第41話 空への出発と、鎧の重さ
「それで、どうやって空へ行くんですか?」
朝。
冒険者ギルドの食堂で、ソアはリュシアに詰め寄っていた。
机の上には、焼きたてのパンが三つ。
ソアの前に二つ、シードの前に一つ。
リュシアは紅茶を飲みながら、涼しい顔で答えた。
「風の橋を使うのよ」
「風の橋?」
「昨日、風見の塔が反応したでしょう? あの装置は、天空の門へ続く道を開くためのものだったの」
リュシアは机の上に地図を広げた。
「ただし、橋は常に存在しているわけじゃない。特定の条件がそろったときだけ、空気中の魔力が固まって、足場のようになる」
「空気が固まる……?」
ソアはパンをかじりながら考えた。
「風が、床になるってことですか?」
「簡単に言えばね」
「すごい! 空って、歩けるんですね!」
「歩けるとは限らないわよ」
「えっ」
「橋の形状も、長さも、安定性も分からない。途中で消える可能性だってある」
ソアはパンを飲み込んだ。
「……落ちたら?」
「落ちるでしょうね」
「…………」
ソアはゆっくりとシードを見た。
シードも、ゆっくりとソアを見返した。
「……飛べないね」
「うん。飛べないね」
「……どうするの?」
「落ちないように頑張る!」
「……そっか」
リュシアは紅茶を吹き出しかけた。
「あなたたち、本当にそれで大丈夫なの!?」
◇
出発前に、ソアは武器屋へ立ち寄った。
修理に出していた肩当てと背中の装甲が、ようやく戻ってきたのだ。
「おう。直しておいたぞ」
店主が装甲を差し出す。
魔鋼製の表面は磨き直され、留め具も新しいものに交換されていた。
ソアは両手で受け取った。
「……おかえり!」
彼女は装甲をそっと撫でた。
「やっぱり、この鎧が一番だなあ……」
「いい加減、もう少し丁寧に使えよ」
「丁寧に使ってるつもりなんですけど……」
「つもりでこれなら、実際はどうなってるんだ」
店主は深いため息をついた。
ソアは装甲を身につけ、留め具を確認する。
しっかり固定されている。
肩を回しても、背中をひねっても問題ない。
「完璧!」
「壊すなよ」
「壊しません!」
店主は何も言わず、ソアの背中を見つめた。
「……本当に?」
「……できるだけ!」
「おい!」
ソアは慌てて店を飛び出した。
その背中を見送りながら、店主はぼそりとつぶやく。
「……あの鎧、いつまで原型を保てるんだろうな」
◇
風見の塔。
三人が到着すると、リュシアは最上階の装置を起動した。
七つの輪が回転し、青白い光が床を走る。
やがて、塔の外へ向かって細い光の線が伸びていった。
昨日と同じだ。
ただし、今日は違った。
光の線は山の尾根を越え、空中へと伸びている。
その先には、雲の向こうに浮かぶ天空の門。
「……すごい」
ソアは息をのんだ。
光の線が、ゆっくりと幅を広げる。
透明な床が、一枚ずつ敷かれていくようだった。
やがて、山の頂上から空へ続く橋が姿を現した。
リュシアが説明する。
「これが風の橋。装置が魔力の流れを固定して、一定時間だけ足場を作るの」
「一定時間?」
「ええ。長くは持たないわ」
「どれくらいですか?」
「分からない」
「…………」
ソアは空を見上げた。
雲の上まで続く、長い長い橋。
下には、深い谷。
「……落ちたら?」
「さっきも聞いたわよね?」
「念のためです!」
リュシアは苦笑した。
「大丈夫。橋が不安定になったら、すぐに引き返す。無理はしないこと」
「分かりました!」
ソアは元気よく答えた。
そして、ふと気づく。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「橋の上、風が吹いてない?」
リュシアは目を細めた。
確かに、光の橋の上だけ、風が渦を巻いている。
周囲の風とは、明らかに流れが違う。
「……変ね。こんな反応は記録にないわ」
シードが橋の先を見つめた。
「……よばれてる」
「え?」
「……あの先から」
シードの頭の葉っぱが、淡い緑色に光った。
ソアは、シードの手を握る。
「大丈夫。一緒に行こう」
「……うん」
◇
最初の一歩。
ソアは慎重に足を伸ばした。
靴底が光の床に触れる。
硬い。
石床と変わらない感触だった。
「……本当に歩ける!」
「だから、そう言ったでしょう?」
リュシアは呆れたように笑った。
三人は、ゆっくりと橋を進んだ。
数歩進むと、周囲の景色が変わり始めた。
山々が遠ざかる。
雲が近づく。
風の音が大きくなる。
そして、橋の途中で――。
ゴオオオオオッ!
