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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第六章 風の循環と、空中都市

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第57話 風を読む者と、翼の成長

翌朝。


「本日の目標!」


 ソアは宿の部屋で、元気よく宣言した。


「空を飛んで、五メートル進む!」


「……昨日は三メートルだったね」


 リュシアが朝食のパンをちぎりながら答えた。


「そう! だから今日は五メートル!」


「二メートル増えただけで、そんなに自信満々になれるんだ……」


「二メートルは大きな進歩だよ!」


 ソアは背中の翼を広げた。


 銀白色の羽根が、朝日にきらめく。


「それに、昨日は柵にぶつかりそうになったけど、今日はぶつからない!」


「そこは目標にするまでもなく、守ってほしいかな……」


 シードがソアの肩に乗り、小さくうなずいた。


「……ごはん、たべてから」


「そうだった!」


 ソアは慌てて席についた。


 飛行訓練より先に、朝食。


 それもまた、大切な冒険の準備だった。


     ◇


 町の外れにある訓練場。


 ソアは翼を広げ、ゆっくりと目を閉じた。


 昨日の訓練で気づいたことがある。


 翼を動かすだけでは、長く飛べない。


 自分の魔力を翼へ送り、風の流れを受け取る。


 その二つを、うまくつなげる必要があるらしい。


「……よし」


 ソアは息を吸った。


 背中から淡い光が広がる。


 ふわり。


 足が地面を離れた。


「浮いたね」


 リュシアが見守る。


「うん。ここから……」


 ソアは周囲の風を感じた。


 右から左へ流れる風。


 地面に沿って吹き抜ける風。


 そして、自分の背中を押す小さな風。


 今までは、ただ飛ぶために翼を動かしていた。


 けれど、今回は違う。


 風に逆らわず、流れに合わせて身体を傾ける。


 翼へ送る魔力も、強く押し込むのではなく、ゆっくりと巡らせる。


 すると――。


 すうっ。


 ソアの身体が前へ進んだ。


「おおっ!」


 昨日よりも滑らかだった。


 一メートル。


 二メートル。


 三メートル。


 四メートル。


「いける……!」


 ソアは笑顔になった。


 五メートル。


 六メートル。


 七メートル。


「飛べてる! 飛べてるよ!」


「ソア、前!」


「え?」


 目の前には、大きな木。


「わああああっ!」


 ソアは身体をひねった。


 翼が風を受け、ぎりぎりで木を避ける。


 そのまま弧を描くように方向が変わった。


「……え?」


 ソアは目を丸くした。


 今、自分は翼を強く動かしていない。


 風の流れに合わせて、身体を傾けただけだった。


 それなのに、曲がれた。


「……曲がれた!」


 ソアは興奮した。


「私、空で曲がれたよ!」


「うん! でも、喜ぶのは着地してから!」


「あっ、そうだった!」


 ソアは慌てて地面を探した。


 ところが、着地しようとした瞬間、翼の光が弱まった。


「えっ、ちょっと……!」


 すうっ。


 身体が落ちる。


 ドスン!


 着地というより、落下だった。


 幸い、怪我はない。


 しかし。


 ガキンッ!


