第63話 雲海の向こうの神殿と、目覚める第三の器
「うわぁぁぁぁっ! 高い! 高いよぉぉぉ!」
雲海の上。
ソア・ミュスカは、銀白色の翼を広げて飛んでいた。
その表情は、感動と恐怖が半分ずつ。
「ソア、前を見てください!」
「見てる! 見てるよ!」
「前じゃなくて、足元を見ています!」
「だって雲が下にあるんだよ!?」
ソアは思わず下を見た。
遥か下には、山々が小さく広がっている。
そのさらに下には、風渡り村があるはずだった。
「……私、本当に飛んでるんだ」
思わず笑みがこぼれる。
これまで何度も挑戦してきた飛行。
壁にぶつかり、地面に落ち、鎧を壊し、そのたびに修理代を心配してきた。
それが今は、自分の翼で空を渡っている。
「すごい……!」
「感動するのは、着地してからにしてください!」
リュシアの声が、後ろから飛んできた。
彼女は背中の飛行装置を使い、ソアの後方を飛んでいる。
シードはソアの肩にしっかりとつかまっていた。
「……ソア」
「なに?」
「……右」
「右?」
ソアが顔を向けた瞬間。
ゴォォォッ!
横合いから強風が吹きつけた。
「きゃあああああっ!」
身体が大きく傾く。
翼が風を受け、ソアの身体が横へ流された。
「ソアさん! 風に逆らわないで!」
「分かってるけどぉぉぉ!」
ソアは反射的に翼へ魔力を流そうとした。
しかし、力を込める直前に気づく。
風の流れ。
上から下へ。
そして、左から右へ。
ぶつかり合う風の隙間に、一瞬だけ穏やかな流れがある。
「……そこ!」
ソアは翼の角度を変えた。
魔力を押し出すのではなく、風に沿わせる。
身体が、ふっと浮いた。
強風の向こうへ滑り込むように抜ける。
「……あれ?」
ソアは目を丸くした。
「今、避けられた?」
「ええ。見事でした」
リュシアが驚いたように目を細める。
「さっきまでは風に押し流されていたのに……」
ソアは自分の翼を見た。
「……ちょっとだけ、分かったかも」
シードが頷く。
「……流れに、乗った」
「うん!」
ソアは笑顔になった。
「よーし! この調子で――」
「その前に、目的地が見えてきました!」
リュシアが前方を指差した。
雲海の向こう。
そこには、巨大な建造物が浮かんでいた。
白い石柱。
空中に伸びる回廊。
そして、中央にそびえる神殿。
まるで空そのものに建てられたような場所だった。
ソアは言葉を失った。
「……すごい」
神殿の頂上では、淡い緑色の光が脈打っていた。
その光を見た瞬間。
ソアの頭の中に、あの声が響いた。
【未登録の世界樹経路を確認】
【対象施設:天空神殿】
【継承試練――再構成中】
「……え?」
ソアの表情が変わった。
「今、また聞こえた」
「何がですか?」
リュシアが尋ねる。
「頭の中で、声がしたの。あの神殿のことを知ってるみたいな……」
シードが神殿を見つめた。
「……よばれてる」
その声は、いつもよりはっきりしていた。
「……ここから」
シードの胸元が、淡く光り始めた。
そして、神殿の頂上も同じ色に輝いた。
二つの光が、雲海の上で呼応する。
ソアは翼を広げ直した。
「行こう」
今度の声に、迷いはなかった。
「何が待っていても、確かめなきゃ」
三人は、天空神殿へ向かった。
◇
神殿の入口には、巨大な扉があった。
扉の中央には、七本の枝を模した紋章。
そのうち二本は黒く染まっていた。
