第68話 崩れゆく障壁と、託された力
地下神殿に、耳障りな音が響いていた。
ピシッ。
ピシピシッ。
レイナが展開した青白い障壁に、無数の亀裂が走っている。
その向こうでは、巨大な石像が黒い魔力をまとった盾を構えていた。
「……長くは持たないわね」
レイナは歯を食いしばった。
《鉄壁》は、彼女の得意とする防御スキルだ。
どれほど強力な攻撃でも、正面から受け止め、仲間を守る。
それが、鉄壁のレイナと呼ばれる理由だった。
しかし、今の石像が放つ攻撃は異常だった。
受け止めるたびに、障壁の魔力が吸い取られていく。
まるで、壁そのものを食い破ろうとしているかのように。
「レイナ、黒い結晶が魔力を吸い込んでる!」
ソアが叫んだ。
「分かっているわ!」
「でも、あれを壊さないと――」
「ええ。分かっている!」
レイナの声が強くなる。
その直後、石像が大剣を振り下ろした。
ドゴォォォン!!
「くっ……!」
障壁が大きく揺れた。
レイナの膝が、わずかに沈む。
「レイナ!」
ソアが駆け寄ろうとする。
しかし、レイナは首を横に振った。
「まだよ!」
「でも!」
「まだ、私は立っているわ!」
その声には、意地だけではない何かがあった。
レイナは守りたかった。
自分の後ろにいる仲間たちを。
自分の力が届く範囲にいる人々を。
そして、今度こそ誰も失わないという、自分自身の誓いを。
けれど――。
守りたいものが増えるほど、一人で抱え込もうとしてしまう。
その癖を、彼女自身も分かっていた。
それでも、簡単には変えられなかった。
「……ソア」
「なに?」
「黒い結晶を露出させて。あなたの装甲板なら、あそこまで届くはずよ」
ソアの目が見開かれた。
「……私に任せてくれるの?」
「ええ。あなたにしかできないことがあるわ」
レイナは障壁を支えながら、微かに笑った。
「だから、お願い」
その一言に、ソアは嬉しそうに頷いた。
「うん! 任せて!」
そして、腰の装甲板を一枚外した。
カシャン。
魔力を込める。
装甲板が浮かび上がり、ゆっくりと宙を漂った。
「……よし」
ソアは集中した。
以前なら、装甲板を浮かせるだけで精一杯だった。
少し力を入れすぎれば勢いよく飛んでいき、制御を誤れば自分の頭にぶつかる。
実際、何度か経験済みである。
できれば、もう経験したくない。
「今回は、ちゃんと狙って……」
装甲板がふらりと傾いた。
「わっ!」
慌てて魔力を調整する。
装甲板は一度大きく揺れたものの、どうにか元の位置へ戻った。
「……危なかった」
「ソア、集中して!」
「は、はいっ!」
レイナの鋭い声に、ソアは背筋を伸ばした。
その様子を見て、ルシアが小さく息を吐く。
「浮かせることはできても、細かい制御はまだ不安定ね……」
「……ソア、かぜ」
シードが小さな手を伸ばした。
装甲板の周囲に、淡い緑色の魔力が流れる。
ルシアもその意味を察した。
「なるほど。無理に動かそうとするんじゃなくて、風の流れに乗せるのね」
ルシアが指先を動かす。
そよ風が、装甲板の下を通り抜けた。
装甲板がわずかに持ち上がる。
「……あっ」
ソアは目を瞬かせた。
「今の、すごく動かしやすい!」
「あなたの魔力を押し出すんじゃなく、流れを作ってあげるの。風に逆らわなければ、少ない力でも動かせるわ」
「そっか……!」
ソアは装甲板を見つめた。
自分の力だけで無理やり動かす必要はない。
風の流れを読み、その流れを利用すればいい。
空を飛んだときと同じだ。
「ありがとう、ルシア!」
「お礼は後よ。障壁が限界みたい!」
「そうだった!」
レイナの障壁に、さらに大きな亀裂が走った。
バキッ!
「……っ!」
石像が盾を前へ突き出す。
黒い魔力が収束していく。
次の攻撃を受ければ、障壁が崩れる。
「シード!」
ソアが叫ぶ。
「……うん!」
シードの足元から、細い根が伸びた。
根は床を伝い、石像の盾へと絡みついていく。
しかし、黒い魔力がそれを拒むように弾き返した。
「……つよい」
シードが眉を寄せる。
「黒い結晶が、周囲の魔力を吸い上げてるんだ!」
ソアは装甲板を構え直した。
結晶は盾の内部に埋め込まれている。
外側から直接砕くことは難しい。
まずは、結晶を露出させなければならない。
「レイナ! もう一度、あの盾の攻撃を受け止めて!」
「……分かったわ!」
「えっ、受け止めるの!?」
ルシアが驚く。
「今でも限界なのよ!?」
「だから、次の一撃だけ!」
ソアは装甲板を見つめた。
「レイナが攻撃を受けた瞬間、盾の魔力が大きく動くはず。そのときなら、結晶が見えるかもしれない!」
レイナは一瞬だけ考えた。
危険な賭けだ。
けれど、ほかに確実な方法はない。
「……いいわ」
レイナは大剣を構え直した。
「次の一撃で決める!」
石像が大きく後退した。
そして――。
ドォン!!
