第49話 翼を手にする者
『翼を得る者は、必ずしも試練を越えた者とは限らない』
扉に浮かぶ文字を、ソアは何度も読み返した。
「うーん……どういう意味だろう?」
「試練を突破した者が、必ずしも宝具を手に入れるとは限らない。そういうことじゃないかしら」
リュシアが慎重に言った。
「じゃあ、試練に合格しても翼がもらえないことがあるの?」
「可能性はあるわね」
「えええええっ! そんなのありなの!?」
ソアは思わず扉に詰め寄った。
「こっちはここまで来るのに、鎧を何枚も壊してるんだよ!? もう少しこう、頑張った人に優しくしてくれてもいいんじゃないかな!」
「鎧を壊したことは、試練の合格条件ではないと思うわ……」
「でも修理代は現実に発生するんだよ!」
「それはそうだけど!」
リュシアの声が裏返った。
シードはそんな二人を見上げながら、扉にそっと手を触れた。
「……ここ、まだ続いてる」
「まだ試練があるってこと?」
「……うん。最後の試練」
その瞬間、扉が音もなく開いた。
奥に広がっていたのは、円形の巨大な部屋だった。
壁も床も、淡い青色の光を放っている。
部屋の中央には、透明な結晶でできた台座。
その上に――。
一対の翼が浮かんでいた。
銀白色の羽根が幾重にも重なり、ところどころに緑色の光が走っている。
生き物の翼のようでありながら、どこか機械的でもある。
美しい。
あまりにも美しい光景に、ソアは口を開けたまま立ち尽くした。
「……すごい」
彼女の瞳が輝いた。
「ねえ、リュシアさん。あれって……」
「ええ。おそらく、伝説の宝具――《天翔の翼》よ」
「空を飛べるんだよね?」
「記録が正しければね」
ソアは自分の重装鎧を見下ろした。
胸当てにはひび。
肩当ては傷だらけ。
腰当ての留め具は曲がっている。
そして、背中には本来あるはずの装甲がない。
「……あれがあれば、もう高い山を登らなくてもいいんだ」
「目的がずいぶん現実的ね」
「だって、山道って大変なんだもん!」
ソアは真剣だった。
「あと、飛べるようになれば、鎧が壊れそうな場所でも空から移動できるかもしれないし!」
「鎧が壊れる前提なのね……」
リュシアが遠い目をした。
そのとき。
「そこまでだ」
低い声が響いた。
黒衣の男が、一歩前へ出た。
「その翼は、俺が手に入れる」
ソアは彼を見た。
「……また戦うの?」
「必要ならな」
「さっき一緒に戦ったのに?」
「それとこれとは別だ」
男の声には迷いがなかった。
けれど、その目は《天翔の翼》だけを見つめていた。
まるで、そこに何かを取り戻す手がかりがあるかのように。
ソアは少しだけ考えた。
それから、うなずいた。
「そっか」
「……何?」
「あなたも、あの翼が欲しいんだね」
「当然だ」
「じゃあ、試練を受けようよ!」
男が沈黙した。
「……お前は、俺と争わなくていいと言うのか?」
「え? だって、翼が一つしかないなら、最後にどっちが手に入れるか決まるんでしょ?」
「ならば――」
「でも、今すぐ戦う必要はないよね?」
ソアは笑った。
「ここまで来たんだから、まずは試練を受けようよ。それから考えればいいじゃない」
男は、何か言い返そうとして口を閉じた。
その様子を見て、リュシアが小さく息を吐く。
「……あなた、本当に変わった人ね」
「そうかな?」
「普通、宝具を奪い合う相手にそんなことは言わないわ」
「でも、さっきは助けてくれたし」
「……お前は、俺を信用しすぎだ」
男が低く言った。
ソアは首を横に振った。
「信用してるわけじゃないよ。まだ分からないことも多いし」
そして、まっすぐに男を見た。
「ただ、今は一緒に試練を受けてもいいと思ってる。それだけ」
男は何も答えなかった。
やがて、台座の周囲に文字が浮かび上がった。
『天翔の器、継承の最終試練』
『翼を求める者よ』
『お前は、何のために空を望む』
ソアの足元が淡く光った。
同時に、部屋の中央から風が吹き上がる。
『その答えを示せ』
「……答え?」
ソアは首を傾げた。
「空を飛ぶため、じゃ駄目なのかな?」
「ソア、もう少し考えて答えたほうがいいんじゃない?」
リュシアが小声で忠告する。
「だって、本当に空を飛びたいんだもん」
ソアは台座を見つめた。
「私は、鎧が好き。重たい鎧を着て歩くのも、手入れをするのも、直してまた着るのも好き」
彼女は傷ついた肩当てを抱き直した。
「でも、鎧を着ていると行けない場所もあるんだよね」
高い崖。
吹き荒れる風。
足場のない空。
どれだけ頑張っても、今の自分では届かない場所がある。
「だから、空を飛びたい」
ソアは顔を上げた。
「もっと遠くへ行きたいし、今まで届かなかった人にも手を伸ばしたい。鎧を着たままじゃ難しいことも、できるようになりたいんだ」
台座の翼が、かすかに光った。
『答えを受理した』
ソアは目を輝かせた。
「おおっ! 合格!?」
しかし、光はすぐに弱まった。
