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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第五章 空を渡る鎧

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第51話 初めての空と、落ちていく鎧


「飛べる! 私、空を飛べるよ!」


天空の門に、ソアの歓声が響いた。


背中に現れた銀白色の翼が、緑色の光を帯びながら大きく広がる。


その姿は、まるで伝説の冒険者のようだった。


少なくとも、本人はそう思っていた。


「よーし! 今度こそ、華麗に飛んでみせる!」


「ソア、待って。まだ制御方法が分かっていないでしょう?」


リュシアが止めようとしたが、もう遅い。


ソアは勢いよく床を蹴った。


「とうっ!」


バサッ!


翼が開く。


身体が浮く。


足が床から離れる。


「おおおおおっ! 本当に飛んでる!」


「ソア! 右に寄ってるわ!」


「えっ、右!?」


ソアが慌てて左へ身体を傾けた。


翼が反応する。


ところが、今度は左へ傾きすぎた。


「わああああっ!?」


彼女の身体が回転し、壁へ向かって一直線に飛んでいく。


「ぶつかるわよ!」


「分かってるぅぅぅ!」


ソアはとっさに背中の翼を閉じた。


勢いが弱まる。


しかし、止まりきることはできなかった。


ドゴンッ!


壁に激突。


鎧の金属音が、広い部屋にむなしく響いた。


「…………」


「…………」


リュシアは目を閉じた。


シードは心配そうに駆け寄った。


「……ソア。だいじょうぶ?」


「うん……。壁は大丈夫?」


「壁の心配をしている場合じゃないでしょう!」


リュシアの鋭いツッコミが飛んだ。


ソアは壁から身体を離し、頭をさすった。


「うーん。飛ぶのって難しいね」


「当然よ。翼があることと、翼を使いこなせることは別なんだから」


「そっか……」


ソアは背中の翼を見つめた。


銀白色の羽根は、ゆっくりと開閉している。


まるで、彼女の動きを待っているかのようだった。


「ねえ、リュシアさん。これって、どうやったら上手に飛べるの?」


「まずは、風を読むことね。翼で無理に空気を押すんじゃなくて、風の流れに乗るの」


「風の流れに乗る……」


ソアは腕を組んだ。


「つまり、風にお願いする?」


「……あなた、何でもお願いで解決しようとしていない?」


「だって、鎧にもお願いしたら動いてくれたし!」


「その理屈で空を飛ぼうとしないで!」


リュシアは深いため息をついた。


しかし、ソアの背中の翼が、かすかに緑色の光を放った。


シードがその光を見つめる。


「……ソア」


「ん?」


「……翼も、鎧と似てる」


「えっ?」


「……無理に動かすと、うまくいかない。でも、風とつながると……動く」


ソアは目を丸くした。


「そっか!」


勢いよく立ち上がる。


「鎧を動かそうとしたときも、最初は全然うまくいかなかったもんね!」


「そうだったわね。自分の装備に何度も頭を殴られていたわ」


「そこは忘れてよぉ!」


ソアは頬を膨らませた。


それから、ゆっくりと深呼吸する。


今度は、勢いよく飛び出さない。


足元の風を感じる。


壁の隙間を抜けてくる空気。


天井付近を流れる風。


そして、背中の翼に触れる、かすかな風の感覚。


ソアは翼を少しだけ広げた。


ふわり。


身体が浮き上がる。


今度は回転しない。


壁にもぶつからない。


「……おお」


リュシアが小さく声を漏らした。


ソアはゆっくりと前へ進んだ。


一歩。


二歩。


空中で歩くような、不思議な動きだった。


「飛んでる……!」


ソアの顔がぱっと明るくなる。


「リュシアさん! シード! 見て見て!」


「ええ、見ているわ!」


「……すごい」


シードも嬉しそうに目を細めた。


ソアはゆっくりと旋回し、元の場所へ戻ってきた。


そして、慎重に着地する。


トンッ。


完璧だった。


「やったぁぁぁ!」


ソアは両手を突き上げた。


「飛べた! 今度こそ、ちゃんと飛べたよ!」


「ええ。今のは見事だったわ」


リュシアも笑顔でうなずいた。


「風を感じて、翼の動きを合わせる。今の感覚を忘れないで」


「うん!」


ソアは満面の笑みを浮かべた。


ところが。


次の瞬間、彼女の背中の翼が、ふっと光を弱めた。


「……あれ?」


身体が沈む。


「えっ、ちょっと待って!?」


ドスンッ!


