第61話 暴走する女神の加護と、完璧すぎる魔力制御
「まずは、黒い結晶を安全に取り除く方法を考えましょう」
リュシアは、風渡りの村にある魔導装置を見つめていた。
中央の青白い結晶は、先ほどよりも落ち着いている。
しかし、その裏側に埋め込まれた黒い結晶は、今も不気味な光を放っていた。
「シード、魔力の流れはどう?」
「……まだ、ぶつかってる」
「やっぱりね」
リュシアは腕を組んだ。
「黒い結晶が魔力の流れを変えている。それだけじゃない。装置の内部に魔力が蓄積されていて、循環が乱れるたびに圧力が高まっているみたい」
「つまり、放っておくとまた暴走するってこと?」
「そういうこと」
ソア・ミュスカは、台座の周囲を見回した。
村人たちは少し離れた場所で、不安そうにこちらを見守っている。
この装置が動かなければ、村への物資輸送は再開できない。
それに、もし魔力が一気に放出されれば、周囲の人々も危険にさらされる。
「……何とかしないと」
ソアは背中の翼に触れた。
さっき、空中で装甲板を操った時。
ほんの一瞬だけ、風の流れがはっきりと見えた気がした。
魔力がどこから流れ、どこでぶつかり、どこへ向かおうとしているのか。
頭で考えるより先に、身体が理解していた。
けれど、今は同じことができる気がしない。
「……うーん」
ソアは眉を寄せた。
「さっきはできたのに」
「何が?」
「魔力の操作! 空を飛んでる時は、もっと簡単にできたんだよ」
リュシアは不思議そうに首を傾げた。
「緊急時だったから、集中力が高まっていたのかもしれないわね」
「そうなのかな……」
ソアは両手を見つめた。
「もう一回、できないかな?」
「ソア。無理はしないでね。今の装置は、まだ不安定なんだから」
「分かってる!」
ソアは元気よく答えた。
そして、装置に向かって一歩踏み出す。
「じゃあ、ちょっとだけ試してみる!」
「……本当にちょっとだけよ?」
「うん!」
シードがソアの足元に近づいた。
「……そあ。きをつけて」
「大丈夫!」
ソアは笑った。
「私、少しずつ分かってきた気がするから!」
その言葉に応えるように、背中の翼が淡く輝いた。
◇
その頃。
神界。
女神は、地上を映し出す水晶をのぞき込んでいた。
映っているのは、風渡りの村。
そして、魔導装置に近づいていくソアの姿だった。
「……ふふ」
女神は小さく笑った。
「順調ですね。ソアさんも、ようやく魔力の流れを理解し始めたようです」
水晶の中で、ソアの翼が光る。
女神は満足そうにうなずいた。
「《スキンブースト》と《成長誘導》の連動も、少しずつ進んでいますし……」
そこで、別の水晶に目を向けた。
そこには、ソアの状態を示す情報が表示されている。
【対象者:ソア・ミュスカ】
【固有スキル:《スキンブースト》】
【固有スキル:《全解除》】
【隠し加護:《成長誘導》】
【能力理解:進行中】
「よしよし。今のところ、問題はありませんね」
女神は胸をなで下ろした。
「このまま少しずつ成長してくれれば、私の加護も――」
ピシッ。
水晶の表面に、小さな亀裂が走った。
「……え?」
表示が乱れる。
【警告:魔力経路の接続率が上昇しています】
「……あら?」
【警告:固有スキルとの連動率が制御範囲を超過】
「えっ?」
女神の笑顔が消えた。
【自動成長補助を開始します】
「……は?」
次の瞬間。
水晶が真っ赤に染まった。
【警告:成長誘導の制御限界を超過】
【自動補正機能を実行】
【対象者の能力理解を強制補助します】
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
女神は慌てて操作盤に手を伸ばした。
「そんな設定、入れていませんよ!?」
【設定変更を実行できません】
【対象者の固有能力と隠し加護が連動中】
【解除には、対象者の能力理解が一定段階に到達する必要があります】
「前にも見ましたけど、今はそれどころじゃないんですってばぁぁぁ!」
水晶が激しく明滅する。
女神は必死に停止命令を入力した。
しかし、すべて拒否された。
【成長誘導:自動実行中】
【対象者の魔力制御を補助します】
「……魔力制御?」
女神の顔から血の気が引いた。
「待って。そこまで補助する必要は……!」
その時には、もう遅かった。
水晶の中で、ソアの翼が緑色に輝き始めていた。
「……あああああああ!」
女神の悲鳴が、神界に響き渡った。
「ソアさん! どうか無茶だけはしないでくださいねぇぇぇ!」
