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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第九章 巡りの雫と、世界樹の記憶

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第93話 七つ目の器の記録


 古代遺跡の地下。


 魔力の逆流が止まった円形の部屋には、穏やかな緑色の光が満ちていた。


 床の溝を流れる魔力は、先ほどまでの不安定さが嘘のように、規則正しく巡っている。


「……ひとまず、これで大丈夫そうね」


 レイナは《絶対鏡盾》を下ろした。


 盾の表面を走っていた光も、ゆっくりと落ち着いていく。


「うん。さっきよりずっときれいに流れてる!」


 ソアは満足そうに頷いた。


 そして、右肩の装甲を見た。


 表面には、壁にぶつかったときについた小さな傷がある。


「…………」


「何?」


 レイナが尋ねた。


「……この傷、修理に出したらいくらかな」


「まだ気にしていたの!?」


「だって、せっかく新しくなった鎧なのに!」


「その程度なら問題ないでしょう。戦闘に支障もないわ」


「本当?」


「ええ」


「じゃあ、よかったぁ……!」


 ソアは胸を撫で下ろした。


 その横で、シードは石板をじっと見つめていた。


 七つの紋章。


 そのうちのひとつ、小さな葉の紋章。


 そして、その下に刻まれた言葉。


『記憶を受け取り、次の命へと渡すためにある』


「……シード?」


 ソアが声をかける。


 シードは振り返った。


「……ソア」


「どうしたの?」


「この、はっぱ……」


 シードは石板を指差した。


「……わたし、しってる」


「えっ!?」


 ソアとレイナが同時に顔を上げた。


「知っているの!?」


 レイナが尋ねる。


 シードは小さく頷いた。


「……でも、どこで、しったのか……わからない」


 その声には、困惑が混じっていた。


「なつかしい。でも……おもいだせない」


 シードは自分の頭に生えた小さな葉に触れた。


「……ここに、ある気がする」


「頭の葉っぱに?」


 ソアはシードの頭を覗き込んだ。


 葉っぱは、いつもと変わらない。


「……食べたら思い出すとか?」


「ソア」


 レイナが即座に止めた。


「食べないわよ!?」


「冗談だよ!」


「本当に?」


「……たぶん」


「たぶん!?」


 レイナの声が、遺跡に響いた。


 シードは二人を見上げ、くすりと笑った。


 それから、もう一度石板に向き直った。


「……もっと、しりたい」


「うん」


 ソアは優しく頷いた。


「じゃあ、一緒に調べよう」


     *


 石板の前に三人が集まった。


 レイナが表面に刻まれた文字を調べ、ソアは《巡りの雫》を石板に近づける。


 すると、小さな葉の紋章が反応した。


 淡い光が広がり、石板の上に半透明の映像が浮かび上がる。


「わっ! また出た!」


 映像の中には、巨大な樹木があった。


 どこまでも広がる枝。


 大地の奥深くへ伸びる根。


 そして、枝の一本一本に、無数の光が宿っている。


 光は枝から幹へ。


 幹から根へ。


 根から再び枝へと巡っていた。


「……これが、世界樹?」


 ソアが呟く。


「おそらくね」


 レイナも映像を見つめていた。


「今までの記録と同じ。世界樹は魔力を生み出すだけではなく、世界中へ循環させていたのね」


 映像が切り替わる。


 今度は、七つの器が現れた。


 巨神の籠手。


 天翔の翼。


 絶対鏡盾。


 深淵の呪鎖。


 竜皇砲。


 終焉の剣。


 そして、小さな葉の紋章。


 それぞれの器から、異なる色の光が放たれている。


 その光は、一本の幹に集まるのではなかった。


 互いに交わり、枝へ分かれ、遠くの土地へと流れていく。


「……七つの器は、世界樹の力を分担していた?」


 レイナが考え込む。


「でも、最後の器だけは武器じゃないんだよね」


 ソアは小さな葉の紋章を見つめた。


「何をするための器なんだろう?」


 その瞬間。


 映像の中の葉が、淡く輝いた。


 すると、世界樹の周囲に無数の光が浮かび上がる。


 それぞれの光には、風景が映っていた。


 森。


 湖。


 街。


 誰かの笑顔。


 誰かの泣き顔。


 そして、誰かが誰かの手を握る光景。


「……記憶?」


 ソアが呟いた。


 シードが、一歩前に出た。


「……いっぱい」


 黄金色の瞳に、映像の光が映り込む。


「……みんなの、きおく」


 光が、シードの身体へ向かって流れ始めた。


「シード!?」


 ソアが驚く。


 だが、光はシードに触れる直前で止まった。


 まるで、何かを確かめるように。


 シードは両手を伸ばした。


「……おいで」


 小さな声だった。


 光が、そっとシードの手に触れた。


 その瞬間――


 パァァァッ!


