第33話 森の奥に眠るもの
森に入ってから、三十分。
ソアは、すでに後悔していた。
「……ねえ、シード」
「……なに?」
「この依頼、報酬いくらだったっけ?」
「……銀貨、三枚」
「そうだよね。銀貨三枚だよね」
ソアは遠い目をした。
「なのに、どうしてこんなに森の奥まで来なきゃいけないのかな……」
今回の依頼は、町の近くにある森で増えている魔物の討伐だった。
危険度は低い。冒険者になりたての者でも受けられる、簡単な仕事。
ただし、森の奥で魔物が増えている原因を調べる必要があるらしく、依頼書には小さくこう書かれていた。
――可能であれば、異常の原因を調査すること。
ソアは、その一文を見落としていた。
いや、正確には見落としてはいない。
「原因を調べるって、魔物を倒せば解決するってことだよね!」
と、都合よく解釈したのだった。
「……ソア」
「なに?」
「……おなか、すいた」
「私も!」
二人は顔を見合わせた。
「帰ったら、何か食べようね!」
「……うん」
「……でも、その前にお仕事だね」
「……うん」
二人はそろって、しょんぼりとうなだれた。
冒険とは、なかなか厳しいものである。
◇
森の中には、ところどころ魔物の足跡が残されていた。
ソアは剣を構え、慎重に周囲を見回す。
「足跡は新しいね。数も多い。こっちに進んでいるみたい」
「……うん。魔力も、こっちから感じる」
「さすがシード!」
ソアは笑顔で親指を立てた。
「じゃあ、魔力のする方へ行こう!」
「……まって」
シードがソアの服の裾を引っ張った。
「……なんか、へん」
「変?」
「……魔物の魔力じゃない」
シードは小さな葉っぱを揺らしながら、森の奥を見つめていた。
「……もっと、ふるい。ずっと、むかしの……」
その言葉に、ソアの表情が少しだけ引き締まった。
世界樹の根元で、シードが同じような反応を見せたことがある。
あのときも、シードは何かを懐かしむように「おかえり」と呟いていた。
「……もしかして、世界樹と関係があるの?」
「……わからない。でも……よばれてる気がする」
「そっか」
ソアは剣を握り直した。
「じゃあ、ちょっとだけ寄り道しよう!」
「……おしごとは?」
「もちろん、ちゃんとやるよ!」
ソアは胸を張った。
「寄り道のついでに魔物を倒せば、一石二鳥!」
シードは、しばらくソアを見上げていた。
「……ソア」
「なに?」
「……それ、たぶん、ちがう」
「えっ、そうかな?」
ソアは首を傾げた。
そして、何事もなかったかのように歩き出した。
◇
森の奥へ進むと、魔物の姿が増えてきた。
最初に現れたのは、灰色の毛並みをした狼型の魔物だった。
一匹、二匹。
いや、三匹。
「三匹か……」
ソアは剣を構える。
以前なら、重すぎる鎧のせいで動きが鈍り、苦戦していた相手だ。
今は違う。
鎧の一部は以前の戦いで壊れ、修理した部分にも傷が残っている。巨神の籠手も、もう手元にはない。
それでも、ソアは以前よりずっと強くなっていた。
「よし! いくよ!」
狼たちが一斉に飛びかかってくる。
ソアは一匹目の突進を盾で受け流し、二匹目の攻撃を身をひねってかわした。
そして、三匹目が飛びかかってきた瞬間――。
ガキンッ!
肩当てに強烈な一撃が入った。
「わっ!?」
金属音とともに、肩当てが砕け散る。
破片が木々の間へ飛び散った。
けれど、ソアの身体は一瞬、羽のように軽くなった。
「……あっ」
狼の動きが、遅く見える。
もちろん、狼が遅くなったわけではない。
ソア自身の反応速度が、さらに上がっていたのだ。
彼女は地面を蹴り、狼の懐へ滑り込む。
剣を一閃。
一匹目が倒れ、続けざまに二匹目も地面へ沈んだ。
最後の一匹が逃げようとする。
「待って待って! 素材は持って帰るんだから!」
ソアは追いかけ、盾の縁で狼の足を払った。
狼が転がる。
その隙に、剣の柄で頭を打ち、気絶させた。
「……ふう。よし!」
ソアは満足そうに頷いた。
そして、すぐに表情を引き締める。
「肩当て……」
地面に散らばった金属片を見つめる。
「……壊れちゃった」
「……ソア」
「うん。わかってる」
ソアは金属片を一つずつ拾い始めた。
「全部、持って帰ろうね。直せるかもしれないし」
「……うん」
シードも小さな手で、近くに落ちた破片を拾おうとする。
しかし、破片はシードの身体よりも大きかった。
「……ん、んん……!」
両手で持ち上げようとして、ふらふらと揺れる。
「シード、大丈夫?」
「……もてる」
「いや、無理しなくていいよ!?」
「……もてる……!」
ぷるぷると震えながら、シードはどうにか破片を抱えた。
ソアは思わず笑ってしまった。
「ありがとう。でも、シードが潰れちゃったら困るからね」
「……つぶれない」
「そっか。じゃあ、一緒に運ぼう!」
二人は破片を袋に入れ、再び森の奥へ進んだ。
ソアは知らなかった。
鎧が壊れるたびに強くなる自分の力が、この森に残された古い魔力と、わずかに共鳴していたことを。
◇
やがて、木々が途切れた。
