第84話 火口へ還る鎧
炉心遺跡を出た三人は、近くの休憩所で一晩を過ごすことにした。
レイナは入口付近で見張りをしている。
シードは疲れた様子のソアに寄り添い、時折、小さな葉を揺らしていた。
そしてソアは――
「…………」
鎧の破片が詰まった袋を、じっと見つめていた。
袋は、椅子の隣に置いてある。
手を伸ばせば届く距離。
それなのに、ソアはなかなか触れられなかった。
「……ソア」
シードが声をかける。
「……眠れない?」
「うん。ちょっとね」
ソアは苦笑した。
「いつもなら、寝る時も鎧を近くに置いてたから」
「……いまも、あるよ?」
「……そうだね」
ソアは袋に目を向けた。
「あるんだけど……」
言葉が続かない。
中に入っているのは、確かに自分の鎧だったものだ。
けれど、もう着ることはできない。
以前のように胸当てを身につけ、肩当てを固定し、腕当てをはめる。
そんな当たり前のことが、もうできないのだ。
「……変だよね」
ソアは小さく笑った。
「鎧が壊れたことなんて、今まで何度もあったのに」
胸当てが割れたこともある。
肩当てが吹き飛んだこともある。
脚甲が歪んで、まともに歩けなくなったこともある。
それでも、最後には修理して、また着ることができた。
「……今回は、違うんだね」
シードは何も言わず、ソアの手に自分の手を重ねた。
「……うん」
ソアは目を伏せた。
「分かってるんだけどね」
*
翌朝。
「ソア、少しいいか?」
レイナが声をかけた。
「実は、遺跡について気になることがある」
「気になること?」
「ああ。昨日の戦闘中、炉心の奥に別の通路が見えたんだ」
ソアは顔を上げた。
「別の通路?」
「竜皇砲のある場所とは違う方向だ。壁の一部が開いていた。おそらく、あの魔力の奔流で隠されていた通路が露出したんだろう」
「……行ってみよう」
ソアはすぐに立ち上がった。
そして、袋を持ち上げる。
「鎧も一緒に連れていくね」
レイナは一瞬だけ目を細めたが、何も言わずに頷いた。
「分かった。だが、無理はするなよ」
「うん!」
シードも元気よく手を上げた。
「……いっしょ!」
*
炉心遺跡の奥。
崩れた壁の向こうには、細い通路が続いていた。
熱気は強い。
しかし、昨日までの通路とは違い、壁を流れる魔力は穏やかだった。
「……ここだけ、流れが違う」
シードが壁に触れた。
「……あつい。でも、やさしい」
「優しい熱って、どんな熱なんだ?」
レイナが尋ねる。
「……んー……」
シードは少し考えた。
「……おひさま、みたい」
「なるほど。分かるような、分からないような……」
「私は、なんとなく分かるよ」
ソアは頷いた。
「焼きたてのお菓子みたいな感じかな?」
「……それは食べ物の話だろう」
「でも、お菓子って優しい熱で焼くとおいしくなるんだよ?」
「……今は菓子作りの話をしているわけではないんだが」
レイナが呆れる。
それでも、ソアの表情は少し明るくなっていた。
歩き続けるうちに、通路はゆっくりと下へ向かっていった。
やがて。
「……わあ」
ソアが足を止めた。
目の前に広がっていたのは、巨大な円形の空間だった。
中央には、深い火口のような穴がある。
その底で、青白い炎が静かに燃えていた。
炎は揺れているのに、周囲の空気は不思議なほど穏やかだった。
壁には古代文字が刻まれ、床には複雑な魔法陣が広がっている。
そして、火口の手前には古びた石碑が立っていた。
「……古代の鍛造施設か?」
レイナが周囲を見渡す。
「普通の鍛冶場とは規模が違うな」
ソアは石碑に近づいた。
刻まれた文字は、見覚えのある古代文字だった。
けれど、今のソアには読めない。
「……リュシアがいたら、読めたのに」
思わず呟く。
少しだけ寂しくなったが、今は自分たちで確かめるしかない。
シードが石碑に触れた。
すると、表面に淡い緑色の光が浮かび上がった。
「……よめる」
「えっ!?」
ソアが振り返る。
「シード、読めるの!?」
「……ぜんぶ、じゃない。でも……」
シードはゆっくりと言葉を紡いだ。
「……かたち、あるものは……いつか、くだける」
三人は息を呑んだ。
「……されど」
石碑の光が強くなる。
「……うけつがれたものは、かたちをかえて……いきつづける」
沈黙が落ちた。
ソアは、背中の袋を見つめた。
形あるものは、いつか砕ける。
受け継がれたものは、形を変えて生き続ける。
「…………」
ソアは袋を下ろした。
ゆっくりと口を開ける。
中には、砕けた鎧の破片が詰まっていた。
大きな胸当ての一部。
肩当ての破片。
歪んだ腕当て。
小さな留め具。
どれも、ソアが大切にしてきたものだ。
「……ねえ、シード」
「……なに?」
「ここでなら、この鎧……何かできるのかな?」
