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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第五章 空を渡る鎧

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第37話 空を飛ぶためのお金


「……お金がない」


朝。


冒険者ギルドの掲示板の前で、ソア・ミュスカは真剣な顔をしていた。


隣では、シードが頭の葉っぱを揺らしている。


「……いつも?」


「いつもじゃないよ。昨日より減っただけ」


「……それを、いつもっていうのでは?」


「シード、成長したね」


「……ほめられた?」


「うん!」


シードは少し嬉しそうに葉っぱを揺らした。


ソアは掲示板に視線を戻す。


目当ては、北西の山脈にあるという浮遊遺跡――《天空の門》へ向かうための情報だった。


けれど、冒険者ギルドの掲示板に貼られているのは、薬草採取、荷物運び、魔物の討伐ばかり。


空への手がかりは、どこにもない。


「うーん……。やっぱり、空を飛べる装備が必要かな」


「……とぶ?」


「そう! 翼とか、飛行魔法とか!」


ソアは両手を広げた。


「こう、ばさーって!」


「……ソア、飛べるの?」


「飛べない!」


「……そっか」


シードは納得したようにうなずいた。


「でも、飛ぶ方法を見つければいいんだよ。冒険者だもん!」


「……お金は?」


「…………」


ソアは掲示板に額をつけた。


「冒険者って、夢だけじゃ生きていけないんだね……」


「……ごはんもいる」


「そう! ごはんもいる!」


「……あと、鎧の修理」


「うわあああああっ!」


ギルドの朝に、ソアの悲鳴が響いた。


     ◇


「空を飛ぶ遺跡、ねえ……」


受付の職員は、ソアの依頼書を受け取りながら首をひねった。


「確かに、北西の山脈で不思議な現象が観測されたという報告はあります。山の上に、光る建造物が見えたとか、風が渦を巻いていたとか」


「やっぱりあるんですね!」


「ただ、普通の登山道では近づけないそうです。強風で道が塞がれたり、地形が変わったように見えたり……」


「なるほど。空を飛べないと近づけない、と」


「いえ、そこまでは分かりません」


「……違うんですか?」


「単に、危険すぎて調査が進んでいないだけです」


ソアは腕を組んだ。


空を飛べる装備を手に入れる。

遺跡にたどり着く。

《天翔の翼》を見つける。


やるべきことは明確だ。


問題は、その最初の一歩だった。


「飛行魔法を使える人を探すのはどうでしょう?」


受付が提案する。


「飛行魔法……」


ソアの目が輝いた。


「それなら、空まで連れていってもらえますね!」


「ただし、飛行魔法を使える冒険者は少ないですし、長距離となると報酬も高額になります」


「……いくらくらいですか?」


「最低でも金貨数枚は必要かと」


「金貨数枚……」


ソアの目から輝きが消えた。


今の所持金では、到底足りない。


しかも、鎧の修理も残っている。


「……まずは普通のお仕事ですね」


「そうですね」


受付は苦笑した。


「ちょうど、ひとつ紹介できる依頼がありますよ」


差し出されたのは、山道の調査依頼だった。


北西の山脈へ向かう商隊が、近頃、山の麓で妙な風に遭遇しているらしい。


風は一定の場所で渦を巻き、荷車を押し戻すほどの力を持つという。


その原因を調べ、商隊が安全に通れる道を探す。


報酬は銀貨十枚。


「これ、空への手がかりになるかもしれませんね」


ソアは依頼書を握った。


「受けます!」


「危険度は中程度です。無理はしないでくださいね」


「はい!」


ソアは元気よく返事をした。


そして、ふと思い出す。


「ところで、報酬って前払いできますか?」


「できません」


「ですよね……」


冒険者の道は、険しい。


財布の中身は、もっと険しい。


     ◇


山道に入ってから、二時間。


ソアは重い鎧を鳴らしながら、慎重に斜面を進んでいた。


シードは彼女の肩に座り、周囲を観察している。


「……風が、へん」


「うん。さっきから、右側だけ風が強いね」


木々は左から右へ揺れているのに、少し先の岩場では風が逆向きに吹いていた。


ソアは地面にしゃがみ、落ち葉を一枚拾う。


手を離すと、葉は風に乗って前へ進み――途中で、不自然に空中へ巻き上げられた。


「うわっ!」


葉っぱがくるくる回り、木の枝に引っかかる。


「……風が、回ってる」


「そうだね。自然の風にしては、ちょっと変かも」


ソアは周囲を見回した。


岩肌に、かすかな光が浮かんでいる。


よく見ると、それは細い線がいくつも重なった紋様だった。


七本の枝が広がる、あの印。


世界樹に関係する遺跡で見たものと、よく似ている。


「また、この模様……」


ソアが指先を近づける。


その瞬間。


ゴオオオオオッ!


突風が吹き荒れた。


「わあああっ!?」


身体が後ろへ押し戻される。


足を踏ん張ったが、鎧の重さもあってバランスが崩れた。


シードが肩から転がり落ちる。


「シード!」


ソアは反射的に手を伸ばした。


そのとき、右肩の装甲が岩にぶつかった。


ガキンッ!


