第52話 翼の欠片と、世界樹の記録
「……力を巡らせる、か」
ソアは壁に刻まれた文字を見上げていた。
『世界樹は、すべてを持つために存在するのではない』
『すべてを巡らせるために存在する』
何度読み返しても、意味は変わらない。
「ねえ、シード。世界樹って、もともとは世界中に力を配っていたの?」
「……うん。たぶん」
「たぶん?」
「……ぼくも、全部は覚えてない。でも、力が流れていたことは分かる」
シードは胸元に手を当てた。
小さな身体の奥で、淡い緑色の光が明滅している。
「……力は、ひとつの場所にとどまると、苦しくなる」
「苦しくなる?」
「……水と同じ。流れなくなると、よどむ」
ソアは、なるほど、と頷いた。
「じゃあ、魔物が凶暴になったり、ダンジョンで変なことが起きたりするのも、力の流れが悪くなっているからなのかな?」
「……そうかもしれない」
「そっか……」
ソアは壁の文字を見つめ直した。
黒衣の男は、七つの宝具を集めようとしている。
彼は力を集めれば、誰も失わずに済むと信じているようだった。
けれど、世界樹の記録は正反対のことを伝えている。
力を独占すれば、世界の流れが止まる。
「……あの人に、この記録を見せたら考え直してくれるかな」
シードは首を傾げた。
「……分からない」
「だよね」
ソアは苦笑した。
「でも、何も知らないまま戦うよりは、知ってから考えたいな」
そう言って、彼女は壁の記録を手帳に書き写した。
もちろん、壊れた鎧の修理費を計算するための帳簿とは別の手帳だ。
そこだけは、きっちり分けている。
「よし。これで記録はばっちり!」
ソアは手帳を閉じた。
そのとき、背中の翼が小さく震えた。
パサッ。
「……ん?」
銀白色の羽根が一枚、床に落ちた。
ソアは慌てて拾い上げる。
「えっ!? もう壊れたの!?」
「……ちがうと思う」
シードが羽根に触れた。
「……これは、壊れたんじゃない。余分な魔力が抜けたみたい」
「余分な魔力?」
「……翼が、ソアの身体に合わせて変わってる」
ソアは羽根を光にかざした。
薄く透き通る銀白色の羽根。
根元には、ごく小さな緑色の光が宿っている。
「……もしかして、これも取っておいたほうがいい?」
「……うん」
ソアは即座に小さな布袋を取り出した。
「よし、保管!」
「……ソア」
「なに?」
「……鎧じゃなくても、集めるんだね」
「だって、何かに使えるかもしれないじゃない!」
シードは、少しだけ笑った。
◇
その後、二人は遺跡の奥をさらに調べた。
壁に刻まれた記録は、部屋を進むほど古いものになっていった。
七つの枝。
七つの力。
そして、それぞれの力を扱うために作られた七つの器。
ソアは壁画の前で足を止めた。
そこには、七つの異なる形の武器が描かれていた。
巨大な籠手。
翼のような装置。
鏡のような盾。
鎖。
大砲。
剣。
そして、最後の一つは――。
「……あれ?」
ソアは目を細めた。
七つ目の武器だけ、形が描かれていなかった。
代わりに、そこには一本の木が描かれている。
枝を広げ、無数の葉をつけた大樹。
その根元には、小さな種。
「これだけ武器じゃないのかな?」
シードが壁画に手を触れた。
すると、七つ目の紋章が淡く輝いた。
「……これは、武器じゃない」
「じゃあ、何?」
「……帰る場所」
ソアは首を傾げた。
「帰る場所?」
「……うん。ほかの器が力を運ぶためのものなら、これは……力が戻る場所」
シードの声が、ほんの少しだけ揺れた。
「……世界樹、そのものに近い」
ソアは息をのんだ。
七つ目の宝具は、誰かが使うための武器ではない。
力を集めるための器でもない。
力が巡り、帰ってくる場所。
「……それって、もしかして」
ソアはシードを見た。
シードは答えなかった。
ただ、壁画の小さな種を見つめていた。
その頭の上の葉が、かすかに揺れる。
「……まだ、分からない」
やがて、シードは静かに言った。
「……でも、ぼくは、ここから来た気がする」
ソアは何も言わず、シードの頭をそっと撫でた。
「そっか」
そして、いつもの笑顔を浮かべた。
「じゃあ、一緒に確かめようね」
「……うん」
