第43話 飛べない鎧と、空飛ぶ作戦
「鎧に、飛んでもらえばいいんだよ!」
ソアの宣言が、風の渦巻く大空洞に響いた。
リュシアは、ぽかんと口を開けた。
「……ごめんなさい。今の、もう一度説明してもらえる?」
「えっとね。私が飛べないなら、鎧を飛ばせばいいんだよ!」
「説明になっていないわね」
「そうかな?」
「そうよ」
ソアは首を傾げた。
その肩には、小さな鳥のような生き物がちょこんと乗っている。
助けたばかりのその子は、まだ弱っているのか、ソアの肩当てにくちばしを押しつけていた。
「大丈夫。絶対に落とさないからね」
ソアはそっと頭を撫でる。
それから、目の前の大穴を見下ろした。
向こう岸までは、かなりの距離がある。
下には雲のような白い霧が渦巻いていて、底が見えない。
足場はない。
飛行装置を持っているリュシアなら渡れるかもしれないが、ソアには翼がない。
そして、ソアの鎧は重い。
とても重い。
「……よし」
ソアは右腕を持ち上げた。
「《全解除・パージ》!」
カシャン!
右肩の肩当てが外れ、宙に浮いた。
続いて背中の装甲板、左肩の肩当て、腰の装甲。
外れた鎧が、ソアの周囲に並ぶ。
リュシアは目を見開いた。
「装備を……浮かせている?」
「うん。外すところまではできるんだけどね」
「そこまでは?」
「ここから先は、まだよくわからない!」
「そこが一番大事なのだけれど!?」
ソアは肩当てをじっと見つめた。
いつもなら、外れた装備はそのまま地面に落ちる。
でも、今は違う。
肩当てが、ふわふわと宙に浮いている。
まるで、ソアの魔力に引っ張られているようだった。
「もしかして……動いて、ってお願いしたら動くのかな?」
ソアは肩当てに手を向けた。
「右に行って!」
肩当ては動かない。
「……右に行ってください?」
やっぱり動かない。
「右に行ってくれると、ソアさんはとっても助かります!」
「鎧に敬語を使ってもダメみたいね」
リュシアが冷静に突っ込んだ。
ソアは腕を組んだ。
「うーん……。今まで、鎧が壊れると身体が軽くなったんだよね」
「ええ。さっきも、背中の装甲を外した途端に動きが変わったわ」
「じゃあ、外した鎧にも、私の力が残っているのかな?」
ソアは自分の手を見つめた。
《スキンブースト》。
装備が失われるほど、身体が強くなる謎の能力。
そして、《全解除・パージ》。
自分に付着したものを選んで外す能力。
この二つが、何か関係しているのかもしれない。
「外した鎧は、もう私の装備じゃない。でも……私の力と、完全に切り離されたわけじゃない?」
ソアがそう呟いた瞬間。
肩当てが、ピクリと揺れた。
「……あれ?」
今度は、ほんの少しだけ右へ動いた。
「動いた!」
ソアの顔が輝く。
「動いたわね……!」
リュシアも驚いたように目を細めた。
ソアは、もう一度肩当てに意識を集中させる。
右へ。
少しだけ。
もう少し。
「いけっ、私の肩当て!」
肩当ては、勢いよく右へ飛んだ。
ゴンッ!