もちろん、その声は地上には届かなかった。
◇
「……あれ?」
ソアは、突然、奇妙な感覚に襲われた。
身体の奥が熱い。
背中の翼が、いつもより強く光っている。
それだけではなかった。
周囲の風の音が、急にはっきりと聞こえ始めたのだ。
ヒュウウウ……。
装置の内部を流れる魔力。
地面の下を通る魔力。
村を囲む山々を巡る風。
それぞれが、一本の線のように感じられる。
いや。
線ではない。
流れだ。
どこから来て、どこへ向かい、どこで滞っているのか。
すべてが、分かる。
「……あ」
ソアはゆっくりと顔を上げた。
「分かった」
「ソア?」
リュシアが声をかける。
しかし、ソアは答えなかった。
装置の中央にある結晶へ手を伸ばす。
すると、指先から淡い緑色の光が広がった。
魔力が流れ込む。
けれど、今までのように押し込んでいるわけではない。
ソアは、魔力が流れたがっている方向へ、そっと道を作っていた。
青白い結晶の内部で、魔力の流れが変化する。
ぶつかっていた流れが、少しずつほどけていく。
「……え?」
リュシアは目を見開いた。
ソアは黒い結晶に触れていない。
それなのに、装置全体の魔力が安定し始めていた。
「何をしているの……?」
ソア自身にも分からなかった。
考えているわけではない。
身体が勝手に動く。
魔力の流れが乱れている場所に、自然と意識が向かう。
そこへ魔力を流す。
滞っている場所を見つければ、流れを整える。
まるで、ずっと前から知っていたことのように。
「……こっち」
ソアは、装置の外側に取り付けられた金属板へ手を向けた。
ガシャン!
金属板が動く。
一枚。
二枚。
三枚。
それぞれが異なる角度へ回転し、風の流れを整えていく。
装置の周囲に吹き荒れていた風が、少しずつ落ち着いた。
「すごい……」
リュシアが息をのむ。
「風の流れと魔力の流れを、同時に制御している……?」
ソアはさらに手を伸ばした。
今度は、地面に落ちていた装甲板が浮き上がる。
それだけではない。
少し離れた場所に置いてあった肩当て。
背中の装甲板。
そして、腰の装甲。
三つの装甲が、ソアの周囲へ集まってきた。
「……え?」
ソアは目を瞬かせた。
「私、何もしてないのに……」
装甲板が空中で静止する。
それぞれが、風の流れに沿ってゆっくりと回転していた。
まるで、ソアの手足のように。
「……動いてる」
シードが、じっとソアを見つめていた。
「……そあ?」
「シード?」
「……ちがう」
「え?」
シードは小さな手を伸ばした。
「……そあが、うごかしてる。でも……そあだけじゃない」
ソアの身体を、淡い緑色の光が包み込んでいた。
光は翼から背中へ。
背中から腕へ。
腕から装甲へ。
そして、周囲の風と魔力へと広がっている。
「……なにかが、そあを、うごかしてる」
シードの言葉に、リュシアが顔をこわばらせた。
その瞬間だった。
ゴォォォォォッ!!
台座の中央にある結晶が、突然、強く輝いた。
黒い結晶が激しく振動する。
「まずい!」
リュシアが叫んだ。
「蓄積された魔力が動いているわ! このままでは、一気に放出される!」
村人たちから悲鳴が上がった。
台座が大きく揺れる。
浮遊台が再び空中へ引き上げられ、周囲の木箱が宙を舞った。
「ソア! 離れて!」
リュシアが叫ぶ。
しかし、ソアは動かなかった。
いや。
動く必要がなかった。
ソアは、目の前の魔導装置を見つめていた。
「……大丈夫」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
「流れを戻せばいいんだよね」
次の瞬間。
ソアの翼が、まばゆい緑色の光を放った。
◇
魔力が、世界を巡った。
ソアの身体から広がった光が、魔導装置の内部へ入り込む。
黒い結晶が変えた流れ。
中央の結晶に蓄積された魔力。
台座の周囲に渦巻く風。
それらすべてが、ソアの感覚の中で一つにつながった。
どこを直せばいいのか。
どこへ流せばいいのか。
どこで力を逃がせばいいのか。
すべてが、分かる。
ソアは右手を上げた。
浮遊台の下に、風の流れが生まれる。
左手を動かした。
宙を舞っていた木箱が、ゆっくりと地面へ降りていく。
背中の翼が広がる。
三枚の装甲板が空中を滑り、装置の周囲に配置された。
装甲板は風を受け止めるのではなく、風が通る道を作っている。
魔力は装甲板を伝い、乱れた流れを整えていく。
「……すごい」
リュシアは、ただ見つめることしかできなかった。
ソアの動きには、無駄が一切なかった。
