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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第九章 巡りの雫と、世界樹の記憶

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第92話 手放す力、受け取る力


 古代遺跡の地下。


 円形の部屋には、重苦しい魔力が渦巻いていた。


 床に刻まれた溝を、緑色の光が流れている。


 だが、その途中には黒く染まった箇所があった。


 そこを境に、光の流れが逆向きになっている。


「……やっぱり、ここが原因だね」


 ソア・ミュスカは、床を見つめた。


 胸元では、《巡りの雫》が淡い緑色に輝いている。


「黒い結晶が魔力の流れを変えている。だけど、いきなり壊したら危ないんだよね?」


「ええ」


 レイナが頷いた。


「内部に魔力が溜まっている。下手に破壊すれば、ここにある魔力が一気に噴き出す可能性があるわ」


「つまり、先に流れを元に戻す必要がある……」


 ソアは腕を組んだ。


 そして、隣に立つ小さな植物の精霊を見る。


「シード、どうすればいいと思う?」


「……みちが、ある」


「道?」


 シードは床にしゃがみ込んだ。


 小さな指が、魔力の溝をなぞる。


「ここから、こっち。……でも、きれてる」


 指先が止まった。


 黒い結晶の手前。


 緑色の光はそこで弱まり、別の溝へ流れ込もうとしていた。


「……ながれが、もどれない」


「切れている流れを、つなげればいいんだね」


 ソアは自分の胸当てに手を置いた。


 《世界巡鎧》。


 かつての鎧が姿を変え、受け継がれたもの。


 その表面を、緑色の光が走った。


「この鎧なら、魔力を運べるかもしれない」


「ソア、できる?」


「……やってみないと分からない!」


 ソアは元気よく答えた。


 レイナが小さくため息をつく。


「あなたのその前向きさ、時々すごいと思うわ」


「ありがとう!」


「褒めているとは限らないわよ」


「えっ?」


「……もういいわ。始めましょう」


     *


 ソアは床の溝を確認し、途切れた場所の近くに立った。


「まずは、いつも通り……」


 胸元の《巡りの雫》に意識を向ける。


 すると、鎧の各部を通る魔力の流れが、ぼんやりと感じられた。


 胸当てから肩へ。


 肩から腕へ。


 そして、脚甲へ。


 鎧の内部を流れる魔力は、ひとつの道のようにつながっていた。


「……うん。流れてる」


 ソアは右肩の肩当てに手を触れた。


「《全解除・パージ》!」


 ガシャンッ!


 右肩の装甲が外れ、宙に浮かび上がった。


 以前なら、外れた鎧はただの重い金属板だった。


 だが、今は違う。


 世界巡鋼を使った装甲は、ソアの魔力に反応していた。


「よし……。お願いね!」


 肩当てがゆっくりと動く。


 ソアはそれを、途切れた溝の上へ移動させた。


 装甲の縁が床に触れる。


 その瞬間――


 ピィィン……!


 緑色の光が、肩当てを通って流れ始めた。


「おおっ!」


 ソアの顔が輝く。


「つながった!」


 光が一段と強くなった。


 黒く染まった溝の向こうへ、魔力が流れ込んでいく。


 しかし。


 ギギギギギ……!


「え?」


 肩当てが震えた。


 逆向きの魔力が、装甲を押し戻そうとしている。


「ちょっ、ちょっと待って!」


 ソアは慌てて魔力を送り込んだ。


 肩当てが前後に揺れる。


 右へ。


 左へ。


 まるで、風に煽られた洗濯物のようだった。


「安定しない……!」


「ソア、無理に押さえ込まないで!」


 レイナが叫ぶ。


「逆流している力を、真正面から受け止めようとしているわ!」


「じゃあ、どうすればいいの!?」


「流れを受けて、向きを変えるのよ!」


「向きを……!」


 ソアは肩当てを動かそうとする。


 だが、次の瞬間。


 バァンッ!


「きゃっ!」


 肩当てが弾き飛ばされた。


 くるくると回転しながら、ソアの頭上へ飛んでくる。


「危ない!」


 レイナが叫んだ。


 ガコンッ!


「いたっ!」


 肩当ては、ソアの兜に直撃した。


 カラン、と床に落ちる。


「…………」


「…………」


 沈黙。


 ソアは頭を押さえた。


「……鎧、痛い」


「自分で飛ばしたんでしょうが!」


 レイナのツッコミが、遺跡に響いた。


 シードも心配そうにソアを見上げる。


「ソア……いたい?」


「うん……ちょっと」


「……なでる?」


「お願い!」


 シードが小さな手で、ソアの兜をぽんぽんと叩いた。


 金属音が響く。


 カン、カン。


「……シード。それ、頭を叩いているだけよ」


 レイナが指摘した。


「……そうなの?」


「うん。でも、ありがとう!」


 ソアは笑顔で答えた。


 そして、床に落ちた肩当てを拾い上げる。


「よし。もう一回!」


「反省しているの!?」


「してるよ!」


「なら、少しは慎重に――」


「今度は、もっと優しく動かす!」


「そこなの!?」


     *


 二度目の挑戦。


 ソアは肩当てを浮かせると、今度は無理に魔力を押し込まなかった。


 逆流する力を感じ取り、その勢いに合わせて装甲の向きを変える。


 だが、肩当てを安定させるだけで精いっぱいだった。


「……難しい」


 ほんの少し動かすだけで、魔力の流れが乱れる。


 別の装甲も使えれば、もっと細かく調整できるかもしれない。


 そう思い、ソアは左腕の装甲にも意識を向けた。


「えいっ!」


 ガシャン!