 部屋いっぱいに、柔らかな光が広がった。


     *


 シードの視界に、知らない景色が流れ込んできた。


 広大な森。


 まだ幼い世界樹。


 その根元に集まる、小さな光の粒。


 光は森の動物たちへ。


 草花へ。


 遠くの山々へ。


 そして、人々の暮らす街へと流れていく。


 誰かが病気になれば、森の光が弱まり、別の場所から力が巡ってくる。


 荒れた土地があれば、別の土地から魔力が送られる。


 誰かが失ったものを、別の誰かが支える。


 世界は、ひとつの命だけで成り立っているのではなかった。


 無数の命が、互いに支え合っていた。


 そして、その中心に――


 七つ目の器があった。


 武器ではない。


 盾でも、鎖でもない。


 それは、世界樹が蓄えた記憶を受け取り、必要なときに次の命へ渡すための存在だった。


 記憶を保存するだけではない。


 過去に起きたことを、未来へつなぐ。


 失われたものを、ただ元に戻すのではなく、そこから新しい命が生まれるようにする。


 それが、七つ目の器の役割だった。


 そして、その器は――


 世界樹と同じように、命を持つ存在だった。


     *


「……っ!」


 シードが目を開けた。


 ふらりと身体が傾く。


「シード!」


 ソアがすぐに抱きとめた。


「大丈夫!?」


「……うん」


 シードは少しだけ息を整えた。


「……みえた」


「何が見えたの?」


「……せかいじゅ」


 その言葉に、レイナの表情が変わった。


「世界樹の記憶を見たの?」


 シードは頷いた。


「……ちからを、わけてた」


「わけてた?」


「……ひとりじゃない。みんなで、ささえてた」


 シードは胸に手を当てた。


「……なくなったものも、きえてない」


 ソアは静かに耳を傾けていた。


「……きおくに、のこってる。つぎの、いのちに、つながる」


 シードは顔を上げた。


「……だから、わたしは……」


 そこで言葉が止まった。


 自分が何者なのか。


 なぜ世界樹に呼ばれているのか。


 まだ、すべては分からない。


 けれど――


「……わたし、うけとるもの?」


 その問いに、ソアはすぐには答えなかった。


 シードの小さな手を、そっと握る。


「……そうかもしれないね」


 そして、微笑んだ。


「でも、シードはシードだよ」


「……ソア?」


「どんな役目があっても、どんな力を持っていても、シードはシードでしょ?」


 ソアはシードの頭を撫でた。


「私は、シードと一緒に冒険したい。それは変わらないよ」


 シードはじっとソアを見つめた。


 やがて、小さく笑った。


「……ソアは、ソア」


「うん。私はソア!」


「……シードは、シード」


「そうだよ!」


「……それなら、いい」


 シードは、ソアの手をぎゅっと握った。


「……ソアと、いっしょ」


「もちろん!」


 そのやり取りを見ていたレイナも、柔らかく微笑んだ。


「役目が何であれ、自分が何者なのかを決めるのは、自分自身ということね」


「うん!」


 ソアは元気よく頷いた。


「……ところで」


 少し間を置いて、ソアが言った。


「世界樹って、すごく大きいんだよね?」


「そうね」


「じゃあ……実がなったら、おいしいのかな?」


「…………」


 レイナが額を押さえた。


「どうしてそうなるのよ!?」


「だって、世界樹だよ? すっごい果物がなりそうじゃない?」


「……ソア」


 シードが小さく手を挙げた。


「なに?」


「……なったら、いっしょに、たべよう」


「本当!?」


「……うん」


「やったぁ!」


「食べられると決まったわけじゃないでしょうが!」


 レイナのツッコミが、再び遺跡に響いた。


     *


 三人が石板の記録を確認していると、映像の最後に新たな文字が浮かび上がった。


『記憶の器は、世界樹の根に眠る』


『受け継ぐ者が目覚めるとき、閉ざされた根の道は開かれる』


『ただし、記憶を受け取るだけでは、道は完成しない』


 レイナが文字を読み解く。


「世界樹の根……。以前、私たちが訪れた場所より、さらに深いところがあるということ?」


 ソアは頷いた。


「たぶんね」


