第53話 空を飛ぶための条件
浮遊遺跡《天空の門》を後にするころには、ソアの背中の翼はすっかり光を失っていた。
「……飛べない」
ソアは背中を振り返り、銀白色の翼をつついた。
「さっきは飛べたのに」
「魔力が切れたんだと思うよ」
隣を歩くリュシアが答えた。
「翼はまだ継承の途中。力を引き出せても、安定して使えるわけじゃない」
「つまり、練習が必要?」
「そういうこと」
「よし! いっぱい練習しよう!」
ソアは拳を握りしめた。
その直後、背中の翼がぴくりと動いた。
「おっ?」
ふわっ。
ソアの身体が十センチほど浮かび上がる。
「飛んだ!」
「まだ浮いただけだよ」
「でも飛んだ!」
「ソア、喜ぶのはいいけど、足元――」
ぽすん。
ソアはその場に尻もちをついた。
「…………」
「……大丈夫?」
「うん。鎧がクッションになった!」
「それ、喜んでいいのかな……」
シードがソアの肩から顔を出した。
「……いたくない?」
「平気平気!」
ソアは立ち上がり、腰に手を当てた。
「やっぱり鎧って最高だね!」
リュシアは空を見上げ、そっとため息をついた。
この子は、どこまでいってもソアなのだ。
翼を得ても、空を飛んでも、鎧への愛情は微塵も揺らがないらしい。
むしろ、翼と鎧を組み合わせる方法まで考え始めている。
「ねえ、リュシアさん」
「なに?」
「翼で飛びながら、鎧を遠隔操作したら、もっと自由に動けると思わない?」
「……まずは自分が落ちずに飛べるようになろうか」
「なるほど!」
ソアは真剣な顔でうなずいた。
「じゃあ、鎧を飛ばす練習はそのあとだね!」
「そこは諦めてほしかったなあ……」
◇
地上へ戻るため、三人は《天空の門》に残された古い昇降装置を利用することになった。
円形の台座に乗ると、周囲の風が渦を巻き、足元の魔法陣が淡く輝き始める。
「わあ……!」
ソアは台座の縁から身を乗り出した。
眼下には山々が広がっている。
雲が近い。
遠くの森も、街道も、まるで小さな模型のようだった。
「空から見ると、世界ってこんなに広いんだね」
いつもの明るい声が、少しだけ静かになった。
前世の美咲だったころ、彼女は画面の中で何度も空を飛んだ。
けれど、自分の目で見る空は、ゲームの景色とはまるで違う。
風の冷たさも、雲の流れも、遠くから聞こえる鳥の声も。
全部、本物だった。
「……もっと遠くまで飛んでみたいな」
ぽつりとこぼした言葉に、シードがうなずいた。
「……うん」
そして、小さな手でソアの鎧をぺたりと触る。
「……いっしょに」
「もちろん!」
ソアは笑った。
「鎧もシードも、みんな一緒にね!」
リュシアは二人を見て、微笑んだ。
けれど、その視線はソアの翼へと移る。
翼は、ときおり不規則に光っていた。
まるで何かを探しているように。
◇
地上へ戻った三人は、近くの町で一晩休むことにした。
宿の食堂で夕食をとりながら、ソアは机の上に紙を広げていた。
そこには、これまでの戦闘記録と、新しく気づいたことが書かれている。
「えーっと……」
ソアは羽根ペンを動かした。
『翼の魔力が切れると飛べなくなる』
『風の流れに合わせると、少し長く飛べる』
『鎧の一部を外すと動きやすくなる』
そして最後に、こう付け加えた。
『翼と鎧を組み合わせれば、もっと強くなれるかもしれない』
リュシアが横からのぞき込む。
「……最後の一文、ずいぶん自信があるね」
「だって、可能性はあるでしょ?」
「まあ、否定はしないけど」
「それに、翼が使えるようになれば、鎧が壊れたときも空から修理屋さんに直行できる!」
「そのために飛ぶの!?」
「えっ、便利じゃない?」
「……便利だけど」
リュシアは頭を抱えた。
シードは机の上にちょこんと座り、紙をじっと見つめていた。
「……ソア」
「ん?」
「……かぜ、だけじゃない」
「え?」
「……翼。風だけじゃなくて、ソアの魔力も、流れてる」
ソアは背中の翼に触れた。
「私の魔力……?」
「……うん。でも、まだ、うまくつながってない」
リュシアの表情が変わった。
「なるほど。風に乗るだけじゃなく、自分の魔力を翼に循環させる必要があるのかもしれない」
「循環……」
ソアは、以前に遺跡で見つけた言葉を思い出した。
――力を巡らせよ。
世界樹の記録にも、同じ考え方があった。
力は、ひとつの場所に留めておくものではない。
巡らせ、支え合い、必要な場所へ届けるもの。
「……そっか」
ソアは自分の手を見つめた。
「私、翼を動かそうとすることばっかり考えてた」
「うん」
「でも、翼に力を送って、風の力も受け取って……両方を一緒に流せばいいんだね」
「そういうことだと思う」
ソアの顔がぱっと明るくなった。
「よーし! 明日から特訓だ!」
「明日はギルドに報告して、装備も直すんだよね?」
「…………」
ソアの笑顔が止まった。
彼女はゆっくりと、机の横に置いてあった荷物を見た。
折れた剣。
傷だらけの肩当て。
曲がった背中の装甲板。
そして、修理が必要なすね当て。
「……お金」
「うん」
「……足りるかな?」
「それは、ギルドで報酬をもらってから考えよう」
「そうだね!」
ソアは勢いよく立ち上がった。
「明日は報告! 報酬! 修理! そして特訓!」
「順番はそれでいいけど、無理はしないでね」
「大丈夫! 今度はちゃんと計画的にやるから!」
リュシアとシードは顔を見合わせた。
――本当に大丈夫だろうか。
◇
その夜。
ソアが眠ったあと、背中の翼がかすかに光った。
銀白色の羽根の奥を、淡い緑の光が流れていく。
ほんの一瞬、翼の根元に見慣れない文字が浮かび上がった。
【対象者の魔力循環を確認】
【飛行適性――上昇中】
文字はすぐに消えた。
誰も気づかない。
ただ、ソアの枕元に置かれた小さな羽根だけが、呼応するように淡く輝いていた。
遠く離れた世界樹の根元でも、小さな種が静かに光を放っていた。
まるで、何かが少しずつつながり始めているかのように。
そして翌朝。
「おはようございます!」
元気いっぱいに起き上がったソアは、寝ぼけたまま翼を広げた。
ばさっ!
近くに置いてあった鎧の修理部品が、床に散らばった。
「…………」
ソアはしばらく固まったあと、静かに部品を拾い集めた。
「……飛ぶ練習の前に、片づけよう」
まずは、そこからだった。




