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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第四章 七つの迷宮

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第31話 初めての敗北


街へ戻る道のりは、いつもより長く感じられた。


誰も口を開かない。


普段なら、ソアが何かを言い出し、レイナが呆れ、ミレイユが皮肉を飛ばす。


そんなやり取りが、自然と始まるはずだった。


けれど、今日は違った。


ソアは自分の右腕を見つめていた。


巨神の籠手が宿っていた場所。


そこには、何もない。


「……ソア」


シードが小さな手で、ソアの指を握った。


「ん?」


「……いたい?」


ソアは少しだけ考えた。


「ううん。腕は痛くないよ」


「……ここは?」


シードは、自分の胸に手を当てた。


ソアは目を伏せた。


「……ちょっと、痛いかも」


シードは何も言わず、ソアの手をぎゅっと握った。


ソアも、その小さな手を握り返した。


「ありがと、シード」


いつもの笑顔を作ろうとした。


でも、うまくできなかった。


     ◇


街に戻ったソアたちは、冒険者ギルドへ向かった。


遺跡で何が起きたのか。


それを報告する必要があったからだ。


受付の職員は、三人の表情を見て、すぐに異変を察した。


「……何かあったのですか?」


レイナが静かに答えた。


「遺跡で伝説の武具を発見した。しかし、正体不明の男に奪われた」


「伝説の武具を……奪われた?」


職員の顔色が変わった。


「それに、私たち三人とも手も足も出なかった」


レイナは拳を握りしめた。


「冒険者ギルドとしても、警戒を強めてほしい。黒いローブを着た男だ。魔力を吸収するような能力を持っている」


ミレイユが補足する。


「普通の魔法や呪術では対処できない可能性があるわ。少なくとも、単独での接触は避けるべきね」


職員は真剣な表情で頷き、報告内容を書き留めた。


「分かりました。上層部にも報告します。皆さんも、どうか無理をなさらないでください」


「……ありがとう」


レイナは短く答えた。


ギルドを出たところで、ソアがぽつりと言った。


「ねえ」


二人が振り返る。


「私、もっと強くならなきゃ」


レイナはすぐには答えなかった。


「……そうだな」


「だって、せっかく伝説の武具を手に入れたのに、何もできなかった。全解除を使っても、あの人には勝てなかった」


ソアは自分の手を見つめた。


「私がもっと強かったら、籠手を取られずに済んだのかな」


「それは……」


レイナは言葉に詰まった。


ミレイユも、すぐには答えられなかった。


三人とも、あの男の力を目の当たりにした。


どれだけ鍛えれば、あそこまで強くなれるのか。


今の自分たちに、その答えはなかった。


     ◇


その夜。


宿屋の食堂で、ソアたちは夕食を囲んでいた。


テーブルには、焼きたてのパンとスープ、それから肉料理が並んでいる。


いつもなら、ソアが真っ先に料理へ手を伸ばすところだ。


しかし、今日はスープを少しずつ口に運ぶだけだった。


「……ソア」


ミレイユが声をかける。


「なに?」


「食べないの?」


「食べるよ?」


「さっきから、スープしか減っていないけれど」


ソアは皿を見下ろした。


確かに、パンも肉もほとんど手つかずだった。


「……お腹はすいてるんだけどね」


「珍しいこともあるものね」


ミレイユは冗談めかして言った。


けれど、ソアは笑わなかった。


「私、あの人に何もできなかったんだ」


小さな声だった。


「レイナも、ミレイユも、シードも……みんな頑張ってたのに」


ソアはスプーンを置いた。


「私、鎧が壊れると強くなるでしょ?」


二人は黙って頷いた。


「だから、装備を外せば、もっと強くなれると思ってた。全解除を使えば、もっともっと強くなれるって」


ソアは右腕を握りしめる。


「でも、それだけじゃ駄目だった」


言葉が、そこで途切れた。


しばらくして、レイナが口を開いた。


「ソア。お前だけの責任じゃない」


「でも……」


「私たちも、何もできなかった」


レイナはまっすぐにソアを見つめた。


「お前が戦っている間、私は剣を振るうことさえできなかった。ミレイユの呪術も通じなかった。あの男が強すぎたんだ」


「……そうね」


ミレイユも頷いた。


「悔しいけれど、今の私たちでは、あの男には届かない」


彼女は自分の杖を見つめた。


「私は、自分の呪術なら、どんな相手でも弱らせることができると思っていた。でも、あの男は私の力さえ吸収してみせた」


ミレイユの声には、いつもの余裕がなかった。


「……少し、考え直す必要がありそうね」


ソアは二人を見つめた。


「レイナも、ミレイユも……悔しい?」


「当然だ」


レイナは即答した。


「私は鉄壁のレイナだ。守ると決めた相手を守れないなんて、あってはならない」


ミレイユも、静かに言った。


「私だって、負けっぱなしで終わるつもりはないわ」


そして、二人は顔を見合わせた。


言葉にしなくても、考えていることは同じだった。


今のままでは駄目だ。


もっと強くならなければならない。


     ◇