 左腕の装甲が浮かび上がる。


 右肩の装甲と、左腕の装甲。


 二つを同時に動かそうとした瞬間――


 ふらっ。


 右肩が揺れる。


 左腕が回転する。


「わわっ!?」


 ドンッ!


 左腕の装甲が壁にぶつかった。


 続いて右肩の装甲が、床へ落ちる。


 ガシャァン!


「…………」


 ソアは静かに両手を下ろした。


「……一個ずつにします」


「賢明ね」


 レイナが頷いた。


「でも、ソア」


 シードがソアの手を握った。


「……ひとりで、しなくていい」


「え?」


「……レイナも、いる。わたしも、いる」


 ソアは目を瞬かせた。


 それから、少しだけ笑った。


「……そうだね」


 ソアは肩当てを拾い上げた。


「じゃあ、みんなでやろう!」


     *


「私が流れを受け止めるわ」


 レイナが前に出た。


 手にした《絶対鏡盾》が、淡い光を放つ。


「ソアが魔力を運び、シードが溝を安定させる。私は逆流してくる力を受け止めて、正しい方向へ返す」


「できるの?」


「やってみるわ」


「……私と同じだ」


「あなたと一緒にしないで」


「ええっ!?」


 レイナは盾を構え、魔力の溝に向けた。


「《絶対鏡盾》!」


 盾の表面に、幾何学模様のような光が浮かび上がる。


 黒く染まった溝から押し寄せてくる魔力。


 それを盾が受け止めた。


 ゴォォォ……!


「くっ……!」


 レイナの足が、わずかに後ろへ滑る。


 だが、盾は砕けない。


 受け止めた魔力を、そのまま押し返すのでもない。


 盾の表面を光が走り、力の向きを少しずつ変えていく。


「今よ、ソア!」


「うん!」


 ソアは右肩の装甲を浮かせた。


 今度は、逆流を無理に押さえつけない。


 レイナが受け止め、向きを変えた魔力。


 その流れに、装甲をそっと沿わせる。


 緑色の光が肩当てを通り抜けた。


 シードは床に手をついた。


「……つながって」


 小さな根が伸びていく。


 根は溝のひび割れに入り込み、黒く染まった箇所の周囲を包み込んだ。


「……ここ、まもる」


 シードの根が、魔力の流れを安定させる。


 レイナが力を受け止める。


 ソアが装甲を通して運ぶ。


 シードが道を支える。


 三人の力が重なった瞬間――


 パァァァッ!


