第42話 翼を持たない者たち
《天空の門》。
その内部は、ソアが想像していた以上に広かった。
天井は見えないほど高く、壁には古代文字がびっしりと刻まれている。
足元には白い石畳が続き、その両側には雲の海が広がっていた。
「……ここ、本当に空の上なんだね」
ソアは手すりの向こうをのぞき込んだ。
眼下には、雲に覆われた山々。
落ちたら、まず助からない。
「……ソア。落ちないでね」
「分かってるよ!」
「……鎧が重いから」
「シード?」
「……なんでもない」
ソアは、少しだけ頬を膨らませた。
「私だって、落ちないように気をつけてるもん」
その背後で、リュシアが周囲を調べていた。
「妙ね……。ここまで来るのに、魔物が一匹もいない」
「試練の場所だからですか?」
「そうかもしれない。でも、普通なら侵入者を防ぐための仕掛けがあるはずよ」
リュシアが壁に手を触れた。
すると、壁面の文字が淡く光った。
ゴウン……。
遠くから、低い音が響く。
三人の前方に、巨大な扉が現れた。
その表面には、翼の紋章。
扉の上に文字が浮かび上がる。
『第一の試練』
『己の足で進め』
『他者を踏み台として進む者に、翼は与えられない』
ソアは文字を見上げた。
「……さっきと同じ言葉だ」
リュシアがうなずく。
「誰かを犠牲にして先へ進んではいけない、という意味かしら」
「でも、どうしてそんなことをわざわざ書くんでしょう?」
「昔、そういうことをした人がいたのかもしれないわね」
その言葉を聞いた瞬間。
ソアは、先ほどの黒衣の男を思い出した。
『自分が守りたいものを、見失うな』
あの男は、なぜあんなことを言ったのだろう。
敵なら、こんな忠告をする必要はないはずだ。
「……うーん」
ソアは首をひねった。
「分からないことが多すぎるね」
「……いつものこと?」
「シード、最近ちょっと辛辣じゃない?」
「……成長したから」
「そういう成長なの!?」
◇
扉が開いた。
その先には、巨大な空洞が広がっていた。
無数の足場が、空中に浮かんでいる。
足場と足場の間には、橋があるものもあれば、何もない場所もあった。
遠くには、黄金色に輝く台座が見える。
その上に、翼を広げた鳥のような像が置かれていた。
「……あれが目的地?」
ソアが指さす。
リュシアは目を細めた。
「おそらくね。でも、どうやって進むのか……」
そのとき、空洞の中央に光が集まった。
光の中から、古代文字が現れる。
『試練の参加者を確認』
『第一条件――自らの力で進むこと』
『第二条件――仲間を犠牲にしないこと』
『第三条件――選択の結果を、他者に押しつけないこと』
三つの条件が、空中に刻まれた。
ソアは腕を組んだ。
「……自分の力で進んで、仲間を守って、責任は自分で取る」
「簡単そうに見えて、難しい条件ね」
リュシアは真剣な顔をしていた。
「特に第三の条件。何かを選ぶとき、その結果を誰かのせいにしてはいけない……ということかしら」
ソアは、ゆっくりとうなずいた。
その瞬間。
空洞の奥から、声が響いた。
「……始めよう」
黒衣の男だった。
いつの間にか、彼は別の足場の上に立っていた。
男はソアたちを見つめている。
「ここでは、力の強さも、魔法の威力も、大した意味を持たない」
「あなたも試練を受けるんですか?」
ソアが尋ねる。
男は答えなかった。
ただ、足元の足場へ目を向けた。
すると、彼の前に一本の橋が現れた。
「先に行かせてもらう」
男は橋へ足を踏み出した。
その瞬間、橋の一部が消えた。
男の身体が傾く。
だが、彼は慌てなかった。
腰から黒い鎖を伸ばし、隣の足場へ固定する。
そのまま身体を引き寄せ、向こう側へ飛び移った。
見事な身のこなしだった。
「……すごい」
ソアは思わずつぶやいた。
男は振り返らず、先へ進んでいく。
「私たちも行こう!」
ソアが一歩踏み出した。
しかし、足場は動かなかった。
「……あれ?」
もう一歩。
やはり、動かない。
リュシアが足元を調べる。
「この足場、条件を満たさないと動かない仕組みみたいね」
「条件?」
「自分の力で進むこと……。もしかしたら、まずは一人で渡る必要があるのかも」
ソアは周囲を見回した。
次の足場までは、数メートル。
飛び移れない距離ではない。
けれど、途中に風が吹き抜けている。
しかも、足場の表面はつるつるだった。
「……なるほど」
ソアは剣を抜いた。
「飛び移ればいいんだね!」
「待って。もう少し調べてから――」
リュシアが止めるより早く、ソアは走り出した。
「いっけええええっ!」
大きく跳躍。
重い鎧が空中で揺れる。
そして――。
ドスンッ!
