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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第五章 空を渡る鎧

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第50話 二つの願いと、天翔の翼


銀白色の光が、部屋いっぱいに広がっていた。


ソアの胸元から伸びる緑色の光。


黒衣の男の手元に宿る、深い黒色の光。


二つの光は互いに反発することなく、一本の細い線となって《天翔の翼》へとつながっていた。


「……何が起きているの?」


リュシアが息をのむ。


古代遺跡の専門家である彼女でさえ、この現象は見たことがなかった。


「二人の魔力が混ざっているわけじゃない……。むしろ、まったく違う性質の力が、同じ場所へ流れている?」


シードは台座をじっと見つめていた。


「……ちがうよ」


「シード?」


「……ソアの光は、外へ流れてる。あの人の光は……中へ集まってる」


その言葉に、ソアは黒衣の男を見た。


男の周囲では、黒い魔力が渦巻いていた。


けれど、ソアの周囲では緑色の光が外へ広がり、床や壁に刻まれた古代文字を一つずつ照らしている。


まるで、二つの力が正反対の道を進んでいるようだった。


「外へ流す力と、中へ集める力……」


リュシアがつぶやいた。


「それが、同じ翼につながっているの?」


その瞬間、台座から声が響いた。


『二つの願いを確認』


『第一の願い――すべてを守るため、すべてを得る』


黒衣の男の周囲に、黒い光が集まった。


『第二の願い――守るために、必要なものを巡らせる』


ソアの足元から、緑色の光が広がった。


『相反する願いを持つ者よ』


『お前たちは、互いの願いを理解できるか』


「……理解?」


ソアは首を傾げた。


「えっと……つまり、この人と仲良くしろってこと?」


「違うと思うわ」


リュシアが即答した。


「だよね!」


「なぜ納得するのが早いのよ!」


そんなやり取りの間にも、光は強くなっていく。


黒衣の男は、じっと翼を見つめていた。


「……理解など、必要ない」


低い声だった。


「俺は、俺の願いを叶える。それだけだ」


黒い光が膨れ上がる。


台座から伸びた銀白色の羽根が、激しく震えた。


「やめて! このままだと翼が――」


リュシアが叫ぶ。


しかし、男は手を引かなかった。


「俺は、もう二度と失わない」


その声に、ソアの表情が変わった。


怒りではない。


哀れみでもない。


ただ、何かを確かめるような目だった。


「……大切な人がいたんだね」


男の動きが止まった。


「何?」


「あなたが守りたい人。もう会えない人なの?」


沈黙。


黒い光が、かすかに揺れた。


男の脳裏に、遠い記憶がよみがえる。


崩れ落ちる街。


燃え上がる空。


助けを求める人々の声。


そして、瓦礫の向こう側で伸ばされた、小さな手。


