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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第五章 空を渡る鎧

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第44話 鎧の足場と、風をつかむ少女


「まずは、風の観察から始めましょう」


リュシアは、大穴の手前にしゃがみ込んだ。


彼女が取り出したのは、薄い金属板と小さな羽根。


金属板を風にかざし、羽根をそっと放す。


羽根は右へ流れ、少し沈み、それから上昇した。


「この場所では、風が一定方向に流れているわけではないの。複数の気流がぶつかり合って、複雑な流れを作っている」


「なるほど……」


ソアは真剣に頷いた。


「つまり、風がいっぱいあるんだね!」


「……間違ってはいないけれど、もう少し考えてほしいわね」


「いっぱいある風を、うまく使う!」


「そういうことよ」


リュシアは、諦めずに説明を続けた。


「風に逆らって飛ぼうとすれば、押し戻される。でも、流れに乗れば前へ進める。問題は、どこに乗ればいいのかということね」


ソアは大穴を覗き込んだ。


向こう岸まで続く、目に見えない風の道。


その途中には、風が渦巻く危険な場所がいくつもある。


「……私の鎧も、同じかな」


「ええ。鎧を無理やり動かそうとするのではなく、風が運んでくれるようにすればいい」


「よし!」


ソアは勢いよく立ち上がった。


「じゃあ、今度は鎧を足場にしてみよう!」


「待って。どうして、そうなるの?」


「だって、鎧を飛ばすのが難しいなら、私が乗ればいいんだよ!」


「あなた、さっき自分で鎧を飛ばすって言っていたでしょう!?」


「うん。でも、乗ったほうが楽しそう!」


「楽しさで危険度を決めないで!」


ソアは、にこにこと笑った。


どうやら、止めるのは無理らしい。


リュシアは深いため息をついた。


「……せめて、最初は小さな装甲板で試してちょうだい」


「はーい!」


ソアは腰の装甲を一枚外した。


それから、装甲板を両手で持ち上げる。


「《全解除・パージ》!」


淡い光が走り、装甲板が宙に浮いた。


前回のように、ただ外れただけではない。


ソアは装甲板に意識を集中させる。


少し右へ。


少し前へ。


そして、止まる。


装甲板がゆっくりと動いた。


「おおっ! 前より動かしやすい!」


「力任せに動かしていないからでしょうね。風の流れに合わせているのよ」


「なるほど……風と相談するんだね!」


「風は相談に答えてくれないけれどね」


ソアは装甲板を大穴の上へ移動させた。


風が下から吹き上げ、装甲板を支える。


揺れながらも、落ちない。


「よし……!」


ソアは慎重に、その上へ片足を乗せた。


装甲板が大きく傾いた。


「わわっ!」


慌てて足を戻す。


「……だめだ。私が乗ると、バランスが崩れちゃう」


「当然よ。装甲板は、あなたを乗せるための道具ではないもの」


「じゃあ、二枚なら?」


「一枚で失敗したばかりでしょう?」


「二枚なら安定するかもしれないよ!」


「……理屈としては、わからなくもないのが腹立たしいわね」


ソアは目を輝かせた。


「やってみよう!」


「本当に、あなたは……」