「いたっ!?」
飛んだ肩当てが、ソアの額に直撃した。
「ソア!?」
「だ、大丈夫……! 自分の鎧だから!」
「自分の鎧でも、頭にぶつかれば痛いでしょう!」
ソアは額を押さえながら、飛んでいった肩当てを拾った。
「うーん。飛ばすことはできるけど、細かい操作が難しいみたい」
「そもそも、どうして自分の装備を自分の頭にぶつけられるのよ……」
「愛が強すぎたのかな?」
「鎧への愛で物理法則を説明しないで!」
ソアは、ふふっと笑った。
でも、すぐに真剣な顔に戻る。
向こう岸まで、あと少しで届くような距離ではない。
肩当て一つを動かすだけでも、これだけ苦労している。
鎧に乗って飛ぶなんて、今のままでは無理だろう。
「……でも、できるかもしれない」
ソアは、外した装甲板を見た。
「飛ばすんじゃなくて、風に乗せるんだ」
「風に?」
「うん。ここって、風がずっと流れてるでしょう?」
大穴の中では、強い風が上へ、横へ、そして斜め下へと複雑に流れていた。
さっきまでのソアなら、その風に逆らって進もうとしていただろう。
けれど、風見の塔で学んだことがある。
風に逆らうのではなく、風とともに進む。
ならば、鎧だって同じかもしれない。
「リュシアさん。あの風の流れ、見える?」
「見えるわ。上昇気流が中央を通っている。でも、途中で流れが乱れているから、普通に飛び込めば押し戻されるでしょうね」
「じゃあ、鎧を一枚だけ乗せてみる!」
「……一枚だけ?」
「うん。まずは実験!」
ソアは背中の装甲板を両手で持ち上げた。
そして、風が上昇している方向へ、そっと押し出す。
装甲板は、風に押されてふわりと浮いた。
「おおっ!」
そのまま、ゆっくりと前へ進む。
ほんの数秒だった。
次の瞬間、横から吹きつけた風が装甲板をひっくり返した。
ガガガガッ!
装甲板は空中で何度も回転し、勢いよくこちらへ戻ってきた。
「わあああっ! 帰ってきた!」
「喜んでいる場合じゃないわ!」
リュシアがソアの腕を引く。
装甲板は二人の頭上をかすめ、背後の石壁に激突した。
ガァン!
静寂。
ソアは、ゆっくりと振り返った。
石壁にめり込んだ装甲板。
その端に、小さな傷がついている。
「…………」
「ソア?」
「……修理代、また増えちゃった」
「そこなの!?」
ソアは装甲板を引き抜いた。
傷を確かめ、ほっと息をつく。
「よかった。これくらいなら直せそう」
「あなた、本当に鎧が好きなのね……」
「うん! 大好き!」
ソアは胸を張った。
「だからこそ、ちゃんと連れて帰らないとね!」
「今から空を渡るのよね?」
「もちろん!」
「鎧を全部持って?」
「もちろん!」
「……先が思いやられるわ」
リュシアは額に手を当てた。
そのとき。
ソアの肩に乗っていた小鳥が、小さく鳴いた。
「……ピィ」
そして、くちばしを大穴の中央へ向けた。
そこには、他の場所とは違う風の流れがあった。
見えない道のように、細い風が一本、向こう岸まで続いている。
ソアは目を凝らした。
「……あれ?」
風に乗っていた装甲板。
一瞬だけ、あの細い流れに沿って進んでいた気がする。
「もしかして……」
ソアは装甲板を抱え直した。
今度は、風の流れに逆らわない。
押し出すのでもない。
ただ、風が運んでくれる位置に置く。
「もう一回、試してみる」
「今度は頭にぶつけないでね」
「努力します!」
「そこは約束してほしかったわ!」
ソアは、そっと装甲板を手放した。
装甲板は、ゆっくりと風に乗った。
右へ傾き、少しだけ沈み、それから上昇する。
今度は、回転しない。
まるで見えない手に支えられているかのように、風の道を進んでいく。
ソアは息を呑んだ。
「……飛んでる」
装甲板は、少しずつ大穴の向こうへ近づいていた。
けれど。
中央付近に差しかかったところで、風の流れが乱れた。
装甲板が大きく揺れる。
ソアは反射的に意識を集中させた。
「止まって!」
装甲板が、一瞬だけ動きを止めた。
しかし、すぐに風に押されて下へ傾く。
「だ、だめ……!」
ソアは手を伸ばした。
届くはずがない。
それでも、頭の中で必死に叫ぶ。
戻って。
お願い、戻って!