――大丈夫。すぐに助ける。


そう言った。


そう約束した。


けれど、間に合わなかった。


どれだけ力を求めても、どれだけ手を伸ばしても、最後まで届かなかった。


「……黙れ」


男は低く言った。


「お前に何が分かる」


「分からないよ」


ソアは正直に答えた。


「あなたが何を経験したのか、私には分からない。どんなに悲しかったのかも、きっと全部は分からない」


男は彼女をにらんだ。


「ならば、口を出すな」


「でも」


ソアは一歩前へ出た。


「大切な人を守れなかったら、次は絶対に守りたいって思うのは……分かる気がする」


彼女は、前世の記憶を思い出していた。


雨に濡れた道路。


目の前に飛び出した子ども。


考えるより先に、身体が動いた瞬間。


そして――。


自分の人生が終わったこと。


「私もね、前に誰かを助けようとしたことがあるんだ」


男の目がわずかに細くなった。


「その結果、私は死んじゃった」


リュシアが息をのむ。


シードは何も言わず、ソアを見上げた。


「でも、もしあのとき、助けられなかったとしても……私、きっと後悔したと思う」


ソアは少しだけ笑った。


「だから、あなたがもう誰も失いたくないって思う気持ちは、間違いじゃないと思うよ」


「……ならば、なぜ俺を止める」


「だって」


ソアは首を傾げた。


「誰かを守るために、あなたが全部抱え込んで壊れちゃったら、今度は誰があなたを守るの?」


男は答えなかった。


「全部の力を自分の中に集めたら、確かに強くなれるのかもしれない。でも、ずっと一人で持ち続けるのは大変だよ」


ソアは自分の傷ついた鎧を見た。


「私だって、鎧を全部自分で直そうとしたら大変だもん。だから、お店の職人さんにお願いすることもあるし、分からないことは人に聞くよ」


「……鎧の話と一緒にするな」


「えーっ、結構大事な話だよ!?」


思わず声が大きくなる。


「私、鎧が大好きだからこそ、ちゃんと直して長く着たいんだよ! 自分一人じゃ無理なこともあるから、誰かに助けてもらうんだもん!」


「……」


「だから、あなたもさ。誰かを守りたいなら、あなた自身だって誰かに頼っていいんじゃない?」


その言葉が、男の胸に刺さった。


頼る。


誰かに任せる。


自分の手から、力を離す。


かつての自分には、できなかったこと。


いや――。


できないと、決めつけていたこと。


そのとき、台座が大きく揺れた。


『警告』


『二つの願いの不整合を検知』


『継承機構の安定性が低下』


「きゃっ!?」


床に亀裂が走る。


銀白色の翼が、二つに裂けるように震えた。


黒衣の男の魔力が暴走しかけている。


「まずい! 翼が耐えられない!」


リュシアが叫んだ。


ソアはすぐに動いた。


「シード、支えられる!?」


「……やってみる!」


シードの蔓が床へ伸び、台座を包み込む。


リュシアは風を操り、暴れる魔力の流れを外側へ逃がした。


ソアは傷ついた胸当てを前へ飛ばし、翼から放たれる衝撃を受け止める。


ガァンッ!


