第87話 世界巡鎧、誕生
ラーヴァの町に戻ってから、数日後。
鍛冶場には、朝から激しい金属音が響いていた。
ガァン! ガァン! ガァン!
「……できた?」
「まだだ!」
「……もう少し?」
「まだだって言ってるだろ!」
「……完成した?」
「話を聞けぇぇぇ!!」
鍛冶師の怒声が工房に響いた。
ソア・ミュスカは、扉の前でしょんぼりと肩を落とした。
「……早く見たいのに」
「気持ちは分かるが、少しは待て」
隣に立つレイナが苦笑する。
「鎧は料理じゃないんだぞ」
「でも、料理だって完成したら嬉しいよ?」
「そういう話じゃない」
シードはソアの手を握りながら、工房の奥を見つめていた。
「……もうすぐ?」
「うん! きっともうすぐ!」
ソアの期待は、膨らむ一方だった。
なにしろ、今回の鎧は特別なのだ。
前の鎧は、もう戻らない。
何度も修理し、何度も身につけ、最後までソアを守ってくれた鎧。
そのすべてを火口へ還したことで、《世界巡鋼》が生まれた。
そして今、その金属から新しい鎧が作られている。
「……楽しみだなぁ」
ソアは胸元に手を当てた。
そこには、まだ何もない。
新しい鎧が完成したら、最初に何をしよう。
町の外を走ってみようか。
剣を振ってみようか。
それとも、思いきりジャンプしてみようか。
「……あ」
ソアは何かを思いついた。
「完成したら、まず全力で走ってみよう!」
「お前、完成したばかりの鎧で転ぶなよ?」
「転ばないよ!」
「以前、平地で転んだことがあっただろ」
「……あれは地面が悪かったの!」
「地面のせいにするな」
そんなやり取りをしていると――。
ガチャリ。
工房の扉が開いた。
「……おう。待たせたな」
鍛冶師が顔を出した。
その表情を見た瞬間、ソアの目が輝いた。
「……できたんですか!?」
「……ああ」
鍛冶師は、ゆっくりと工房の奥へ手招きした。
「入ってこい」
「はいっ!」
ソアは勢いよく駆け込んだ。
そして――。
「…………」
言葉を失った。
*
工房の中央。
台座の上に、一着の全身鎧が置かれていた。
銀白色の装甲。
胸元から肩へ流れる、滑らかな曲線。
腕や脚には、細かな可動部が組み込まれている。
関節部分は以前よりも広く動くように設計され、装甲の重さが一か所に集中しない構造になっていた。
そして、鎧の表面には淡い緑色の筋が走っている。
まるで、金属の内部を魔力が巡っているかのようだった。
「……すごい」
ソアは、ゆっくりと近づいた。
「……すごい、すごい……!」
思わず両手を伸ばす。
けれど、鎧に触れる直前で止まった。
「……触ってもいいですか?」
鍛冶師は、少しだけ笑った。
「お前の鎧だ。好きにしろ」
「……っ!」
ソアは、そっと胸当てに触れた。
冷たい金属の感触。
しっかりとした重み。
それなのに、表面を流れる淡い光は、どこか温かく感じられた。
「……こんにちは」
「鎧に挨拶するな」
レイナが即座に突っ込む。
「えっ、だって、これから一緒に冒険するんだよ?」
「……そういうところだぞ、お前は」
シードは鎧を見上げ、小さく呟いた。
「……きれい」
「でしょ!?」
ソアは満面の笑みを浮かべた。
「すっごく格好いい!」
鍛冶師は腕を組んだ。
「名前も決めてある」
「名前!?」
「ああ。この鎧は《世界巡鎧》と名づけた」
ソアは目を瞬かせた。
「……世界巡鎧」
「世界巡鋼の性質を生かした鎧だ。魔力を一か所に溜め込むんじゃなく、装甲全体に巡らせる。お前の動きに合わせて、鎧全体で重さを支えるように調整した」
鍛冶師は、肩当てを軽く叩いた。
「重さそのものは、ほとんど減らしていない」
「……!」