リュシアは止めるのを諦め、今度は装甲板の配置について助言した。


二枚を並べるのではなく、少し前後にずらす。


風を受ける角度を揃え、左右の傾きを調整する。


ソアは教えられたとおりに、二枚の装甲板を浮かせた。


一枚目は前。


二枚目は後ろ。


二つの装甲板が、風の上でゆっくりと並んだ。


「……よし」


ソアは、そっと右足を乗せる。


揺れる。


けれど、今度はすぐには傾かなかった。


左足も乗せる。


「乗れた……!」


ソアの顔がぱあっと輝いた。


「リュシアさん! 私、鎧に乗れたよ!」


「ええ。まだ、その場から動いていないけれどね」


「じゃあ、次は前進!」


「一段階ずつ進めましょう!?」


しかし、ソアはもう風の流れを見ていた。


二枚の装甲板が、上昇気流に押し上げられている。


そこへ、ほんの少しだけ前向きの流れが加わった。


「今だ!」


ソアが意識を集中させる。


装甲板が、ゆっくりと前へ動き始めた。


一歩。


もう一歩。


実際には歩いていないのに、ソアの身体は確かに大穴の上を進んでいた。


「すごい……!」


リュシアも思わず声を漏らした。


「魔法で飛んでいるわけじゃない。装甲板を風に乗せて、その動きを制御しているのね」


「うん! これなら、私も空を進める!」


ソアは嬉しそうに笑った。


その肩では、小鳥が羽根を広げている。


「ピィ!」


「あなたも楽しい?」


「ピィ!」


「そっか! 私も楽しい!」


――その瞬間だった。


ゴウッ!


横から、強烈な風が吹きつけた。


「きゃあああっ!?」


装甲板が左右に大きく揺れる。


ソアは必死にバランスを取った。


「ま、待って! そっちは違うよ!」


装甲板は聞く耳を持たない。


当然だ。


鎧なのだから。


「ソア! 前に重心を移して!」


「前って、どっち!?」


「進行方向よ!」


「今、回転してるからわかんない!」


「回転しているの!?」


二枚の装甲板が、風に煽られてくるくると回り始めた。


ソアは両腕を広げ、必死に踏ん張る。


「鎧さん! お願いだから、落ち着いて!」


装甲板は、さらに回転した。


「鎧にお願いしても無駄よ!」


「でも、いつも一緒にいるんだから、気持ちは伝わるはず!」


「その理屈で空を渡ろうとしないで!」


そして。


装甲板が、ぴたりと止まった。


いや。


正確には、ソアの操作が止まったのだ。


風に逆らって制御しようとした結果、魔力が途切れた。


二枚の装甲板が、ゆっくりと傾く。


「……あ」


ソアの身体が宙に浮いた。


「落ちるうううううっ!」


リュシアが飛行装置を起動させた。


背中の小さな翼が光り、彼女は大穴へ飛び出す。


しかし、ソアのところまでは距離がある。


間に合わない。


そのとき。


「……まもる」


小さな声が響いた。


シードだった。


ソアの腰に巻かれた蔓が伸び、外れていた装甲板の一枚に絡みつく。


もう一枚には、別の蔓が伸びた。


「シード!?」


「……うん」


蔓が装甲板を引き寄せる。


同時に、シードの手のひらから淡い緑色の光が広がった。


風に煽られていた装甲板が、わずかに安定する。


その隙に、リュシアがソアの腕をつかんだ。


「捕まえて!」


「は、はいっ!」


リュシアは翼を広げ、風の流れを利用して二人を大穴の手前へ引き戻した。


ドサッ!