突然、横から突風が吹きつけた。
「きゃっ!」
リュシアの身体が傾く。
シードがよろめいた。
ソアは反射的に二人を支えようとした。
その瞬間、背中の装甲が強く引っ張られた。
「えっ!?」
風が鎧の隙間に入り込み、身体を横へ押し流そうとしている。
ソアは足を踏ん張った。
しかし、今度の風は強かった。
光の床が、足元で揺れる。
「ソア、装備を軽くして!」
リュシアが叫ぶ。
「えっ、でも!」
「このままだと、風に持っていかれるわ!」
ソアは背中の留め具に手を伸ばした。
鎧を外せば、身体は軽くなる。
風の流れにも対応しやすくなる。
分かっている。
分かっているのに。
「……この鎧、直したばっかりなのに!」
「今それを気にしてる場合!?」
ソアは歯を食いしばった。
そして、決断した。
「《全解除・パージ》!」
カチンッ!
背中の装甲が外れた。
続いて、右肩の装甲も切り離す。
鎧を捨てたわけではない。
自分の意思で、必要な部分だけを外したのだ。
途端に、身体が軽くなる。
ソアは風の流れを読み、足を踏み出した。
風に逆らわず、押し返そうとせず。
流れに合わせて、身体をひねる。
一歩。
二歩。
三歩。
そして、突風の向こう側へ抜けた。
「……よし!」
ソアはすぐに外した装甲を回収した。
背中の装甲も、肩当ても無事だ。
「よかったあ……!」
「そこ!?」
リュシアが叫んだ。
「今、落ちかけたのよ!?」
「でも、鎧が無事でした!」
「あなたの優先順位、どうなってるの!?」
シードはソアの腕を握った。
「……ソア、すごかった」
「えへへ」
ソアは照れくさそうに笑った。
「でも、まだまだだね。もっと上手に、鎧を着たまま風に乗れるようになりたいな」
リュシアは、ふと真剣な表情になった。
「……今の動き」
「はい?」
「風の流れを読んでいたでしょう。装備を外す前から、どこに足を置けばいいか分かっていた」
ソアは首をかしげた。
「そうですか?」
「ええ。あなたのスキルだけじゃない。あなた自身が、風を理解し始めているのよ」
ソアは、少しだけ驚いた。
自分はただ、落ちないように必死だっただけだ。
それでも。
少しずつ、何かが分かり始めているのかもしれない。
◇
橋の終点が近づいてきた。
雲の切れ間から、天空の門が姿を現す。
巨大な石造建築。
宙に浮かぶ回廊。
幾重にも重なる塔。
その中心には、翼を広げた鳥のような門がそびえていた。
「……着いた」
ソアは思わずつぶやいた。
長い道のりだった。
お金を稼ぎ、遺跡を調べ、何度も鎧を壊しながら、ようやくここまで来た。
「……ソア」
シードが手を握る。
「うん」
ソアは笑った。
「行こう!」
三人が橋の終点へ足を踏み入れた瞬間。
ゴォン……!
巨大な門が、低い音を立てて開き始めた。
門の上に、古代文字が浮かび上がる。
『天翔の器を求める者よ』
『己が翼を持たぬことを、恐れるな』
『ただし――』
文字が一瞬、強く輝いた。
『他者を踏み台として進む者に、翼は与えられない』
ソアは目を見開いた。
「……他者を踏み台に?」
リュシアは、眉をひそめた。
「どういう意味かしら……」
そのとき。
門の向こうから、足音が響いた。
コツ。
コツ。
コツ。
現れたのは、黒い外套をまとった男だった。
顔の大半は影に隠れている。
それでも、ソアには分かった。
あの山道で見かけた男だ。
男は三人を見つめ、静かに口を開いた。
「……ようやく来たか」
ソアは剣の柄に手をかけた。
「あなたは……!」
男は、彼女の右腕を見た。
かつて《巨神の籠手》が宿っていた場所。
「お前も、翼を求めているのか」
「そうです。私は《天翔の翼》を探しています」
男は、わずかに目を細めた。
「ならば、覚えておけ」
彼は門の奥へ視線を向けた。
「ここでは、強さだけでは何も手に入らない」
「……どういう意味ですか?」
「いずれ分かる」
男はそう言って、背を向けた。
「ただし、ひとつだけ忠告しておこう」
黒い外套が、風に揺れる。
「自分が守りたいものを、見失うな」
その言葉を残し、男は門の奥へ消えていった。
ソアは、その背中を見つめていた。
敵なのか。
それとも、何かを知っているだけの人なのか。
まだ、分からない。
ただひとつ確かなのは――。
「……追いかけよう」
ソアは、しっかりと前を向いた。
「この先に、《天翔の翼》があるんだから!」
シードがうなずく。
リュシアも剣を握り直した。
三人は、巨大な門の向こうへ足を踏み入れた。
空の試練が、いま始まる。




