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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第四章 七つの迷宮

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第30話 奪われた宝具


遺跡を出たソアたちは、山道を歩いていた。


空は夕焼けに染まり、遠くの山々が赤く照らされている。


「ふう……。今日は疲れたねえ」


ソアは大きく伸びをした。


「あなた、戦っている最中はあんなに元気だったじゃない」


ミレイユが呆れたように言う。


「だって、お腹がすいたんだもん!」


「理由がいつもそれなのは、どうなのかしら……」


「帰ったらごはんにしよう。シードもお腹すいたよね?」


「……たべる」


「よーし! 今日はちょっと豪華にしちゃおう!」


ソアが拳を握る。


レイナが小さくため息をついた。


「その前に、ギルドへの報告と、装備の確認。それから遺跡で見つけた文字についても調べないと」


「ええーっ! ごはんが先!」


「先じゃない!」


いつものやり取り。


けれど、そのときだった。


シードが突然、足を止めた。


頭の葉っぱがぴんと立つ。


「……くる」


「え?」


ソアが振り返った瞬間。


山道を吹き抜けていた風が、ぴたりと止まった。


鳥の鳴き声も、木々のざわめきも消えている。


まるで世界そのものが息を潜めたかのようだった。


レイナは即座に大剣を構えた。


「全員、警戒して!」


ミレイユも杖を握り、周囲に魔力を広げる。


「何かが近づいている……。でも、魔力の気配が妙ね」


ソアは右腕を見つめた。


巨神の籠手が宿った場所。


そこが、ほんのりと熱を帯びていた。


「……この感じ」


遺跡の中で籠手に触れたときと同じだ。


いや、それ以上に強い。


右腕の奥で、何かが呼応している。


その直後。


道の先に、一人の男が現れた。


黒いローブ。


顔の大半は影に隠れ、表情は読み取れない。


男はまるで散歩の途中で出会った知人にでも話しかけるように、穏やかな声で言った。


「それが、巨神の籠手か」


ソアは目を瞬かせた。


「……えっと、どちらさま?」


「ソア!」


レイナが鋭く注意する。


相手が何者か分からない以上、油断は禁物だ。


男はレイナには目も向けず、ソアの右腕だけを見つめていた。


「その腕に宿ったものを渡してもらおう」


「えっ?」


ソアは自分の右腕を見た。


「これ?」


「そうだ」


「……どうして?」


男は少しだけ沈黙した。


「必要だからだ」


「うーん……」


ソアは首を傾げた。


「それだけじゃ、ちょっと渡せないかなあ」


「ソア、交渉するつもりなの!?」


ミレイユが思わず叫んだ。


「だって、せっかく手に入れたんだよ? それに、まだどんな武具なのかも分かってないし!」


ソアは男に向き直った。


「ごめんなさい。これは渡せません!」


男はしばらくソアを見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……そうか」


その声から、感情は読み取れなかった。


「ならば、仕方がない」


次の瞬間。


男の姿が消えた。


「――っ!?」


レイナが反応するよりも早く、黒い影がソアの目の前に現れた。


「速い!?」


ソアは反射的に後ろへ跳ぶ。


同時に、男の手がソアの右腕へ伸びた。


ガキンッ!


金属を打ち鳴らすような音が響いた。


ソアの腕を覆うように、緑色の光が一瞬だけ広がる。


見えない籠手が、男の手を弾いたのだ。


「へえ……」


男が初めて、わずかな興味を示した。


「まだ完全には目覚めていないようだが、反応はするか」


「ちょっと! いきなり何するの!?」


ソアが距離を取る。


「レイナ! ミレイユ! この人、話し合いができないタイプみたい!」


「今さら気づいたの!?」


レイナが大剣を振りかぶった。


「《鉄壁》!」


彼女の前方に巨大な防御障壁が展開される。


そのまま踏み込み、剣を横薙ぎに振るった。


だが、男は避けなかった。


黒いローブが揺れる。


それだけだった。


ガァンッ!


