第34話 冒険者の仕事は楽じゃない
「……で、どうしてこうなったんだろう」
森の中。
ソアは、目の前にそびえ立つ巨大な魔物を見上げていた。
全身を茶色い甲殻に覆われた、巨大なカブトムシのような魔物。
その体長は、ソアの身長の三倍近くある。
頭部から伸びた二本の角は鋭く、脚には岩を砕けそうなほど太い爪が並んでいた。
「……ソア」
「うん」
「……これ、依頼の魔物?」
「……たぶん」
ソアは依頼書を取り出した。
そこには、こう書かれている。
――森に出現する魔物の討伐。危険度:低。
「いやいやいや! 絶対に低くないよね!?」
ソアは思わず叫んだ。
巨大な甲虫が、低く唸る。
地面が震え、周囲の木々が揺れた。
「これ、どう見ても危険度が低い魔物じゃないよ!」
「……でも」
シードが、こてんと首を傾げる。
「……むこうも、こまってる?」
「え?」
よく見ると、巨大な甲虫はソアたちを追いかけているというより、何かから逃げようとしているようだった。
甲殻の隙間には、紫色の光がちらちらと走っている。
そして、その身体には不自然な黒い痕が刻まれていた。
「……この魔力」
シードの表情が変わる。
「……きのうの、いせきとにてる」
「また世界樹関係?」
ソアは剣を握り直した。
「うーん……。できれば、今日は普通に魔物を倒して、普通に報酬をもらって、普通にごはんを食べたかったんだけどなあ」
巨大な甲虫が、勢いよく地面を蹴った。
「わっ! 来た!」
ソアは横へ飛び退く。
直後、巨大な角が地面をえぐった。
土と石が派手に飛び散る。
「ちょっと! 話し合いとかできないの!?」
もちろん、魔物は答えない。
「ですよねー!」
ソアは駆け出した。
◇
巨大な甲虫は、見た目に反して動きが速かった。
突進をかわしても、すぐに方向を変えて追ってくる。
ソアは木々の間を縫うように走りながら、攻撃の隙を探した。
「硬いし、速いし、力も強い! なにこれ、ずるくない!?」
甲虫の角が、ソアの背後にあった木をへし折った。
「ひゃあああっ!?」
ソアは慌てて跳び上がった。
着地と同時に、背中の装甲が木の枝に引っかかる。
ガキッ!
「えっ?」
嫌な音がした。
次の瞬間、背中の装甲が留め具ごと外れ、地面に落ちた。
「あああっ! 私の鎧!」
ソアは思わず振り返った。
しかし、巨大な甲虫は待ってくれない。
迫り来る巨体を見て、ソアは慌てて前へ跳んだ。
その瞬間、身体がふっと軽くなる。
視界が広がり、甲虫の動きがはっきりと見えた。
ソアは空中で身体をひねり、甲虫の突進を紙一重でかわす。
そして、着地と同時に剣を振り抜いた。
ガキィィン!
剣が甲殻に弾かれる。
「うそっ!? 全然効かない!?」
ソアは目を丸くした。
甲虫は無傷だった。
ただし、攻撃を弾いた衝撃で、ソアの剣にもひびが入っている。
「待って待って! 鎧だけじゃなくて剣まで壊れたら、修理代が大変なことになるんだけど!?」
そのとき、シードの声が響いた。
「……ソア! あたま!」
「頭?」
ソアは甲虫を見た。
硬い甲殻に覆われた頭部。
しかし、二本の角の付け根には、紫色の光が集中している。
「……そこ、まほうのながれが、おかしい」
「なるほど……!」
ソアは頷いた。
「つまり、あそこを攻撃すればいいんだね!」
「……たぶん」
「よーし!」
ソアは盾を構え、甲虫の突進を待った。
巨大な角が迫る。
ソアはぎりぎりまで引きつけてから、横へ飛んだ。
甲虫の角が、すぐ脇の岩に突き刺さる。
「今だ!」
ソアは岩を蹴り、甲虫の頭部へ飛びかかった。
ひびの入った剣を振り下ろす。
狙うのは、紫色に光る角の付け根。
しかし――。
ガキンッ!