向こうの足場に着地した。
「……着いた!」
ソアは両手を上げた。
リュシアは額を押さえた。
「……あなた、本当に怖いもの知らずね」
「いえ、怖いものはありますよ!」
「何?」
「鎧の修理代です!」
「そこなの!?」
◇
ソアが次の足場へ進むと、床に刻まれた紋様が光った。
足場が、ゆっくりと前方へ動き始める。
「おおっ!」
その先には、さらに複雑な道が続いていた。
左右に揺れる足場。
突然消える橋。
風に押し流される通路。
まるで、空そのものが試練になっているようだった。
ソアは手帳を取り出し、足場の位置を簡単に描き写した。
「風の流れを読んで、足場が動くタイミングを見ればいいんだね」
「……ソア、ちゃんと考えてる」
「私だって考えるよ!」
「……ちょっとびっくりした」
「シード!?」
ソアは抗議しながらも、足元を観察した。
風が吹く方向。
足場が揺れる周期。
橋が消える直前の光。
それらを一つずつ確認し、慎重に進んでいく。
途中、肩当てが風にあおられた。
ソアは反射的に留め具を押さえる。
「……危なかった」
鎧を外せば、もっと簡単に進めるかもしれない。
《全解除・パージ》を使えば、身体は軽くなる。
それでも、今はまだ外さない。
自分の装備を身につけたまま、進める方法を探したかった。
「……よし」
ソアは風が弱まる瞬間を見極め、次の足場へ跳び移った。
着地。
成功。
その先の橋も、風の流れを読んで渡る。
やがて、最初の大きな分岐点へたどり着いた。
◇
分岐点には、二つの道があった。
左の道は、幅が狭いが、まっすぐ台座へ続いている。
右の道は、遠回りだが、足場が広く安定している。
そして、分岐点の中央には、小さな鳥のような魔物が倒れていた。
翼が片方折れ、身体には黒い結晶が刺さっている。
「……この子」
シードが駆け寄った。
小さな魔物は、弱々しく鳴いた。
キュ……。
ソアはすぐにしゃがみ込んだ。
「大丈夫? 今、助けるからね」
リュシアが周囲を警戒する。
「気をつけて。罠かもしれないわ」
ソアはうなずいた。
「分かってます。でも、この子を放っておけないよ」
黒い結晶に触れた瞬間、シードの葉っぱが強く光った。
「……これ、あの結晶と同じ」
「やっぱり、誰かが仕込んだものなのかな……」
ソアは結晶を抜こうとした。
だが、結晶は魔物の身体に深く食い込んでいる。
無理に引き抜けば、傷が広がるかもしれない。
「……どうしよう」
ソアは周囲を見回した。
そのとき、遠くから声が響いた。
「先へ進め」
黒衣の男だった。
男は、すでに次の足場に立っている。
「その魔物を助ければ、時間を失う。試練の目的地は、あの台座だ」
「でも、この子は怪我をしています!」
「試練は、すべてを救うために用意されたものではない」
男の声は冷たかった。
「選べ。先へ進むか、そこに残るか」
ソアは唇をかんだ。
確かに、ここで時間を使えば、男に先を越されるかもしれない。
《天翔の翼》を手に入れられなくなる可能性だってある。
それでも。
ソアは小さな魔物を抱き上げた。
「……助けるよ」
リュシアが、わずかに目を見開いた。
「ソア……」
「だって、この子を見捨てて手に入れた翼なんて、私は欲しくないから」