 床の溝が、一斉に緑色に輝いた。


「やった……!」


 ソアが声を上げた。


 光は円形の部屋を巡り、中央の装置へと流れ込んでいく。


 そして、これまで逆向きに流れていた魔力が、少しずつ本来の方向へ戻り始めた。


 ゴゴゴゴゴ……。


 巨大な装置が動き出す。


 壁に刻まれた文字が、淡い光を放った。


 レイナは盾を構えたまま、険しい表情を崩さなかった。


「まだよ。流れが戻っただけ。黒い結晶は残っているわ」


「うん。最後までやろう!」


 ソアは肩当てを動かした。


 光が途切れないように。


 無理に引っ張らず、流れに合わせて。


 ほんの少しずつ、装甲の位置を調整する。


 やがて――


 カチリ。


 装置の中央で、小さな音がした。


 黒い結晶の周囲に、透明な壁のような光が生まれる。


 結晶へ向かっていた魔力が遮断され、溜め込まれていた力も、ゆっくりと本来の流れへ戻り始めた。


「……止まった?」


 ソアが尋ねる。


「ええ。逆流は止まったわ」


 レイナが盾を下ろした。


「これなら、結晶を安全に取り外せるはずよ」


 シードは床から手を離した。


 根が静かに引っ込んでいく。


「……なおった?」


「全部じゃないけどね」


 ソアは装置を見つめた。


「でも、さっきよりずっといい!」


 胸元の《巡りの雫》が、穏やかな緑色に輝いていた。


 その光は、まるで安堵しているようだった。


     *


 黒い結晶は、装置の中心から慎重に取り外された。


 レイナが盾で魔力を受け止め、ソアが世界巡鎧を通して残った魔力を逃がし、シードが根で結晶を包み込む。


 結晶は最後まで抵抗したものの、暴発することなく封じ込められた。


「……これで、ひとまず安心ね」


 レイナが息を吐いた。


「うん!」


 ソアは元気よく頷いた。


「よかったぁ……。鎧も壊れなかった!」


「そこなの?」


「だって、せっかく新しくなったんだよ!?」


「分かっているわよ」


 レイナは苦笑した。


「それに、今回は鎧があったから助かった。あなたの鎧は、ただ重いだけじゃないのね」


「ただ重いだけじゃないよ!」


 ソアは胸を張った。


「すっごく重いんだから!」


「自慢するところが違うでしょうが!」


 シードが、ソアの胸元を見上げた。


「……ソア。かっこよかった」


「えっ?」


「……ひとりじゃ、むずかしかった。でも、みんなで、できた」


 ソアは少しだけ目を丸くした。


 そして、優しくシードの頭を撫でた。


「うん。みんなでできたね」


 シードは嬉しそうに目を細めた。


「……ソアが、うれしいなら、わたしも、うれしい」


 その言葉に、ソアは自然と笑顔になった。


     *


 装置が完全に静まると、部屋の奥で新たな光が灯った。


 壁の一部が開き、薄い石板がせり出してくる。


「……まだ何かあるの?」


 レイナが警戒する。


 ソアは石板に近づいた。


 そこには、七つの器を表す紋章が刻まれていた。


 巨神の籠手。


 天翔の翼。


 絶対鏡盾。


 深淵の呪鎖。


 竜皇砲。


 終焉の剣。


 そして――


 最後のひとつだけ、武器の形をしていなかった。


 小さな葉。


 その下には、古代文字が刻まれている。


 シードが文字を見つめた。


「……これ」


「読めるの?」


 ソアが尋ねる。


 シードは首を傾げながら、ゆっくりと口を開いた。


「……記憶を、うけつぐもの」


 その言葉に、三人は顔を見合わせた。


「記憶を受け継ぐもの……?」


 レイナが石板を覗き込む。


「七つ目の器は、武器ではないということ?」


 ソアは葉の紋章を見つめた。


 それは、《巡りの雫》に刻まれた葉の模様と、よく似ていた。


「じゃあ、七つ目の器って……」


 ソアはシードを見た。


 シードも、石板を見つめていた。


 黄金色の瞳が、かすかに揺れる。


「……わたし?」


 小さな声だった。


 誰も、すぐには答えられなかった。


 そのとき。


 石板の表面に、新たな文字が浮かび上がった。


『器は、力を集めるためにあらず』


『記憶を受け取り、次の命へと渡すためにある』


『最後の器が目覚めるとき、世界樹の失われた記憶は再び巡り始める』


 文字が消えると同時に、部屋の奥から柔らかな緑色の光が溢れ出した。


 シードの頭に生えた小さな葉が、ぴくりと揺れる。


「……なつかしい」


「何か思い出したの?」


 ソアが尋ねた。


 シードはしばらく考え込んでいた。


 けれど、やがて小さく首を振った。


「……まだ、わからない」


 そして、ソアの手を握った。


「でも……ソアと、いっしょに、知りたい」


 ソアはその手を握り返した。


「うん。一緒に知ろう」


 レイナも頷く。


「七つ目の器が何なのか。どうしてシードが反応するのか。調べる必要があるわね」


「そうだね!」


 ソアは石板をもう一度見た。


 七つの器は、ひとつに集めるためのものではない。


 力を受け取り、送り、守り、つなぐためのもの。


 そして、最後の器は――


 失われた記憶を受け継ぐもの。


「……あの黒衣の人は、これを知っているのかな」


 ソアが呟いた。


 レイナは答えなかった。


 黒衣の男が集めている七つの器。


 彼が本当に世界を守ろうとしているのなら、なぜ力をひとつに集めようとするのか。


 その疑問は、まだ解けていない。


 だが、ひとつだけ確かなことがあった。


 世界樹の力は、誰かひとりの中に閉じ込めるものではない。


 巡り続けることで、世界を支えるものなのだ。


 ソアは《巡りの雫》を握りしめた。


 小さな光が、指の間からこぼれる。


「……よし!」


 彼女は顔を上げた。


「次は、七つ目の器について調べよう!」


「その前に」


 レイナが冷静に告げる。


「この遺跡の記録を持ち帰ること。それから、ギルドに報告。黒い結晶の調査も必要よ」


「……あっ」


「それと、あなたの肩当て。さっき壁にぶつけたでしょう」


「…………」


 ソアは、床に落ちていた肩当てを拾い上げた。


 表面には、小さな擦り傷がついていた。


「……修理代、かかるかな」


「その程度なら大丈夫でしょう」


「本当!?」


「ええ。たぶんね」


「たぶん!?」


 ソアの悲鳴が、古代遺跡に響いた。


 シードは二人を見上げ、小さく笑った。


「……みんなで、かえる」


 その声に、ソアとレイナは顔を見合わせた。


「うん。帰ろう、シード」


 ソアは肩当てを大事そうに抱えた。


 今度は、落とさないように。


 壊さないように。


 そして、失われた記憶を探すために。


 三人は、緑色の光が満ちる遺跡を後にした。


 彼女たちは、まだ知らない。


 この小さな石板に刻まれた記録が、世界樹の真実へと続く、重要な鍵であることを。


 そして――


 七つ目の器が目覚めるとき、シード自身もまた、自分が何者なのかを知ることになるのだった。

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