床を蹴り、巨大な身体ごと突進してくる。
「来るわよ!」
レイナが叫んだ。
「《鉄壁》!!」
青白い障壁が、これまでで最大の輝きを放つ。
石像の盾と障壁が激突した。
轟音。
衝撃。
床が砕け、壁の燭台が揺れる。
レイナの障壁に、蜘蛛の巣のような亀裂が広がった。
「ぐっ……ああああっ!!」
レイナは必死に踏ん張った。
そして、その瞬間。
石像の盾の紋様が、一斉に紫色へ変化した。
黒い結晶が、盾の中央からわずかに姿を現す。
「今だよ!」
ソアが装甲板を放った。
ヒュンッ!
装甲板が風に乗り、盾の中央へ向かう。
しかし――。
ガキィン!!
石像が盾をわずかに傾けた。
装甲板は弾かれ、壁へ向かって飛んでいく。
「ええっ!?」
「ソア!」
レイナの声が響く。
装甲板は壁に激突する寸前だった。
ソアは反射的に手を伸ばした。
「戻って!」
装甲板が空中で揺れる。
ほんの一瞬。
動きが止まった。
そして、ゆっくりと向きを変える。
「……戻った!」
完璧ではない。
大きく弧を描き、少しずつ速度を落としながら、装甲板がソアのもとへ戻ってきた。
ソアはそれを両手で受け止めた。
「よかったぁ……!」
「喜ぶのは後よ!」
「はいっ!」
ソアはすぐに装甲板を浮かせ直した。
今度は、無理に正面から狙わない。
盾の動きを観察する。
黒い魔力の流れを読む。
そして、風が通り抜ける隙間を探す。
「……そこ!」
装甲板が横へ流れた。
石像が盾を動かす。
その瞬間、装甲板は風に乗って軌道を変えた。
盾の縁をすり抜ける。
そして――。
パキンッ!!
黒い結晶に、装甲板の先端が命中した。
結晶に亀裂が走る。
「やった!」
ソアが声を上げた。
しかし、黒い結晶はまだ砕けていない。
むしろ、最後の抵抗をするように、強烈な紫色の光を放ち始めた。
石像が咆哮する。
グオオオオオッ!!
その身体から黒い魔力が噴き出した。
レイナの障壁が、限界を迎える。
「……もう、持たないわ!」
レイナは大剣を握りしめた。
ここで障壁を解除すれば、黒い魔力が仲間たちへ向かう。
維持すれば、障壁が崩壊した瞬間に自分も動けなくなるかもしれない。
どちらを選んでも危険だった。
そのとき。
「レイナ!」
ソアが叫んだ。
「もう、一人で全部受け止めなくていいよ!」
レイナは目を見開いた。
「……!」
「私たちも一緒に守るから!」
シードが頷く。
「……いっしょ」
ルシアも杖を構えた。
「風の流れは私が作るわ! あなたは、守ることだけに集中して!」
レイナは三人を見た。
自分の背中を預けられる仲間。
自分の力が届かない場所へ、手を伸ばしてくれる仲間。
ずっと前から、そこにいたはずなのに。
自分が一人で守ろうとするあまり、その存在を頼ることができなかった。
「……そうね」
レイナは、ゆっくりと息を吸った。
「私は、鉄壁のレイナ」
大剣を構える。
「でも、私一人で全てを守る必要はない」
青白い魔力が、再び彼女の周囲に集まり始めた。
「みんな、力を貸して!」
「うん!」
ソアが笑顔で答える。
シードの根が床を覆い、ルシアの風が神殿を駆け抜けた。
そしてレイナの障壁が、三人の魔力を受けて輝きを増す。
石像が最後の一撃を放った。
ドォォォォン!!
凄まじい衝撃。
それでも、障壁は崩れなかった。
黒い結晶が激しく震える。
レイナは一歩も退かない。
「これが――」
大剣を握る手に力を込める。
「私たちの鉄壁よ!!」
パキィィン!!
黒い結晶が砕け散った。
紫色の光が消え、石像の動きが止まる。
黒い魔力は霧のように薄れ、神殿を満たしていた異様な圧迫感も消えていった。
そして――。
ゴゴゴゴゴ……。
石像がゆっくりと膝をついた。
その盾から、まばゆい青い光が溢れ出す。
三つ目の魔法陣が、静かに輝き始めた。
「……終わったの?」
ソアが恐る恐る尋ねる。
レイナは大剣を下ろした。
「……いいえ」
彼女は神殿の奥を見つめた。
「まだよ」
三つ目の魔法陣。
そこには、これまでとは違う光景が浮かび上がっていた。
小さな子供が一人。
崩れかけた石橋の向こう側に立っている。
その足元では、石橋が少しずつ崩れていた。
レイナは息を呑んだ。
「……あの子を、守れというの?」
子供までの距離は遠い。
《鉄壁》を展開しても、届く範囲には限界がある。
走って向かえば、橋が崩れる前に間に合わない。
大剣を投げても届かない。
障壁を広げても、子供を包み込めるほどの範囲にはならない。
それでも、子供は助けを求めていた。
「……たすけて」
小さな声が、神殿に響く。
レイナは拳を握りしめた。
今までなら、ここで一人で何とかしようとしていただろう。
けれど、今は違う。
彼女はソアたちを振り返った。
「……みんな」
少しだけ、照れくさそうに笑う。
「もう一度、力を貸してくれる?」
ソアは、満面の笑みで頷いた。
「もちろん!」
シードも葉を揺らす。
「……まかせて」
ルシアは杖を掲げた。
「今度は、全員で助けましょう」
レイナは前を向いた。
自分の手だけでは届かない場所。
けれど、仲間となら届くかもしれない。
彼女は大剣を握り直した。
「待っていて。必ず、助けるわ」
三つ目の試練が、始まった。