ソアは、まっすぐに男を見た。
「私は、私のやり方で進みます!」
男は何も言わなかった。
ただ、しばらくソアを見つめていた。
やがて、静かに視線をそらす。
「……そうか」
それだけ言うと、男は先へ進んだ。
◇
シードは、小さな魔物の身体を調べていた。
「……結晶を、少しずつ動かす」
「うん。お願い」
シードの手から、淡い緑色の光が広がる。
黒い結晶の周囲に、細い木の根のようなものが伸びていった。
根が結晶を包み込み、ゆっくりと引き抜く。
ポロリ。
結晶が落ちた。
小さな魔物は、一度大きく震えたあと、弱々しく鳴いた。
キュウ……。
「よかった……!」
ソアは安堵の息を吐いた。
シードは結晶を見つめていた。
「……やっぱり、魔力を乱すもの」
「これも、あの黒い人が関係しているのかな……」
ソアがつぶやく。
しかし、今は考えている時間がない。
小さな魔物は、まだ自力で飛べそうになかった。
ソアは自分の肩当てを外し、その上に魔物をそっと乗せた。
「よし。これなら、運びやすいね」
「……ソアの鎧」
「うん。大事な鎧だよ」
ソアは微笑んだ。
「だからこそ、こういう使い方もできるんじゃないかな」
肩当てを抱えたまま、彼女は立ち上がった。
そして、遠回りの道へ向かう。
近道ではない。
時間もかかる。
それでも、ソアは迷わなかった。
◇
遠くの足場で、黒衣の男が立ち止まっていた。
彼は、ソアたちが進む方向を見つめている。
「……また、そちらを選ぶのか」
その声には、苛立ちとも悲しみともつかない響きがあった。
男の脳裏に、遠い過去の光景がよみがえる。
崩れ落ちる石造りの街。
助けを求める声。
差し伸べられなかった手。
そして、失われた命。
男は目を閉じた。
「……だからこそ、私はすべてを手に入れなければならない」
彼の足元で、黒い結晶が砕けた。
男は再び歩き出す。
その背中は、ひどく孤独に見えた。
◇
一方、ソアたちは遠回りの道を進んでいた。
肩当ての上で、小さな魔物が少しずつ元気を取り戻している。
シードはその様子を見て、嬉しそうに葉っぱを揺らした。
「……元気になってきた」
「よかったね」
ソアは微笑んだ。
しかし、その先に待っていたのは、さらに大きな障害だった。
足場が途切れている。
向こう岸までは、かなりの距離。
その間には、風が渦巻いていた。
「……これは、どうしよう」
ソアは腕を組んだ。
今度ばかりは、勢いだけでは渡れそうにない。
リュシアも追いつき、向こう岸を見つめた。
「風の流れが、一定じゃない……。足場を作る仕掛けも見当たらないわ」
ソアは、シードと小さな魔物を見た。
それから、自分の鎧を見つめる。
「……よし」
彼女の目が、きらりと光った。
「ちょっと、試してみたいことがあるんだ」
「……なに?」
ソアは、肩当てをそっと持ち上げた。
「鎧を着たまま飛べないなら――」
彼女は笑った。
「鎧に、飛んでもらえばいいんだよ!」
リュシアは、嫌な予感がした。
「……ソア。まさか、また無茶をするつもり?」
「大丈夫!」
「その『大丈夫』、信用できないのよ!」
ソアは聞こえないふりをして、肩当てを両手で構えた。
空の試練は、まだ始まったばかりだった。