甲虫が頭を振った。
衝撃で、ソアの剣が砕け散った。
「ええええええっ!?」
剣の破片が宙を舞う。
武器を失ったソアは、そのまま地面へ落下した。
「いたたたた……!」
甲虫が再び突進してくる。
ソアは転がって避けたものの、左脚のすね当てが岩にぶつかった。
バキッ!
「……あっ」
すね当てが真っ二つに割れた。
ソアの表情が凍りつく。
「……もう、やだあああああっ!」
しかし、嘆いている暇はなかった。
身体がさらに軽くなる。
地面を蹴ると、先ほどよりも高く跳べた。
甲虫の攻撃も、余裕を持ってかわすことができる。
ソアは自分の両手を見つめた。
「……また、強くなった?」
答えは出ない。
けれど、今はそれで十分だった。
ソアは拳を握りしめる。
「武器がなくても……!」
甲虫が突進する。
ソアは正面から踏み込んだ。
「なんとかする!」
直前で身体をひねり、角をかわす。
そして、勢いを利用して甲虫の頭部へ飛び乗った。
「ここだあああっ!」
ソアは紫色の光を放つ角の付け根に、全力で拳を叩き込んだ。
ドゴォンッ!
鈍い音が森に響いた。
甲虫の身体が大きく揺れる。
紫色の光が明滅し、黒い痕がひび割れていく。
やがて――。
パキンッ。
小さな音とともに、黒い痕が砕け散った。
甲虫は力を失い、その場に崩れ落ちた。
森に静けさが戻る。
「……た、倒した?」
ソアは甲虫の背中から滑り降りた。
「……たおした」
シードが頷く。
「やったあああああ!」
ソアは両手を突き上げた。
「勝った! 勝ったよ、シード!」
「……うん!」
二人は喜び合った。
しかし、喜びは長く続かなかった。
ソアは自分の姿を見下ろした。
背中の装甲は外れ、すね当ては真っ二つ。
剣は砕け散り、盾にも新しい傷が増えている。
「…………」
ソアの顔から、ゆっくりと笑顔が消えていった。
「……修理代」
「……うん」
「……どうしよう」
シードは少し考えてから、ソアの手を握った。
「……ごはん、たべよう」
「そうだね……。まずは、ごはんだね……」
勝利した冒険者の姿としては、あまりにも切実だった。
◇
ソアは気を取り直し、倒した甲虫を調べた。
紫色の光を放っていた黒い痕は、すでに消えている。
その代わり、甲虫の角の付け根から、小さな黒い結晶が転がり落ちた。
「……これ、何だろう?」
ソアが拾い上げる。
結晶は冷たく、表面には細い線のような模様が刻まれていた。
シードが近づくと、その葉がわずかに揺れた。
「……いやな、かんじ」
「危ないもの?」
「……わからない。でも、きのうのいせきと、おなじにおいがする」
「におい?」
「……まほりょくの、におい」
シードは黒い結晶をじっと見つめた。
「……これ、だれかが、まものにうえつけたのかも」
ソアの表情が変わった。
自然に発生した異常ではない。
誰かが、魔物に何かをした。
そして、その何かは世界樹に関係している可能性がある。
「……もしかして、誰かがこの森で実験してる?」
シードは答えなかった。
ただ、小さな手をソアの手に重ねた。
「……きをつけて」
ソアは頷き、結晶を布で包んだ。
「うん。これはギルドに持って帰ろう。何かわかるかもしれない」
それから、甲虫の素材を採取し始めた。
角。
甲殻。
脚の一部。
そして、地面に落ちていた自分の装備の破片。
「よし、忘れ物なし!」
ソアは袋を背負い直した。
「……おもそう」
「大丈夫! これくらい平気だよ!」
実際、以前なら持ち帰るのも苦労した重量だった。
今のソアには、まだ余裕がある。
ただし――。
「……あっ」
ソアはふと思い出したように呟いた。
「剣、買わなきゃ」
「……うん」
「盾も修理したいし、鎧も直したいし……」
「……うん」
「……報酬、足りるかな?」
シードは少しだけ考えた。
「……たぶん」
「その『たぶん』が一番怖いんだよおおお!」
