第39話 空へ続く七つの風
「……さて」
風見の塔の最奥。
ソア・ミュスカは、目の前の石板を見つめていた。
「どうしようか」
「……調べる?」
「うん。調べよう!」
元気よく答えたソアだったが、すぐに腕を組んだ。
「でも、何を調べればいいんだろう?」
石板には翼の紋章と、古代文字。
その周囲には、七つの小さなくぼみが並んでいる。
くぼみのうち、六つは灰色に沈んでいた。
残る一つだけが、淡い緑色に光っている。
「……七つ」
シードがつぶやいた。
「世界樹の印も、七本の枝だったね」
「うん。七つの迷宮も、七つの宝具も、全部つながってるみたい」
ソアは石板の前にしゃがみ込んだ。
「ということは、ここにも何かをはめるのかな?」
「……何を?」
「それが分からないんだよねえ」
ソアは頭をかいた。
そして、何気なく石板の端を押した。
カチッ。
「……あ」
シードが顔を上げる。
石板の下から、小さな音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
壁の一部が横へ動き、その奥から細長い金属製の箱が現れた。
「おおおっ! 隠し部屋!」
ソアの目が輝いた。
「冒険者っぽい!」
「……冒険者だよ?」
「そうだった!」
シードは小さく首をかしげた。
ソアは気にせず、箱を開ける。
中には、薄い金属板と、古びた巻物が入っていた。
金属板には、七本の風の流れが描かれている。
そのうち一本だけが、翼の紋章へ向かって伸びていた。
巻物には、こう記されていた。
『七つの風は、それぞれ異なる道を示す』
『風を支配する者は、道を失う』
『風を読み、流れを選び、進む者にのみ、天空への門は開かれる』
ソアは、ゆっくりと文字を読み終えた。
「……風を支配しちゃ駄目なんだ」
「……読むんだね」
「うん。風の向きを見て、流れに合わせて進む……」
彼女は金属板を持ち上げた。
「これ、地図なのかもしれない!」
◇
二人は塔の上階へ向かった。
階段を上るにつれて、風の音が大きくなる。
最上階にたどり着くと、壁の大半が崩れ、山々を一望できる展望台になっていた。
中央には、円形の台座。
その上に、七つの金属の輪が浮かんでいる。
輪はそれぞれ異なる速度で回転し、見えない風の流れを示していた。
ソアは手元の金属板と見比べる。
「やっぱり、この輪と地図はつながってるんだ」
「……どうするの?」
「うーん……」
ソアは一番手前の輪に手を伸ばしかけ、止めた。
「むやみに触ると、また風が暴れるかもしれないね」
「……えらい」
「でしょ?」
ソアは得意げに胸を張った。
その瞬間。
ギシッ。
背中の装甲から、嫌な音がした。
ソアの笑顔が凍りつく。
「…………」
「……ソア?」
「今の音、聞こえた?」
「……聞こえた」
「聞こえなかったことにしよう」
「……むり」
ソアは静かに背中へ手を回した。
幸い、装甲は外れていなかった。
ただし、留め具が少し緩んでいる。
「よかった……」
彼女は心底ほっとした。
「まだ壊れてない!」
その声には、冒険の謎を解いたとき以上の喜びがあった。
◇
ソアは台座の周囲を歩き、七つの輪を観察した。
風は輪の間を通り抜け、一定の方向へ流れている。
ただし、時折、流れが逆転していた。
「……変だね」
ソアは目を細めた。
「風が、同じ場所をぐるぐる回ってる」
「……うん」
「昨日の山道でも、似たようなことがあったよね」
シードがうなずく。
ソアは風の動きをしばらく眺めた。
そして、ふと気づいた。
「もしかして……」
彼女は輪に触れず、風の流れに合わせて一歩横へ動いた。
すると、足元の石床が淡く光った。
もう一歩。
別の場所が光る。
さらに一歩。
三つ目の光が灯った。
「……あっ!」
ソアは思わず声を上げた。
「風が流れる場所を歩くと、床が反応するんだ!」
彼女は金属板を見直した。
描かれている七本の線は、風の流れだけではない。
風に合わせて進むべき道を示していたのだ。
「よし……!」
ソアは慎重に進み始めた。
風を受け止めようとせず、押し返そうとせず。
風が流れる方向を見て、その流れに合わせて身体を動かす。
重い鎧が揺れる。
足元が不安定になる。
それでも、ソアは一歩ずつ進んだ。
そして最後の光が灯った瞬間。
七つの輪が、同時に回転を止めた。
カァァァァ……!