◇
遺跡を出る前に、ソアはもう一つの問題に取り組むことにした。
空を飛ぶ練習である。
「よーし! 今度こそ、安定して飛んでみせる!」
遺跡の外には、広い岩場が広がっていた。
周囲に人はいない。
多少失敗しても、誰かに見られる心配はなかった。
もっとも、壁に激突すれば痛いことに変わりはない。
「ソア。今度は、短い距離から練習しよう」
リュシアの助言を思い出し、ソアはゆっくりと翼を広げた。
風が背中を撫でる。
羽根がわずかに動く。
身体が浮き上がった。
「……よし」
今度は慌てない。
右へ傾きすぎないように。
風に逆らわないように。
翼を大きく動かすのではなく、空気の流れに合わせて角度を変える。
ソアはゆっくりと前へ進んだ。
一メートル。
二メートル。
三メートル。
「おおお……!」
地面を歩くよりも遅い。
けれど、確かに飛んでいる。
ソアは嬉しそうに笑った。
「できた! ちゃんと飛べてる!」
そのまま少しずつ高度を上げようとした。
しかし――。
背中の翼が、不意に大きく震えた。
「えっ?」
緑色の光が弱まる。
身体が沈み始めた。
「ま、待って! まだ飛び始めたばっかりなんだけど!?」
ソアは慌てて翼を動かした。
だが、焦るほど動きが乱れていく。
風の流れを見失った。
身体が横へ流される。
そして、彼女の視界に岩場の斜面が迫った。
「うわあああっ!」
ドサッ!
ソアは斜面を転がり、最後には大きな岩に背中をぶつけて止まった。
しばらく、動かなかった。
やがて。
「……いたい」
ゆっくり起き上がり、背中を確認する。
翼は消えていた。
そして、背中の装甲を固定する留め具が、また一つ外れていた。
「…………」
ソアは無言で留め具を拾った。
「……飛ぶ練習をすると、鎧が壊れるんだね」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
そのとき、頭の中に聞き覚えのない声が響いた。
『……対象者の飛行適性、上昇を確認』
ソアは顔を上げた。
「えっ?」
周囲には誰もいない。
「今、誰かしゃべった?」
返事はない。
シードが不思議そうに見上げている。
「……ソア?」
「ううん。何でもない」
ソアは首を振った。
聞き間違いだったのだろうか。
それとも、翼に何か変化が起きたのか。
今はまだ、分からない。
ただ一つ確かなことがある。
「……修理するところが、また増えた」
ソアは留め具を布袋へしまった。
「ううう……。せっかく翼を手に入れたのに、お金が全然足りないよぉ……!」
岩場に、悲痛な声が響いた。
◇
その頃。
山を下りた黒衣の男は、古びた石造りの建物に入っていた。
かつては研究施設だったのだろう。
壁は崩れ、天井には穴が開いている。
それでも、奥の部屋には古代の装置が残っていた。
男は手のひらの羽根を、装置の中央へかざした。
黒い線が走る。
羽根が淡く光る。
すると、装置の表面に文字が浮かび上がった。
『天翔の器との接続を確認』
『継承情報の一部を取得』
『世界樹の記録――閲覧可能』
男の瞳が鋭くなる。
「……やはり、七つの器は世界樹へつながっている」
装置の奥から、古い映像が浮かび上がった。
巨大な樹。
七つの枝。
枝から放たれた光が、地上の森や川、人々の住む街へと流れていく。
そして、映像の中の人々が、光を集め始めた。
一人が多くを求める。
別の者が、それ以上を求める。
やがて光の流れは細くなり、世界樹の葉が枯れていった。
男は拳を握りしめた。
「……力を巡らせるだけでは、守れなかった」
彼の声は静かだった。
「誰かが力を独占するなら、それ以上の力で押さえ込むしかない」
装置に映る世界樹を見つめながら、男はつぶやいた。
「俺がすべてを手に入れればいい」
そのとき、羽根の表面に刻まれた黒い線が、わずかに動いた。
男は気づかなかった。
羽根の中心から、ほんの小さな緑色の光がこぼれ落ちたことに。
その光は床へ触れると、消えることなく、石の隙間を伝って奥へ進んでいった。
まるで、帰る場所を探すかのように。
そして、遠い世界樹の根元で。
小さな種が、静かに光を放った。