その先にあったのは、小さな石造りの建物だった。
半分以上が土に埋まり、壁には苔がびっしりと生えている。
屋根は崩れ、入口の扉も失われていた。
一見すれば、ただの古い遺跡だ。
しかし――。
「……ここ」
シードが立ち止まった。
頭の葉が、淡く緑色に光っている。
「……しってる?」
ソアが尋ねると、シードはゆっくり首を振った。
「……わからない。でも……なつかしい」
「懐かしいって……」
ソアは建物を見上げた。
壁の一部には、見覚えのある模様が刻まれていた。
七つに分かれた枝のような紋様。
世界樹の根元で見たものと、よく似ている。
「また、七つの模様……」
ソアは壁に近づき、指で苔を払った。
すると、その下から文字が現れた。
古い文字だったが、なぜかソアには意味が理解できた。
――力を与えることなかれ。
――力を蓄えることなかれ。
――力を巡らせよ。
「……力を、巡らせる?」
ソアは首を傾げた。
「なんだろう。魔力を循環させるってことかな?」
シードは何も答えなかった。
ただ、壁にそっと手を触れていた。
すると。
ズ……ン。
遺跡の奥から、低い音が響いた。
ソアは反射的に剣を構える。
「えっ、何!? 魔物!?」
ズ……ン。
もう一度、音が響く。
地面がわずかに震えた。
建物の奥にある石壁が、ゆっくりと左右に開いていく。
その向こうには、地下へ続く階段があった。
階段の先から、淡い青白い光が漏れている。
「……開いたね」
「……うん」
「入る?」
シードは、少しだけ迷ったあと、頷いた。
「……うん。たぶん、だいじなものがある」
ソアはにっこりと笑った。
「よーし! お宝発見の予感!」
「……ソア」
「なに?」
「……あぶないかも」
「大丈夫! 危なくなったら逃げよう!」
そう言って、ソアは一歩を踏み出した。
そして、すぐに立ち止まった。
「……あっ」
「……?」
「これ、依頼の範囲外だったら報酬出ないんじゃ……」
シードは、じっとソアを見つめた。
「……もどる?」
「……いや!」
ソアは拳を握った。
「せっかく見つけたんだから、調べるだけ調べよう! お宝があれば修理代になるかもしれないし!」
「……おかね」
「大事だよ!」
「……うん」
二人は真剣な顔で頷き合った。
世界の謎に迫るかもしれない遺跡を前にして、彼女たちがまず考えたのは、鎧の修理代だった。
◇
地下へ続く階段を、ソアとシードは慎重に下りていった。
壁には古い装置が並び、床には細かな溝が刻まれている。
そして、最奥の部屋。
そこには、大きな円形の台座があった。
台座の中央には、翼を広げた鳥のような紋章が刻まれている。
その紋章の上で、青白い光がゆっくりと明滅していた。
ソアが近づくと、光は一瞬だけ強くなった。
シードの葉も、それに応えるように輝く。
「……つぎは、そら」
シードが小さく呟いた。
「空?」
ソアは台座を見つめる。
「空って……空を飛ぶ何かがあるのかな?」
その瞬間、台座の上に半透明の文字が浮かび上がった。
――天翔の器。
――天空の門にて、継承の試練を開始する。
――資格なき者は、翼を得ること能わず。
文字は数秒後、霧のように消えてしまった。
ソアは目を丸くした。
「天翔の器……!」
彼女の頭に、先ほどの七つの枝の紋様が浮かぶ。
巨神の籠手。
そして、今度は翼。
「もしかして……七つの武具って、まだほかにもあるの?」
シードは台座に手を伸ばした。
けれど、光は触れる直前に消えてしまった。
「……まだ、ここじゃない」
「じゃあ、天空の門って場所に行けばいいのかな?」
「……たぶん」
ソアは、しばらく考え込んだ。
それから、勢いよく立ち上がる。
「よし! 決めた!」
「……なにを?」
「次の目標は、天空の門!」
ソアは拳を高く掲げた。
「空を飛べるようになったら、移動も楽になるし! ダンジョンにも行きやすいし! 何より、すっごく楽しそう!」
シードは首を傾げた。
「……そあ、そら、とびたい?」
「うん!」
ソアは満面の笑みで答えた。
「でも、その前に――」
彼女は、袋の中でかちゃりと音を立てた壊れた肩当てを見下ろした。
「まずは、お仕事を終わらせて修理代を稼がないとね……」
笑顔が少しだけ曇った。
「……現実って厳しいなあ」
シードはソアの手を握った。
「……だいじょうぶ」
「シード……!」
「……ごはんも、たべよう」
「そうだね! ごはんも大事!」
二人は顔を見合わせて笑った。
まだ、彼女たちは知らない。
天空の門が、地上から遠く離れた浮遊遺跡にあることを。
そして、そこへ向かう道の先で、再びあの黒衣の男と出会うことを。
今度の試練では、ただ力の強い者が勝つとは限らない。
空に浮かぶ足場。
崩れ落ちる橋。
吹き荒れる風の回廊。
そして、最後に待ち受ける、一つの翼。
二人はそこで、敵でありながら、互いを助けなければ先へ進めない状況に置かれることになる。
そのときソアは、知ることになるだろう。
すべてを手放せることと、何も大切にしないことは、まったく違うのだと。