金属音が響いた。


「うわっ、胸当てにひびが増えたぁ!」


「ソア、今は我慢して!」


「分かってるよぉ!」


彼女は歯を食いしばり、胸当てを支え続けた。


しかし、光は弱まらない。


黒衣の男もまた、黒い鎖を伸ばして台座を固定しようとしていた。


「なぜ……安定しない!」


彼は歯を食いしばる。


「俺はただ、守りたいだけだ……!」


ソアは、彼の声を聞いた。


そして、気づいた。


男は翼を欲しがっている。


力を求めている。


けれど、その根底にあるのは――。


「……ねえ!」


ソアは声を張り上げた。


「あなた、本当に全部を自分で持たなきゃ駄目なの!?」


「何を――!」


「その力で誰かを守りたいんでしょ!? だったら、その誰かと一緒に守る方法だってあるじゃない!」


「もう、誰も信じられない!」


男の叫びが、部屋に響いた。


その瞬間。


すべての音が消えたように感じられた。


男自身が、最も言いたくなかった言葉だったのかもしれない。


ソアは、ゆっくりとうなずいた。


「……そっか」


それ以上、何も言わなかった。


無理に説得しようとはしなかった。


信じろとも、変われとも言わなかった。


ただ、胸当てを支える手に力を込めた。


「じゃあ、今は信じなくてもいいよ」


男が顔を上げる。


「でも、今だけは一緒に頑張ろう。あなたも、この翼も、ここにいるみんなも……壊したくないんだ」


ソアの周囲から、緑色の光が広がった。


傷ついた胸当て。


歪んだ肩当て。


留め具の曲がった腰当て。


それぞれの装甲が光を帯び、台座を囲むように浮かび上がった。


ソアは、装甲を無理やり操ろうとはしなかった。


風の流れを感じる。


リュシアが作った道。


シードが支える台座。


男の黒い鎖が固定する翼。


みんなの力が、そこにあった。


「……お願い」


ソアは小さくつぶやいた。


「みんなの力を、つないで!」


緑色の光が、黒い鎖と交わった。


黒衣の男が息をのむ。


自分の力が、ソアの光に触れている。


それなのに、吸い取られてはいない。


奪われてもいない。


ただ、必要な場所へ流れていく。


「……これは」


男は初めて、自分の魔力が自分の外で役目を果たす感覚を知った。


手放したはずなのに、失われたわけではない。


自分の力は、まだそこにある。


誰かとつながったまま。


その瞬間、翼の光が静かに落ち着いた。


亀裂が止まる。


床の揺れが収まる。


台座の上で、銀白色の翼がゆっくりと形を変えていった。


二枚の翼が、一つの光の輪を描く。


そして、その中央から一対の小さな羽根が飛び出した。


一枚はソアの手のひらへ。


もう一枚は、黒衣の男の前へ。


『最終試練、完了』


『天翔の器――継承者を認定』


『ただし、器の完全継承は保留』


「……保留?」


ソアが首を傾げた。


『継承者は、翼の真の役割を理解する必要がある』


『翼は、所有するための力ではない』


『次なる場所へ、命を導くための力である』


光が消えた。


台座の上には、もう巨大な翼は残っていなかった。


ソアの手のひらには、銀白色の小さな羽根。


黒衣の男の前にも、同じ羽根が浮かんでいる。


「……これが、宝具なの?」


リュシアが首を傾げる。


シードが、静かにうなずいた。


「……まだ、全部じゃない」


ソアは羽根をそっと握った。


不思議な温かさが、手のひらに広がる。


そして――。


彼女の背中で、緑色の光が弾けた。


「えっ?」


光の中から、銀白色の小さな翼が現れた。


機械のような羽根が幾重にも重なり、ソアの背中でゆっくりと開閉する。


「う、うわあああっ!?」


ソアは慌てて振り返った。


「なにこれ!? 私、翼が生えた!?」


リュシアが目を輝かせる。


「すごい……! 《天翔の翼》の一部が、あなたに適合したんだわ!」


「じゃあ、これで空を飛べるの!?」


「試してみないと分からないけれど……」


ソアは満面の笑みを浮かべた。


「やったあああっ! これで高いところも、遠いところも、行けるかもしれない!」


そして、次の瞬間。


彼女の背中の翼が、勢いよく開いた。


バサッ!


強烈な風が吹き抜ける。


ソアの身体が、ふわりと浮き上がった。


「おおおおおっ!? 飛んでる! 私、飛んでるよ!」


「ソア、落ち着いて! 制御できていないわ!」


「えっ?」


翼が不規則に動いた。


ソアの身体がくるりと回転する。


「ま、待って待って待ってぇぇぇ!」


ドゴンッ!


彼女は天井に頭からぶつかった。


「……いたい」


床に落ちたソアは、しばらく動かなかった。


リュシアは頭を抱え、シードは心配そうに近づく。


黒衣の男だけが、わずかに口元を緩めていた。


ほんの一瞬。


本人でさえ気づかないほど、小さな笑みだった。


ソアは頭をさすりながら起き上がった。


「……よし」


「何がよしなのよ!?」


「練習すれば、きっと飛べる!」


彼女は背中の翼を見つめた。


銀白色の羽根が、緑色の光を帯びている。


まだ完全な宝具ではない。


空を自由に飛ぶには、練習も必要だろう。


それでも――。


ソアは、確かな一歩を手に入れた。


一方、黒衣の男もまた、手のひらの羽根を見つめていた。


彼の羽根は、黒い光に包まれながらも、完全には染まっていない。


「……俺にも、資格があるというのか」


誰に向けた言葉なのか。


その答えを知る者は、まだいなかった。


ただ、彼の手はもう、羽根を握り潰そうとはしていなかった。


天空の門の最奥で、七つの光のうち二つ目が、静かに輝いた。

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