第32話 それぞれの決意
「さて、と!」
街道の真ん中で、ソアは勢いよく立ち止まった。
「これからどうしようか!」
「……ごはん?」
隣を歩くシードが、小さな手を上げた。
「うん! まずはごはんだね!」
「……やった」
「でも、その前に目的地を決めないと!」
「……ごはんの、あと?」
「……うん。ごはんのあと!」
二人は顔を見合わせた。
そして、そろって頷いた。
目的地は決まっていない。
次にどこへ行けばいいのかも分からない。
おまけに、せっかく手に入れた伝説の武具は奪われてしまった。
普通なら、頭を抱えたくなる状況だ。
けれど、ソアは不思議と前向きだった。
「大丈夫! なんとかなるよ!」
「……なんとか?」
「うん! なんとか!」
シードはしばらくソアを見つめたあと、こくりと頷いた。
「……そあが、いうなら」
「よーし! それじゃ、次の街を目指そう!」
ソアは元気よく歩き出した。
数歩進んだところで、ふと思い出したように振り返る。
「そういえば、シード」
「……なに?」
「レイナとミレイユ、強くなって帰ってくるかな?」
シードは少しだけ考えた。
「……なる」
「そっか!」
ソアは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私も負けてられないね!」
右手をぎゅっと握る。
巨神の籠手は、もうそこにはない。
それでも、あの男に負けた悔しさは、まだ消えていなかった。
「次に会ったときは、絶対に取り返すんだから!」
ソアは再び歩き出した。
その背中を、小さな精霊が追いかけていく。
二人の旅が、始まった。
◇
一方、北へ向かう街道。
レイナは一人、黙々と歩いていた。
街道沿いの木々は少しずつ背が低くなり、遠くには雪を頂いた山々が見え始めている。
目指すのは、北の山脈にあるという古い神殿。
守護の力を試す試練が残されているという場所だ。
確かな情報ではない。
神殿の場所さえ、正確には分かっていなかった。
それでも、レイナは歩みを止めなかった。
「……私は、何をしていたんだ」
ぽつりと、言葉がこぼれる。
あの黒いローブの男。
大剣を振るっても、まるで通じなかった。
自分の誇りだった《鉄壁》も、仲間を守りきれなかった。
そして何より、ソアが目の前で苦しんでいるのに、助けることができなかった。
レイナは拳を握った。
「私は、強いと思っていた」
A級冒険者。
数々の魔物を討伐し、多くの冒険者から信頼されてきた。
鉄壁のレイナ。
その名に恥じない実力を持っていると、自分でも信じていた。
けれど、あの男の前では、そのすべてが意味をなさなかった。
「……このままでは駄目だ」
レイナは顔を上げた。
北の山脈にそびえる、巨大な岩山。
その向こうに、古い神殿が眠っているはずだった。
「次は、守る」
誰かに聞かせるためではない。
自分自身に誓うための言葉だった。
「今度こそ、私の手で」
そのとき。
レイナの胸元で、小さな緑色の光が瞬いた。
「……これは?」
光の正体は、世界樹の森で《鉄壁》が変化したときに刻まれた紋様だった。
普段はほとんど見えないそれが、北の山脈へ近づくにつれて、かすかに輝き始めている。
まるで、何かに呼応するように。
レイナは胸元に手を当てた。
「……世界樹と、関係があるのか?」
答える者はいない。
ただ、北から吹いてくる風が、彼女の頬を冷たく撫でた。
レイナは外套を翻し、再び歩き始めた。
◇
東へ向かう街道。
ミレイユは、馬車の窓から外を眺めていた。
目的地は、古い魔術都市。
かつて多くの魔術師が集まり、失われた呪術や禁術を研究していたという場所だ。
今ではその一部が廃墟となり、立ち入りを禁じられた研究施設も残っているらしい。
「……まったく」
ミレイユは頬杖をついた。
「まさか、私が修行の旅に出ることになるなんてね」
彼女は自分の杖を見下ろした。
これまで、呪術の腕には自信があった。
相手の筋力を奪い、動きを鈍らせ、魔力を封じる。
どんなに強い相手でも、弱点を見つけて呪いを重ねれば、戦いを有利に進められる。
それがミレイユの戦い方だった。
しかし、あの男は違った。
《百呪領域》を展開しても、まともに動きを止められなかった。
《呪鎖》を放っても、簡単に砕かれた。
