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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第九章 巡りの雫と、世界樹の記憶

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第91話 戻らない魔力


「……この先ね」


レイナが剣を構え、暗い通路の奥を見つめた。


石壁に刻まれた紋様は、ところどころが黒く変色している。


床を走る魔力の溝も、緑色に光る場所と、完全に沈黙した場所に分かれていた。


その先から、低い振動音が聞こえてくる。


ゴウン……。


ゴウン……。


まるで、巨大な心臓が苦しそうに鼓動しているようだった。


「……いたい」


シードが胸元を押さえた。


「シード、大丈夫?」


ソアがすぐにしゃがみ込む。


「……うん。でも、ここ……ながれが、くるしい」


「無理しないでね。何かあったら、すぐに言って」


「……うん」


シードは小さく頷いた。


レイナが二人を振り返る。


「この先に、魔力の流れを制御する装置があるはずよ。けれど、今の状態で不用意に触れるのは危険ね」


「壊れているなら、直せばいいんじゃない?」


「簡単に言うわね……」


「でも、壊れた鎧も直せるよ?」


「鎧と古代遺跡の装置を一緒にしないで!」


「そっか。じゃあ、鎧より難しいんだね」


「そういう問題じゃないのよ!」


ソアは首を傾げた。


その時、胸元の《巡りの雫》が淡く光った。


ペンダントから伸びる細い光は、通路の奥へと続いている。


「……この先に、答えがあるんだよね」


ソアは立ち上がった。


「よし。行こう!」


今度は、足元をしっかり確認してから歩き始めた。


レイナはその姿を見て、小さく息を吐く。


「……少しは学習したようね」


「え? 何か言った?」


「何でもないわ」


     ◇


通路の奥には、巨大な円形の部屋が広がっていた。


天井は見上げても届かないほど高く、壁には七つの紋章が並んでいる。


部屋の中央には、巨大な石柱が立っていた。


その周囲を、無数の金属製の輪が取り囲んでいる。


輪はそれぞれ異なる速度で回転し、中央の石柱へ向かって光を送り込んでいた。


ただし、その光の大半は緑色ではない。


不気味な黒い光だった。


「……うわ」


ソアが思わず声を漏らす。


「何これ……」


レイナは部屋を見渡した。


「魔力の循環装置ね。でも、流れが完全に逆転している」


本来なら、石柱から外へ向かって流れるはずの光。


それが今は、部屋のあちこちから中央へ吸い込まれている。


床の溝を走る魔力も、装置に近づくほど強く引っ張られていた。


「これじゃ、外に力が届かない……」


レイナが呟いた。


「このまま放置すれば、周辺の魔力まで吸い尽くされる可能性があるわ」


シードが石柱を見つめる。


「……かえして」


「え?」


「……ひかりを。みんなのところに、かえして」


シードの声は小さかった。


けれど、そこには確かな意思があった。


ソアは頷いた。


「うん。返してあげよう」


そして、石柱に近づこうとした。


「待って!」


レイナが腕を伸ばす。


「不用意に近づかないで。あの黒い光に触れたら、何が起きるか分からないわ」


「……じゃあ、どうするの?」


「まずは、装置の仕組みを調べる。どこで流れが逆転しているのか、原因を見つけないと」


レイナは慎重に周囲を確認した。


その時だった。


ゴウンッ!!


中央の石柱が激しく振動した。


黒い光が膨れ上がる。


そして――


ズズズズズッ!


床の溝から、黒い魔力が噴き出した。


「危ない!」


レイナが盾を構える。


次の瞬間、黒い魔力が三人に向かって襲いかかった。


「《鉄壁》!」


レイナの前に巨大な障壁が展開する。


ドォンッ!!


黒い魔力が障壁に激突した。


「くっ……!」


レイナの足が、わずかに後退する。


「レイナ!」


「大丈夫! でも、長くは持たないわ!」


黒い魔力は、障壁にぶつかるたびに勢いを増していた。


まるで、受け止められた力を吸収しているかのようだった。


「……力を吸っているの?」


ソアが目を見開いた。


「このままじゃ、レイナの魔力が持っていかれる!」


「分かっているわ! でも、今は防ぐしか――」


その時。


ソアの胸元で、《巡りの雫》が強く輝いた。


同時に、《世界巡鎧》の装甲を緑色の光が走る。


胸当てから肩当てへ。


肩当てから腕当てへ。


そして、腰の装甲へ。


「……あ」


ソアは気づいた。


鎧の中を流れる魔力。


それは、黒い魔力とは違っていた。


一か所に集まろうとするのではなく、鎧全体を巡っている。


胸から肩へ。


肩から腕へ。


腕から腰へ。


そして、再び胸へ。


「……そうか」


ソアは小さく呟いた。


「流れを止めちゃ、駄目なんだ」


レイナが叫ぶ。


「ソア! 何か分かったの!?」


「うん! たぶん!」


「たぶん!?」


「でも、試してみる!」


ソアは右肩の装甲に手を添えた。


「《全解除・パージ》!」


カシャンッ!


