第1話 異世界と、最高の鎧
「……寒い」
最初に感じたのは、それだった。
次に感じたのは――
「……土?」
頬に触れているのは、柔らかな草。
私はゆっくりと目を開けた。
青い空。
白い雲。
風に揺れる草原。
そして、見たこともない巨大な木。
「…………」
私はしばらく、その場に寝転がったまま空を見上げていた。
夢ではない。
頬をつねる。
「痛っ」
もう一度つねる。
「痛い」
さらにもう一度。
「痛いって!」
三回目でようやくやめた。
どうやら本当に異世界らしい。
「……マジか」
思わず笑ってしまう。
昨日までゲームをしていた。
今日は異世界。
人生というものは、たまに展開が雑すぎる。
私は立ち上がった。
身体を確認する。
手。
腕。
足。
ちゃんと動く。
服装は、見たことのない簡素な服になっていた。
白いシャツ。
茶色のスカート。
革の靴。
「……」
私は自分の身体を見下ろした。
そして、ひとつだけ問題に気づいた。
「鎧がない」
当たり前だった。
転生したばかりなのだから。
でも――
「鎧がない……」
私はもう一度呟いた。
胸に、妙な喪失感が広がる。
神様との会話を思い出した。
――鎧は現地で買ってください。
「……買うしかない」
私は拳を握った。
「最高の鎧を」
こうして私の異世界生活は始まった。
最初の目的は――
魔王討伐でも。
世界の平和でも。
勇者になることでもない。
鎧を買うことだった。
◆
草原を歩いていると、やがて街道らしき道を見つけた。
道に沿って歩いていると、遠くに大きな街が見えてくる。
石造りの壁。
巨大な門。
門の前には、武器を持った人たちが並んでいる。
「……本当に異世界だ」
剣を腰に差した人。
杖を持った人。
弓を背負った人。
そして――
「鎧!」
いた。
鎧を着た人間がいる。
私は思わず駆け寄りそうになった。
「すごい……!」
胸当て。
肩当て。
籠手。
脚甲。
兜。
完璧な装備だ。
「……でも」
私はじっと観察した。
「軽装だな」
鎧を着ている本人が、こちらを振り返った。
「え?」
「いや、なんでもないです」
私は笑顔で誤魔化した。
あれでは足りない。
肩が甘い。
胸部装甲も薄い。
腰回りも心許ない。
何より――
隙間が多すぎる。
「……ふふ」
自然と笑みがこぼれた。
異世界には、鎧がある。
ならば――
私にも、理想の鎧を作れる。
◆
街に入ると、まず冒険者ギルドへ向かった。
受付のお姉さんに事情を説明すると、いろいろ教えてくれた。
この世界では、冒険者として依頼を受ければお金を稼げるらしい。
魔物を倒せば素材も手に入る。
迷宮に入れば、もっと大きな財宝が見つかることもある。
「なるほど……」
私は頷いた。
「じゃあ、魔物を倒してお金を稼げばいいんですね?」
「はい。ただし、冒険は危険です。最初は簡単な依頼から――」
「鎧を買いたいんですけど」
「……はい?」
「ものすごく強い鎧を」
受付のお姉さんが苦笑した。
「でしたら、まずは武具店を紹介しましょうか?」
「お願いします」
即答だった。
◆
紹介された武具店は、街の大通りから少し外れた場所にあった。
店内には、剣、槍、盾、弓。
そして――
鎧。
「…………」
私は言葉を失った。
目の前に、ずらりと並んでいる。
鉄の鎧。
鋼の鎧。
魔法が付与された鎧。
獣の素材を使った鎧。
中には、見るからに高そうな鎧まである。
「お嬢ちゃん、冒険者は初めてかい?」
店主のおじさんが声をかけてくる。
「はい」
「なら、最初は軽い鎧がいいぞ。動きやすいしな」
「なるほど」
「この革鎧なんかどうだ?」
「いえ」
私は首を横に振った。
「もっと重いのは?」
「……重い?」
「はい」
「もっと?」
「もっと」
店主が少し考える。
「じゃあ、これだな」
店の奥から一着の鎧を出してきた。
ズシン。
床が鳴った。
「…………」
私は目を輝かせた。
黒鉄の全身鎧。
厚い胸当て。
巨大な肩当て。
肘まで覆う籠手。
膝から下を完全に覆う脚甲。
そして――
「兜もあります?」
「あるぞ」
「見せてください」
店主が兜を持ってくる。
頭部を完全に覆うフルフェイス。
視界部分は細いスリットだけ。
「…………」
私は震えた。
「これです」
「え?」
「これがいいです」
「いや、お嬢ちゃん。これはかなり重いぞ?」
「何キロですか?」
「全部合わせて三十キロくらいある」
「最高ですね」
「最高なのか?」
店主が困惑している。
