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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十章 深淵の呪鎖

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第97話 百呪の魔女と、封じられた記録


 東方古代魔法都市、エルディア。


 かつて魔法研究の中心地として栄えたこの街には、今も数多くの古代遺跡が残されていた。


 石造りの塔。


 空中に浮かぶ観測装置。


 壁一面に刻まれた、現代では解読できない魔法文字。


 そして、街の中心にそびえる巨大な図書塔。


 その入口で、一人の女性が大きく伸びをしていた。


「……あー、もう!」


 ミレイユ・アルカナ。


 《百呪の魔女》と呼ばれるA級冒険者である。


「古代文字って、どうしてこう回りくどいのかしら!」


 手元の羊皮紙を睨みつける。


 そこには、何度も書き直された翻訳文が並んでいた。


「『力を受け止めるものは、力を縛るものにあらず』……?」


 ミレイユは眉をひそめた。


「じゃあ、何なのよ」


 羊皮紙を裏返す。


 何も書いていない。


「……分かるわけないでしょうが!」


 通りすがりの研究者が、びくりと肩を震わせた。


「す、すみません……!」


「あなたに怒ってるんじゃないわよ!」


 ミレイユはため息をついた。


「……まったく。ソアがいれば、もう少し騒がしくて退屈しなかったでしょうに」


 口にしてから、少しだけ笑った。


 あの鎧好きの少女は、今ごろ何をしているだろう。


 どうせまた鎧を壊しているに違いない。


「……あの子、鎧の修理代で破産していなければいいけど」


 ミレイユは羊皮紙を丸めた。


「さて、と」


 目の前にそびえる図書塔を見上げる。


「そろそろ、本命に行きましょうか」


     *


 図書塔の地下には、一般の研究者が立ち入れない封鎖区域があった。


 古代文明末期の記録が保管されている場所。


 そして、現在の魔法体系では説明できない呪術の資料が眠る場所でもある。


 ミレイユは受付で渡された許可証を見せた。


「第七地下書庫への立ち入り許可、確認しました」


 司書が扉の鍵を開ける。


「ただし、閲覧できるのは指定された資料のみです。記録の持ち出しは禁止。魔法の実演も禁止となります」


「はいはい。分かってるわ」


「また、封印資料には決して触れないでください」


「……封印資料?」


 ミレイユの目が光った。


 司書は嫌な予感を覚えたように、少しだけ声を低くした。


「古代文明が崩壊する直前に封印された資料です。危険な呪術や、制御不能な魔法に関する記録が含まれています」


「へえ……」


「くれぐれも、触れないように」


「分かったわ」


 ミレイユはにっこりと笑った。


「触らなければいいのね?」


「……閲覧も許可されていません」


「冗談よ」


 そう言いながら、ミレイユは地下へ降りていった。


 司書は深いため息をついた。


「……あの方、絶対に何か見つけるな」


     *


 第七地下書庫。


 そこは、ひんやりとした静寂に包まれていた。


 壁には無数の本棚が並び、中央には魔法で保存された記録板が浮かんでいる。


 ミレイユは指定された資料を次々と確認した。


「魔力の循環……世界樹との接続……七つの器……」


 見覚えのある単語が続く。


 先日、東方の遺跡で見つけた記録にも、同じ言葉があった。


 七つの器は、力を一つに集めるためのものではない。


 それぞれが異なる役目を持ち、世界を巡る魔力を支える。


 そこまでは分かっていた。


「でも……」


 ミレイユは記録板を指でなぞった。


「どうして、呪術まで関係しているの?」


 通常の魔法は、魔力を流し、現象を生み出す。


 一方、呪術は対象に条件や制約を与え、行動や魔力の流れを変える。


 つまり、呪術とは――


「何かを縛ることで、流れを変える技術……」


 ミレイユの表情が変わった。


 彼女自身の得意分野だ。


 敵の力を封じる。


 魔法の発動を遅らせる。


 相手の動きを制限する。


 ミレイユは長年、その技術を磨いてきた。


 しかし、古代文明の記録には、さらに奇妙な記述があった。


『鎖は、力を奪うために作られたのではない』


『暴れる力を受け止め、次の器へと渡すために作られた』


「……鎖?」


 ミレイユは顔を上げた。


 そのとき、書庫の奥で小さな音がした。


 カチリ。


 壁の一部が開き、隠された棚が姿を現す。


「……あら?」


 ミレイユは周囲を見回した。


 誰もいない。


 棚には、黒い表紙の古書が一冊だけ置かれていた。


 表紙には、紫色の鎖が描かれている。


 そして、その下に文字が刻まれていた。


《深淵の呪鎖》


 ミレイユは息を呑んだ。


「……これが?」


 彼女は本に手を伸ばした。