塔全体が緑色の光に包まれる。
空気が震え、遠くの山々に風が走った。
雲が割れる。
その向こうに――巨大な建造物が姿を現した。
「…………」
ソアは言葉を失った。
雲の上に浮かぶ、巨大な遺跡。
無数の橋と塔が空中に連なり、中心には、翼を広げた鳥のような門がそびえている。
《天空の門》。
間違いない。
あれが、次の目的地だ。
「……ソア」
シードが小さく呼びかけた。
「うん……」
「……きれい」
「……うん。本当に」
ソアは空を見上げた。
胸の奥が、わくわくする。
あそこに、《天翔の翼》が眠っている。
けれど、問題はひとつ。
「……どうやって行こう?」
感動が、現実に引き戻された。
「飛べないんだよね、私たち」
「……うん」
「風の道があるって分かったけど、空の途中までしか行けないかもしれないし……」
ソアは腕を組んだ。
「やっぱり、飛行魔法を使える人を探すしかないのかな」
そのとき。
台座の中央に、小さな文字が浮かび上がった。
『資格ある者は、風の橋を渡れ』
ソアは目を見開いた。
「風の橋……?」
文字の下に、細い光の線が伸びていく。
塔の外へ。
山の尾根を越え、雲の向こうへ。
まるで、見えない橋の輪郭を描くように。
「……道が、できた?」
シードが空を見つめる。
ソアは思わず一歩踏み出した。
その瞬間、光の線が消えた。
「えっ!?」
もう一度、台座に近づく。
今度は何も起きない。
「……あれ?」
ソアは何度か場所を変えてみたが、光は戻らなかった。
やがて、石板に新しい文字が浮かぶ。
『道は、試練を受ける者にのみ開かれる』
ソアは、ゆっくりとうなずいた。
「なるほど……。誰でも渡れるわけじゃないんだね」
シードが彼女の手を握った。
「……いっしょに行く」
「うん!」
ソアは笑った。
「絶対に行こう。鎧を着たまま、空の遺跡まで!」
「……そこは、ゆずらないんだね」
「ゆずれないよ!」
◇
塔を出る頃には、日が傾き始めていた。
ソアは壊れた装甲を背負い、山道を下っていた。
シードはその隣を歩いている。
「今日は大発見だったね!」
「……うん」
「天空の門の場所が分かったし、風の道も見つけた!」
「……うん」
「それに、鎧もまだ使える!」
シードはソアの背中を見た。
留め具は、いつ壊れてもおかしくない状態だった。
「……修理する?」
「する!」
ソアは即答した。
「絶対に直すよ。だって、この鎧と一緒に空を飛ぶんだから!」
そう言って、彼女は夕空を見上げた。
雲の向こうに、巨大な遺跡の影がかすかに見える。
そのとき、シードが足を止めた。
「……ソア」
「ん?」
シードの瞳が、淡い金色に光っている。
「……あそこに、誰かいる」
ソアはすぐに振り返った。
山道の先。
遠く離れた岩場に、人影が立っていた。
黒い外套。
顔は見えない。
男は、こちらを見ているようだった。
ソアが一歩踏み出すと、男は静かに背を向けた。
そして、風の中へ溶けるように姿を消した。
「……今の人、誰だろう」
ソアは眉をひそめた。
シードは、消えた場所をじっと見つめている。
「……あのひと、空に行く」
「え?」
「……天空の門を、知ってる」
シードの声は、いつになく真剣だった。
ソアは空を見上げた。
天空の門。
黒衣の男。
七つの宝具。
すべてが、少しずつつながり始めている。
「……急がなきゃね」
ソアは拳を握った。
「次は、空だ!」
◇
その夜。
古い塔の一室で、黒衣の男は小さな金属片を机に置いていた。
翼の形をした紋章。
その表面に、淡い光が走る。
「風見の塔が、道を示したか……」
男は窓の外を見た。
雲の向こうには、天空の門が浮かんでいる。
「試練が始まる」
彼は目を閉じた。
「今度こそ、私が先に手に入れる」
その声は静かだった。
けれど、指先はかすかに震えていた。
「……もう、誰も失わないために」
窓の外で、風が吹いた。
天空の門の中心で、翼の紋章が光り始める。
そして、長い眠りについていた試練が、静かに目を覚ました。