ソアは尻もちをついた。


「いたたた……」


「効果が切れたのかしら?」


リュシアが翼を調べようと近づいた。


シードはソアの背中に手を触れ、静かに首を振った。


「……ちがう。壊れてない」


「じゃあ、どうして?」


「……力が足りなくなったみたい」


「力?」


シードはうなずいた。


「……まだ、翼が全部つながってない。飛ぶための力を、ずっと出し続けられない」


ソアは背中を振り返った。


銀白色の翼は、確かに先ほどより小さくなっている。


「そっか……。まだ完全じゃないんだね」


少し残念そうにしながらも、ソアはすぐに笑顔を取り戻した。


「でも、一回は飛べたんだもん! 練習すれば、もっと長く飛べるようになるよね!」


「そうね。焦らず練習しましょう」


リュシアはうなずいた。


「それに、この遺跡にはまだ調べる価値があるわ。翼の力を安定させる方法も、どこかに残っているかもしれない」


「よーし! それじゃ、まずは遺跡の探索だね!」


ソアは勢いよく立ち上がった。


その拍子に、腰の金具が嫌な音を立てた。


カチッ。


彼女は固まった。


ゆっくりと腰へ手を伸ばす。


留め具が、完全に外れていた。


「…………」


リュシアが、そっと目をそらした。


シードが小さくつぶやく。


「……また、壊れた?」


「うん……」


ソアは静かにうなずいた。


「……修理代が、また増えた」


その声には、先ほどまでの喜びが嘘のように消えていた。


「空を飛べるようになったのに……。どうしてお金は飛んでいくのぉぉぉ!」


遺跡の天井に、悲痛な叫びが響き渡った。


     ◇


その頃。


天空の門から離れた山の中腹で、黒衣の男は一人、岩場に腰を下ろしていた。


手のひらには、銀白色の小さな羽根。


その表面には、細い黒い線が浮かんでいる。


男は羽根を見つめながら、静かに魔力を流した。


すると、羽根の奥から淡い光が現れた。


一瞬だけ、誰かの声が聞こえた気がした。


『……おかえり』


男の指が止まった。


「……今のは」


彼は羽根を握りしめた。


その言葉を、知っている気がした。


いや、知っているはずがない。


それなのに、胸の奥がひどく痛んだ。


「……なぜだ」


男は空を見上げた。


雲の向こうには、巨大な浮遊遺跡がかすかに見えている。


そして、そのさらに奥。


世界樹のある方角から、緑色の光が一度だけ瞬いた。


男はゆっくりと立ち上がった。


「……まだ、終わりではない」


羽根を懐にしまう。


「七つの器を集めれば、きっと……」


言葉が途切れた。


彼は、自分の手を見つめた。


何かを握りしめることには慣れている。


けれど、誰かに手を伸ばすことは、いつからか怖くなっていた。


「……今度こそ、間に合わせる」


黒い外套が風にはためく。


男は山道を下り始めた。


その足取りには、以前よりもわずかな迷いが混じっていた。


     ◇


一方、天空の門。


ソアは壊れた腰当てを抱え、遺跡の奥にある小さな部屋へと入っていた。


壁には、古代文字がびっしりと刻まれている。


その中央には、七つの枝を持つ世界樹の紋章。


そして、その隣に描かれていたのは――。


鎧をまとった人々が、互いに武器を差し出している姿だった。


ソアは、思わず足を止めた。


「……これって、何だろう?」


シードが紋章へ近づく。


「……世界樹の記録」


「何か分かるの?」


「……少しだけ」


シードは壁に手を触れた。


淡い緑色の光が走り、古代文字の一部が浮かび上がる。


『七つの枝は、七つの力を生み出した』


『その力は、世界を巡り、命を支えた』


『だが、人々は力を自らのものとし、巡りを止めた』


ソアは静かに文字を読み進めた。


「……力を、自分のものにした?」


「……うん」


シードは、さらに奥の文字を照らした。


『力を独占する者が現れたとき、枝は世界から切り離される』


『枝を集める者よ』


『忘れるな』


『世界樹は、すべてを持つために存在するのではない』


『すべてを巡らせるために存在する』


ソアは、黒衣の男の言葉を思い出した。


――すべてを手に入れる。


――もう、何も失わないために。


「……あの人は、七つの宝具を集めて何をするつもりなんだろう」


彼女は小さくつぶやいた。


答えは、まだ分からない。


ただ一つ確かなのは。


彼が集めようとしている力と、世界樹が本来持っていた力は、同じではないということだった。


ソアは壊れた腰当てを抱え直した。


「……もっと、知りたいな」


大好きな鎧を直すためにも。


新しく手に入れた翼を使いこなすためにも。


そして、黒衣の男がなぜあそこまで力を求めるのかを知るためにも。


「ねえ、シード。もう少しだけ、調べていこう」


「……うん」


シードはうなずいた。


二人の前で、世界樹の紋章が淡く輝く。


その光は、まるで遠い場所から二人を見守っているかのようだった。


そして、ソアの背中で。


消えかけていた銀白色の翼が、もう一度だけ、小さく羽ばたいた。

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