翼の角度。
手の動き。
装甲板の位置。
魔力の流し方。
すべてが完璧だった。
つい先ほどまで、十メートル飛ぶだけで苦労していた少女とは思えない。
「……あれが、本来の制御なの?」
リュシアは思わずつぶやいた。
シードは首を横に振った。
「……ちがう」
「違う?」
「……もっと、ふかい」
シードは、ソアの翼を見つめていた。
「……あれは、そあのちからだけじゃない」
その時。
黒い結晶に、亀裂が走った。
パキッ。
ソアは静かに手を伸ばした。
「……もう、いいよ」
装甲板が黒い結晶を挟み込む。
無理に引き抜くのではない。
周囲の魔力の流れを変え、結晶にかかる負荷を少しずつ取り除く。
そして――。
スッ。
黒い結晶が、台座から外れた。
リュシアが息をのんだ。
「取り外した……!」
黒い結晶は、ソアの周囲を一周し、そのまま地面へ降りた。
同時に、台座の中央にあった青白い結晶が輝きを増した。
ゴォォォォ……。
荒れ狂っていた風が、穏やかな流れへと変わっていく。
浮遊台はゆっくりと高度を下げ、所定の位置へ戻った。
金属板が閉じる。
台座の振動が止まる。
そして――。
静寂が訪れた。
「…………」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
ソアは、ゆっくりと周囲を見回した。
「……直った?」
リュシアは、しばらく呆然としていた。
やがて、我に返ったように駆け寄る。
「ソア! 大丈夫!?」
「うん。大丈夫だよ?」
「大丈夫って……あなた、今、自分が何をしたか分かっているの!?」
ソアは首を傾げた。
「えっと……魔力の流れを整えて、黒い結晶を外して、装置を直した?」
「そうだけど!」
「……できたね?」
「できたわね……!」
リュシアは頭を抱えた。
「どうして、そんなことができるのよ……」
ソアは困ったように笑った。
「……私にも分からない」
本当に、分からなかった。
さっきまで、あれほど難しかった魔力制御。
それが今は、呼吸をするのと同じくらい自然にできていた。
しかし――。
次の瞬間。
翼の光が、ふっと消えた。
「……あれ?」
身体が急に重くなる。
周囲の風の流れが、分からなくなった。
空中に浮かんでいた装甲板が、次々と落ちてくる。
ガシャン!
ガラン!
ドスン!
「わわわっ!?」
ソアは慌てて手を伸ばした。
けれど、装甲板は止まらない。
最後の一枚が、頭のすぐ横を通り過ぎた。
「ひゃあああああっ!」
ソアはしゃがみ込んだ。
そして、静かになった地面を見つめた。
「…………」
「…………」
リュシアも、シードも、何も言わなかった。
やがて、ソアがぽつりとつぶやいた。
「……あれ?」
自分の手を見つめる。
「さっきまで、できてたのに……」
背中の翼を広げる。
何も起きない。
もう一度、魔力を流す。
翼が、ほんの少しだけ光った。
しかし、すぐに消えてしまった。
「……飛べない」
ソアの肩が、がっくりと落ちた。
「さっき、すごく飛べたのに……」
リュシアは、ソアの肩に手を置いた。
「今は無理をしないで。さっきの現象を、落ち着いて整理しましょう」
「……うん」
ソアはしょんぼりとうなずいた。
そして、地面に転がっている装甲板を拾い上げた。
「……とりあえず、鎧を片づけよう」
リュシアは苦笑した。
「そこは変わらないのね」
「だって、私の鎧だもん」
ソアは装甲板についた土を払った。
「……でも」
ふと、手が止まる。
「さっき、魔力がどう流れているのか、全部分かった気がするんだ」
ソアは自分の胸に手を当てた。
「風も、魔力も、鎧も……。それぞれが別々に動いてるんじゃなくて、つながっている感じがした」
シードが、そっとソアの手に触れた。
「……そあ。おぼえてる?」
「うん。全部じゃないけど……」
ソアは目を閉じた。
あの感覚を思い出す。
魔力を無理に押し出さない。
風を力でねじ伏せない。
鎧を自分の思い通りに動かそうとするのではなく、流れに沿って動けるようにする。
「……そうか」
ソアの目が開いた。
「全部を動かそうとしなくていいんだ」
翼が、わずかに光った。
「魔力が流れる道を作ってあげれば、あとは……」
ソアは装甲板を地面に置いた。
魔力を流す。
すると、装甲板が数センチ浮き上がった。
少し傾く。
けれど、回転しない。
ソアはゆっくりと手を動かした。
装甲板が、右へ移動する。
左へ戻る。
そして、地面へ静かに降りた。
「…………」
ソアは目を見開いた。
「できた」
