第31話 初めての敗北
街へ戻る道のりは、いつもより長く感じられた。
誰も口を開かない。
普段なら、ソアが何かを言い出し、レイナが呆れ、ミレイユが皮肉を飛ばす。
そんなやり取りが、自然と始まるはずだった。
けれど、今日は違った。
ソアは自分の右腕を見つめていた。
巨神の籠手が宿っていた場所。
そこには、何もない。
「……ソア」
シードが小さな手で、ソアの指を握った。
「ん?」
「……いたい?」
ソアは少しだけ考えた。
「ううん。腕は痛くないよ」
「……ここは?」
シードは、自分の胸に手を当てた。
ソアは目を伏せた。
「……ちょっと、痛いかも」
シードは何も言わず、ソアの手をぎゅっと握った。
ソアも、その小さな手を握り返した。
「ありがと、シード」
いつもの笑顔を作ろうとした。
でも、うまくできなかった。
◇
街に戻ったソアたちは、冒険者ギルドへ向かった。
遺跡で何が起きたのか。
それを報告する必要があったからだ。
受付の職員は、三人の表情を見て、すぐに異変を察した。
「……何かあったのですか?」
レイナが静かに答えた。
「遺跡で伝説の武具を発見した。しかし、正体不明の男に奪われた」
「伝説の武具を……奪われた?」
職員の顔色が変わった。
「それに、私たち三人とも手も足も出なかった」
レイナは拳を握りしめた。
「冒険者ギルドとしても、警戒を強めてほしい。黒いローブを着た男だ。魔力を吸収するような能力を持っている」
ミレイユが補足する。
「普通の魔法や呪術では対処できない可能性があるわ。少なくとも、単独での接触は避けるべきね」
職員は真剣な表情で頷き、報告内容を書き留めた。
「分かりました。上層部にも報告します。皆さんも、どうか無理をなさらないでください」
「……ありがとう」
レイナは短く答えた。
ギルドを出たところで、ソアがぽつりと言った。
「ねえ」
二人が振り返る。
「私、もっと強くならなきゃ」
レイナはすぐには答えなかった。
「……そうだな」
「だって、せっかく伝説の武具を手に入れたのに、何もできなかった。全解除を使っても、あの人には勝てなかった」
ソアは自分の手を見つめた。
「私がもっと強かったら、籠手を取られずに済んだのかな」
「それは……」
レイナは言葉に詰まった。
ミレイユも、すぐには答えられなかった。
三人とも、あの男の力を目の当たりにした。
どれだけ鍛えれば、あそこまで強くなれるのか。
今の自分たちに、その答えはなかった。
◇
その夜。
宿屋の食堂で、ソアたちは夕食を囲んでいた。
テーブルには、焼きたてのパンとスープ、それから肉料理が並んでいる。
いつもなら、ソアが真っ先に料理へ手を伸ばすところだ。
しかし、今日はスープを少しずつ口に運ぶだけだった。
「……ソア」
ミレイユが声をかける。
「なに?」
「食べないの?」
「食べるよ?」
「さっきから、スープしか減っていないけれど」
ソアは皿を見下ろした。
確かに、パンも肉もほとんど手つかずだった。
「……お腹はすいてるんだけどね」
「珍しいこともあるものね」
ミレイユは冗談めかして言った。
けれど、ソアは笑わなかった。
「私、あの人に何もできなかったんだ」
小さな声だった。
「レイナも、ミレイユも、シードも……みんな頑張ってたのに」
ソアはスプーンを置いた。
「私、鎧が壊れると強くなるでしょ?」
二人は黙って頷いた。
「だから、装備を外せば、もっと強くなれると思ってた。全解除を使えば、もっともっと強くなれるって」
ソアは右腕を握りしめる。
「でも、それだけじゃ駄目だった」
言葉が、そこで途切れた。
しばらくして、レイナが口を開いた。
「ソア。お前だけの責任じゃない」
「でも……」
「私たちも、何もできなかった」
レイナはまっすぐにソアを見つめた。
「お前が戦っている間、私は剣を振るうことさえできなかった。ミレイユの呪術も通じなかった。あの男が強すぎたんだ」
「……そうね」
ミレイユも頷いた。
「悔しいけれど、今の私たちでは、あの男には届かない」
彼女は自分の杖を見つめた。
「私は、自分の呪術なら、どんな相手でも弱らせることができると思っていた。でも、あの男は私の力さえ吸収してみせた」
ミレイユの声には、いつもの余裕がなかった。
「……少し、考え直す必要がありそうね」
ソアは二人を見つめた。
「レイナも、ミレイユも……悔しい?」
「当然だ」
レイナは即答した。
「私は鉄壁のレイナだ。守ると決めた相手を守れないなんて、あってはならない」
ミレイユも、静かに言った。
「私だって、負けっぱなしで終わるつもりはないわ」
そして、二人は顔を見合わせた。
言葉にしなくても、考えていることは同じだった。
今のままでは駄目だ。
もっと強くならなければならない。
◇
翌朝。
ソアが目を覚ますと、レイナとミレイユはすでに宿の外にいた。
