第95話 世界樹の声
古代遺跡を出たソアたちは、山あいの開けた場所で足を止めていた。
「……さっきの記録、もう一度見られないかな」
ソアは胸元のペンダントに触れた。
銀白色の小さな雫。
《巡りの雫》。
世界巡鋼から生まれた、今のソアにとって大切な宝物だ。
「世界樹の記憶……シードが受け取ったものも、まだ全部は分かっていないんだよね?」
「……うん」
シードは頭の葉をそっと押さえた。
「……いっぱい、ある。でも……まだ、みえない」
「無理に思い出そうとしなくていいからね」
「……うん」
隣でレイナが腕を組んだ。
「記録を読み解くのは大事だが、さっきの遺跡は危険だった。ここで何か起きる前に、少し休んで――」
そのとき。
ソアの胸元が、淡く光った。
「……あれ?」
《巡りの雫》から、緑色の光がこぼれる。
光はソアの鎧を伝い、胸当てから肩当て、腕当て、脚甲へと流れていった。
世界巡鎧の表面に、細い光の筋が浮かび上がる。
「ソア、その鎧……!」
レイナが身構えた。
だが、異変はそれだけではなかった。
シードの頭にある小さな葉も、同じ色に輝いていた。
「……きこえる」
「何が?」
ソアが尋ねる。
シードは目を閉じた。
「……こえ」
次の瞬間。
視界が、緑色に染まった。
*
そこは、見渡す限りの森だった。
巨大な樹木が空を覆い、その枝は遠くの山々にまで伸びている。
根元には湖があり、森の奥には街があった。
人々が暮らし、動物たちが走り、草花が風に揺れている。
そして、それらすべてをつなぐように、淡い光が流れていた。
木から湖へ。
湖から森へ。
森から街へ。
街から、また別の命へ。
光は一か所に留まることなく、世界を巡っていた。
「……きれい」
ソアは思わず呟いた。
その光景を、誰かが見ていた。
いや。
これは、誰かの視点なのだ。
ソアは気づいた。
自分は今、世界樹の記憶を見ている。
やがて、七つの光が現れた。
一つは、巨大な籠手。
一つは、空を渡る翼。
一つは、光を受け止める鏡の盾。
一つは、幾重にも絡み合う鎖。
一つは、竜の形をした砲。
一つは、あらゆるものを断ち切る剣。
そして最後の一つは――
小さな葉を持つ、淡い光の器だった。
「……シード?」
ソアが呼びかけた。
隣にいたはずのシードの姿は見えない。
けれど、その小さな葉と同じ光が、世界樹の根元で揺れていた。
七つの器は、それぞれ異なる場所に立っていた。
籠手は大地を支え。
翼は風を導き。
鏡の盾は、受け取った光を別の枝へ返していた。
鎖は、暴れる光が流れを壊さないようにつなぎ留める。
竜皇砲は、滞った力を解き放ち。
終焉の剣は、流れを塞ぐ余分なものを断ち切る。
そして最後の器は――
世界を巡った光と、その中に刻まれた記憶を受け取り、次の命へと渡していた。
どれか一つだけが、特別なのではない。
七つすべてが、それぞれの役目を持っていた。
「……そういうことだったんだ」
ソアは息を呑んだ。
七つの器は、集めるために存在していたのではない。
世界を巡る力を、受け取り、つなぎ、返すために存在していたのだ。
そのとき。
世界樹の光が、ほんのわずかに揺らいだ。
遠くの枝が黒く染まっていく。
光の流れが逆向きになり、一つの場所へ吸い込まれていく。
それでも世界樹は、流れを止めなかった。
枝から枝へ。
命から命へ。
光を送り続けていた。
まるで、いつか誰かが元の流れを取り戻すと信じているかのように。
ソアの耳に、声が届いた。
『力を、ひとつに集めてはならない』
低く、静かな声だった。
『受け取ったものを、自分だけのものにしてはならない』
『巡らせなさい』
『次の命へ』
『まだ見ぬ未来へ』
ソアは、世界樹を見上げた。
「……でも」
無意識に、言葉がこぼれた。
「受け取ったものを、全部手放さなきゃいけないわけじゃないよね?」
世界樹の光が、揺れた。
「大切なものは、大切なままでいいんだよね」
ソアは自分の胸元に手を当てた。
鎧がある。