装甲板がピクリと動いた。
ほんの少し。
こちらへ向かって。
けれど、その動きは弱く、風の流れに押し流されてしまった。
装甲板は、白い霧の中へ落ちていく。
「……あっ」
ソアは呆然とした。
やがて、はるか下から小さな音が聞こえた。
カァン……。
「…………」
リュシアが、そっとソアの肩に手を置いた。
「残念だけれど、あれは回収できないわね」
「……うん」
ソアは、しばらく黙っていた。
やがて、ぎゅっと拳を握る。
「次は、絶対に成功させる」
その声には、悔しさと決意が混じっていた。
「鎧を飛ばすんじゃない。風に乗せて、私のところに戻ってこられるようにするんだ」
肩に乗った小鳥が、もう一度鳴いた。
「ピィ!」
まるで、応援してくれているようだった。
ソアは小さく笑う。
「ありがとう。よし、もう一回!」
「待ちなさい」
リュシアが即座に止めた。
「何回も試す前に、仕組みを考えましょう。今のあなたは、鎧を動かすことに集中しすぎているわ」
「仕組み……?」
「風の流れを読むこと。鎧が受ける風の力を考えること。それから、あなたの能力で、どこまで動きを補助できるのかを確かめること」
リュシアは大穴の向こうを見つめた。
「あなたは鎧を操ることだけを考えている。でも、本当に必要なのは、鎧が飛べる道を見つけることなのかもしれない」
ソアは、はっとした。
飛ぶための翼がない。
だから、鎧を翼にしようとした。
けれど、翼がなくても空へ進む方法はある。
風を読み、風を受け、風とともに進む。
そのために必要なのは、鎧を無理やり動かす力だけではない。
「……そっか」
ソアは、ゆっくりと頷いた。
「鎧に飛んでもらうんじゃなくて、鎧と一緒に飛ぶんだ」
「……ええ。そういうことね」
リュシアは微笑んだ。
「ようやく、少しだけ話が通じた気がするわ」
「えへへ」
ソアは頭を掻いた。
そして、足元に残った装備を確認する。
肩当てが二つ。
腰の装甲。
脚部の装甲。
胸当ては、まだ身につけている。
失敗した装甲板は、もう戻ってこない。
「……うん。次は、失敗しないようにしよう」
ソアは残った鎧を大切に抱え直した。
「でも、絶対に全部連れて帰るからね」
「その前に、あなた自身が向こう岸へ渡るのよ」
「もちろん!」
ソアは大穴を見つめた。
風の道は、まだ見えている。
そして、向こう岸のさらに奥。
巨大な扉の向こうから、かすかな光が漏れていた。
そこにあるのは、天翔の器。
空へ至るための、翼。
ソアは深呼吸した。
「待っててね。今度こそ、私の力でたどり着くから」
その頃。
大穴の向こう側では、黒いローブの男が、静かにソアたちを見下ろしていた。
彼の足元には、黒い鎖が伸びている。
鎖の先端は、石壁に深く食い込んでいた。
「……鎧を操る、か」
男は、わずかに目を細めた。
「いや。あれは、操っているのではない」
ソアが装甲板を風に乗せた瞬間。
男には見えていた。
装甲板とソアの間に、一瞬だけ生まれた、淡い緑色の光。
まるで、切り離されたもの同士が、まだつながっているかのような光だった。
「……世界樹の力が、目覚め始めているのか」
男は拳を握った。
「急がなければ」
彼の脳裏に、遠い日の光景が蘇る。
崩れ落ちる街。
助けを求める声。
伸ばした手の先で、届かなかった誰か。
男は目を閉じた。
「今度こそ……誰一人、失わせない」
黒い鎖が、音もなく動き出す。
その先には、天空の門の最奥へ続く道があった。
そしてソアは、まだ知らない。
この試練で手に入れるものが、単なる飛行能力ではないことを。
鎧を手放しても、鎧への愛は消えない。
離れていても、つながりは失われない。
そのことを、彼女自身の力で知る日が、少しずつ近づいていた。




