第60話 風をつかむ鎧と、空中輸送の危機
「鎧に、風を受けてもらう!」
ソア・ミュスカは、腰の装甲板を握りしめた。
頭上では、暴走した浮遊台が激しく回転している。
ゴォォォォッ!!
渦巻く風が地面の砂を巻き上げ、周囲の木々を揺らしていた。
「……言っておくけど、具体的にはどうするつもり?」
リュシアが尋ねた。
「えっと……」
ソアは装甲板を見つめた。
「こう、風を受けて……ビューンって!」
「説明になってないわ!」
「私もそう思う!」
「自覚はあるのね……」
リュシアは頭を抱えた。
一方、シードは台座に伸ばした根を通じて、魔力の流れを探っていた。
「……まんなか。くろいのが、ながれをかえてる」
「やっぱり、あの黒い結晶が原因なんだね」
「……うん。でも、ぜんぶじゃない」
「全部じゃない?」
シードは小さくうなずいた。
「……くろいのが、ながれをかえる。だけど、まんなかの結晶も、ながれをためてる」
リュシアがはっとした。
「そうか……! 黒い結晶が魔力の流れを乱し、台座の中央にある結晶が、その乱れた魔力を蓄積してしまっているのね」
「じゃあ、黒い結晶を取り除けば……」
「蓄積された魔力が一気に放出される可能性があるわ。下手をすれば、浮遊台だけでなく、台座そのものが吹き飛ぶ」
「……それは困るね」
ソアは空を見上げた。
浮遊台は、もう地上から十メートル近い高さに達している。
このままでは、いつ制御を失って落下してもおかしくない。
しかも、浮遊台の上には、村へ運ぶための薬品や食料が積まれていた。
「よし……」
ソアは装甲板を構えた。
「まずは、浮遊台を落ち着かせよう!」
「その方法が問題なのよ!」
「大丈夫! きっと何とかなる!」
「その台詞、今まで何度聞いたかしら……」
◇
ソアは地面に膝をつき、装甲板を置いた。
表面を指先でなぞる。
これまで、彼女にとって鎧は身を守るためのものだった。
攻撃を受け止める。
身体を守る。
敵の一撃に耐える。
けれど、天空の門で翼を得てから、少しずつ考え方が変わってきた。
鎧は、ただ攻撃を受け止めるだけのものではない。
風を受けることもできる。
離れていても、魔力でつながることができる。
そして、使い方次第では、自分の身体を助けてくれる。
「……鎧は、守るだけじゃないんだ」
ソアは小さくつぶやいた。
「一緒に進むこともできる」
背中の翼が、淡い銀白色の光を放った。
ソアは魔力を流す。
身体から翼へ。
翼から装甲板へ。
けれど、魔力は途中で乱れ、装甲板の表面を走るだけで消えてしまった。
「……あれ?」
もう一度。
今度は、ゆっくりと。
魔力を無理に押し込むのではなく、身体の中を巡る流れに沿わせる。
すると――。
装甲板の縁が、かすかに光った。
「……つながった?」
ソアは目を輝かせた。
装甲板が、地面から数センチ浮き上がる。
しかし、次の瞬間。
クルンッ!
装甲板は裏返り、ソアの額に直撃した。
ゴンッ!
「いたぁっ!?」
装甲板が地面に落ちる。
カラン。
リュシアは静かに目を閉じた。
「……やっぱり、そうなるのね」
「い、今のは練習だから!」
ソアは額を押さえながら、装甲板を拾い上げた。
「でも、少しだけ動いたよ!」
シードがうなずく。
「……つながった」
「うん! 今度こそ!」
ソアは再び装甲板を浮かせた。
今度は裏返らないように、魔力の流れを調整する。
装甲板がゆっくりと傾いた。
右へ。
左へ。
そして、風を受ける角度で静止した。
「できた……!」
ソアの顔がぱっと明るくなる。
「浮かせられたよ!」
「ええ。けれど、まだ制御は不安定ね」
「分かってる!」
ソアは装甲板を見つめた。
風が表面を滑り、装甲板の下へ回り込んでいく。
ほんのわずかだが、風に押されて前へ進んでいた。
「……そっか」
ソアは気づいた。
「私が全部動かそうとしなくてもいいんだ」
装甲板を無理に押すのではなく、風が進みたい方向へ向けてあげる。
魔力は、そのためのつながりを作る。
「風が進む道を作ってあげればいいんだね」
リュシアが微笑んだ。
「その通りよ。風を操るのではなく、風が流れやすい形を作るの」
ソアは勢いよく立ち上がった。
「よし! じゃあ、あの浮遊台にも!」
「待って。まだ練習が必要――」
「いってきます!」
「ソア!?」
◇
ソアは翼を広げ、地面を蹴った。
ダッ!