肩当てが身体から分離した。


一枚の装甲が、ソアの肩の横に浮かび上がる。


「……よし」


以前なら、ここから先は難しかった。


装甲を浮かせるだけならできる。


けれど、狙った場所へ動かすとなると、途端に制御が難しくなる。


しかも、今は目の前に暴走する魔力がある。


失敗すれば、肩当ては黒い流れに飲み込まれてしまうかもしれない。


「……大丈夫」


ソアは息を吸った。


「鎧は、私の大切な相棒なんだから」


彼女は、肩当てを見つめた。


前へ。


少しだけ、右へ。


ゆっくりと。


肩当てが動いた。


「動いた……!」


レイナが目を見開く。


「ソア、今のは……!」


「まだ、一枚だけだけどね!」


ソアは笑った。


そして、肩当てをレイナの障壁の横へ移動させた。


「お願い!」


肩当てが回転する。


その表面を、緑色の魔力が走った。


黒い魔力の流れに向かって、肩当てを差し込む。


ガキィンッ!!


金属音が響いた。


黒い流れが、わずかに逸れる。


その瞬間、肩当てを伝っていた緑色の魔力が、床の溝へ流れ込んだ。


ピシッ。


黒く染まった溝に、小さな亀裂が走る。


「……効いてる!」


ソアの目が輝いた。


「鎧を通して、魔力の流れを変えられるんだ!」


「すごい……!」


レイナも驚きを隠せなかった。


しかし、喜んでいる暇はなかった。


装置が、再び大きく振動した。


ゴウンッ!!


黒い魔力が膨れ上がり、肩当てを押し戻す。


「わわっ!?」


肩当てが弾き飛ばされた。


ソアは慌てて制御を立て直す。


「待って待って! そっちは駄目!」


肩当てが宙を舞う。


ぐるんっ。


ソアの頭上を通り過ぎる。


そして――


ゴンッ!


「いたっ!」


肩当てが、ソアの兜に直撃した。


「…………」


「…………」


「……鎧、痛い」


「装甲を自分の頭にぶつけたのは、あなたでしょうが!」


レイナの叫びが部屋に響いた。


シードは心配そうにソアを見上げた。


「……ソア、だいじょうぶ?」


「うん……たぶん……」


ソアは兜を押さえながら、肩当てを回収した。


「……遠隔操作って、思ったより難しいね」


「今さら気づいたの!?」


「でも!」


ソアは、肩当てを両手で抱えた。


「今の、ちょっとだけ分かった気がする!」


レイナは一瞬、言葉を失った。


それから、ふっと笑った。


「……そうね。少なくとも、無茶をするだけの理由はあったみたい」


「えへへ」


「褒めていないわよ」


     ◇


その後、三人は一度、装置から距離を取った。


レイナは障壁を維持しながら、黒い魔力の動きを観察する。


シードは床に手を触れ、正常に流れている魔力と、黒く染まった魔力の違いを探っていた。


ソアは肩当てを装着し直し、鎧全体の状態を確かめる。


「……やっぱり、魔力の流れが変なんだね」


「ええ」


レイナが頷いた。


「黒い結晶が、循環装置の途中に割り込んでいるみたい。力を外へ送るはずの通路が、中央へ引き戻されている」


「じゃあ、その黒い結晶を壊せばいいんじゃない?」


「結晶が原因なのは間違いなさそう。でも、今すぐ壊すのは危険よ」


「どうして?」


「この装置が、すでに結晶を前提とした異常な流れで動いているから。ここで結晶だけを破壊したら、蓄積された魔力が一気に噴き出すかもしれない」


ソアは、石柱を見上げた。


確かに、中央には大量の魔力が集まっている。


これを一気に解放したら、遺跡全体が吹き飛んでもおかしくない。


「……じゃあ、先に流れを直さなきゃいけないんだね」


「そういうこと」


レイナは頷いた。


シードが顔を上げる。


「……ながれを、つくる」


「うん。でも、どうやって?」


シードは少し考えた。


そして、床に描かれた溝を指さした。


「……ここ。ここから、こっち」


その指先を追うと、黒い結晶の手前で分岐した溝が見えた。


本来なら、二つの方向へ流れるはずの魔力。


しかし、片方は完全に止まり、もう片方は中央へ吸い込まれている。


「……二つの流れを、もう一度つなげればいいのかな?」


ソアが呟く。


レイナは目を細めた。


「可能性はあるわ。でも、普通に魔力を流し込んだら、黒い結晶に吸収されてしまう」


三人は考え込んだ。


その時、ソアの胸元で《巡りの雫》が淡く輝いた。


ソアは、ふと自分の鎧を見下ろした。


《世界巡鎧》。


世界樹の魔力を受け継いだ素材から作られた鎧。


そして、今も鎧の中では魔力が巡っている。


「……ねえ、レイナ」


「何?」


「私の鎧なら、魔力を流しながら運べるんじゃないかな?」


「鎧を使って、魔力を運ぶ?」


「うん。私の鎧は、魔力を巡らせるのが得意みたいだから」


ソアは右腕を動かした。


そして、肩当てにそっと手を添える。


「まだ一枚しか上手に動かせないけど……」


肩当てが、わずかに浮かび上がった。


「この一枚で、流れをつなぐことならできるかもしれない」


レイナは、しばらくソアを見つめていた。


やがて、ゆっくりと頷く。


「……やってみましょう。ただし、危険だと判断したら、すぐに中止すること」


「分かった!」


シードも、小さな手を伸ばした。


「……わたしも、てつだう」


「うん。お願いね、シード」


三人は、再び装置へ向き直った。


まだ、解決方法が見つかったわけではない。


それでも。


一つだけ、確かなことがあった。


ソアの鎧は、ただ身体を守るためのものではなくなり始めている。


離れた装甲を動かし、魔力を運び、仲間と力をつなぐ。


それは、以前のソアにはできなかった戦い方だった。


そして、その小さな変化こそが――


世界樹の失われた循環を取り戻すための、最初の手がかりになるのかもしれなかった。


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