 シードは、石板の葉の紋章に手を触れた。


 紋章が淡く光る。


 すると、その下に、もうひとつの短い文が現れた。


『受け取った記憶を、次へ渡す者よ』


『お前が選ぶのは、過去か。それとも未来か』


「……過去か、未来か?」


 ソアが首を傾げた。


「何だろう。どっちかを選ばなきゃいけないのかな?」


「まだ分からないわ」


 レイナは慎重に答えた。


「ただ、この記録は七つ目の器が単に記憶を保存するだけの存在ではないことを示している。記憶をどう扱うか、何を次へ渡すか。それを選ぶ必要があるのかもしれない」


 シードは、しばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと口を開く。


「……まだ、わからない」


 小さな声だった。


「……でも、きめるときは……じぶんで、きめたい」


 ソアは微笑んだ。


「うん。それがいいと思う」


 シードは頷いた。


 その瞬間、ソアの胸元で《巡りの雫》が強く輝いた。


 石板の葉の紋章と、呼応するように。


 そして、ソアの視界の端に、見慣れない文字が浮かんだ。


【固有能力の理解度――上昇】


【隠し加護《成長誘導》――更新中】


【更新元:不明】


「……え?」


 ソアは目を瞬かせた。


 文字は、一瞬で消えた。


「どうしたの、ソア?」


 レイナが尋ねる。


「……今、何か出た気がしたんだけど」


「何か?」


「うん。ステータスみたいな……」


 ソアは自分の手を見つめた。


 もう一度、ステータスを確認する。


 だが、そこにはいつもと変わらない表示しかなかった。


 固有スキル。


 装備。


 能力。


 そして、《成長誘導》。


「……気のせいかな?」


 ソアは首を傾げた。


 まだ、彼女には分からない。


 今の表示が、これまでの成長とは異なる変化の兆しだったことを。


 彼女の能力を導いてきたはずの隠し加護が、今、未知の何かによって更新され始めていることを。


     *


 同じ頃。


 遠く離れた場所にある、白い神殿。


 女神は空中に浮かぶステータス画面を見つめていた。


「…………え?」


 画面には、見慣れない表示があった。


【対象者:ソア・ミュスカ】


【隠し加護《成長誘導》――更新中】


【更新元:不明】


「更新元が……不明?」


 女神は何度も画面を確認した。


 《成長誘導》は、自分がソアに与えた加護だ。


 その仕組みは完全ではないものの、少なくとも、何が起きているかを確認することはできるはずだった。


 なのに。


「……私が与えた加護なのに、どうして……?」


 女神は指先を動かし、詳細画面を開こうとした。


 しかし――


【詳細情報を取得できません】


【対象者の固有能力が、管理範囲を超過しています】


「…………」


 女神の表情から、笑みが消えた。


 これまでの《成長誘導》は、ソアが能力を理解するきっかけを作るものだった。


 だが、今の変化は違う。


 まるで、ソア自身の能力が、加護の仕組みそのものを書き換え始めているかのようだった。


「ソアさん……」


 女神は、祈るように両手を握った。


「どうか、無理だけはしないでくださいね……」


 そして、画面に残る一文を見つめる。


【更新元:不明】


 女神は知らなかった。


 その変化が、自分の加護の中だけで起きているものではないことを。


 ソアの固有能力が、世界樹の失われた力へと近づき始めていることを。


 そして――


 その変化を、遠く離れた場所で、もうひとつの存在が観測していたことを。


 暗闇の中。


 古代装置の表面に、葉の紋章が浮かび上がる。


 その隣に、新たな文字が刻まれた。


【世界樹経路との接続――変化を確認】


 暗闇の奥で、誰かが静かに呟いた。


「……始まったか」


 声の主の姿は、まだ見えない。


「ならば、器がすべて集まる前に……」


 装置の中央に、黒い光が灯った。


「……次の段階へ進まなければならない」


 その光は、世界樹の葉とは正反対の色をしていた。


 そして、世界のどこかで。


 止まっていたはずの何かが、静かに動き始めた。

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