身体が宙に浮く。
同時に、装甲板も浮き上がった。
「よし……!」
装甲板はソアの横を飛んでいる。
少し不安定だが、先ほどよりも動きが滑らかだった。
「そのまま、風に乗って……!」
ソアは浮遊台へ近づいた。
しかし、台座から吹き上がる風は複雑に入り乱れている。
右から突風。
左から逆風。
そして、下からは魔力を含んだ強烈な上昇気流。
「うわっ!?」
ソアの身体が横へ流された。
装甲板も回転する。
「ちょ、ちょっと! そっちは違う!」
クルクルクルッ!
装甲板が勢いよく回転した。
「わあああっ! 私の鎧ぃぃぃ!」
ソアは必死に魔力を流す。
しかし、力を込めるほど装甲板の動きが乱れていった。
その時。
シードの声が響いた。
「……そあ。ちから、ぬいて」
「えっ!?」
「……かぜ、きいて」
風を聞く。
ソアは、はっとした。
力を込めるのをやめる。
魔力の流れを落ち着かせる。
そして、風の音に意識を向けた。
ヒュウウウ……。
強い風の中に、わずかな規則性があった。
右から吹きつける風。
その直後に生まれる、左向きの流れ。
そして、浮遊台の下から吹き上がる風。
「……今だ!」
ソアは装甲板の角度を変えた。
風が装甲板の下を通り抜ける。
装甲板は、その流れに乗って前へ進んだ。
「動いた!」
今度は、回転しない。
ソアの翼も風を受け、身体を押し上げる。
二つの動きが重なった。
少しずつ。
確実に。
ソアは浮遊台へ近づいていった。
「あと少し……!」
浮遊台の端に手が届く。
その瞬間、台座から黒い光が噴き出した。
バチバチバチッ!!
「きゃあっ!」
黒い光が風を乱す。
浮遊台が大きく傾いた。
その上から、薬品の箱が滑り落ちる。
「危ない!」
ソアは装甲板を動かした。
箱の下へ滑り込ませる。
ガンッ!
装甲板が箱を受け止めた。
しかし、衝撃で留め具が外れ、装甲板が大きく傾く。
「うわっ……!」
ソアは慌てて魔力を流した。
けれど、今度は押し戻そうとしない。
装甲板の向きを整え、風が支えられる角度を探す。
すると、装甲板は箱を載せたまま、ゆっくりと浮遊台の近くへ戻っていった。
「よし……!」
ソアは箱を浮遊台の上へ押し戻した。
そして、ようやく一息つく。
「……ふぅ」
浮遊台はまだ不安定だ。
けれど、先ほどのように激しく回転することはなくなっていた。
「これなら……!」
ソアが笑顔を浮かべた、その時だった。
パキッ。
嫌な音がした。
「……え?」
ソアの視線が、自分の腰へ落ちる。
装甲板を制御するために魔力を流し続けたせいか、腰の装甲を固定していた留め具が限界を迎えていた。
パキパキッ。
「……うそ」
ガシャン!
腰の装甲が、空中で外れた。
「ええええええええ!?」
ソアの身体が一気に軽くなる。
同時に、翼の動きが変化した。
風を受ける角度が変わり、身体が急上昇する。
「ちょっと待ってぇぇぇ!」
ソアは浮遊台の上を通り越した。
そのまま空高く舞い上がる。
「飛びすぎぃぃぃ!!」
◇
「……あれは、何をしているの?」
地上から見上げていたリュシアは、呆然としていた。
シードが空を見上げる。
「……とんでる」
「それは見れば分かるわ!」
ソアは空中で必死に姿勢を整えていた。
翼を広げ、風の流れを探す。
以前なら、ここで慌てて魔力を使い切っていただろう。
けれど、今は違う。
「落ち着いて……!」
ソアは深呼吸した。
風を感じる。
翼へ魔力を流す。
そして、周囲の風とつながる。
身体がゆっくりと水平になった。
「……できた」
ほんの数秒。
それでも、ソアは自分の意思で空中にとどまることができた。
「私……今、自分で飛んでる!」
顔が自然とほころぶ。
眼下には、山脈のふもとの集落。
遠くには、雲の間から顔を出す山々。
そして、さらに向こうには、空に浮かぶ小さな影が見えた。
「……あれ?」
ソアは目を細めた。
山脈の向こう。
雲の上に、何かが浮かんでいる。
建物のようなもの。
その周囲には、細い橋のような構造物が伸びていた。
「……空に、村がある?」
リュシアも気づいたらしい。
彼女は目を見開いた。
「まさか……あれは、浮遊遺跡?」
ソアは翼を動かしながら、遠くを見つめた。
天空の門で見た、古代の記録。
七つの光の道。
その先に存在する、まだ知られていない場所。
「……あそこに、何かあるのかな」
その時。
ソアの頭の中に、あの不思議な声が響いた。
【対象者の飛行適性、上昇を確認】
【魔力循環率――改善】
