第83話 ありがとう、私の鎧
炉心遺跡の最奥。
巨大な炉の鼓動は、先ほどよりも弱まっていた。
それでも、赤い光は消えていない。
竜皇砲は、まだ眠りについてはいなかった。
「……ソア」
レイナが声をかける。
「いったん、ここを離れよう。あの男も姿を消した。今すぐ追うのは危険だ」
「……うん」
ソアは小さく頷いた。
けれど、立ち上がろうとはしなかった。
膝の上には、砕けた胸当ての破片がある。
その表面を、指先でそっと撫でる。
「……もう、直らないのかな」
誰に尋ねたわけでもなかった。
レイナは答えられなかった。
何度も壊れ、そのたびに修理されてきた鎧だ。
けれど、今回は違う。
装甲は細かく砕け、留め具は潰れ、魔力を通していた継ぎ目も完全に裂けている。
鍛冶師がどれほど腕のいい職人でも、元の形に戻すのは難しいだろう。
「……ごめんね」
ソアは、破片に向かって呟いた。
「私、もっと大切に使うつもりだったんだけどな」
シードが、そっとソアの手に触れた。
「……ソア。わるく、ない」
「……そうかな」
「うん」
シードは、ソアの顔を見上げた。
「……ソア、まもった」
「……」
「レイナも、わたしも。まもった」
ソアは目を伏せた。
「……うん」
分かっている。
この鎧が壊れたのは、自分が二人を守ろうとしたからだ。
後悔はしていない。
あの瞬間に戻れたとしても、きっと同じことをする。
それでも。
「……やっぱり、悲しいよ」
ソアは、正直にそう言った。
「私、この鎧が大好きだったから」
*
少し落ち着いてから、三人は炉心の外側にある安全な通路へ移動した。
レイナが周囲を警戒する。
シードは壁に根を伸ばし、魔力の流れに異常がないか確かめていた。
そしてソアは――
床に散らばった鎧の破片を拾い集めていた。
「……これは胸当て」
小さな破片を拾う。
「こっちは肩当てかな……」
少し大きな装甲片を拾う。
「これは……腕当ての一部だ」
ひとつずつ、確かめながら袋に入れていく。
細かな金属片も、変形した留め具も。
ひとつ残らず。
「ソア、そんな細かいものまで持っていくのか?」
レイナが尋ねた。
「うん」
ソアは即答した。
「だって、私の鎧だから」
「……そうか」
レイナは、それ以上何も言わなかった。
ソアが破片を拾うたび、過去の出来事が蘇ってくる。
初めてゴブリンと戦った時。
剣がまったく当たらず、追いかけ回した挙げ句に崖から落ちたこと。
巨大な魔物と戦い、胸当てが壊れた時。
初めて自分の力が変わったことに気づいた瞬間。
ダンジョンで《全解除》を使い、鎧も武器も失ってしまった時。
恥ずかしさのあまり、二度と使わないと誓ったこと。
レイナやミレイユと出会い、何度も鎧を壊しながら冒険を続けてきたこと。
どれも、鮮明に覚えている。
「……ふふ」
ソアは、小さく笑った。
「本当に、いっぱい壊れたね」
「笑い事なのか、それは……」
「だって、毎回大変だったんだよ?」
ソアは指を折りながら数え始めた。
「修理代を払って、お金がなくなって。依頼を受けて、お金を稼いで。また壊れて……」
「……」
「……あれ?」
ソアの手が止まった。
「もしかして、私の冒険って、鎧を修理するために冒険してたのかな?」
「今さら気づいたのか!?」
レイナの声が遺跡に響いた。
シードが首を傾げる。
「……おかね。たいせつ?」
「とっても大切!」
ソアは真剣に答えた。
「鎧を直すためには、お金が必要だからね!」
「……そあ、かしこい」
「えへへ!」
「褒められているのか、それは……」
レイナは額を押さえた。
ほんの少しだけ、いつもの空気が戻る。
けれど、ソアは再び破片に目を落とした。
「……でもね」
