第57話 風を読む者と、翼の成長
翌朝。
「本日の目標!」
ソアは宿の部屋で、元気よく宣言した。
「空を飛んで、五メートル進む!」
「……昨日は三メートルだったね」
リュシアが朝食のパンをちぎりながら答えた。
「そう! だから今日は五メートル!」
「二メートル増えただけで、そんなに自信満々になれるんだ……」
「二メートルは大きな進歩だよ!」
ソアは背中の翼を広げた。
銀白色の羽根が、朝日にきらめく。
「それに、昨日は柵にぶつかりそうになったけど、今日はぶつからない!」
「そこは目標にするまでもなく、守ってほしいかな……」
シードがソアの肩に乗り、小さくうなずいた。
「……ごはん、たべてから」
「そうだった!」
ソアは慌てて席についた。
飛行訓練より先に、朝食。
それもまた、大切な冒険の準備だった。
◇
町の外れにある訓練場。
ソアは翼を広げ、ゆっくりと目を閉じた。
昨日の訓練で気づいたことがある。
翼を動かすだけでは、長く飛べない。
自分の魔力を翼へ送り、風の流れを受け取る。
その二つを、うまくつなげる必要があるらしい。
「……よし」
ソアは息を吸った。
背中から淡い光が広がる。
ふわり。
足が地面を離れた。
「浮いたね」
リュシアが見守る。
「うん。ここから……」
ソアは周囲の風を感じた。
右から左へ流れる風。
地面に沿って吹き抜ける風。
そして、自分の背中を押す小さな風。
今までは、ただ飛ぶために翼を動かしていた。
けれど、今回は違う。
風に逆らわず、流れに合わせて身体を傾ける。
翼へ送る魔力も、強く押し込むのではなく、ゆっくりと巡らせる。
すると――。
すうっ。
ソアの身体が前へ進んだ。
「おおっ!」
昨日よりも滑らかだった。
一メートル。
二メートル。
三メートル。
四メートル。
「いける……!」
ソアは笑顔になった。
五メートル。
六メートル。
七メートル。
「飛べてる! 飛べてるよ!」
「ソア、前!」
「え?」
目の前には、大きな木。
「わああああっ!」
ソアは身体をひねった。
翼が風を受け、ぎりぎりで木を避ける。
そのまま弧を描くように方向が変わった。
「……え?」
ソアは目を丸くした。
今、自分は翼を強く動かしていない。
風の流れに合わせて、身体を傾けただけだった。
それなのに、曲がれた。
「……曲がれた!」
ソアは興奮した。
「私、空で曲がれたよ!」
「うん! でも、喜ぶのは着地してから!」
「あっ、そうだった!」
ソアは慌てて地面を探した。
ところが、着地しようとした瞬間、翼の光が弱まった。
「えっ、ちょっと……!」
すうっ。
身体が落ちる。
ドスン!
着地というより、落下だった。
幸い、怪我はない。
しかし。
ガキンッ!
