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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第九章 巡りの雫と、世界樹の記憶

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第94話 黒衣の男が求めるもの


 地下深く。


 人の気配が途絶えた古代遺跡の最奥に、黒衣の男は立っていた。


 目の前にあるのは、巨大な円形の装置。


 その表面には、七つの器を示す紋章が刻まれている。


 巨神の籠手。


 天翔の翼。


 絶対鏡盾。


 深淵の呪鎖。


 竜皇砲。


 終焉の剣。


 そして、最後の葉の紋章。


 現在、光を放っているのは二つ。


 天翔の翼と、絶対鏡盾。


 巨神の籠手は、彼の手元にある。


 残りの器も、少しずつ場所が判明しつつあった。


「……あと、少しだ」


 男は呟いた。


 その声には、喜びよりも焦りがにじんでいた。


「時間がない」


 彼は懐から、一枚の古びた記録板を取り出した。


 そこには、古代文字でこう記されていた。


『七つの器をひとつに集めよ』


『すべての力がひとつに戻るとき、世界樹は再び完全な姿を取り戻す』


『その力を受け継ぐ者は、あらゆる災厄から世界を守ることができる』


 男は、その文章を何度も読み返してきた。


 これが真実なら。


 七つの器を集めれば、世界樹の力を取り戻せる。


 そして、その力を使えば――


「……もう、誰も失わずに済む」


 男は目を閉じた。


 脳裏に浮かんだのは、燃え盛る街だった。


 崩れ落ちる建物。


 悲鳴。


 黒煙。


 そして、伸ばした手の先にいた、大切な人。


 届かなかった。


 あと少しだった。


 ほんの少し、力が足りなかった。


 あの日から、彼はずっと考え続けてきた。


 もっと力があれば。


 すべての魔力を自在に扱えたなら。


 誰よりも強ければ。


 誰も、自分の手の届かないところで失われることはないのではないか。


「……今度こそ」


 男は記録板を握りしめた。


「私が、すべてを守る」


     *


 装置の脇には、別の記録板が置かれていた。


 こちらは、彼が以前訪れた遺跡から持ち出したものだ。


 記録の一部は欠け、文字のところどころが読み取れなくなっている。


 それでも、彼は重要な部分を見つけていた。


『器を集めし者は、世界樹の力へ至る』


 そして、その下には――


『ただし、七つの器は――』


 そこで記録は途切れていた。


 男は眉をひそめる。


「……続きがない」


 これまでに調べた遺跡でも、同じような欠落が見つかっていた。


 ある記録では、七つの器がひとつの装置に集まる図が描かれていた。


 別の記録では、世界樹から枝へと光が流れる様子が記されていた。


 さらに別の記録では、力をひとつに集める行為が、世界の崩壊につながる可能性を示唆していた。


 しかし、それらの記録はどれも断片的だった。


 矛盾しているようにも見える。


 だが、男は結論を変えなかった。


「……古代人も、完全には理解していなかったのだろう」


 自分に言い聞かせるように呟く。


「ならば、実際に器を集め、確かめるしかない」


 彼は記録板を装置に置いた。


 すると、黒い光が浮かび上がった。


 七つの紋章のうち、いくつかが微かに明滅する。


 その光は、器の場所を示す地図のように、装置の上を走っていった。


「……次は、竜皇砲だ」


 火山地帯の炉心遺跡。


 あの場所には、確かに強大な力が眠っていた。


 だが、まだ完全には手に入れられていない。


 先日の暴走で装置の一部が損傷し、奥の封印を解くには至らなかった。


 そして、その遺跡では――


 ソア・ミュスカという少女が、魔力の流れを変えていた。


「……あの少女」


 男の表情が険しくなる。


 彼女は、単なる冒険者ではなかった。


 鎧をまといながら、鎧の一部を切り離し、自在に動かす。


 しかも、古代装置の魔力の流れに干渉することまで始めている。


 天翔の翼との適合。


 世界樹の記録への反応。


 そして、あの異様な成長速度。


「……偶然とは思えない」


 男は、装置に手を置いた。


 すると、新たな映像が浮かび上がった。


 見知らぬ古代遺跡。


 円形の部屋。


 緑色の魔力が、途切れた溝を再び流れ始める。


 映像の中で、白銀の鎧が浮かんでいた。


「……また、魔力の循環を戻したのか」


 男は息を呑んだ。


