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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第五章 空を渡る鎧

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第41話 空への出発と、鎧の重さ


「それで、どうやって空へ行くんですか?」


朝。


冒険者ギルドの食堂で、ソアはリュシアに詰め寄っていた。


机の上には、焼きたてのパンが三つ。


ソアの前に二つ、シードの前に一つ。


リュシアは紅茶を飲みながら、涼しい顔で答えた。


「風の橋を使うのよ」


「風の橋?」


「昨日、風見の塔が反応したでしょう? あの装置は、天空の門へ続く道を開くためのものだったの」


リュシアは机の上に地図を広げた。


「ただし、橋は常に存在しているわけじゃない。特定の条件がそろったときだけ、空気中の魔力が固まって、足場のようになる」


「空気が固まる……?」


ソアはパンをかじりながら考えた。


「風が、床になるってことですか?」


「簡単に言えばね」


「すごい! 空って、歩けるんですね!」


「歩けるとは限らないわよ」


「えっ」


「橋の形状も、長さも、安定性も分からない。途中で消える可能性だってある」


ソアはパンを飲み込んだ。


「……落ちたら?」


「落ちるでしょうね」


「…………」


ソアはゆっくりとシードを見た。


シードも、ゆっくりとソアを見返した。


「……飛べないね」


「うん。飛べないね」


「……どうするの?」


「落ちないように頑張る!」


「……そっか」


リュシアは紅茶を吹き出しかけた。


「あなたたち、本当にそれで大丈夫なの!?」


     ◇


出発前に、ソアは武器屋へ立ち寄った。


修理に出していた肩当てと背中の装甲が、ようやく戻ってきたのだ。


「おう。直しておいたぞ」


店主が装甲を差し出す。


魔鋼製の表面は磨き直され、留め具も新しいものに交換されていた。


ソアは両手で受け取った。


「……おかえり!」


彼女は装甲をそっと撫でた。


「やっぱり、この鎧が一番だなあ……」


「いい加減、もう少し丁寧に使えよ」


「丁寧に使ってるつもりなんですけど……」


「つもりでこれなら、実際はどうなってるんだ」


店主は深いため息をついた。


ソアは装甲を身につけ、留め具を確認する。


しっかり固定されている。


肩を回しても、背中をひねっても問題ない。


「完璧!」


「壊すなよ」


「壊しません!」


店主は何も言わず、ソアの背中を見つめた。


「……本当に?」


「……できるだけ!」


「おい!」


ソアは慌てて店を飛び出した。


その背中を見送りながら、店主はぼそりとつぶやく。


「……あの鎧、いつまで原型を保てるんだろうな」


     ◇


風見の塔。


三人が到着すると、リュシアは最上階の装置を起動した。


七つの輪が回転し、青白い光が床を走る。


やがて、塔の外へ向かって細い光の線が伸びていった。


昨日と同じだ。


ただし、今日は違った。


光の線は山の尾根を越え、空中へと伸びている。


その先には、雲の向こうに浮かぶ天空の門。


「……すごい」


ソアは息をのんだ。


光の線が、ゆっくりと幅を広げる。


透明な床が、一枚ずつ敷かれていくようだった。


やがて、山の頂上から空へ続く橋が姿を現した。


リュシアが説明する。


「これが風の橋。装置が魔力の流れを固定して、一定時間だけ足場を作るの」


「一定時間?」


「ええ。長くは持たないわ」


「どれくらいですか?」


「分からない」


「…………」


ソアは空を見上げた。


雲の上まで続く、長い長い橋。


下には、深い谷。


「……落ちたら?」


「さっきも聞いたわよね?」


「念のためです!」


リュシアは苦笑した。


「大丈夫。橋が不安定になったら、すぐに引き返す。無理はしないこと」


「分かりました!」


ソアは元気よく答えた。


そして、ふと気づく。


「……あれ?」


「どうしたの?」


「橋の上、風が吹いてない?」


リュシアは目を細めた。


確かに、光の橋の上だけ、風が渦を巻いている。


周囲の風とは、明らかに流れが違う。


「……変ね。こんな反応は記録にないわ」


シードが橋の先を見つめた。


「……よばれてる」


「え?」


「……あの先から」


シードの頭の葉っぱが、淡い緑色に光った。


ソアは、シードの手を握る。


「大丈夫。一緒に行こう」


「……うん」


     ◇


最初の一歩。


ソアは慎重に足を伸ばした。


靴底が光の床に触れる。


硬い。


石床と変わらない感触だった。


「……本当に歩ける!」


「だから、そう言ったでしょう?」


リュシアは呆れたように笑った。


三人は、ゆっくりと橋を進んだ。


数歩進むと、周囲の景色が変わり始めた。


山々が遠ざかる。


雲が近づく。


風の音が大きくなる。


そして、橋の途中で――。


ゴオオオオオッ!


