第96話 黒衣の襲撃
黒衣の男が、一歩踏み出した。
「その記録を渡せ」
右腕に宿る《巨神の籠手》が、低い音を立てて輝く。
ソアは盾を構えた。
「……渡したら、どうするの?」
「私が必要としているものだ。お前たちには関係ない」
「関係あるよ」
ソアは胸元の《巡りの雫》に触れた。
「世界樹の記録なんでしょ? だったら、勝手に持っていかせるわけにはいかないよ」
「世界樹の力を理解したつもりか?」
「まだ全然!」
ソアは正直に答えた。
「でも、ひとつだけ分かったよ。力を全部ひとりに集めちゃいけないってこと!」
男の動きが止まった。
ほんの一瞬。
フードの奥から、鋭い視線がソアを捉える。
「……誰に聞いた?」
「世界樹!」
「何?」
「たぶん!」
「たぶんだと?」
レイナが額を押さえた。
「ソア、そこはもう少し自信を持って答えろ!」
「だって、夢みたいなものだったんだもん!」
「今は夢の話をしている場合じゃない!」
黒衣の男が、右腕を持ち上げた。
「ならば、その理解ごと奪い取る」
次の瞬間。
地面が爆ぜた。
ドォンッ!!
「速っ!?」
男の姿が消える。
いや、違う。
巨神の籠手による強烈な踏み込みで、一瞬にして距離を詰めたのだ。
「ソア!」
レイナが叫ぶ。
ソアは盾を前に出した。
ガァァンッ!!
「ぐっ……!」
衝撃が全身を駆け抜けた。
足元の地面が砕け、ソアの身体が数メートル押し戻される。
「うそ……重っ!」
「受け止めたのか」
男がわずかに目を細めた。
「その鎧、以前のものとは違うな」
「そう!」
ソアは盾を構え直した。
「《世界巡鎧》っていうんだよ! すごく大切な鎧なの!」
「……そうか」
「だから、壊したら怒るからね!」
「戦闘中に鎧の心配をするな!」
レイナのツッコミが飛ぶ。
だが、ソアの言葉は冗談ではなかった。
この鎧は、かつての鎧を失ったあとに生まれたものだ。
失ったものを忘れず、受け取ったものを次につなぐ。
その意味を、ソアは知っている。
だからこそ、簡単には壊させない。
*
「《鉄壁》!」
レイナが巨大な障壁を展開した。
男の拳が障壁に叩きつけられる。
ドォォンッ!!
衝撃波が広がった。
しかし、障壁は耐えた。
「今だ、ソア!」
「うん!」
ソアは左肩の装甲に意識を向けた。
「《全解除・パージ》!」
ガシャンッ!
肩当てが外れ、宙に浮かぶ。
ソアは魔力を流し、男の側面へ回り込ませた。
「そこっ!」
肩当てが飛ぶ。
男は振り向きもせず、籠手を振るった。
ガキィンッ!!
装甲が弾き飛ばされた。
「わっ!?」
ソアが慌てて操作を戻す。
肩当ては空中で回転し、勢いよく戻ってきた。
「ちょ、こっち来――」
ガンッ!
「いたぁっ!」
兜に直撃した。
「……ソア」
レイナが冷たい目を向ける。
「今のは敵の攻撃じゃないぞ」
「分かってるよぉ……!」
ソアは兜を押さえた。
男は、その様子を見ていた。
「遠隔操作か。だが、制御が甘い」
「うっ……!」
「その程度では、私には届かない」
男が拳を握る。
籠手に黒い光が集まった。
「退け」
地面を殴る。
ドォォォン!!
衝撃が地面を走り、レイナの障壁を下から砕いた。
「なっ……!」
「レイナ!」
ソアは反射的に翼を広げた。
《天翔の翼》の光が背中に現れる。
ソアの身体が宙へ浮いた。
レイナの腕をつかみ、崩れた足場から引き離す。
「大丈夫!?」
「ああ! 助かった!」
しかし、男はすでに次の攻撃へ移っていた。
黒い魔力が地面を走る。
ソアは空中で身をひねった。
「《全解除・パージ》!」
今度は右腕の装甲を外す。
装甲が回転し、男の拳へ向かって飛んだ。
同時に、ソアは翼を動かして高度を変える。
装甲が拳を受け流す。
ソア自身は、その隙に男の背後へ回り込もうとした。
だが――
「甘い」
男が腕を返した。
籠手から黒い魔力が噴き出す。
装甲が弾かれ、ソアの翼が大きく揺れた。
「きゃっ!」
空中で姿勢を崩す。
このままでは落ちる。
ソアは翼を動かそうとした。
けれど、遠隔操作している装甲に意識を向けたままでは、翼の動きが乱れてしまう。
翼を優先すれば、装甲の制御が切れる。
装甲を動かせば、翼が不安定になる。
「うそ……両方なんて、無理だよ!」
男がこちらを見上げた。
「それがお前の限界だ」
拳が振り上げられる。
「終わりだ」
*
その瞬間。
ソアの胸元で、《巡りの雫》が強く輝いた。
緑色の光が、鎧の隅々まで流れていく。
肩当て。
腕当て。
脚甲。
そして、背中に浮かぶ《天翔の翼》。
それぞれが、一本の光でつながった。
「……え?」
ソアは息を呑んだ。
今までは、ひとつずつ操作していた。
鎧は鎧。
翼は翼。
それぞれに意識を向け、別々に動かそうとしていた。
でも――
違う。
鎧も翼も、自分の身体を動かすためのものだ。
だったら、別々に考える必要はない。
「翼で飛んで……鎧で守る!」
ソアは意識を切り替えた。
翼が風をつかむ。
装甲が魔力の流れに沿って動く。
右へ。
左へ。
翼が身体を導き、装甲が敵の攻撃を受け流す。
初めて、二つの動きがひとつにつながった。
ドォンッ!!