ペンダントがある。
シードがいる。
レイナがいる。
手放すことは、何もかも捨てることではない。
抱え込んで動けなくなるのではなく、必要なときには誰かに渡し、誰かから受け取ること。
そのために、自分の意志で選ぶこと。
ソアは、ようやくその意味を少しだけ理解した気がした。
すると。
世界樹の根元で、小さな葉が揺れた。
葉の先から、一粒の光がこぼれる。
それは世界樹の根を伝い、ソアの足元へと流れてきた。
光が触れた瞬間、ソアの身体の奥で何かが応えた。
熱い。
けれど、苦しくはない。
今まで別々だったものが、ほんの一瞬だけ、一本の流れにつながったような感覚だった。
そして――
視界に、文字が浮かんだ。
【隠し加護《成長誘導》――更新完了】
【固有能力との連動状態:変化】
【新規能力《成長共鳴》――発現準備中】
「……え?」
ソアは目を見開いた。
だが、文字はすぐに消えてしまった。
「今の、何……?」
答える者はいない。
ただ、世界樹の声だけが、最後にもう一度響いた。
『成長とは、力を与えられることではない』
『自らの力で、道を選べるようになること』
光が、白く弾けた。
*
「……ソア!」
レイナの声で、ソアは我に返った。
目の前には山あいの風景。
足元には草花。
そして、心配そうに顔を覗き込むレイナとシードがいた。
「大丈夫か?」
「う、うん……たぶん」
「たぶんって何だ、たぶんって!」
レイナがソアの肩をつかむ。
「急に動かなくなったと思ったら、鎧もペンダントも光り始めたんだぞ!」
「ご、ごめん!」
「謝るより説明してくれ!」
「ええと……世界樹の記憶を見てた、と思う」
「思う?」
「……すごくきれいだった」
「感想は聞いていない!」
レイナが頭を抱えた。
その横で、シードがソアの手を握った。
「……ソア」
「ん?」
「……こえ、きこえた?」
ソアは頷いた。
「うん。世界樹が、何かを伝えようとしていた気がする」
シードは自分の葉に触れた。
「……わたしも」
少し考えてから、ゆっくりと言葉を続ける。
「……おぼえてる。でも……まだ、ぜんぶ、わからない」
「そっか」
ソアはシードの頭を優しく撫でた。
「じゃあ、これから一緒に考えよう」
「……うん」
シードが微笑んだ。
その瞬間だった。
ピシッ。
「……え?」
ソアの胸元で、ペンダントが小さく鳴った。
《巡りの雫》に、細い亀裂が走っている。
「うそっ!?」
ソアの顔が青ざめた。
「ちょ、ちょっと待って! それ、せっかく作ってもらった大切な――」
レイナがすぐにペンダントを確認する。
「割れたわけじゃない。表面に細い亀裂が入っただけだ」
「それでも大変だよ!」
「今はそこじゃないだろう!」
そのとき。
シードの表情が変わった。
「……くる」
小さな声。
レイナが剣を抜く。
「何が来る?」
シードは遺跡の方を見つめた。
「……くろい、ひと」
ソアの笑顔が消えた。
山道の向こう。
さっきまで誰もいなかったはずの場所に、黒い人影が立っていた。
長い黒衣。
顔を覆うフード。
そして、右腕に宿る異様な魔力。
「……あの人」
ソアは剣を握りしめた。
黒衣の男は、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「ようやく見つけた」
低い声が、風に乗って届いた。
「その記録を渡してもらおう」
レイナが一歩前に出る。
「断ると言ったら?」
男の右腕が、黒く輝いた。
巨神の籠手。
かつてソアの身体に宿り、奪われた伝説の器。
「ならば、力ずくで奪う」
ソアは盾を構えた。
胸元の《巡りの雫》が、再び淡く光る。
そして、鎧の内側で――
新しい何かが、目を覚まそうとしていた。
ソアは息を吸い込む。
「……レイナ、シード」
「分かっている」
「……うん」
「私たちで、守ろう」
ソアは黒衣の男を見据えた。
もう、ただ記録を集めるだけの冒険ではない。
世界を巡る力を守るための戦いが、始まろうとしていた。