突然、横から突風が吹きつけた。


「きゃっ!」


リュシアの身体が傾く。


シードがよろめいた。


ソアは反射的に二人を支えようとした。


その瞬間、背中の装甲が強く引っ張られた。


「えっ!?」


風が鎧の隙間に入り込み、身体を横へ押し流そうとしている。


ソアは足を踏ん張った。


しかし、今度の風は強かった。


光の床が、足元で揺れる。


「ソア、装備を軽くして!」


リュシアが叫ぶ。


「えっ、でも!」


「このままだと、風に持っていかれるわ!」


ソアは背中の留め具に手を伸ばした。


鎧を外せば、身体は軽くなる。


風の流れにも対応しやすくなる。


分かっている。


分かっているのに。


「……この鎧、直したばっかりなのに!」


「今それを気にしてる場合!?」


ソアは歯を食いしばった。


そして、決断した。


「《全解除・パージ》!」


カチンッ!


背中の装甲が外れた。


続いて、右肩の装甲も切り離す。


鎧を捨てたわけではない。


自分の意思で、必要な部分だけを外したのだ。


途端に、身体が軽くなる。


ソアは風の流れを読み、足を踏み出した。


風に逆らわず、押し返そうとせず。


流れに合わせて、身体をひねる。


一歩。


二歩。


三歩。


そして、突風の向こう側へ抜けた。


「……よし!」


ソアはすぐに外した装甲を回収した。


背中の装甲も、肩当ても無事だ。


「よかったあ……!」


「そこ!?」


リュシアが叫んだ。


「今、落ちかけたのよ!?」


「でも、鎧が無事でした!」


「あなたの優先順位、どうなってるの!?」


シードはソアの腕を握った。


「……ソア、すごかった」


「えへへ」


ソアは照れくさそうに笑った。


「でも、まだまだだね。もっと上手に、鎧を着たまま風に乗れるようになりたいな」


リュシアは、ふと真剣な表情になった。


「……今の動き」


「はい?」


「風の流れを読んでいたでしょう。装備を外す前から、どこに足を置けばいいか分かっていた」


ソアは首をかしげた。


「そうですか?」


「ええ。あなたのスキルだけじゃない。あなた自身が、風を理解し始めているのよ」


ソアは、少しだけ驚いた。


自分はただ、落ちないように必死だっただけだ。


それでも。


少しずつ、何かが分かり始めているのかもしれない。


     ◇


橋の終点が近づいてきた。


雲の切れ間から、天空の門が姿を現す。


巨大な石造建築。


宙に浮かぶ回廊。


幾重にも重なる塔。


その中心には、翼を広げた鳥のような門がそびえていた。


「……着いた」


ソアは思わずつぶやいた。


長い道のりだった。


お金を稼ぎ、遺跡を調べ、何度も鎧を壊しながら、ようやくここまで来た。


「……ソア」


シードが手を握る。


「うん」


ソアは笑った。


「行こう!」


三人が橋の終点へ足を踏み入れた瞬間。


ゴォン……!


巨大な門が、低い音を立てて開き始めた。


門の上に、古代文字が浮かび上がる。


『天翔の器を求める者よ』


『己が翼を持たぬことを、恐れるな』


『ただし――』


文字が一瞬、強く輝いた。


『他者を踏み台として進む者に、翼は与えられない』


ソアは目を見開いた。


「……他者を踏み台に?」


リュシアは、眉をひそめた。


「どういう意味かしら……」


そのとき。


門の向こうから、足音が響いた。


コツ。


コツ。


コツ。


現れたのは、黒い外套をまとった男だった。


顔の大半は影に隠れている。


それでも、ソアには分かった。


あの山道で見かけた男だ。


男は三人を見つめ、静かに口を開いた。


「……ようやく来たか」


ソアは剣の柄に手をかけた。


「あなたは……!」


男は、彼女の右腕を見た。


かつて《巨神の籠手》が宿っていた場所。


「お前も、翼を求めているのか」


「そうです。私は《天翔の翼》を探しています」


男は、わずかに目を細めた。


「ならば、覚えておけ」


彼は門の奥へ視線を向けた。


「ここでは、強さだけでは何も手に入らない」


「……どういう意味ですか?」


「いずれ分かる」


男はそう言って、背を向けた。


「ただし、ひとつだけ忠告しておこう」


黒い外套が、風に揺れる。


「自分が守りたいものを、見失うな」


その言葉を残し、男は門の奥へ消えていった。


ソアは、その背中を見つめていた。


敵なのか。


それとも、何かを知っているだけの人なのか。


まだ、分からない。


ただひとつ確かなのは――。


「……追いかけよう」


ソアは、しっかりと前を向いた。


「この先に、《天翔の翼》があるんだから!」


シードがうなずく。


リュシアも剣を握り直した。


三人は、巨大な門の向こうへ足を踏み入れた。


空の試練が、いま始まる。


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