【新規経路を検出】
「……え?」
ソアは思わず周囲を見回した。
誰も何も言っていない。
リュシアもシードも、遠くの浮遊遺跡を見つめている。
「……また、聞こえた」
声は続いた。
【未登録の世界樹経路を確認】
【接続条件――未達】
その瞬間、ソアの翼が淡い緑色に輝いた。
遠くの浮遊遺跡でも、小さな光が瞬いた。
まるで、ソアの存在に気づいたかのように。
「……あそこに、何かある」
ソアは確信した。
まだ理由は分からない。
けれど、あの場所には、世界樹に関係する何かが眠っている。
そして、それは彼女の翼とつながっているのかもしれない。
◇
しばらくして。
ソアは無事に地上へ戻った。
もっとも、着地の瞬間に少し転がったため、鎧には新しい傷が増えていた。
「……」
ソアは腰の装甲を抱きしめた。
「ごめんね……。また壊しちゃった……」
リュシアが苦笑する。
「でも、浮遊台は助かったわ。装置も完全には壊れていない」
「……ほんと?」
「ええ。シードが魔力の流れを整えてくれているから、あとは黒い結晶を安全に取り除けば、再び使える可能性があるわ」
シードがうなずく。
「……もうすこし」
ソアはほっと胸をなで下ろした。
「よかったぁ……」
そして、腰の装甲を見下ろす。
「……修理代は、よくないけど」
「そこは諦めなさい」
「ううう……」
その時、村の男性が駆け寄ってきた。
「皆さん! 装置が安定してきました!」
「本当ですか!?」
「はい! これなら、少しずつ輸送を再開できそうです!」
男性は深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。皆さんがいなければ、村はもっと困ったことになっていました」
ソアは慌てて手を振った。
「い、いえ! まだ原因の調査は終わっていませんから!」
「それでも、十分助かりました」
男性は笑顔を浮かべた。
「報酬についても、追加分をギルドへ申請します。どうか、引き続き調査をお願いします」
「はい!」
ソアは元気よく答えた。
空を飛ぶ練習もできた。
新しい鎧の使い方も分かった。
そして、空に浮かぶ謎の遺跡も見つけた。
「……うん」
ソアは翼を見つめた。
「少しずつ、進んでる」
その言葉に、シードがうなずく。
「……そら、もっととべる」
「うん! 今度は十五メートル!」
リュシアが即座に口を挟んだ。
「その前に、十メートルの着地を成功させましょう」
「……はい」
ソアはしょんぼりとうなずいた。
それから、ふと思い出したように顔を上げる。
「そうだ! あの浮遊遺跡まで飛べるようになれば、空の道をもっと調べられるよね!」
「確かに、そうだけど……」
「よし! まずは鎧を修理して、それから飛行訓練!」
「修理代が足りるといいわね」
「…………」
ソアの動きが止まった。
「……依頼、追加報酬が出るんだよね?」
「その予定よ」
「……よかったぁぁぁ!」
ソアは空を見上げた。
翼が小さく揺れる。
風が吹き抜ける。
その風は、彼女の背中を押すように、遠くの空へと流れていった。
◇
一方、山脈の奥にある古代施設。
黒衣の男は、壁に浮かび上がった光景を見つめていた。
そこには、空中輸送装置を修復しようとするソアの姿が映っていた。
そして、彼女の翼が緑色に輝いた瞬間。
男の手の中にある銀白色の羽根も、わずかに光った。
「……新しい経路が見つかったか」
男は低くつぶやいた。
「世界樹は、まだ道を残している……」
彼の視線は、壁に刻まれた七つの紋章へと移る。
そのうちの一つ。
まだ誰も触れていない紋章が、かすかに輝いていた。
「だが、今度こそ……」
男は黒い結晶を取り出した。
その表面には、細い亀裂が走っている。
「すべてを巡らせるだけでは、守れないものがある」
彼の脳裏に、再びあの日の光景がよみがえった。
届かなかった手。
失われた命。
そして、何もできなかった自分。
男は拳を握りしめた。
「私は、もう二度と失わない」
黒い光が、施設の奥へと広がっていく。
その先には、古代の地図にも記されていない遺跡があった。
七つの紋章の最後の一つ。
世界樹の力を巡らせるための、帰る場所。
その存在を、男はまだ知らない。
けれど、彼の手にある黒い結晶は、確実にそこへ近づこうとしていた。
そして、空の向こうでは――。
ソアの翼が、再び淡く光った。
【新規経路への接続準備を開始】
その声を、彼女はまだ知らない。
空の旅は、始まったばかりだった。