森の鳥たちが、一斉に飛び立った。
◇
町へ戻ると、ギルドの受付嬢はソアの姿を見て目を丸くした。
「ソアさん!? その格好、いったい何が……!」
「依頼は成功しました!」
ソアは元気よく答えた。
「それと、ちょっと相談が……」
「相談、ですか?」
ソアは袋から、巨大な甲虫の角と黒い結晶を取り出した。
受付嬢の表情が変わる。
「これは……!」
「森で見つけました。魔物の身体に、こんな黒い結晶が埋め込まれていたんです」
受付嬢は結晶を慎重に受け取り、奥から鑑定用の道具を持ってきた。
しばらく調べたあと、彼女は難しい顔で呟いた。
「……魔力の流れを乱す性質があるようです。普通の魔石とは違いますね」
「やっぱり、自然にできたものじゃないんですか?」
「断定はできません。ただ、人工的に加工された痕跡があります」
ソアとシードは顔を見合わせた。
受付嬢は結晶を箱にしまった。
「この件は、ギルド長に報告します。ソアさんたちは、しばらく森の奥へ入らないでください」
「えっ。どうしてですか?」
「同じような結晶がほかにもあるなら、森で何かが起きている可能性があります。原因がわかるまでは危険です」
ソアは頷いた。
「わかりました!」
返事だけは、実に立派だった。
その直後。
「……あの、報酬は?」
受付嬢は一瞬、固まった。
そして、苦笑する。
「はい。こちらが討伐報酬の銀貨三枚です。それから、今回の魔物の素材は別途買い取りになります」
「本当ですか!?」
ソアの目が輝いた。
「ありがとうございます!」
彼女は銀貨を受け取ると、大事そうに財布へしまった。
これで、少なくとも今日の食事には困らない。
……鎧と剣の修理代には、まったく足りそうになかったが。
◇
その夜。
町外れの宿で、ソアとシードは向かい合って座っていた。
テーブルの上には、温かいスープとパン。
ソアは一口食べて、幸せそうに息を吐いた。
「はあ……。生き返る……」
「……おいしい」
シードもパンを両手で持ち、少しずつ食べている。
「ねえ、シード」
「……なに?」
「今日の魔物のことなんだけど」
ソアは、昼間に見つけた黒い結晶を思い出した。
「誰かが魔物に結晶を埋め込んでいたんだよね。あの遺跡とも関係があるのかな?」
「……たぶん」
「うーん……」
ソアはスープをかき混ぜた。
「世界樹のことも、七つの武具のことも、まだわからないことばっかりだね」
「……うん」
「でも、少しずつ調べていけば、きっとわかるよね」
シードは頷いた。
「……ソアと、いっしょなら」
ソアは一瞬きょとんとしたあと、にっこり笑った。
「うん。一緒に行こうね!」
二人は再び食事を始めた。
そのとき、宿の窓の外で、小さな光が一瞬だけ揺れた。
ソアは気づかなかった。
だが、シードは食べる手を止め、窓の方を振り返った。
「……?」
そこには、誰もいない。
ただ、夜の闇の向こうに、遠く浮かぶ山々の影が見えるだけだった。
◇
同じ頃。
町から遠く離れた、古い塔の最上階。
黒衣の男は、黒い結晶を一つ手のひらに載せていた。
結晶の表面に、細い亀裂が走る。
「……また一つ、壊れたか」
男は窓の外を見た。
雲の向こう。
遥か高空に、かすかな光が浮かんでいる。
そこには、空に取り残された古代遺跡があった。
かつて、世界樹の力を受け継いだ者たちが、翼を求めて訪れた場所。
「天空の門……」
男は静かに呟いた。
「次の器が目覚める前に、確保しなければ」
黒い結晶が、手の中で粉々に砕け散る。
「今度は、誰にも渡さない」
その声には、怒りよりも深い、何かを失うことへの恐れが滲んでいた。
男は振り返り、塔の階段へ向かった。
次の目的地は、空。
そして、そこにはソアたちがまだ知らない試練が待っている。
翼を手にするのは、最も強い者か。
それとも――。
目の前の何かを、見捨てずにいられる者か。




