくやったわね」
「えへへ……」
ソアは照れくさそうに笑った。
「でも、最後に肩当てが飛んできて……」
「それはあなたの操作が雑だったからでしょう」
「うっ……」
否定できなかった。
シードが、ソアの胸元を見上げる。
「……ソア」
「ん?」
「……さっき、ながれ、つながった」
「うん。私も感じたよ」
ソアは空中で肩当てを動かそうとした。
わずかに浮き上がる。
しかし、すぐに落ちた。
ガシャン。
「……あれ?」
もう一度。
少し浮く。
そして、落ちる。
ガシャン。
「……あれれ?」
レイナが腕を組んだ。
「さっきはできていたじゃない」
「できてたんだけど……」
ソアは困った顔をした。
「今は、うまくつながらない」
シードが静かに頷く。
「……さっきは、みんなを、たすけたいって、おもった」
「うん」
「……だから、ながれた」
ソアはしばらく考えた。
自分の力で無理やり動かすのではなく、魔力を巡らせる。
それが、さっきの成功につながったのかもしれない。
けれど、同じことをしようとしても、今はうまくいかない。
「……まだ、練習が必要だね」
「当然よ」
レイナは即答した。
「一度できたからといって、自由自在に使えるわけではないわ」
「うん!」
ソアは元気よく頷いた。
「でも、ちょっとだけ分かった気がする!」
シードが嬉しそうに笑う。
「……ソア、すごい」
「ありがとう!」
ソアは胸を張った。
「でも、今度は兜にぶつけないように頑張る!」
「そこが目標なの!?」
レイナのツッコミが、村に響いた。
*
村人たちから礼を受け取ったあと。
三人は、魔力炉の地下に残された装置を調べていた。
黒い管が消えた床には、細い溝が刻まれている。
その溝は、村の外へ。
さらに東へと続いていた。
「……ここから魔力が流れていたのね」
レイナが溝をたどる。
「村の設備を使って、外部へ魔力を送っていた。これだけの仕組みを、誰が作ったのかしら」
シードは床に手を触れた。
「……もっと、さき」
「エルディアの方角?」
「……うん」
ソアはペンダントを握りしめた。
緑色の光が、東へ向かって淡く瞬いている。
「ミレイユさんがいる場所と、つながってるのかな……」
レイナは険しい表情を浮かべた。
「可能性は高いわ。今回の異常は、偶然ではないでしょうね」
ソアは頷いた。
「……急ごう」
今度は、冗談を言わなかった。
助けを求める人がいる。
魔力の流れが苦しんでいる。
そして、その先にはミレイユがいる。
ソアは鎧の胸元を軽く叩いた。
「大丈夫。みんなで行けば、きっと何とかなるよ」
「……うん」
シードが答えた。
レイナも頷く。
「ええ。ただし、無茶はしないこと」
「……努力します!」
「そこは約束しなさい!」
三人は再び、東へ向かって歩き始めた。
その背後で、村の魔力炉は静かに動き続けていた。
黒い管は消えた。
だが、床に残された溝の奥では、まだ微かな黒い光が脈打っている。
魔力の流れは、完全には戻っていなかった。
*
エルディア。
地下図書館。
ミレイユは、通信結晶から手を離した。
「……ソアたちが来る」
安心したような表情を浮かべたのは、一瞬だけだった。
机の上の記録紙が、突然黒く染まった。
「……何?」
紙に刻まれた古代文字が、次々と書き換わっていく。
そして、最後に一文が浮かび上がった。
――第四の器、接続開始。
ミレイユの顔から、血の気が引いた。
「……もう始まったの?」
地下のさらに奥から、鎖が引きずられるような音が聞こえた。
ジャラ……。
ジャラ……。
彼女はゆっくりと振り返る。
閉ざされたはずの扉。
その隙間から、紫色の光が漏れ出していた。
そして、その光の中心に。
一本の鎖が浮かび上がる。
黒い魔力に侵食されながらも、確かに存在する、古代の器の気配。
《深淵の呪鎖》。
ミレイユは息を呑んだ。
「……あなたが、私を呼んでいるの?」
鎖が、小さく震えた。
まるで、彼女の問いに答えるかのように。
その瞬間、ミレイユの脳裏に声が響いた。
――願え。
――失いたくないものを。
ミレイユは目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは、かつて届かなかった手。
守れなかった人々。
そして、自由に笑いながら前へ進んでいく、鎧の少女の姿だった。
「……私は」
言葉が止まる。
願いを口にすれば、鎖は応えてくれるのかもしれない。
誰も失わない力。
誰も、自分の手の届かないところへ行かない力。
けれど、それは本当に――守ることなのだろうか。
答えは、まだ出ない。
ミレイユが目を開けたとき。
鎖の一部は、すでに黒く染まっていた。
そして、遠い地下遺跡では。
黒衣の男が、第四の紋章を見つめていた。
「……間に合え」
彼の知らないところで、七つの器を巡る仕組みは、ゆっくりと本来の役割を失い始めていた。
力を巡らせるための器が。
力を閉じ込めるための器へと。
変わろうとしていた。