しかも、呪いを受けたはずの男は、その力を吸収してみせた。
「……私の呪術を、受け取っただけ、ね」
ミレイユは苦笑した。
あの言葉が、頭から離れなかった。
まるで、自分の力など、相手にとっては珍しくもない贈り物だったかのように。
「気に入らないわね」
杖を握る手に力が入る。
「本当に、気に入らない」
窓の外には、遠くに街の影が見え始めていた。
ミレイユは視線を戻した。
「次に会ったときは、絶対にあの余裕を消してやるわ」
そのとき、杖の先に刻まれた紫色の紋様が、淡く光った。
世界樹の森で、呪鎖が根とつながったときに現れた紋様だ。
光は一瞬だけ強まり、すぐに消えた。
「……何かしら?」
ミレイユは杖を傾けた。
その視線の先、東の空には、薄い紫色の雲が広がっていた。
まるで、遠い場所で巨大な魔法が動き始めているかのように。
「面白くなってきたじゃない」
ミレイユは口元に笑みを浮かべた。
◇
それから数日後。
ソアとシードは、街道沿いの小さな町に到着していた。
「つ、着いたあ……!」
ソアは町の門をくぐるなり、両手を上げた。
「長かったね、シード!」
「……うん」
「まずは宿! それからごはん! あと、武具の情報も集めないと!」
「……ごはん」
「そう、ごはん!」
ソアは大きく頷いた。
しかし、宿屋に入って財布を開いた瞬間、その表情が凍りついた。
「…………」
銀貨が数枚。
銅貨が少し。
それだけだった。
「……あれ?」
ソアは財布を逆さにした。
ちゃりん。
銅貨が一枚、テーブルに転がった。
「…………」
シードがそれを拾い上げる。
「……おかね?」
「うん……お金……」
ソアは遠い目をした。
「そういえば、巨神の籠手を手に入れるために遺跡を攻略したけど、結局、何も売れなかったんだった……」
「……たべる?」
「食べられないよ!?」
ソアは頭を抱えた。
「ううう……。こんなことなら、遺跡の宝箱から出てきた銀貨を、もっと大事に取っておけばよかった……!」
「……そあ」
「なに?」
「……ぼく、おなかすいた」
「うわあああああっ!」
ソアの叫びが、宿屋に響いた。
◇
その日の夕方。
ソアは町の冒険者ギルドで、依頼書を眺めていた。
「薬草採取……魔物の討伐……荷物運び……」
どれも報酬は高くない。
しかし、今のソアに贅沢を言う余裕はなかった。
「よし! これにしよう!」
選んだのは、近くの森に出没する魔物の討伐依頼だった。
報酬は銀貨数枚。
「これなら、ごはんも食べられるし、宿代も払える!」
ソアは勢いよく依頼書を受付に差し出した。
「お願いします!」
受付の職員は、ソアの姿を見て少し不思議そうに首を傾げた。
「……お一人ですか?」
「うん!」
「その装備で、森の魔物を討伐するのですか?」
ソアは自分の鎧を見下ろした。
胸当てには修理の跡。
肩当てには細かな傷。
それでも、大切な全身鎧だ。
「もちろん! この鎧、最高なんだから!」
受付の職員は、困ったように笑った。
「……お気をつけて」
「はーい!」
ソアは元気よくギルドを飛び出した。
その後ろを、シードが小走りで追いかける。
「……そあ、まって」
「ごめんごめん! でも、早く行かないと日が暮れちゃう!」
二人の姿が、町の門の向こうへ消えていった。
まだ、ソアは知らない。
その森が、かつて世界樹の力を研究していた者たちの、古い実験場だったことを。
そして、その奥に、七つの武具の一つへとつながる手がかりが眠っていることを。
◇
同じ頃。
暗い部屋の中で、黒い水晶が淡い光を放っていた。
その前に立つ男は、七つの紋章を眺めている。
巨神の籠手を示す紋章は、すでに黒く染まっていた。
だが、残る六つはまだ、それぞれ異なる光を放っている。
男は、その一つに指を触れた。
翼の紋章。
「……次は、空か」
水晶の表面に、雲海に浮かぶ巨大な遺跡が映し出された。
風に流されながら、ゆっくりと回転する浮遊島。
その中央には、白く輝く翼の像が立っている。
男は静かに目を細めた。
「選ばれた者が動き始めた。ならば、こちらも急がなければならない」
彼は水晶から手を離した。
「七つの器を集める」
声には、揺るぎない決意が込められていた。
「すべてを失う前に……すべてを、この手に」
暗闇の中で、翼の紋章が淡く輝いた。
その光は、やがて黒い影に覆われていった。