男の拳が空を切る。
「何……!?」
ソアは攻撃を避けながら、空中で姿勢を立て直した。
さらに肩当てが回転し、男の腕へ叩きつけられる。
ガキィンッ!!
わずかに、男の体勢が崩れた。
「今だ!」
ソアは翼を広げ、急降下した。
装甲が盾となり、男の拳を横へそらす。
そのままソアは地面へ着地した。
ドンッ!
「……はぁっ、はぁっ……!」
成功した。
今の一連の動きは、偶然ではない。
自分の意志で、翼と装甲を同時に動かせた。
ソアの視界に、淡い文字が浮かんだ。
【固有能力――連動状態の変化を確認】
【隠し加護《成長誘導》――更新完了】
【新規能力《成長共鳴》――発現】
「……成長共鳴?」
ソアは呟いた。
その文字を見た瞬間、胸の奥に不思議な感覚が広がった。
けれど、力が無限に湧いてくるわけではない。
むしろ、今の操作だけで頭がくらくらしていた。
翼と装甲を同時に動かすには、集中力が必要だった。
少しでも気を抜けば、どちらかが乱れてしまう。
それでも。
今までできなかったことが、できた。
「……やった」
ソアは小さく笑った。
「私、できたよ……!」
その笑顔を見て、男の動きが止まった。
「その力……」
フードの奥から、初めて明確な動揺が伝わってきた。
「器の力を借りたわけではない。魔力を奪ったわけでもない……」
男はソアを見つめた。
「お前自身が、力の流れを変えたのか?」
「……よく分からないけど」
ソアは息を整えた。
「みんなと一緒に動いただけだよ」
「みんな……?」
男の声が、かすかに揺れた。
その言葉が、何かを思い出させたかのように。
だが、男はすぐに拳を握り直した。
「ならば、なおさら見過ごせない」
黒い魔力が膨れ上がる。
「その力が完成すれば、私の計画に支障が出る」
「計画?」
ソアが尋ねる。
「あなたは、世界樹の力を全部集めて、何をするつもりなの?」
男は答えなかった。
代わりに、右腕の籠手を地面へ向けた。
黒い光が、周囲の魔力を吸い込み始める。
「これ以上は時間をかけられない」
レイナが盾を構え直す。
「ソア、来るぞ!」
男が地面を殴った。
衝撃が広がる。
ソアは翼を広げ、装甲を動かそうとした。
だが、先ほどの連動を維持できない。
翼が揺れ、肩当ての動きが遅れる。
「くっ……!」
男の拳が迫る。
その瞬間、レイナが前に出た。
「《絶対鏡盾》!」
鏡のような光が広がり、拳の衝撃を受け止める。
衝撃は盾を伝い、地面へと逃がされた。
「今だ、ソア! シード!」
「うん!」
「……うん!」
シードの根が地面から伸び、男の足元を絡め取る。
ソアは残った魔力を振り絞り、肩当てを男の腕へ叩きつけた。
ガキィンッ!!
籠手の光が、一瞬だけ乱れた。
男は後ろへ飛び退く。
そして、シードの根を振りほどいた。
「……今日はここまでだ」
「待って!」
ソアが叫ぶ。
「まだ話は終わってないよ!」
「お前と話している時間はない」
男の足元に黒い魔法陣が広がる。
「次に会うときは、その記録も、その力も、すべて私が手に入れる」
「どうしてそこまで……!」
ソアの問いに、男はわずかに顔を上げた。
「失いたくないものがあるからだ」
それだけ言い残し、黒衣の男は光の中へ消えた。
*
静寂が戻った。
「……逃げられたな」
レイナが剣を下ろす。
「うん……」
ソアは地面に座り込んだ。
「疲れたぁ……」
翼の光が消える。
肩当てが、ガシャンと地面に落ちた。
「……あ」
ソアはそれを拾い上げた。
傷はある。
けれど、壊れてはいない。
「よかったぁ……!」
「そこは喜ぶところなのか?」
「もちろん!」
ソアは肩当てを抱きしめた。
「新しい鎧なんだから、大切にしないと!」
「……お前は本当に変わらないな」
レイナが呆れたように笑う。
その隣で、シードがソアの手を握った。
「……ソア」
「ん?」
「……さっき、きれいだった」
「え?」
「……つばさと、よろい。いっしょに、うごいた」
ソアは少し照れくさそうに笑った。
「……うん。私も、そう思った」
胸元の《巡りの雫》は、再び静かな銀白色に戻っていた。
しかし、表面に走った細い亀裂は消えていない。
そしてソアの視界には、最後に見た文字が残っていた。
【新規能力《成長共鳴》――発現】
まだ、自由自在に使えるわけではない。
長く維持することもできない。
それでも、ソアは確かに一歩進んだ。
自分の力だけで、翼と鎧をつなげたのだ。
だが――
遠く離れた地下遺跡では、黒衣の男が膝をついていた。
巨神の籠手から、黒い煙が立ち上っている。
「……まさか」
男は、手元の古代装置を見つめた。
七つの器を示す紋様。
そのうちの一つに、見覚えのない緑色の光が灯っていた。
「世界樹の経路が……変化している?」
装置に、文字が浮かぶ。
【世界樹経路との接続――変化を確認】
【想定外の循環反応を検出】
男は拳を握った。
「……誰が、何を始めた?」
その問いに、答える者はいない。
ただ、装置のさらに奥。
誰にも触れられていないはずの回路が、ゆっくりと動き始めていた。
まるで、黒衣の男の計画さえも知らない何者かが――
次の段階へ進もうとしているかのように。