大剣が何かに弾かれ、レイナの身体が後方へ吹き飛ばされた。


「レイナ!」


ソアが叫ぶ。


レイナは地面を滑りながらも踏みとどまり、すぐに体勢を立て直した。


「な……っ。今のは、何……?」


男は何もしていないように見えた。


ただ、立っていただけだ。


「次は私の番ね」


ミレイユが杖を掲げる。


「《百呪領域》!」


紫色の魔法陣が周囲に広がった。


男の足元に呪印が浮かび、幾重もの鎖が地面から飛び出す。


「《呪鎖》!」


鎖が男の腕、脚、胴体へと巻きついた。


筋力低下。


敏捷低下。


魔力低下。


複数の呪いが、一斉に男へ襲いかかる。


「これなら――」


ミレイユの言葉が止まった。


男は、自分の腕に巻きついた鎖を見下ろしていた。


そして。


指先を、軽く動かした。


パキン。


乾いた音とともに、呪鎖が砕け散った。


「うそ……」


ミレイユの顔から、余裕が消える。


「私の呪いを、力ずくで……?」


「いや」


男は静かに答えた。


「受け取っただけだ」


その瞬間、砕けたはずの鎖の破片が黒い光に変わり、男の身体へ吸い込まれていった。


ミレイユが息を呑む。


「まさか……私の魔力まで?」


「なるほど。こういう力か」


男は自分の手を開き、閉じた。


まるで新しい道具の使い方を確かめるように。


「悪くない」


「……あなた、何者なの?」


ミレイユの問いに、男は答えなかった。


代わりに、ソアへ視線を戻した。


「さて。もう一度、聞こう」


男が一歩踏み出す。


「巨神の籠手を渡せ」


ソアは唇を引き結んだ。


怖い。


目の前の男が、自分たちとはまるで違う次元の強さを持っていることは分かる。


レイナの剣も、ミレイユの呪いも通じなかった。


それでも。


「……いやです」


ソアは右腕を握りしめた。


「これは、みんなで頑張って手に入れたものだから」


男は動きを止めた。


「みんなで?」


「うん。レイナもミレイユも、シードも。みんなで頑張ったんだよ」


ソアは一歩前へ出た。


「だから、簡単には渡せない!」


その言葉に、シードの葉っぱが揺れた。


男はソアを見つめる。


ほんの一瞬だけ、その目に何かが浮かんだように見えた。


だが、それもすぐに消えた。


「……そうか」


男が右手を上げる。


空気が、震えた。


ソアの右腕に激痛が走る。


「っ、ああああっ!?」


緑色の光が、腕から溢れ出した。


まるで何かを引き剥がされるような感覚。


ソアは必死に右腕を押さえる。


「な、何これ……!?」


シードが駆け寄ろうとした。


「……ソア!」


しかし、見えない壁のようなものに阻まれ、前へ進めない。


レイナもミレイユも、動こうとするたびに身体が重くなっていく。


「身体が……動かない……!」


「こんな魔法、いつの間に……!」


男の手の中に、緑色の光が集まっていく。


光は次第に形を成し、巨大な籠手へと変わった。


巨神の籠手。


ソアの腕から、引き剥がされていた。


「や、やめて!」


ソアは手を伸ばす。


「それは……私たちが……!」


男は籠手を手にした。


その瞬間、籠手の宝石が激しく輝いた。


だが、すぐに光は弱まった。


男は籠手を見つめ、わずかに眉を寄せた。


「……まだ足りないか」


低くつぶやく。


「これだけでは、世界樹には届かない」


その言葉を聞いたソアは、顔を上げた。


「世界樹……?」


男は答えない。


籠手を黒い光で包み込み、その姿を消していく。


ソアは駆け出そうとした。


「待って! 返して!」


だが、足が動かない。


見えない力が、彼女の身体を押さえつけていた。


男は背を向けたまま、最後に一言だけ告げた。


「次に会うときは、残りの器も集まっているだろう」


「残りの……器?」


「そのときまで、生きていられればいいな」


黒い光が広がる。


男の姿が、夕闇の中へと溶けていった。


そして、何事もなかったかのように、風が戻った。


鳥の声が聞こえ始める。


木々がざわめく。


ただ、そこにはもう、男も籠手も存在しなかった。


     ◇


「……くそっ!」


レイナが地面を殴った。


「何もできなかった……!」


彼女の拳が震えていた。


「私の《鉄壁》も、大剣も……まるで通用しなかった」


ミレイユは杖を握りしめたまま、うつむいていた。


「私の呪いを砕いただけじゃない。魔力まで吸収された……。あんな相手、今まで見たことがないわ」


ソアは黙って右腕を見つめていた。


そこには、もう何の光もない。


巨神の籠手が宿っていた感覚も、消えていた。


「……私」


声が震えた。


「私たちが、頑張って手に入れたのに」


シードがそっと近づき、ソアの手を握った。


「……ソア」


「……うん」


「……だいじょうぶ?」


ソアは無理に笑おうとした。


「うん。大丈夫」


けれど、その笑顔はいつものようには輝かなかった。


「……絶対、取り返そうね」


レイナが顔を上げる。


ミレイユも、ソアを見た。


ソアは二人を見つめ、強く拳を握った。


「今は勝てなかった。でも、次は絶対に負けない」


しばらくの沈黙のあと、レイナが立ち上がった。


「……ああ。次は、必ず」


ミレイユも静かに頷く。


「ええ。あの男の正体も、目的も、全部突き止めてやるわ」


三人は夕焼けの中、再び歩き始めた。


その足取りは、遺跡を出たときよりも重かった。


けれど、誰一人として、立ち止まろうとはしなかった。


     ◇


同じ頃。


暗い部屋の中で、男は巨神の籠手を見つめていた。


「……手放す者、か」


籠手の宝石が、弱々しく明滅する。


男はそれを黒い水晶の隣へ置いた。


水晶には、残る六つの紋章が浮かび上がっている。


剣。


翼。


盾。


鎖。


砲。


そして、名も分からぬ最後の紋章。


「七つの器を集めれば、世界樹の力は戻る」


男は、静かに告げた。


「今度こそ、誰にも失わせない」


その声は、どこか悲しげだった。


「すべてを、私の中に」


黒い水晶が、不気味な光を放った。


七つの紋章のうち、巨神の籠手を示す光だけが、黒く染まっていた。

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