第38話 鎧と風のあいだ
「飛べない……」
朝。
冒険者ギルドの裏庭で、ソア・ミュスカは空を見上げていた。
「飛べないね……」
隣では、シードも空を見上げている。
「……飛べない」
「どうしてかなあ」
「……翼がないから?」
「そうだね!」
ソアは勢いよくうなずいた。
「でも、翼がないなら、翼の代わりになるものを作ればいいんだよ!」
「……鎧?」
「鎧!」
シードは、ソアの全身を覆う魔鋼製のフルプレートアーマーを見つめた。
「……それ、重いよ?」
「そこがいいんだよ!」
「……飛べるの?」
「…………」
ソアは口を閉じた。
どうやら、鎧への愛情だけでは空を飛べないらしい。
「よし。まずは調べよう!」
彼女は拳を握った。
「昨日見つけた風の道。あれを使えば、空へ進めるかもしれない。問題は、どうやってそこまで行くかだね」
「……歩いて?」
「うん。まずは歩いて!」
「……空なのに?」
「空に行くまでは地上だからね!」
ソアは自信満々に答えた。
シードは、少しだけ首をかしげた。
◇
最初に訪れたのは、ギルドに併設された資料室だった。
古い冒険記録や遺跡の調査報告が保管されている、小さな部屋だ。
ソアは受付から借りた資料を机に広げていた。
「ええと……北西山脈の異常気流。古代遺跡。浮遊建造物……」
「……あった?」
「まだ!」
ページをめくる。
また、めくる。
さらに、めくる。
「……ソア」
「なに?」
「……本、逆さま」
「えっ!?」
ソアは慌てて本を持ち上げた。
「こ、これは、その……古代文字の解読を試していたんだよ!」
「……読めた?」
「ぜんぜん!」
「……そっか」
シードは素直にうなずいた。
ソアは咳払いをして、別の資料を開いた。
その中に、一枚の古い地図が挟まっていた。
北西山脈の地形が描かれている。
山の中腹には、赤い印。
その近くに、小さな文字があった。
『風見の塔』
「風見の塔……?」
ソアは地図を机に広げた。
「ここ、昨日の場所からそんなに遠くないね」
資料には、かつて気流を観測するための施設があったと記されていた。
古代の技術で風の流れを読み、空を移動する船の航路を決めていたらしい。
「空を移動する船……!」
ソアの目が輝く。
「そんなものがあったんだ!」
「……船も飛ぶの?」
「うん! 飛ぶ船があったんだって!」
「……すごい」
シードは地図をのぞき込んだ。
「……この塔、風の道とつながってるかも」
「そうだね!」
ソアは勢いよく地図を丸めた。
「よし、行こう!」
「……お金は?」
「…………」
丸めた地図を、そっと机に戻した。
「まず、依頼を受けてからね」
冒険には、計画性が必要だった。
少なくとも、本人はそう思っていた。
◇
風見の塔へ向かう道は、昨日の山道よりも険しかった。
足場は狭く、ところどころ岩が崩れている。
ソアは鎧の重さを感じながら、一歩ずつ進んだ。
「うーん……」
「……疲れた?」
「ううん。ちょっと考えてた」
ソアは右肩を動かした。
昨日、壊れた肩当ては修理中だ。
代わりに、古い革製の肩当てを装備している。
魔鋼製のものより軽いが、防御力は低い。
「鎧が重いと、風に飛ばされにくいよね」
「……うん」
「でも、動きにくい」
「……うん」
「じゃあ、軽い鎧なら動きやすいけど、風に飛ばされやすい……?」
「……たぶん」
ソアは立ち止まり、腕を組んだ。
「だったら、飛ぶときだけ鎧を外せばいいのかな?」
「……ソア、鎧を外すの?」
「必要ならね!」
言い切ったあと、ソアは少しだけ寂しそうな顔をした。
「でも、できれば着たまま飛びたいなあ」
「……好きだもんね」
「うん。大好き!」
その答えには、迷いがなかった。
シードはソアの顔を見上げ、頭の葉っぱを揺らした。
「……じゃあ、着たまま飛ぶ方法を探そう」
「シード……!」
ソアは感動した。
「そうだよね! 最初から諦めちゃ駄目だよね!」
「……うん」
「よーし! 鎧で空を飛ぼう!」
「……壊さないでね?」
「もちろん!」
その約束が守られるかどうかは、まだ誰にも分からなかった。
◇
風見の塔は、山の斜面に半ば埋もれるように建っていた。
円柱状の石造りの塔。
壁面には、世界樹に似た七本枝の紋様が刻まれている。
入口は崩れていたが、隙間から中へ入れそうだった。
「……ここ、さっきの遺跡と同じ匂いがする」
シードが小さくつぶやいた。
「匂い?」
「……魔力の匂い」
ソアはうなずき、剣と盾を確かめた。
「何があるか分からないから、気をつけようね」
塔の中は暗かった。
壁際には古い装置が並び、天井からは金属製の輪がいくつも吊り下がっている。
中央には、大きな円盤。
その表面には、風の流れを示すような線が刻まれていた。
「これが風を観測する装置かな?」
ソアが近づいた瞬間。
カチリ。
足元で、小さな音がした。
「……あ」
シードが顔を上げた。
次の瞬間、塔の壁が青白く光り始めた。
ゴウン……ゴウン……。
止まっていた装置が、ゆっくりと動き出す。
吊り下がった金属の輪が回転し、円盤の上に風が集まり始めた。
「えっ、ちょっと待って!?」
ソアの髪が逆立つ。
風が強くなる。
床に落ちていた小石が宙へ浮かび、塔の天井へ向かって吸い上げられていった。
「わあああっ! 何これ!?」
「……風の道!」
シードが叫んだ。
円盤の中央に、淡い緑色の光が生まれている。
それは昨日、山道で見たものと同じ光だった。
「この塔が、風の道を作ってるの!?」
ソアは目を見開いた。
しかし、次の瞬間。
ガキンッ!