その声は、静かだった。
「お金がなくなっても、また直したかったんだ」
ソアは、胸当ての大きな破片を両手で包み込んだ。
「傷が増えても、形が歪んでも。ちゃんと直して、また一緒に冒険したかった」
傷だらけの鎧。
何度も修理された鎧。
新品の頃と比べれば、ずいぶん変わってしまった。
それでも、ソアは気に入っていた。
傷ひとつない鎧よりも、ずっと。
「……私、この鎧を着てると、安心できたんだ」
ソアは顔を上げた。
「重くて、動きにくくて、走るのも大変だったけど……」
「そこまで分かっていて、なぜ着続けたんだ?」
レイナが思わず尋ねる。
「好きだから!」
「……即答か」
「うん!」
ソアは笑った。
今度の笑顔は、少しだけ寂しそうだった。
「鎧を着てるとね、どんなに怖くても、前に進める気がしたんだ」
ソアは胸当てを見つめる。
「最初は、鎧があれば何でも大丈夫だと思ってた。でも、本当はそうじゃなかった」
鎧を着ていても、攻撃が当たらないことはあった。
強い魔物に吹き飛ばされることもあった。
仲間を危険にさらすこともあった。
鎧が壊れて、自分の弱さを思い知ることもあった。
それでも。
「……この鎧があったから、私はここまで来られたんだと思う」
ソアは破片を胸元に抱きしめた。
「ありがとう」
小さな声だった。
「今まで、私を守ってくれて」
誰も口を挟まなかった。
「何度も壊れちゃって、ごめんね」
ソアの目に、涙が浮かんだ。
「修理してもらっても、また壊しちゃって……。最後まで、無茶ばっかりさせちゃったね」
涙が一滴、金属の破片に落ちた。
「……でも」
ソアは、ゆっくりと顔を上げた。
「私、あなたと冒険できて、本当によかった」
その言葉を口にした瞬間。
ずっと堪えていた涙が、頬を伝った。
「……ありがとう」
もう一度。
「……ありがとう、私の鎧」
*
しばらくして。
ソアは、すべての破片を拾い終えた。
大きな装甲片も、小さな金属片も。
ひとつ残らず袋に収めてある。
袋は、ずっしりと重かった。
「……重いね」
ソアは両手で持ち上げた。
「……うん。やっぱり、鎧だね」
少しだけ笑う。
そして、袋を大切そうに抱えた。
「……持って帰ろう」
「鍛冶師に見せるのか?」
レイナが尋ねた。
「うん。直せるかどうか、聞いてみたい」
ソアは答えた。
「……難しいのは分かってる。でも、ちゃんと見てもらいたいんだ」
「分かった。私も一緒に行こう」
「ありがとう、レイナ」
シードも、ソアの手を握った。
「……わたしも、いっしょ」
「うん。みんなで帰ろうね」
ソアは立ち上がった。
腰には、いつもの鉄の剣。
手には、いつもの鉄の盾。
そして背中には――
もう二度と着ることのできない鎧の破片。
いつもより身軽なはずなのに。
ソアは、ひどく重たいものを背負っている気がした。
*
遺跡を出る直前。
ソアは一度だけ、振り返った。
遠くに見える炉心は、まだ赤い光を放っている。
その奥には、目覚めかけた竜皇砲が眠っている。
黒衣の男の姿は、もう見えなかった。
「……また来るね」
ソアは炉心に向かって呟いた。
「今度は、ちゃんと止めるから」
それから、背中の袋にそっと手を添えた。
「……その時は、また一緒に来ようね」
返事はない。
ただ、袋の中で金属片が小さく触れ合った。
カチャリ。
それはまるで、いつもの鎧が応えてくれたような音だった。
ソアは、目を閉じた。
そして、ゆっくりと歩き出した。
大切なものを失った悲しみは、すぐには消えない。
それでも。
ソアは、前へ進む。
鎧と共に歩んできた道を。
これからも、自分の足で。
――その手に抱えた、たくさんの思い出と一緒に。