「お前が望んだとおりだ。ただし、以前より重心が安定している。関節も動かしやすくなった。これなら、重さを利用して動くこともできるはずだ」
ソアは、鎧を見つめた。
軽くするのではなく。
重さをなくすのでもなく。
重さを扱えるようにする。
それが、この鎧の目指した形だった。
「……ありがとうございます」
ソアは深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます!」
「礼は着てから言え。実際に動いてみなきゃ、分からんこともある」
「はいっ!」
*
さっそく、ソアは《世界巡鎧》を身につけた。
胸当て。
肩当て。
腕当て。
脚甲。
そして、兜。
最後の留め具を固定すると――。
ガシャン。
「…………」
ソアは、ゆっくりと身体を動かした。
一歩。
ザッ。
二歩。
ザッ。
以前と同じ、ずっしりとした重さ。
けれど、肩や膝の動きが違う。
「……あれ?」
ソアは腕を上げた。
以前なら引っかかっていた動きが、滑らかにつながる。
膝を曲げる。
脚甲の重さが、思ったほど動きを妨げない。
「……すごい」
ソアは、その場で軽く踏み込んだ。
ダッ!
重い鎧が、一歩分だけ前へ進む。
今度は身体をひねる。
ザッ!
装甲がわずかに動き、重心が崩れない。
「……すごい! すごいです!」
ソアは勢いよく鍛冶師を振り返った。
「これ、すごいです!」
「分かったから、まず落ち着け!」
「だって、すごいんですもん!」
ソアはその場で何度も足踏みした。
ドン、ドン、ドン!
「おい、床が抜ける!」
「……あっ」
ソアはぴたりと止まった。
「……すみません」
「まったく……」
鍛冶師は呆れながらも、どこか満足そうだった。
「だが、まだ完成したばかりだ。実戦でどう動くかは分からん。しばらくは無理をせず、少しずつ慣らしていけ」
「はい!」
ソアは胸当てを撫でた。
「……これから、よろしくね」
鎧の表面で、淡い緑色の光が静かに巡った。
*
その後。
ソアが鎧の具合を確かめている間、鍛冶師は工房の隅に置かれた小さな金属片を手に取った。
世界巡鋼の残りだった。
鎧を作るために用意した素材のうち、わずかに余ったものだ。
「……こいつも、無駄にはできねえな」
鍛冶師は金属片を指先で転がした。
新しい鎧を作るだけでも、十分に不思議な素材だった。
魔力を流せば、内部を光が巡る。
熱を加えても、普通の金属とは違う反応を見せる。
まるで、どこかへ流れていこうとする力を持っているようだった。
「……ちょっと試してみるか」
鍛冶師は小さな炉に火を入れた。
余った金属を薄く伸ばし、余計な部分を削り、丁寧に形を整えていく。
大きな装備を作るには足りない。
だが、小さな装飾品なら作れる。
やがて、鍛冶師の手の中に、一つの雫型の金属片が生まれた。
中央には、細い葉のような模様。
飾り気は少ない。
それでも、銀白色の表面には、光の角度によって淡い緑色が浮かんでいた。
「……悪くないな」
鍛冶師はそれを細い鎖に通した。
小さなペンダントの完成だった。
*
「ソア、ちょっと来い」
「はい?」
呼ばれたソアは、兜を外して近づいた。
「どうしたんですか?」
「これをやる」
鍛冶師が差し出したものを見て、ソアは首を傾げた。
「……ペンダント?」
「ああ。鎧を作った時に、世界巡鋼が少し余ったんでな。捨てるには惜しいから、形にしてみた」
ソアは、そっと受け取った。
小さな雫型の金属。
その中央には、葉のような模様が刻まれている。
「……きれい」
ソアは、ペンダントを光にかざした。
表面に、淡い緑色が浮かび上がる。
「これも、世界巡鋼なんですか?」