 触れる直前、指先に微かな痺れが走る。


 警告だろうか。


 それとも、封印が反応したのか。


「……ふふ」


 ミレイユは小さく笑った。


「面白くなってきたじゃない」


     *


 古書を開くと、文字が紫色に浮かび上がった。


『第四の器、《深淵の呪鎖》』


『その役目は、暴走する力をつなぎ留め、流れを保つこと』


『ただし、鎖は使い手の願いに応じて形を変える』


『守りたいと願えば、守るための鎖となる』


『失いたくないと願えば――』


 そこで文章が途切れていた。


「……続きは?」


 ミレイユはページをめくった。


 しかし、次のページは黒く塗りつぶされていた。


 どれだけ魔力を流しても、文字は現れない。


「誰かが意図的に消した……?」


 ミレイユは眉をひそめた。


 その瞬間。


 古書の表紙に描かれた鎖が、淡く輝いた。


 紫色の光がミレイユの指先に触れる。


 彼女の脳裏に、知らない光景が流れ込んできた。


 崩れ落ちる建物。


 逃げ惑う人々。


 届かなかった手。


 そして――


 誰かの声。


『もっと力があれば、救えたのに』


「……っ!」


 ミレイユは本を閉じた。


 心臓が、嫌なほど強く打っていた。


「……何なの、今の」


 知らない記憶のはずだった。


 なのに、胸の奥が痛む。


 自分も知っている感情だったからだ。


 力が足りなかった。


 手が届かなかった。


 あと少し強ければ、何かを変えられたかもしれない。


 ミレイユは、これまで何度もそう思ってきた。


 だからこそ、呪術を磨いた。


 敵を縛り、動きを止め、仲間を守る。


 誰にも手出しをさせないほどの力を得るために。


「……馬鹿馬鹿しい」


 ミレイユは自分に言い聞かせるように呟いた。


「こんな古い記録に、心を乱されるなんて」


 だが、手は本から離れなかった。


 もう一度、表紙を見る。


 紫色の鎖。


 その奥に、深い闇が広がっているように見えた。


     *


 その夜。


 ミレイユは宿の机に向かい、今日の調査内容を整理していた。


 《深淵の呪鎖》。


 第四の器。


 暴走する力をつなぎ留めるもの。


 そして、使い手の願いによって形を変える。


「……守りたいと、失いたくない、か」


 ミレイユはペンを置いた。


「似ているようで、違うのね」


 守りたいという願いは、相手の意思を尊重できる。


 だが、失いたくないという願いは――


 相手が離れていくことそのものを、許せなくなるかもしれない。


「……考えすぎよ」


 ミレイユは首を振った。


「私は、誰かを縛るために力を求めているわけじゃない」


 そう言い切った。


 けれど、その言葉を口にしたとき。


 真っ先に思い浮かんだ顔があった。


 重い鎧を着た、あの少女。


 無茶をして。


 何度も危険に飛び込んで。


 こちらがどれだけ呪いを重ねても、最後には笑って礼を言う。


『ミレイユさん、今日もありがとうございました!』


『誰が礼を言われるために呪ってるのよ!!』


 思い出しただけで、腹が立つ。


「……本当に、調子の狂う子ね」


 ミレイユは小さく笑った。


 そのとき。


 机の上の古書が、ひとりでに開いた。


「……え?」


 黒く塗りつぶされていたページに、文字が浮かび上がっている。


『失いたくないと願う者は、やがてすべてをつなぎ留めようとする』


『鎖は、願いを叶える』


『だが、願いの意味を選ぶのは、鎖ではない』


 ミレイユは息を止めた。


 最後の一文が、ゆっくりと浮かび上がる。


『その鎖を手にする者よ』


『お前は、誰をつなぎ留めたい?』


 文字が消えた。


 古書は、何事もなかったかのように閉じる。


「…………」


 ミレイユはしばらく動かなかった。


 やがて、静かに本を閉じ直す。


「……調査を続ける必要があるわね」


 いつもの落ち着いた声だった。


 だが、机の下では、彼女の手がわずかに震えていた。


     *


 同じ頃。


 東方古代魔法都市から遠く離れた、名もない地下施設。


 暗闇の中で、一つの記録装置が起動した。


【第四の器に関する記録――閲覧を確認】


【封印区域への接触――確認】


 その表示を、誰かが見つめていた。


「……第四の器が動き始めたか」


 低い声。


 顔は見えない。


「今度の適合者は、ずいぶんと危うい願いを持っている」


 装置に、紫色の鎖が映し出される。


「だが、それもまた必要な過程だ」


 暗闇の奥で、何かがゆっくりと動いた。


「願いが深いほど、鎖は強くなる」


「そして――」


 声が途切れる。


 次に響いた言葉は、冷たかった。


「強い鎖ほど、世界の流れを止めやすい」


 装置の奥で、黒い光が瞬いた。


 その光は、ミレイユのいる古代魔法都市へと向かっていた。

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