リュシアが驚いたように顔を上げる。
「今のは……」
「うん。さっきほどじゃないけど……」
ソアは笑った。
「自分でも、ちょっとだけできた!」
シードの頭の葉っぱが、嬉しそうに揺れた。
「……そあ、まえより、つよくなった」
「えへへ」
ソアは照れくさそうに頬をかいた。
「そうなのかな?」
そして、地面に転がった腰の装甲を見つめる。
「……でも、これ以上は無理しないよ」
リュシアがうなずいた。
「そうね。今日は十分すぎる成果よ」
「うん!」
ソアは装甲板を抱きしめた。
「それに、修理もしないといけないし!」
「……結局、そこなのね」
◇
その頃。
神界では、女神が床に膝をついていた。
目の前の水晶には、ソアの現在の状態が映し出されている。
【対象者:ソア・ミュスカ】
【固有スキル:《スキンブースト》】
【固有スキル:《全解除》】
【隠し加護:《成長誘導》】
【自動成長補助:終了】
【魔力制御:一時的な完全補助を確認】
【能力理解:進行】
女神は震える手で、水晶を操作した。
「……止まった」
表示が落ち着いている。
ソアの魔力も、通常の状態へ戻りつつあった。
「よ、よかった……」
女神は深く息を吐いた。
「本当に、どうなることかと……」
しかし、安心したのも束の間。
水晶に、新たな表示が現れた。
【成長誘導:制御機能を再起動】
【対象者の固有能力が、隠し加護の制御範囲を超過しています】
【世界樹経路との接続:一部成立】
「…………」
女神の顔が、再び青ざめた。
「……え?」
もう一度、表示を確認する。
見間違いではない。
ソアの能力は、女神が与えた加護の範囲を超え始めていた。
《成長誘導》は、本来、対象者が能力を理解するためのきっかけを与えるものだ。
鎧が壊れる。
身体が軽くなる。
魔力の流れに気づく。
その程度の、ささやかな誘導のはずだった。
それなのに――。
「……どうして、世界樹の経路に接続しているんですか?」
女神は、水晶に映るソアを見つめた。
ソアは地上で、壊れた装甲板を大事そうに抱えている。
本人は、自分に何が起きたのか、まだ十分に理解していない。
けれど、彼女の固有能力は、確実に変化し始めていた。
「まさか……」
女神は、小さくつぶやいた。
「私が力を与えているのではなく……」
水晶の中で、ソアの翼が淡く光った。
「……あの子自身が、世界樹の力を思い出そうとしている?」
答えは、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、もう以前と同じ方法では、ソアの成長を誘導できないということだった。
女神は額に手を当てた。
「……ソアさん」
そして、深くため息をついた。
「お願いですから、鎧だけは……もう少し長持ちしてくださいね……」
もちろん、地上のソアには聞こえていなかった。
◇
夕暮れ。
風渡りの村では、空中輸送装置の復旧作業が進められていた。
村人たちはソアたちに何度も礼を言い、追加報酬の手続きを約束してくれた。
リュシアは、取り外した黒い結晶を慎重に封印している。
シードは台座のそばで、魔力の流れが安定していることを確認していた。
そしてソアは――。
「……うーん」
地面に置いた装甲板を見つめていた。
「さっきの感覚、もう一回できないかな……」
装甲板に手をかざす。
魔力を流す。
少し浮く。
傾く。
そして、落ちる。
カラン。
「……まだ難しいかぁ」
ソアは頬を膨らませた。
けれど、すぐに笑顔になる。
「まあ、いっか!」
装甲板を拾い上げる。
「今日はすごいことができたし、少しだけコツも分かったもんね!」
シードがうなずいた。
「……すこしずつ」
「うん。少しずつ!」
ソアは背中の翼に触れた。
まだ自由自在には飛べない。
魔力の制御も、さっきのようにはできない。
けれど、あの瞬間に感じたものは、確かに自分の中に残っている。
風と魔力。
翼と鎧。
離れたものをつなぎ、流れを整える感覚。
「……次は、自分の力でやってみよう」
ソアは空を見上げた。
雲の向こうには、まだ見ぬ浮遊遺跡がある。
そして、そこへ続く道の先には、世界樹の謎が待っている。
ソアは装甲板を大事そうに抱え直した。
「よし!」
その顔には、もう迷いはなかった。
「もっと強くなろう。鎧と一緒に!」
夕暮れの風が、彼女の翼を優しく揺らした。
そして遠い空の向こうで――。
七つの紋章のうち、もう一つが静かに光を放った。
世界樹の失われた力が、少しずつ目を覚まし始めていた。