『継承者の資格を確認』
『適合率――判定不能』
『既存の継承規則と一致しません』
「……え?」
翼が動きを止めた。
リュシアが顔をこわばらせる。
「判定不能? そんな記録、見たことがないわ……」
シードが台座に近づいた。
「……ちがう」
「何が違うの?」
「……この翼、誰か一人に渡すためのものじゃない」
シードの金色の瞳に、緑色の光が宿った。
「……でも、誰かが持っていこうとしてる。だから、困ってる」
その言葉に、黒衣の男が鋭く反応した。
「何だと?」
シードは翼を見つめたまま続けた。
「……翼は、誰かを先へ運ぶもの。持っている人だけが飛ぶためのものじゃない」
ソアは、はっとした。
入口の碑文にあった言葉。
――翼は、飛ぶためだけにあらず。
――地に縛られた者を、次なる場所へ導くためにある。
「そっか……」
ソアは小さくつぶやいた。
「この翼は、誰か一人が独り占めするためのものじゃないんだ」
その瞬間、黒衣の男が台座へ向かって歩き出した。
「……ならば、なおさら俺が手に入れる」
「待って!」
ソアが呼び止める。
男は振り返らなかった。
「俺なら、この力を使って多くの者を守れる」
「一人で全部やるつもりなの?」
「そうだ」
その答えに、ソアは言葉を失った。
男の背中から、黒い魔力が立ち上る。
先ほど結晶を取り込んだときと同じ、不穏な光。
「誰かがすべてを持たなければ、また失うことになる」
男の声が、わずかに震えた。
「力が足りなければ、守れない。手を伸ばしても、届かない。だから俺は――」
彼の手が、翼へ伸びる。
「もう、何も失わないために、すべてを手に入れる」
黒い魔力が台座に触れた。
翼が激しく輝いた。
「やめて!」
ソアが駆け出す。
しかし、黒い鎖が床から伸び、彼女の足元を塞いだ。
「邪魔をするな!」
「邪魔するよ!」
ソアは迷わず叫んだ。
「だって、その翼は、あなた一人だけのものじゃないんでしょ!」
彼女の手が動く。
傷ついた肩当てが浮かび上がり、黒い鎖へと向かった。
ガキンッ!
鎖と装甲がぶつかる。
火花が散った。
だが、ソアは男を攻撃しなかった。
ただ、翼へ伸びる手を止めようとした。
「あなたが誰かを守りたいのは、分かるよ!」
男の動きが、一瞬止まる。
「でも、一人で全部持とうとしたら、あなた自身が壊れちゃう!」
「黙れ!」
黒い魔力が膨れ上がった。
台座が揺れる。
翼から銀白色の羽根が一枚、宙へ舞い上がった。
その羽根は、ソアの目の前で静かに回転した。
そして――。
ソアの胸元へ、そっと触れた。
緑色の光が広がる。
『継承者を再判定』
『世界樹の流れを確認』
『資格――保留』
部屋中に、透明な声が響いた。
『最後の問いを示す』
ソアは息をのんだ。
台座の前に、新たな文字が浮かび上がる。
『翼を得るために、お前は何を手放せるか』
ソアは、自分の鎧を見下ろした。
大切な鎧。
何度壊れても、修理して着続けてきた鎧。
簡単に手放せるはずがない。
けれど――。
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
「……手放すって、全部捨てることじゃないよね?」
誰も答えない。
ソアは傷ついた肩当てを、優しく撫でた。
「私、鎧は手放したくないよ。大好きだから」
それから、黒衣の男を見つめた。
「でも……鎧が好きだからって、鎧だけで全部何とかしようとは思わない」
ソアは、そっと手を伸ばす。
「私一人でできないことは、誰かに助けてもらう。私が持っているものだって、必要なら誰かのために使う」
彼女は笑った。
「それなら、少しは手放せると思う」
静寂が訪れた。
次の瞬間。
台座の翼が、今までにないほど強く輝いた。
銀白色の羽根が一斉に広がり、部屋の天井へ向かって光の道を描く。
黒衣の男は、その光景を見つめていた。
手を伸ばせば、届く距離にある翼。
それなのに、彼の指は動かなかった。
「……なぜだ」
彼は小さくつぶやいた。
「なぜ、お前には……」
言葉の続きは、光にかき消された。
翼の中央から、一対の光が分かれた。
一つはソアへ。
もう一つは――黒衣の男へ。
ソアは驚いて目を見開いた。
「えっ!? 二つあるの!?」
リュシアが息をのむ。
「違うわ……。あれは翼そのものじゃない。翼の力が、二つに分かれている……?」
シードが静かに言った。
「……選んでるんじゃない」
「じゃあ、何をしてるの?」
「……つなごうとしてる」
光が二人を包み込む。
そして、最後の文字が浮かび上がった。
『継承の試練、最終段階へ』
『二つの願いが交わるとき、翼は真の姿を示す』
ソアは黒衣の男を見た。
男もまた、初めて見るものを前にしたような顔で、彼女を見返していた。
敵同士の二人。
守りたいものは違う。
信じるものも、きっと違う。
それでも今、二人の間に一本の光がつながっていた。
その光が何を意味するのか。
まだ、誰にも分からなかった。