三人は、石床の上に転がった。


静寂。


しばらくして、ソアがゆっくりと顔を上げた。


「……助かった」


「まったく……!」


リュシアは息を切らしながら、ソアを睨んだ。


「あなた、自分が何をしたのかわかっているの!?」


「鎧に乗って飛んでみた!」


「そういうことではないわ!」


「でも、ちょっとだけ飛べたよ?」


「ちょっとでも、落ちたら危ないの!」


ソアは、しゅんと肩を落とした。


「……ごめんなさい」


リュシアは、言葉を止めた。


ソアはふざけていたわけではない。


本気で、あの方法を成功させようとしていたのだ。


そして、失敗したときも、最後まで自分の力で何とかしようとしていた。


「……次からは、私の合図を聞くこと」


リュシアは、少しだけ声を和らげた。


「風が乱れたら、無理に進もうとしない。あなたの能力で鎧を制御できなくなったら、すぐに戻ること。いいわね?」


「……うん!」


ソアは元気よく頷いた。


それから、シードの頭を撫でた。


「ありがとう、シード。助けてくれて」


「……そあ、ぶじ」


「うん。無事だよ!」


シードは、ほっとしたように葉っぱを揺らした。


その様子を見て、ソアは小さく笑った。


一人ではできなかった。


でも、シードが助けてくれた。


リュシアも、危険を承知で飛び込んできてくれた。


空を進むために必要なのは、ソア自身の力だけではないのかもしれない。


「……そっか」


ソアは、二枚の装甲板を拾い上げた。


「私、全部を自分で動かそうとしていたんだね」


リュシアが頷く。


「あなたの能力は、何でも思いどおりにできる魔法ではないのでしょう?」


「うん。外すことはできるけど、動かすのはまだ難しい」


ソアは装甲板を見つめた。


「だったら、風にできることは風に任せて、シードにできることはシードに頼って、私にできることを頑張ればいいんだ」


「……ようやく、まともな結論にたどり着いたわね」


「えへへ!」


「褒めていないわよ」


「でも、ちょっと褒めてくれたよね?」


「褒めていない!」


ソアは笑った。


それから、装甲板の傷を確かめる。


幸い、大きな破損はない。


修理代も、今回は最小限で済みそうだ。


「よかったぁ……」


「あなた、命が助かった直後に修理代を心配しているの?」


「だって、この鎧、高かったんだよ?」


「……もう何も言わないわ」


リュシアは空を仰いだ。


そして、ソアは立ち上がった。


今度は、焦って飛ぼうとはしない。


風の流れを観察する。


上昇する風。


横から吹きつける風。


その二つが交わる場所。


どこなら安全に進めるのか。


どこで止まれば、次の風を待てるのか。


ソアは一つずつ、確かめていった。


やがて、風の流れが少しずつ見えてきた。


「……次は、あそこ」


ソアが指さしたのは、大穴の中央にある小さな岩棚だった。


向こう岸までは届かない。


けれど、最初の中継地点にはなる。


「まずは、あそこまで行こう」


リュシアは微笑んだ。


「いい考えね。今度は、私も横について飛ぶわ」


「ありがとう!」


ソアは装甲板を二枚浮かせた。


今度は、シードの蔓が装甲板の端にそっと触れている。


風が吹く。


装甲板が揺れる。


ソアは、その流れを感じながら、ゆっくりと前へ進んだ。


一歩。


もう一歩。


そして――。


岩棚に、たどり着いた。


「……やった」


ソアは、思わず両手を上げた。


「やったあああっ!」


リュシアも、隣に着地する。


「ええ。今のは、ちゃんと成功よ」


シードも嬉しそうに葉っぱを揺らした。


「……そあ、そら」


「うん。空だね!」


ソアは、向こう岸を見つめた。


まだ距離はある。


試練も終わっていない。


けれど、最初の一歩は踏み出せた。


鎧は、ただ重いだけの装備ではない。


身体を守るもの。


強さを引き出すもの。


そして、いつか自分を空へ運んでくれるものになるかもしれない。


ソアは、そっと装甲板を撫でた。


「……これからも、一緒に頑張ろうね」


その瞬間。


岩棚の奥で、淡い光が灯った。


壁に刻まれた文字が、ゆっくりと浮かび上がる。


『己の力のみで進む者、道を閉ざされる』


『他者の力にすべてを委ねる者、道を見失う』


『力を合わせ、なお己の足で進む者に、次の道を示す』


ソアは、文字を読み終えて目を見開いた。


「……これって」


リュシアが頷いた。


「ええ。今の私たちが試されたのかもしれないわね」


シードが、そっと壁に触れる。


すると、岩棚の先に新たな風の道が現れた。


その道の先には、巨大な扉。


扉の中央には、翼の形をした紋章が刻まれていた。


そして、その紋章の片側だけが、淡い緑色に輝いている。


ソアは、息を呑んだ。


「……天翔の器」


ようやく、目的地が近づいてきた。


しかし、扉の前には、すでに誰かが立っていた。


黒いローブ。


黒い鎖。


そして、こちらを振り返ることなく告げる声。


「……遅かったな」


ソアの表情が変わった。


「あなた……!」


黒いローブの男は、ゆっくりと振り返った。


「ここから先は、今までのようには進めない」


その手の中で、黒い結晶が不気味に光る。


「翼を手にするのは、一人だけだ」


男の足元で、風が黒く染まり始めた。


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