二人とも旅支度を整え、それぞれの荷物を背負っている。
「……あれ?」
ソアは眠い目をこすった。
「二人とも、どこか行くの?」
レイナが振り返った。
「少し、話がある」
その表情を見て、ソアは目を覚ました。
「……うん」
三人は街の外れにある広場へ移動した。
朝の風が吹き抜け、木々の葉が揺れている。
レイナが先に口を開いた。
「ソア。私は、しばらく別行動を取ろうと思う」
「……え?」
「自分の力を鍛え直すためだ」
レイナは腰の大剣に手を添えた。
「私は、もっと強くならなければならない。誰かを守ると決めたのに、守れなかった。それでは、鉄壁の名が泣く」
ソアは驚いた顔でレイナを見た。
「じゃあ、レイナは修行の旅に出るの?」
「ああ。北の山脈に、古い神殿があると聞いたことがある。そこには、守護の力を試す伝承が残されているらしい」
「そんな場所があるんだ……」
「確かな情報ではない。だが、今の私には、行ってみる価値がある」
レイナは少しだけ笑った。
「次に会うときは、今度こそお前を守れるようになっている」
ソアは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
「……そっか」
寂しい。
そう言いたかった。
でも、レイナが何を考えているのか、ソアには分かっていた。
自分だって、もっと強くなりたい。
もっと強くなって、あの男から巨神の籠手を取り戻したい。
だからこそ、レイナの決意を止めることはできなかった。
「うん! 待ってるね!」
ソアは笑った。
今度は、ちゃんと笑えた。
◇
「さて、次は私ね」
ミレイユが肩をすくめた。
「私も、別の場所へ行くことにしたわ」
「ミレイユも!?」
「ええ。北の山脈とは反対方向よ。東の古い魔術都市に、失われた呪術の研究施設があるらしいの」
ミレイユは杖を軽く回した。
「そこなら、私の《百呪領域》や《呪鎖》を進化させる手がかりが見つかるかもしれない」
「……そっか」
ソアはうつむいた。
二人とも、自分の道を見つけたのだ。
自分の力で強くなるための道を。
「ソア」
ミレイユが声をかけた。
「私たちは、あなたと別れたいわけじゃないのよ」
「……うん」
「ただ、このまま一緒にいても、私たちは成長できない。あなたの強さに頼るだけでは、また同じことが起きるかもしれないから」
ミレイユは少しだけ表情を和らげた。
「だから、次に会うときは覚悟しておきなさい」
「え?」
「今度こそ、あなたを倒してあげるわ」
ソアはぱっと顔を上げた。
「ほんと!?」
「……え?」
「じゃあ、次に会うときは、また戦ってくれるの!?」
「そ、そういう意味で言ったのだけれど……」
「やったあ!」
ソアは両手を上げた。
「楽しみにしてるね!」
ミレイユは額に手を当てた。
「……本当に、調子が狂う子ね」
レイナが小さく笑った。
「それがお前のいいところでもあるんだろう」
「レイナまで……」
ミレイユは呆れたように息を吐いた。
けれど、その顔にも、少しだけ笑みが浮かんでいた。
◇
出発の時間が来た。
街道の分かれ道。
北へ向かう道と、東へ向かう道。
レイナは北へ。
ミレイユは東へ。
そして、ソアはシードとともに、まだ行き先の定まらない道を進む。
「じゃあ、またね!」
ソアが手を振る。
レイナは頷いた。
「必ず、また会おう」
ミレイユも振り返った。
「そのときは、覚悟しておきなさいよ」
「うん!」
二人の背中が、少しずつ遠ざかっていく。
ソアはいつまでも手を振っていた。
やがて、二人の姿が見えなくなった。
「……行っちゃったね」
シードが、ソアの足元から見上げた。
「……さびしい?」
ソアは少し考えてから、頷いた。
「うん。ちょっとね」
「……ぼく、いる」
「……うん。ありがとう」
ソアはシードを抱き上げた。
その小さな身体は、まだ頼りない。
けれど、確かに温かかった。
「よし!」
ソアは顔を上げた。
「私たちも、行こう!」
「……どこへ?」
「それは……」
ソアは固まった。
「……考えてなかった!」
しばしの沈黙。
シードの葉っぱが、ぺたりと垂れた。
「……そあ」
「だ、大丈夫! 行き先は歩きながら考えればいいんだよ!」
「……ごはん?」
「そう! まずはごはん!」
「……たべる」
二人は街道を歩き始めた。
今度は、二人きりの旅だ。
まだ知らない土地。
まだ知らない迷宮。
そして、必ず取り戻すと決めた巨神の籠手。
ソアは右腕を見つめ、拳を握った。
「……次は、負けない」
その声は、小さかった。
けれど、昨日よりも確かな決意が込められていた。
彼女はまだ知らない。
北へ向かったレイナが、やがて絶対鏡盾と出会うことを。
東へ向かったミレイユが、深淵の呪鎖に導かれることを。
そして、三人が再会するとき、それぞれの力が世界の運命を左右することになるのを。
物語は、三つの道へと分かれ始めた。




