第64話 守護の器と、奪われた街
ゴォォォン……。
天空神殿に、二度目の鐘が鳴り響いた。
石板の文字が、緑色の光を放っている。
『第三の器は、守る者を待つ』
ソア・ミュスカは、その一文をじっと見つめていた。
「……第三の器って、何なんだろう?」
「石板の順番どおりなら、盾か鎖のどちらかでしょうね」
リュシアが答えた。
「でも、守る者という表現が気になります。単に防御力の高い装備という意味ではなさそうです」
シードは石板に手を触れた。
「……レイナ」
「え?」
「……守る者。レイナに、似てる」
ソアは目を見開いた。
レイナ・ヴァルハート。
鉄壁のレイナと呼ばれる、A級冒険者。
巨大な魔法障壁を展開し、仲間を守ることに誰よりも誇りを持つ女性だ。
「……確かに!」
ソアは手を叩いた。
「レイナさんなら、ぴったりかも!」
「ただし、本人がどこにいるか分かりませんよ」
リュシアの指摘に、ソアは固まった。
「……あ」
「それに、第三の器が本当に盾だと決まったわけでもありません」
「……あああ」
ソアは頭を抱えた。
「せっかく分かったと思ったのに!」
シードが、ソアの袖を引いた。
「……でも」
「ん?」
シードは石板の下を指差した。
そこには、これまで気づかなかった小さな文字があった。
『守護の継承試練、開始地点――聖都アルセリア』
「聖都……アルセリア?」
リュシアの表情が変わった。
「そこなら知っています。大陸中央にある、古い聖堂都市です。世界樹に関する研究も行われていた場所だと聞いています」
「じゃあ、次はそこだね!」
ソアは即答した。
「待ってください。聖都までは遠いですよ。それに、まずはギルドに報告を――」
「報告して、準備して、出発!」
「……分かりました」
リュシアはため息をついた。
「ただし、今度は無計画に飛び出さないこと」
「もちろん!」
ソアは胸を張った。
「ちゃんと計画を立てるよ!」
その直後、彼女の背中の翼が、バサッと大きく広がった。
「……あれ?」
身体がふわりと浮く。
「わっ、ちょっと待って!」
ソアは慌てて翼を閉じた。
ドスン。
床に着地する。
「……」
「……」
リュシアは額に手を当てた。
「計画を立てる前に、翼の制御を覚えてください」
「はい……」
シードが小さく頷いた。
「……がんばろう」
◇
その頃。
大陸中央から遠く離れた山間の町。
黒衣の男は、古びた宿の一室にいた。
机の上には、一枚の地図。
そこには、聖都アルセリアを中心に、七つの遺跡が記されていた。
男は地図の一角に、黒い石を置いた。
「……第三の器」
指先で石を動かす。
「守護の試練か」
男は懐から、銀白色の羽根を取り出した。
かつて《天翔の翼》の試練で手に入れたもの。
その根元には、黒い線が走っている。
男が羽根を握ると、かすかな光が指の隙間から漏れた。
「……まだ、つながっている」
その光を見つめていると、不意に記憶が蘇った。
燃え上がる街。
崩れ落ちる建物。
逃げ惑う人々。
そして――
「待って!」
少女の声。
瓦礫の向こうに、小さな手が見えた。
男は必死に手を伸ばした。
だが、届かなかった。
「……っ」
男は目を閉じ、記憶を振り払った。
「今度こそ、守る」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「力さえあれば、誰も失わずに済む」
机の上の地図が、黒い光に包まれた。
聖都アルセリア。
その地下に眠る古代装置が、かすかに反応する。
男は立ち上がった。
「待っていろ。今度は、間違えない」
◇
数日後。
ソアたちは、天空神殿を後にしていた。
帰り道では、リュシアが風の流れを読み、ソアが翼で高度を保つ。
以前なら数メートル飛ぶだけで墜落していたソアだが、今は違った。
「右の風に乗って、少し上昇……」
ソアは翼を傾けた。
身体が滑らかに上昇する。
「そのまま、前方へ」
「はい!」
「返事だけでなく、操作してください!」
「してるよ!」
ソアは笑いながら、雲の隙間を抜けた。
今回は落ちなかった。
しかも、後ろから飛んでくるリュシアと同じ速度を、しばらく維持できている。
「……ソアさん」
「なに?」
「本当に上達しましたね」
ソアは一瞬、目を丸くした。
そして、照れくさそうに笑った。
「えへへ……。前は風に振り回されるだけだったけど、今は少し分かるんだ」
「どのように?」
「風を押し返すんじゃなくて、進みたい方向に流れをつなぐ感じ」
ソアは背中の翼を見た。
「魔力も同じ。無理に使おうとすると、すぐ疲れちゃう。でも、流れに乗せると、そんなに力を使わなくても動けるんだよ」
リュシアは感心したように頷いた。
「それは、古代魔法の基本思想にも通じています。力を生み出すことより、流れを整えることが重要だと」
「へえ……」
ソアは少し考えた。
「じゃあ、私のスキルも、そういう仕組みなのかな?」
「可能性はありますね」
シードがソアの肩から顔を出した。
「……ソアは、手放すと強くなる」
「うん。でも、全部を手放せばいいってわけじゃないんだよね」
ソアは、腰に下げた剣を軽く叩いた。
「必要なものは持っていく。大事なものは大事にする。でも、何でも自分だけで抱え込まない」
シードは、嬉しそうに目を細めた。
「……うん」
ソアは笑顔で前を向いた。
「よし! 聖都に着いたら、まずは第三の器を探そう!」
「その前に、装備の修理と補給です」
「……はい」
「それから、宿の予約も」
「はい……」
「あと、ソアさんの飛行訓練も続けます」
「うわあああ! 予定がいっぱい!」
シードが、ぽつりと呟いた。
「……おかねも、いっぱい必要」
「それは言わないでぇぇぇ!」
三人の声が、雲海に響いた。
◇
聖都アルセリア。
白い石壁に囲まれた、美しい街だった。
街の中心には巨大な聖堂がそびえ、その周囲には古い神殿や研究施設が点在している。
しかし、街に入ったソアたちは、すぐに異変に気づいた。
人通りが少ない。
店の扉は閉ざされ、冒険者らしき人々が武器を手に走り回っている。
広場では、兵士たちが住民に避難を呼びかけていた。
「……何かあったの?」
ソアが近くの兵士に声をかけた。
「君たち、冒険者か?」
「はい。A級冒険者のリュシアさんと一緒に、調査で来ました」
リュシアが冒険者証を提示する。
兵士は険しい表情のまま、聖堂の方角を指差した。
「三日前から、聖堂地下の遺跡で異常が起きている。地下から魔力が吸い上げられ、街の防護結界が弱まり始めた」
「魔力が吸い上げられている……?」
ソアの表情が険しくなる。
兵士は頷いた。
「地下へ調査に入った者たちも、まだ戻っていない。聖堂騎士団が対応しているが、状況は悪化する一方だ」
その時だった。
ドォォォン!!