背中の装甲が、壁にぶつかった。
留め具が悲鳴を上げる。
「ちょっ、待っ――!」
バキンッ!
背中の装甲が外れ、床を滑っていった。
その瞬間、ソアの身体がふっと軽くなった。
風に押し上げられながらも、彼女は空中で身体をひねる。
「うわっ、浮いた!?」
「……ソア!」
ソアは慌てて手を伸ばし、近くの金属の輪をつかんだ。
そのまま振り子のように揺れ、なんとか床へ着地する。
「はあっ……はあっ……」
無事だった。
ただし。
「……鎧」
ソアの視線が、床を滑っていく背中の装甲に向いた。
「また壊れたあああああっ!」
塔の中に、悲痛な叫びが響いた。
◇
風が弱まると、塔の装置は再び停止した。
ソアは壊れた背中の装甲を拾い上げ、傷を確かめた。
留め具が破損している。
装甲板そのものは、ほとんど無傷だった。
「……また留め具だね」
彼女は小さく息を吐いた。
最近、同じような壊れ方が続いている。
まるで、鎧そのものではなく、特定の部分だけが狙われているようだった。
「……ソア」
シードが装置の中央を指さした。
円盤の上に、文字が浮かび上がっている。
『風に逆らう者は、空へ至れず』
『風を受ける者も、空へ至れず』
『風とともに進む者のみ、道を得る』
ソアはその文字をじっと見つめた。
「風に逆らっても駄目。風を受けるだけでも駄目……」
彼女は、さっきの自分の動きを思い出した。
風に押し戻され、鎧が外れた瞬間。
身体が軽くなり、風の流れに合わせて動くことができた。
「……もしかして」
ソアは手帳を開いた。
『風に逆らわず、流れを利用する』
その下に、もう一つ書き足す。
『装備を外すと、風の中で動きやすくなる?』
書き終えたソアは、うーんとうなった。
「でも、鎧を着て飛ぶ方法は、まだ分からないね……」
「……あきらめる?」
「まさか!」
ソアは勢いよく顔を上げた。
「この塔を調べれば、飛ぶ船の仕組みが分かるかもしれない! そうしたら、鎧を着たまま飛ぶ方法も見つかるかも!」
「……ソアらしい」
シードは微笑んだ。
ソアは壊れた装甲を大事に抱え、塔の奥へ進んだ。
そのとき、円盤の端に小さな光が灯った。
淡い緑色の光は、ソアが歩く方向へ、ゆっくりと伸びていく。
まるで、彼女を導くように。
◇
塔の最奥には、小さな石板が置かれていた。
その中央には、翼の紋章。
そして、その下には古代文字が刻まれている。
ソアは慎重に読み上げた。
「『天翔の器を求める者よ』……」
シードの葉っぱが、ぴんと立った。
「……つづき」
「『翼は、飛ぶためだけにあらず。地に縛られた者を、次なる場所へ導くためにある』……」
ソアは黙り込んだ。
飛ぶための武器だと思っていた。
けれど、この文章は違うことを示しているように思えた。
翼は、単に空を飛ぶためのものではない。
何かに縛られた者を、別の場所へ導くもの。
「……ねえ、シード」
「……なに?」
「私たち、空に行けば何か分かるのかな」
シードは石板にそっと触れた。
「……うん。たぶん」
一瞬、石板が強く光った。
その光の中に、遠い空の景色が浮かび上がる。
雲の上。
巨大な浮遊遺跡。
そして、遺跡へと続く、七本の光の道。
そのうちの一本が、黒く染まっていた。
「……あれ?」
ソアが目を凝らす。
映像はすぐに消えてしまった。
「今の、何だったんだろう……」
シードは何も答えなかった。
ただ、金色の瞳を細め、黒く染まった一本の道があった場所を見つめていた。
◇
その頃。
北西山脈を見下ろす古い塔では、黒衣の男が目を閉じていた。
手の中の黒い結晶が、かすかに震えている。
「風見の塔が動き出したか……」
男は窓の外を見上げた。
雲の向こうに、巨大な影が浮かんでいる。
天空の門。
その入口へと続く風の道が、少しずつ開き始めていた。
「急がなければ」
男は懐から、小さな金属片を取り出した。
それは翼の形をした、古びた紋章だった。
「今度こそ……私が先にたどり着く」
彼の指先に力がこもる。
金属片が、かすかに鳴った。
「誰にも、奪わせない」
その言葉は、風に消えていった。