ソアは眉をひそめる。
「……また、この印だ」
「世界樹の紋章ですね」
リュシアが扉を調べる。
「ですが、黒く染まっている部分があります。自然に劣化したものには見えません」
シードが扉へ近づいた。
「……ちがう」
「何が違うの?」
「……壊れたんじゃない」
シードは黒い部分に手を触れた。
「……上から、塗られてる」
その瞬間。
ドクン。
扉の奥から、低い振動が伝わってきた。
ソアの翼が光る。
【継承者の接近を確認】
【試練の再構成を開始します】
【第一条件――力を示せ】
ゴゴゴゴゴ……。
巨大な扉が、ゆっくりと開いた。
その先には、広大な円形広間が広がっていた。
床には無数の溝。
壁には風の流れを描いた古代文字。
そして中央には、三体の石像が並んでいた。
一体目は、巨大な盾を持つ戦士。
二体目は、鎖を手にした魔術師。
三体目は、背中に翼を持つ騎士。
「……三体もいるの?」
ソアは剣を抜いた。
「もしかして、全部倒さないと先に進めないとか?」
リュシアが床の文字を読み取る。
「待ってください。文字があります」
そこには、こう刻まれていた。
『力を持つ者よ。
己の力を証明せよ。
ただし、力を奪う者に道は開かれず。
力を巡らせる者にのみ、次の扉は開かれる』
「……力を巡らせる?」
ソアは首を傾げた。
「倒すだけじゃ駄目ってことかな?」
シードが小さく頷いた。
「……たぶん」
その時だった。
三体の石像が、一斉に動いた。
ゴゴゴゴゴッ!
盾の戦士が床を踏み鳴らす。
鎖の魔術師が両手を掲げる。
翼の騎士が、石の翼を広げた。
そして、広間全体に風が吹き荒れた。
「来るよ!」
ソアは盾を構えた。
最初に動いたのは、翼の騎士だった。
石の翼が羽ばたく。
ドォォォッ!
凄まじい風圧が襲いかかる。
「きゃっ!」
ソアの身体が後方へ押し戻された。
リュシアも飛行装置を使って踏みとどまる。
「風を操る試練……!」
次の瞬間、鎖の魔術師が腕を振った。
ガシャンッ!
床から魔力の鎖が飛び出し、ソアの足首に絡みついた。
「うわっ!?」
身体が引っ張られる。
盾の戦士が、その隙を狙って突進してきた。
「ソア!」
シードが叫ぶ。
ソアは反射的に《全解除・パージ》を発動した。
カチン!
足首の鎧が外れる。
鎖が空を切った。
さらにソアは、外した足甲を横へ飛ばした。
ガンッ!
足甲が盾の戦士の膝に命中する。
石像の動きが、一瞬止まった。
「よし!」
ソアは着地する。
「鎧を外して、攻撃にも使う! これなら――」
翼の騎士が急降下した。
「えっ!?」
ドゴォン!
床が砕け、ソアは吹き飛ばされた。
「きゃああっ!」
転がったソアの胸当てに、亀裂が走る。
バキッ!
「……あっ」
胸当ての留め具が外れた。
ソアの身体が、ふっと軽くなる。
そして、魔力の流れが鮮明になった。
風がどこから吹き、どこへ抜けるのか。
石像たちの魔力が、どの溝を通って循環しているのか。
今まで見えなかったものが、見え始める。
「……そういうことか」
ソアはゆっくり立ち上がった。
「この試練、石像を倒すんじゃない」
翼の騎士が再び羽ばたく。
ソアは飛び込まず、風の流れを読む。
「風を止めるんじゃなくて……通り道を変える!」
彼女は肩当てを外し、風の流れに乗せた。
肩当てが回転しながら飛ぶ。
ソアは魔力をわずかに流し、風の向きを整える。
ゴォォォッ!