 自分が器を集めるために力を使っている間に、彼女は逆のことをしている。


 力をひとつに集めるのではなく、流れを元に戻しているのだ。


「なぜだ……?」


 男は映像を凝視した。


「なぜ、お前にはそれができる?」


 答えはない。


 映像は、やがて消えていった。


     *


 男は装置から離れ、壁際に置かれた小さな箱を開いた。


 中には、一枚の古い布が収められていた。


 焼け焦げた跡がある。


 その端には、かすかに花の刺繍が残っていた。


 男は布を手に取った。


「……君なら、どうしただろうな」


 静かな声だった。


 彼の記憶の中にいる人物は、力を求める男とは違う考え方をしていた。


 誰かが困っていれば、手を差し伸べる。


 自分にできないことがあれば、誰かに助けを求める。


 そして、何かを失ったときには、悲しみながらも前へ進もうとする。


 男は、その強さを理解できなかった。


 あの日、彼女を救えなかった自分には、もう何も残されていないと思ったからだ。


「……私は、もう二度と失いたくない」


 布を箱に戻す。


「そのためなら、どんな力でも手に入れる」


 男は箱を閉じた。


 そして、再び装置の前へ戻った。


 彼はまだ知らなかった。


 自分が信じている記録の一部が、意図的に欠落させられていることを。


 そして、七つの器がひとつに集まったとき、必ずしも世界樹の力が彼の望む形で戻るわけではないことを。


 ただ、彼の願いだけは本物だった。


 誰も失いたくない。


 もう、あんな思いはしたくない。


 その願いが、彼をここまで動かしてきた。


     *


 一方、古代遺跡を後にしたソアたちは、山道を歩いていた。


「……ふぅ。今日もいっぱい歩いたね」


 ソアは鎧の肩を回した。


 世界巡鎧の装甲が、ガシャリと音を立てる。


「でも、今回は鎧が壊れなくてよかった!」


「その話、何度目?」


 レイナが呆れたように言う。


「だって大事なことだよ!」


「分かったわ。あなたの鎧が無事で、私も嬉しいわよ」


「本当!?」


「ええ」


「レイナ、大好き!」


「はいはい」


 レイナは顔をそらした。


 シードは二人の間を歩きながら、楽しそうに笑っていた。


「……ソア、うれしい?」


「うん! すっごく!」


「……わたしも、うれしい」


 そのときだった。


 ソアの胸元で、《巡りの雫》が淡く輝いた。


「……あれ?」


 ソアは足を止めた。


 雫の光は、これまでのように一定のリズムで明滅している。


 だが、その光に合わせて、世界巡鎧の表面にも細い緑色の線が浮かび上がっていた。


 胸当てから肩へ。


 肩から腕へ。


 そして、腰の装甲へ。


 魔力が流れていく。


「……また反応してる」


 ソアは手をかざした。


 すると、視界の端に、見慣れない文字が一瞬だけ現れた。


【隠し加護《成長誘導》――更新中】


【更新元:不明】


 ソアは瞬きをした。


 文字は消えていた。


「……今の、また出た?」


「何が?」


 レイナが尋ねる。


「ううん。何でもない」


 ソアは首を傾げた。


 以前も、同じ表示を見た気がする。


 だが、何度確認してもステータスに変化はない。


「……気のせいかな」


 ソアは歩き出した。


 その背中を、シードが見つめていた。


「……ソア」


「ん?」


「……からだのなか、ひかってる」


「えっ!?」


 ソアは慌てて自分の鎧を確認した。


「どこ!? どこが光ってるの!?」


「……もう、きえた」


「ええっ!?」


 レイナがため息をつく。


「落ち着きなさい。鎧に異常がないか、あとで確認すればいいでしょう」


「そ、そうだね……」


 ソアは胸元の雫を握った。


 そこには、いつもと変わらない小さな光が宿っている。


 だが、その奥では。


 彼女自身にも、女神にも、まだ理解できない変化が進んでいた。


 《成長誘導》は、ソアの成長を促すだけの加護ではなくなりつつある。


 ソアが自らの力を理解し、使いこなそうとするたびに、加護そのものが変化しているのだ。


 それは、誰かに与えられた力が、持ち主自身の意思に応え始めた証だった。


 そして遠い地下では、黒衣の男が次の器を求めて動き始めていた。


 力を集めようとする者。


 力を巡らせようとする者。


 二人の道は、まだ交わらない。


 けれど、七つの器が目覚めるたび、その距離は少しずつ縮まっていく。


 世界樹の失われた記憶をめぐる物語は、静かに次の段階へ進もうとしていた。

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