翌朝。


ソアが目を覚ますと、レイナとミレイユはすでに宿の外にいた。


二人とも旅支度を整え、それぞれの荷物を背負っている。


「……あれ?」


ソアは眠い目をこすった。


「二人とも、どこか行くの?」


レイナが振り返った。


「少し、話がある」


その表情を見て、ソアは目を覚ました。


「……うん」


三人は街の外れにある広場へ移動した。


朝の風が吹き抜け、木々の葉が揺れている。


レイナが先に口を開いた。


「ソア。私は、しばらく別行動を取ろうと思う」


「……え?」


「自分の力を鍛え直すためだ」


レイナは腰の大剣に手を添えた。


「私は、もっと強くならなければならない。誰かを守ると決めたのに、守れなかった。それでは、鉄壁の名が泣く」


ソアは驚いた顔でレイナを見た。


「じゃあ、レイナは修行の旅に出るの?」


「ああ。北の山脈に、古い神殿があると聞いたことがある。そこには、守護の力を試す伝承が残されているらしい」


「そんな場所があるんだ……」


「確かな情報ではない。だが、今の私には、行ってみる価値がある」


レイナは少しだけ笑った。


「次に会うときは、今度こそお前を守れるようになっている」


ソアは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。


「……そっか」


寂しい。


そう言いたかった。


でも、レイナが何を考えているのか、ソアには分かっていた。


自分だって、もっと強くなりたい。


もっと強くなって、あの男から巨神の籠手を取り戻したい。


だからこそ、レイナの決意を止めることはできなかった。


「うん! 待ってるね!」


ソアは笑った。


今度は、ちゃんと笑えた。


     ◇


「さて、次は私ね」


ミレイユが肩をすくめた。


「私も、別の場所へ行くことにしたわ」


「ミレイユも!?」


「ええ。北の山脈とは反対方向よ。東の古い魔術都市に、失われた呪術の研究施設があるらしいの」


ミレイユは杖を軽く回した。


「そこなら、私の《百呪領域》や《呪鎖》を進化させる手がかりが見つかるかもしれない」


「……そっか」


ソアはうつむいた。


二人とも、自分の道を見つけたのだ。


自分の力で強くなるための道を。


「ソア」


ミレイユが声をかけた。


「私たちは、あなたと別れたいわけじゃないのよ」


「……うん」


「ただ、このまま一緒にいても、私たちは成長できない。あなたの強さに頼るだけでは、また同じことが起きるかもしれないから」


ミレイユは少しだけ表情を和らげた。


「だから、次に会うときは覚悟しておきなさい」


「え?」


「今度こそ、あなたを倒してあげるわ」


ソアはぱっと顔を上げた。


「ほんと!?」


「……え?」


「じゃあ、次に会うときは、また戦ってくれるの!?」


「そ、そういう意味で言ったのだけれど……」


「やったあ!」


ソアは両手を上げた。


「楽しみにしてるね!」


ミレイユは額に手を当てた。


「……本当に、調子が狂う子ね」


レイナが小さく笑った。


「それがお前のいいところでもあるんだろう」


「レイナまで……」


ミレイユは呆れたように息を吐いた。


けれど、その顔にも、少しだけ笑みが浮かんでいた。


     ◇


出発の時間が来た。


街道の分かれ道。


北へ向かう道と、東へ向かう道。


レイナは北へ。


ミレイユは東へ。


そして、ソアはシードとともに、まだ行き先の定まらない道を進む。


「じゃあ、またね!」


ソアが手を振る。


レイナは頷いた。


「必ず、また会おう」


ミレイユも振り返った。


「そのときは、覚悟しておきなさいよ」


「うん!」


二人の背中が、少しずつ遠ざかっていく。


ソアはいつまでも手を振っていた。


やがて、二人の姿が見えなくなった。


「……行っちゃったね」


シードが、ソアの足元から見上げた。


「……さびしい?」


ソアは少し考えてから、頷いた。


「うん。ちょっとね」


「……ぼく、いる」


「……うん。ありがとう」


ソアはシードを抱き上げた。


その小さな身体は、まだ頼りない。


けれど、確かに温かかった。


「よし!」


ソアは顔を上げた。


「私たちも、行こう!」


「……どこへ?」


「それは……」


ソアは固まった。


「……考えてなかった!」


しばしの沈黙。


シードの葉っぱが、ぺたりと垂れた。


「……そあ」


「だ、大丈夫! 行き先は歩きながら考えればいいんだよ!」


「……ごはん?」


「そう! まずはごはん!」


「……たべる」


二人は街道を歩き始めた。


今度は、二人きりの旅だ。


まだ知らない土地。


まだ知らない迷宮。


そして、必ず取り戻すと決めた巨神の籠手。


ソアは右腕を見つめ、拳を握った。


「……次は、負けない」


その声は、小さかった。


けれど、昨日よりも確かな決意が込められていた。


彼女はまだ知らない。


北へ向かったレイナが、やがて絶対鏡盾と出会うことを。


東へ向かったミレイユが、深淵の呪鎖に導かれることを。


そして、三人が再会するとき、それぞれの力が世界の運命を左右することになるのを。


物語は、三つの道へと分かれ始めた。

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