翼の騎士が起こした風が、広間の壁沿いへと流れ始めた。
風圧が弱まる。
「リュシアさん! 右側の風を、あの溝へ流して!」
「分かりました!」
リュシアは飛行装置を操作し、風の流れに干渉した。
シードも床に手をつく。
「……つなぐ」
緑色の根が床の溝へ伸び、石像たちの魔力経路と接続する。
すると。
盾の戦士の動きが止まった。
鎖の魔術師の腕が下がる。
翼の騎士の石の翼が、静かに閉じられた。
【第一条件――達成】
【力の循環を確認】
【第二条件――継承者の意志を確認します】
広間の奥に、新たな扉が現れた。
ソアは肩で息をしながら、笑顔を浮かべた。
「……やった」
そして、壊れた胸当てを見下ろす。
「……でも、また修理代が」
「今はそこではありません!」
リュシアが叫んだ。
「分かってるよぉ!」
ソアは胸当ての破片を拾い集め、鞄へしまった。
「でも、これも大事なの!」
シードが小さく頷いた。
「……たいせつ」
「でしょ?」
ソアは立ち上がり、奥の扉へ向かった。
その先に何があるのか。
三人は、まだ知らなかった。
◇
同じ頃。
天空神殿の地下深く。
黒衣の男は、巨大な装置の前に立っていた。
ここにも、七本の枝の紋章がある。
しかし、こちらは三本が黒く染まっていた。
男の手には、黒い結晶が握られていた。
「……一つ目の器は、取り戻せなかった」
男は静かに呟いた。
「だが、道は開いた」
装置の中央に、七つの光が浮かび上がる。
そのうち一つが、緑色に輝いていた。
ソアが継承した《天翔の翼》。
そして、その隣には、黒い光を放つ器の影がある。
男はその影へ手を伸ばした。
「次は、守るための力だ」
黒い鎖が装置に巻きつく。
「誰にも奪わせない。誰にも失わせない」
その時。
装置の奥から、かすかな声が響いた。
『……おかえり』
男の手が止まった。
「……今のは?」
振り返る。
誰もいない。
ただ、装置の中央で、緑色の光が一瞬だけ揺れていた。
男は苦しそうに目を閉じた。
「……違う」
自分に言い聞かせるように呟く。
「もう、戻ってこない」
黒い光が強まった。
【第三の器――起動準備】
【守護の継承試練を開始します】
男は顔を上げた。
「待っていろ」
その声には、決して揺るがない決意があった。
「今度こそ、すべてを守ってみせる」
◇
一方、天空神殿の奥へ進むソアたち。
新たな扉の向こうには、巨大な石板が立っていた。
そこには、七つの器の姿が刻まれている。
籠手。
翼。
盾。
鎖。
砲。
剣。
そして、最後の一つ。
武器ではなかった。
大地に根を張り、空へ枝を伸ばす一本の木。
その木の根元には、小さな芽が描かれていた。
シードが、息を呑む。
「……これ」
ソアは石板に手を触れた。
その瞬間、文字が浮かび上がる。
『七つの器は、力を所有するためにあらず。
守る者。
繋ぐ者。
導く者。
力を受け取り、力を手放し、力を巡らせる者。
七つの役目が揃うとき、帰る場所は再び目覚める』
「……七つの役目」
ソアは、石板を見つめた。
自分は、力を手放す者なのだろうか。
シードは、力を受け取り、記録する者。
そして、レイナとミレイユにも、それぞれの役目があるのかもしれない。
「……ねえ、シード」
「……なに?」
「私たち、ただ宝具を集めればいいわけじゃないんだね」
シードは静かに頷いた。
「……うん」
その時。
石板の最後の一文が、緑色に輝いた。
『第三の器は、守る者を待つ』
ソアは顔を上げた。
「……第三の器?」
遠くで、低い鐘の音が鳴った。
ゴォォォン……。
天空神殿全体が震える。
そして、頭の中にあの声が響いた。
【第三の器の起動を確認】
【継承者候補――接近中】
【警告】
【世界樹経路の一部が、強制的に接続されています】
ソアの表情が険しくなった。
「……誰かが、無理やり力をつないでる?」
シードの葉が、ぴくりと揺れた。
「……あの人」
「黒衣の男……?」
シードは答えなかった。
ただ、遠くを見つめていた。
雲海の彼方。
新たな光が、ゆっくりと空へ立ち上っていた。
次の試練は、もう始まっている。
そして今度は――
ソアたちが望む前に、世界の方から彼女たちを巻き込もうとしていた。