街の奥から爆発音が響いた。
住民たちが悲鳴を上げる。
聖堂の尖塔から、黒い煙が立ち上った。
「……行こう!」
ソアは駆け出した。
「ソアさん、待って!」
リュシアが追いかける。
シードもソアの肩にしがみついた。
聖堂へ近づくにつれ、魔力の異常は明らかになっていった。
街を包む防護結界が、ところどころ黒く変色している。
その中心から、何かが魔力を吸い取っているのだ。
ソアは翼を広げた。
「上から確認する!」
「危険です! 結界の近くでは魔力が乱れています!」
「大丈夫! 無理はしないから!」
ソアは地面を蹴り、空へ舞い上がった。
聖堂の屋根を越える。
その瞬間、地下へ続く中庭の中央に、黒い結晶が見えた。
巨大な結晶だった。
何本もの黒い鎖が地面に伸び、街の防護結界とつながっている。
そして、その鎖の根元に――
黒衣の男が立っていた。
「……見つけた」
ソアは呟いた。
男もこちらに気づいた。
視線が交わる。
男は驚かなかった。
むしろ、待っていたかのように静かに顔を上げた。
「……来たか」
「何をしてるの!?」
ソアは空中で叫んだ。
「街の魔力を吸い取ってるのは、あなたなの!?」
「そうだ」
男はあっさり答えた。
「この装置を動かすためには、膨大な魔力が必要だ」
「だからって、街のみんなを危険にさらしていいわけないでしょ!」
男は目を細めた。
「では、どうすればいい?」
「え?」
「誰かを守るために力が必要な時、君はどうする?」
ソアは言葉に詰まった。
男は続ける。
「力が足りなければ、守れない。力がなければ、手を伸ばしても届かない。どれほど願っても、失われたものは戻らない」
その声には、怒りよりも深い悲しみが滲んでいた。
「私は、もう二度と同じ過ちを繰り返さない」
黒い鎖が、さらに強く光る。
ドクン。
結晶が脈打った。
聖堂の地下から、巨大な魔力のうねりが立ち上る。
【第三の器――起動】
【守護の継承試練を開始します】
【警告:外部干渉を検出】
ソアの翼が激しく光った。
「……っ!」
身体が引っ張られるような感覚。
まるで、聖堂の地下から何かが自分を呼んでいる。
シードがソアの肩で震えた。
「……ソア!」
「分かってる!」
ソアは男を睨んだ。
「あなたの事情は、まだ分からない。でも――」
剣を抜く。
「街の人たちを巻き込むのは、ここまでだよ!」
男は、ゆっくりと手を上げた。
黒い鎖が地面から伸びる。
「ならば、止めてみろ」
その瞬間。
聖堂の地下から、轟音が響き渡った。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
地面が割れ、巨大な石の盾が姿を現す。
その盾の中央には、緑色の宝石が埋め込まれていた。
盾の表面には、七本の枝の紋章。
そして、その縁には、黒い鎖が何重にも巻きついている。
【第三の器――《絶対鏡盾》】
【継承者候補:レイナ・ヴァルハート】
【現在地:北方古戦場】
ソアの目が大きく見開かれた。
「……レイナさん!?」
男は盾を見上げた。
「守る者か……」
その声は、どこか苦しげだった。
「ならば、証明してもらおう」
男が手を握る。
黒い鎖が、盾を地下から引きずり出した。
「本当に、すべてを守れるのかを」
盾から、眩い光が放たれる。
街全体が揺れた。
そして遠く離れた北方古戦場では――
一人の女騎士が、突然胸元に浮かび上がった緑色の紋章を見つめていた。
レイナ・ヴァルハート。
鉄壁のレイナ。
彼女の手には、巨大な剣が握られている。
「……何だ、これは」
紋章が輝く。
そして、空の彼方から声が響いた。
【守護の継承者を確認】
【試練の開始地点へ移動してください】
レイナは剣を肩に担いだ。
「……なるほど」
その口元に、戦士らしい笑みが浮かぶ。
「どうやら、私の出番らしいな」
彼女は北方古戦場を後にした。
守る者の試練が、始まろうとしていた。