シードは火口を見つめた。
「……わからない」
正直な答えだった。
「……でも、ここ。ながれてる」
「魔力が?」
「うん。火のちからと、みどりのちから。いっしょに、ながれてる」
ソアは火口を見つめた。
青白い炎の奥に、淡い緑色の光が見える。
炎と緑の光が、互いを打ち消すことなく、ひとつの流れになっていた。
まるで、火と植物が一緒に呼吸しているようだった。
「……世界樹の力もあるのか」
レイナが呟いた。
シードは頷いた。
「……うん。ここ、ふるい。とても、ふるい」
ソアは、袋の中から胸当ての破片を取り出した。
掌に乗せる。
かつては胸を覆っていた、頑丈な魔法鋼。
何度も魔物の攻撃を受け止めた。
何度もソアを守った。
最後には、仲間を守るために砕けた。
「……私ね」
ソアは静かに口を開いた。
「本当は、直したかったんだ」
レイナもシードも、黙って聞いていた。
「また着たかった。傷が増えても、重くても、走りにくくても……また一緒に冒険したかった」
ソアは胸当ての破片を撫でた。
「でも、もう無理なんだよね」
言葉にすると、胸の奥が痛んだ。
「……うん。悲しい」
涙が浮かびそうになる。
それでも、ソアは目を逸らさなかった。
「だけど……この鎧と過ごした時間まで、なくなっちゃうわけじゃない」
石碑の文字を思い出す。
形あるものは、いつか砕ける。
受け継がれたものは、形を変えて生き続ける。
「……だったら」
ソアは、火口を見つめた。
「この子が残してくれたものを、次につなげたい」
「ソア……」
レイナが小さく呟いた。
「本当にいいのか? その破片は、お前にとって大切なものだろう」
「うん」
ソアは頷いた。
「だからこそ、だよ」
胸当てを、両手で包み込む。
「ただ袋に入れて、ずっと持っているだけじゃなくて……この子が守ってくれたことを、これからの冒険につなげたい」
それは、簡単な決断ではなかった。
手放したくない。
失いたくない。
もう一度、元の形に戻ってほしい。
そんな気持ちが、今も胸の中にある。
それでも。
ソアは一歩、火口へ近づいた。
「……私、鎧が大好きだよ」
青白い炎に向かって、語りかける。
「重くて、頑丈で、格好よくて。着ると安心できて……」
ソアは笑った。
「たくさんの冒険に連れていってくれた、大切な鎧」
そして、少しだけ目を細めた。
「だから……また、一緒に冒険しようね」
ソアは、胸当ての破片を火口へ差し出した。
炎が、静かに揺れた。
まるで、その言葉を待っていたかのように。
レイナが息を呑む。
シードは、ソアの隣で小さく頷いた。
「……いってらっしゃい」
その言葉を聞いて、ソアは一瞬だけ目を見開いた。
そして。
「……うん」
ゆっくりと、手を開いた。
胸当ての破片が落ちていく。
青白い炎の中へ。
カラン……。
小さな音が、深い火口に響いた。
破片が炎に触れた瞬間。
青白い光が、緑色へと変わった。
「……っ!?」
火口全体が輝き始める。
床の魔法陣が次々と光を帯び、壁に刻まれた古代文字が浮かび上がった。
炎が渦を巻く。
その中心で、胸当ての破片がゆっくりと溶け始めていた。
「ソア、これは……!」
レイナが叫ぶ。
「……わからない!」
ソアは目を見開いた。
けれど、怖くはなかった。
不思議と、そう思えた。
炎の中に消えていく破片。
それは、失われていくようにも見えた。
けれど同時に。
何かが、受け継がれていくようにも見えた。
シードが、そっと呟いた。
「……こわれた。でも……」
緑色の瞳が、火口の光を映す。
「……なくなって、ない」
ソアは、静かに頷いた。
「……うん」
そして、残りの破片を見つめた。
肩当て。
腕当て。
脚甲。
すべてが、あの鎧の一部だった。
ソアはひとつずつ取り出し、胸元に抱きしめた。
「……ありがとう」
最後に、もう一度。
「……今まで、本当にありがとう」
ソアは残りの破片を、ひとつずつ火口へ還していった。
小さな留め具も。
歪んだ装甲も。
最後の金属片も。
すべてが青白い炎の中へ消えていく。
そして最後の破片が炎に触れた瞬間。
ドクンッ!
炉心の奥から、力強い鼓動が響いた。
青白い炎が、天井まで届くほど高く立ち上がる。
緑色の光が、その中を流れていく。
まるで、何かが生まれようとしているようだった。
「…………」
ソアは、目の前の光を見つめていた。
もう、手元には何も残っていない。
あの鎧の破片は、すべて炎の中へ還った。
悲しみが消えたわけではない。
寂しさも、まだ胸の奥にある。
それでも。
「……またね」
ソアは、小さく笑った。
「……私の鎧」
炎が、ひときわ強く輝いた。
その光の中で。
古代の鍛造炉が、長い眠りから目を覚まし始めていた。