「そうだ。ただ、鎧ほど複雑な加工はしていない。特別な能力があるかどうかも分からん」
「……でも」
ソアはペンダントを胸元に当てた。
「これも、あの鎧から生まれたんですよね?」
鍛冶師は少しだけ目を細めた。
「……ああ。正確には、火口で生まれた金属の余りだがな」
「……そっか」
ソアは、しばらくペンダントを見つめた。
前の鎧は、もうない。
あの形には戻らない。
けれど、あの鎧が火口へ還ったからこそ、この金属が生まれた。
新しい鎧になったものもある。
そして今、小さなペンダントにもなった。
「……ありがとうございます」
ソアは、ペンダントを両手で包み込んだ。
「これも、大切にします」
「鎧みたいに壊すなよ」
「壊しません!」
「……本当か?」
「たぶん!」
「自信を持って否定しろ!」
レイナが吹き出した。
シードも、ソアの手の中のペンダントを覗き込む。
「……はっぱ?」
「うん。葉っぱみたいな模様だね」
「……きれい」
「でしょ!」
ソアは嬉しそうに笑った。
そして、ペンダントを首にかけた。
銀白色の雫が、新しい鎧の胸元に静かに揺れる。
鎧の胸当てに刻まれた緑の光と、ペンダントの淡い光。
二つは、ほんの一瞬だけ、同じリズムで明滅した。
「……ん?」
ソアは胸元を見た。
けれど、次の瞬間には光は消えていた。
「……気のせいかな?」
「どうした?」
「ううん。なんでもない!」
ソアはペンダントをそっと握った。
その小さな金属片が、これから何を意味するのか。
今の彼女には、まだ分からない。
*
その夜。
宿の部屋で、ソアは新しい鎧を壁際に置き、ベッドに腰掛けていた。
首元には、あのペンダントがある。
「……ねえ、シード」
「……なに?」
「このペンダント、前の鎧のことを思い出させてくれるね」
ソアは小さな雫を指先でつまんだ。
「前の鎧は、もう戻らない。でも、あの鎧があったから、今の鎧があるんだよね」
シードは、じっとソアを見つめた。
「……なくなっても、のこる?」
ソアは少し驚き、それから微笑んだ。
「うん。形が変わっても、大切だったことはなくならないよ」
「……そっか」
シードは、自分の頭に生えた小さな葉に触れた。
「……わたしも、そあに、もらった」
「えっ?」
「……いのち。ばしょ。なまえ」
シードは、ゆっくりと言葉をつないだ。
「……だから、わたしも、ソアを、たいせつにする」
ソアは目を丸くした。
それから、シードを優しく抱きしめた。
「……ありがとう」
シードも、小さな手でソアの背中に触れた。
窓の外では、ラーヴァの町の灯りが静かに揺れていた。
ソアは、首元のペンダントにそっと触れる。
新しい鎧。
小さなペンダント。
そして、隣にいるシード。
大切なものは、いつも同じ形をしているわけじゃない。
失われるものもある。
変わっていくものもある。
それでも――。
「……よし!」
ソアは立ち上がった。
「明日は、新しい鎧で冒険だ!」
「……ソア、ねるじかん」
「……あ」
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
「……おやすみなさい」
「……おやすみ」
ソアはベッドに潜り込んだ。
胸元では、小さなペンダントが静かに揺れていた。
その奥で、世界巡鋼の内部を、ほんのわずかな光が巡る。
まるで、遠いどこかから届く鼓動に応えるように。
まだ誰も知らない。
この小さなペンダントが、やがて世界樹の失われた循環を解き明かす、大切な手がかりになることを。
そして、ソアが最後に選ぶ道を、そっと照らすことになるのを。
――世界は、少しずつ巡り始めていた。