背中の装甲板から、また嫌な音がした。
「…………」
ソアはゆっくりと振り返った。
留め具が、見事に曲がっている。
「……なんでぇぇぇぇ!?」
「七メートルも飛べたんだから、そこは喜ぼうよ!」
リュシアが慌ててフォローした。
「でも、また修理費が……!」
「そっち!?」
ソアは装甲板を外し、傷の具合を確かめた。
壊れた部分を大切に袋へしまう。
その表情は、先ほどまでより少しだけ真剣だった。
「……でも」
ソアは翼を見つめた。
「ちゃんと、前より飛べるようになった」
リュシアがうなずいた。
「風を押さえつけるんじゃなくて、風の流れを利用できたんだね」
「うん!」
ソアは笑顔を取り戻した。
「次は十メートル!」
「目標を上げるのが早い!」
◇
その日の午後。
三人は訓練場を離れ、町の近くにある小さな丘へ向かった。
ここは風の通り道になっているらしく、草が同じ方向へなびいている。
「ここなら、風の流れを観察しやすいと思う」
リュシアが説明した。
「飛ぶ前に、まず風を読む練習をしてみよう」
「風を読む……」
ソアは草むらを見つめた。
「風って、文字が書いてあるの?」
「そういう意味じゃないよ!」
リュシアが思わず声を上げる。
シードが草の先に手を伸ばした。
「……ここ、ながれてる」
小さな葉が、風に合わせて揺れる。
シードの指先から、細い緑色の光が広がった。
草の揺れに合わせて、光がゆっくりと流れていく。
「……みえる?」
「……なんとなく」
ソアは目を凝らした。
風そのものが見えるわけではない。
けれど、草の動きや空気の変化から、流れの方向を想像することはできた。
「……あっ!」
ソアは顔を上げた。
「風って、ぶつかると向きが変わるんだね!」
「そうだよ」
「じゃあ、鎧を風にぶつければ、向きを変えられる?」
「……また鎧の話になったね」
「だって、鎧ならいろんな形があるもん!」
ソアは背中の装甲板を取り出した。
そして、風の通り道にそっと差し出す。
装甲板が風を受け、わずかに傾いた。
ソアはその動きを観察する。
「……なるほど」
もう一度。
今度は装甲板の角度を少し変えた。
風の受け方が変わる。
装甲板が、ほんの少し浮き上がった。
「おおっ!」
ソアの目が輝く。
「風の受け方を変えれば、鎧も動かせる!」
「理屈としてはね。でも、遠隔操作する魔力も必要だよ」
「うん!」
ソアは装甲板を握りしめた。
「風だけじゃなくて、私の魔力もつなげるんだね」
翼と同じだ。
力を無理に押しつけるのではなく、周囲の流れを感じて、そこへ自分の力をつなげる。
ソアは少しずつ、自分の能力の使い方を理解し始めていた。
◇
そのころ。
古い研究施設の地下では、黒衣の男が一枚の石板を前にしていた。
石板には、七本の枝が円を描くようにつながった紋章が刻まれている。
その中央には、古代文字が残されていた。
『力を集める者は、すべてを失う』
『力を巡らせる者は、失ったものを再び見いだす』
「……きれいごとだ」
男は低くつぶやいた。
「力を巡らせても、救えなかった命がある」
彼の脳裏に、ひとりの少女の姿が浮かぶ。
笑顔。
小さな手。
最後まで、自分を信じていた瞳。
男は拳を握りしめた。
「私は、もう間に合わなかった自分には戻らない」
彼は石板の前に置かれた黒い結晶へ手を伸ばした。
結晶が淡く輝く。
その光は、周囲の魔力を吸い込んでいった。
だが、以前よりも吸収の効率が悪い。
遠くで何かが、流れを変えている。
「……ソア・ミュスカ」
男は彼女の名を口にした。
「君が何をしようとしているのか、確かめる必要がある」
男の足元に、黒い鎖が現れた。
鎖は床を這い、施設の奥へと伸びていく。
その先には、古代の転移装置があった。
「次は、私自身が動こう」
◇
夕方。
宿へ戻ったソアは、訓練記録を開いた。
『飛行距離:約七メートル』
『風の流れに合わせると、方向転換ができる』
『装甲板の角度で、風の受け方が変わる』
そこまで書いたところで、ソアは手を止めた。
そして、最後に一文を書き加えた。
『翼も鎧も、力を押しつけるだけでは動かない』
「……よし!」
ソアは満足そうにうなずいた。
その背中では、銀白色の翼がかすかに揺れていた。
翼の根元から、淡い緑色の光が流れている。
その光は、翼の先へ。
そして、周囲の風へ。
ほんの一瞬、光が風と混ざり合った。
誰も気づかないほど、小さな変化だった。
けれど、ソアの翼は確かに成長していた。
空を飛ぶために。
そして、いつか遠くにいる誰かへ、自分の力を届けるために。
ソアは翼を撫で、にっこりと笑った。
「明日は、十メートル!」
その直後。
机の上に置いてあった修理見積書が、風で床へ落ちた。
ソアはそれを拾い上げ、そっと財布を開いた。
「……まずは、お金を稼ごう」
空への道は、まだまだ遠い。