 背中の装甲板から、また嫌な音がした。


「…………」


 ソアはゆっくりと振り返った。


 留め具が、見事に曲がっている。


「……なんでぇぇぇぇ!?」


「七メートルも飛べたんだから、そこは喜ぼうよ!」


 リュシアが慌ててフォローした。


「でも、また修理費が……!」


「そっち!?」


 ソアは装甲板を外し、傷の具合を確かめた。


 壊れた部分を大切に袋へしまう。


 その表情は、先ほどまでより少しだけ真剣だった。


「……でも」


 ソアは翼を見つめた。


「ちゃんと、前より飛べるようになった」


 リュシアがうなずいた。


「風を押さえつけるんじゃなくて、風の流れを利用できたんだね」


「うん!」


 ソアは笑顔を取り戻した。


「次は十メートル!」


「目標を上げるのが早い!」


     ◇


 その日の午後。


 三人は訓練場を離れ、町の近くにある小さな丘へ向かった。


 ここは風の通り道になっているらしく、草が同じ方向へなびいている。


「ここなら、風の流れを観察しやすいと思う」


 リュシアが説明した。


「飛ぶ前に、まず風を読む練習をしてみよう」


「風を読む……」


 ソアは草むらを見つめた。


「風って、文字が書いてあるの?」


「そういう意味じゃないよ!」


 リュシアが思わず声を上げる。


 シードが草の先に手を伸ばした。


「……ここ、ながれてる」


 小さな葉が、風に合わせて揺れる。


 シードの指先から、細い緑色の光が広がった。


 草の揺れに合わせて、光がゆっくりと流れていく。


「……みえる?」


「……なんとなく」


 ソアは目を凝らした。


 風そのものが見えるわけではない。


 けれど、草の動きや空気の変化から、流れの方向を想像することはできた。


「……あっ!」


 ソアは顔を上げた。


「風って、ぶつかると向きが変わるんだね!」


「そうだよ」


「じゃあ、鎧を風にぶつければ、向きを変えられる?」


「……また鎧の話になったね」


「だって、鎧ならいろんな形があるもん!」


 ソアは背中の装甲板を取り出した。


 そして、風の通り道にそっと差し出す。


 装甲板が風を受け、わずかに傾いた。


 ソアはその動きを観察する。


「……なるほど」


 もう一度。


 今度は装甲板の角度を少し変えた。


 風の受け方が変わる。


 装甲板が、ほんの少し浮き上がった。


「おおっ!」


 ソアの目が輝く。


「風の受け方を変えれば、鎧も動かせる!」


「理屈としてはね。でも、遠隔操作する魔力も必要だよ」


「うん!」


 ソアは装甲板を握りしめた。


「風だけじゃなくて、私の魔力もつなげるんだね」


 翼と同じだ。


 力を無理に押しつけるのではなく、周囲の流れを感じて、そこへ自分の力をつなげる。


 ソアは少しずつ、自分の能力の使い方を理解し始めていた。


     ◇


 そのころ。


 古い研究施設の地下では、黒衣の男が一枚の石板を前にしていた。


 石板には、七本の枝が円を描くようにつながった紋章が刻まれている。


 その中央には、古代文字が残されていた。


『力を集める者は、すべてを失う』


『力を巡らせる者は、失ったものを再び見いだす』


「……きれいごとだ」


 男は低くつぶやいた。


「力を巡らせても、救えなかった命がある」


 彼の脳裏に、ひとりの少女の姿が浮かぶ。


 笑顔。


 小さな手。


 最後まで、自分を信じていた瞳。


 男は拳を握りしめた。


「私は、もう間に合わなかった自分には戻らない」


 彼は石板の前に置かれた黒い結晶へ手を伸ばした。


 結晶が淡く輝く。


 その光は、周囲の魔力を吸い込んでいった。


 だが、以前よりも吸収の効率が悪い。


 遠くで何かが、流れを変えている。


「……ソア・ミュスカ」


 男は彼女の名を口にした。


「君が何をしようとしているのか、確かめる必要がある」


 男の足元に、黒い鎖が現れた。


 鎖は床を這い、施設の奥へと伸びていく。


 その先には、古代の転移装置があった。


「次は、私自身が動こう」


     ◇


 夕方。


 宿へ戻ったソアは、訓練記録を開いた。


『飛行距離:約七メートル』


『風の流れに合わせると、方向転換ができる』


『装甲板の角度で、風の受け方が変わる』


 そこまで書いたところで、ソアは手を止めた。


 そして、最後に一文を書き加えた。


『翼も鎧も、力を押しつけるだけでは動かない』


「……よし!」


 ソアは満足そうにうなずいた。


 その背中では、銀白色の翼がかすかに揺れていた。


 翼の根元から、淡い緑色の光が流れている。


 その光は、翼の先へ。


 そして、周囲の風へ。


 ほんの一瞬、光が風と混ざり合った。


 誰も気づかないほど、小さな変化だった。


 けれど、ソアの翼は確かに成長していた。


 空を飛ぶために。


 そして、いつか遠くにいる誰かへ、自分の力を届けるために。


 ソアは翼を撫で、にっこりと笑った。


「明日は、十メートル!」


 その直後。


 机の上に置いてあった修理見積書が、風で床へ落ちた。


 ソアはそれを拾い上げ、そっと財布を開いた。


「……まずは、お金を稼ごう」


 空への道は、まだまだ遠い。

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