留め具が弾け飛び、肩当てが外れる。


次の瞬間。


ソアの身体が、ふっと軽くなった。


吹き飛ばされかけていた身体が、地面を滑りながらも持ちこたえる。


ソアは片手でシードを抱きとめ、もう片方の手で岩をつかんだ。


「……あ、危なかったぁ……」


風が弱まる。


ソアは胸をなで下ろした。


それから、自分の右肩を見る。


外れた肩当てが、少し離れた地面に転がっていた。


「…………」


「……ソア?」


「……また壊れた」


「……うん」


「高いんだよ、これ……」


「……なおせる?」


「直せるけど! お金が!」


ソアは天を仰いだ。


山の上には、青空が広がっている。


その空を見上げながら、彼女は涙目で叫んだ。


「私、いつになったら空を飛べるのーっ!?」


もちろん、返事はなかった。


ただ、山の奥から吹いてくる風が、彼女の髪を静かに揺らした。


     ◇


風が落ち着いたあと、ソアは周辺を調査した。


岩肌の紋様は、一定の間隔で地面に刻まれている。


その線をたどっていくと、小さな石柱が見つかった。


表面には、古い文字が刻まれている。


ソアは一文字ずつ読み上げた。


「えーと……『風は、道を閉ざすものにあらず』……」


その下には、さらに短い一文があった。


『翼なき者は、風の流れを知れ』


「……風の流れ?」


シードが石柱に手を触れる。


すると、淡い緑色の光が走った。


「……みえる」


「えっ?」


シードの金色の瞳が、風の吹く方向を追う。


「……ここ。風が、上にのぼってる」


シードが指さした先には、何もない空間が広がっていた。


けれど、よく目を凝らすと、空気が薄く揺らいでいる。


まるで、透明な道が空へ伸びているかのようだった。


ソアは息をのんだ。


「これ……空へ続く道?」


「……たぶん」


「すごい! シード、すごいよ!」


「……えへへ」


シードの頭の葉っぱが、ぴょこんと跳ねた。


ソアは石柱の文字を、手帳に書き写す。


そして、最後に自分の肩当てを拾い上げた。


留め具が壊れている。


装甲そのものに大きな傷はない。


「……修理代、少しは安くなるかな」


彼女は真剣に考えた。


空への手がかりよりも、そちらのほうが切実だった。


     ◇


その夜。


山から戻ったソアは、冒険者ギルドに調査結果を報告した。


風の異常は、古代の仕掛けによる可能性が高い。


そして、風の流れをたどれば、浮遊遺跡へ近づけるかもしれない。


「これは大きな発見ですよ!」


受付は目を輝かせた。


「調査報酬に加えて、追加報酬も出せるよう申請しておきます!」


「本当ですか!?」


ソアの顔がぱっと明るくなる。


「はい。ただ、支払いには少し時間がかかるかもしれません」


「…………」


「ソアさん?」


「……今日の修理代が、先に必要なんです」


「……ああ」


受付は、何も言えなくなった。


その足で武器屋へ向かうと、店主は壊れた肩当てを見て、深いため息をついた。


「またか」


「またです……」


「鎧そのものは大丈夫だ。留め具を交換すれば使える」


「おおっ!」


「銀貨二枚だな」


「…………」


「どうした?」


「……銀貨一枚になりませんか?」


「ならん」


「じゃあ、半分だけ直して……」


「肩当ては半分じゃ使えんだろうが!」


店主の怒声が店内に響いた。


結局、ソアは肩当ての修理を頼み、残ったお金で安いパンを二つ買った。


「シード、今日の晩ごはんだよ」


「……パン?」


「うん。明日から、もっと稼ごうね」


「……鎧も?」


「鎧も!」


二人は並んでパンをかじった。


ソアは手帳を開き、今日の発見を書き込む。


『風の流れをたどれば、空へ進める可能性がある』


その下に、少し考えてから書き足した。


『装備が壊れたとき、身体の動きが変わる。風に逆らうより、流れを利用するほうがいいのかもしれない』


ソアはその文章を見つめた。


今までの彼女なら、強い鎧を着て、強い敵を倒すことだけを考えていた。


けれど今は、鎧だけでは進めない場所があると知っている。


それでも。


「……やっぱり、鎧は好きだなあ」


ソアは、修理に出した肩当てのことを思い出して微笑んだ。


「戻ってきたら、もっと大事に使おう」


「……すぐ壊れる?」


「シード?」


「……なんでもない」


シードは、そっと視線をそらした。


     ◇


同じ夜。


北西の山脈を見下ろす、古い塔。


黒衣の男は、宙に浮かぶ小さな結晶を見つめていた。


結晶の中には、山肌に刻まれた古代の紋様が映し出されている。


「風の道を見つけたか……」


男は低くつぶやいた。


「まだ翼は目覚めていない。だが、あの娘が近づけば、試練は始まる」


結晶の表面に、ひびが入った。


男はそれを握りつぶさず、静かに手のひらへ収める。


「今度こそ、間に合わせなければ」


その声には、焦りがあった。


そして、ほんのわずかな恐れも。


「……もう、失いたくない」


塔の外で、風が吹いた。


雲の向こう。


誰にも見えないはずの空に、巨大な建造物の影が一瞬だけ浮かび上がる。


《天空の門》。


その奥で、眠っていた何かが、かすかに光を放ち始めていた。


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