「歩けるのか?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
私は鎧を身につけた。
胸当て。
肩当て。
籠手。
腰当て。
脚甲。
ブーツ。
そして兜。
最後に、店主が兜を被せてくれる。
カチャン。
視界が狭くなった。
呼吸する音が響く。
自分の心臓の音まで聞こえる。
私は鏡の前に立った。
そこに映っていたのは――
完全武装した騎士だった。
「…………」
私は感動していた。
「最高……」
思わず呟く。
「これ……最高です……!」
店主が腕を組んだ。
「いやあ、そこまで喜んでもらえるとはな」
「これください」
「銀貨三十枚だ」
「…………」
私は固まった。
「……高い」
「そりゃそうだ。魔法鋼も使ってるからな」
私は財布を見る。
転生したばかりなので、当然そんな大金はない。
「分割払いは?」
「鎧を?」
「はい」
「聞いたことないな」
「じゃあ……」
私は考えた。
そして、ポケットに入っていたものを確認した。
この世界に来るとき、神様が最低限の生活費として少しだけお金を持たせてくれていた。
その全財産。
銀貨三十一枚。
「…………」
私は鎧を見る。
もう一度、財布を見る。
そして鎧を見る。
「……一枚残る」
店主が嫌な予感がしたのか、顔をしかめた。
「まさか――」
「買います」
「本当に?」
「はい」
こうして私は――
異世界に来てわずか数時間で。
全財産のほとんどを。
鎧に使った。
残金。
銀貨一枚。
「…………」
店主が心配そうに言った。
「お嬢ちゃん……冒険者ってのはな、食事も必要だし、宿代も――」
「大丈夫です」
私は立ち上がった。
「魔物を倒せば、お金になりますから」
「いや、そういう問題じゃなくて――」
「それに」
私は兜を被った。
カチャン。
「この鎧があれば、私は無敵です」
店主はしばらく黙った。
そして、小さく呟いた。
「……そういう奴ほど、最初に死ぬんだよなぁ」
「何か言いました?」
「いや。頑張れ」
◆
街を出る。
私は歩いた。
一歩。
ズシン。
もう一歩。
ズシン。
三歩。
ズシン。
「…………」
重い。
想像以上に重い。
「…………」
四歩。
ズシン。
五歩。
ズシン。
六歩。
「……」
私は立ち止まった。
「これ……」
遠くの草原を見る。
魔物らしき影が動いている。
「私、ちゃんと歩けるよね?」
その瞬間。
《スキンブースト》
頭の中で、声がした。
「……え?」
目の前に、淡い光の文字が浮かぶ。
《スキンブースト》
《効果:詳細不明》
「……詳細不明?」
私は首を傾げた。
「神様、説明雑すぎない?」
返事はない。
当然だ。
ここに神様はいない。
私はため息をついた。
「まあ……いいか」
そして、もう一つ。
神様からもらった能力。
《全解除》
これも、今は何の意味があるのか分からない。
「あとで鑑定してもらえばいいか」
そう呟いたときだった。
「ギャッ!」
草むらから何かが飛び出した。
「え?」
緑色の肌。
尖った耳。
手には粗末な棍棒。
「ゴブリン……?」
ゴブリンがこちらに気づく。
「ギャアアア!」
棍棒を振り上げ、こちらへ走ってくる。
私は剣を抜いた。
「来い!」
三十キロの鎧。
巨大な剣。
巨大な盾。
そして、初めての異世界での戦い。
私は胸を張った。
「私の鎧の――」
盾を構える。
「――硬さを見せてあげる!」
ゴブリンの棍棒が――
ガァンッ!!
私の鎧に叩きつけられた。
「…………」
ゴブリンが固まる。
私も固まる。
そして。
「……痛くない」
私はニヤリと笑った。
「すごい」
ゴブリンが一歩後ずさる。
私は盾を下ろした。
「ねえ」
ゴブリンを見る。
「もしかして……」
私は剣を構えた。
「私、強いんじゃない?」
その瞬間。
頭の中に、もう一つの表示が浮かんだ。
《ステータス》
名前:ソア・ミュスカ
種族:人間
レベル:1
状態:正常
体力:普通
筋力:普通
敏捷:低い
魔力:普通
精神:普通
スキル
《剣術》
《盾術》
《スキンブースト》【固有】
《全解除》【固有】
装備
《魔法鋼の全身鎧》
《鉄の剣》
《鉄の盾》
「…………」
私はステータスを眺めた。
「……」
もう一度見る。
「…………」
そして。
「敏捷、低いんだ」
視線をゴブリンへ戻す。
ゴブリンは棍棒を構えている。
私は剣を構える。
「まあ……」
私は笑った。
「防御が強ければ、なんとかなるよね!」
――このときの私は、まだ知らなかった。
私の本当の強さが、ステータスにはまだ何一つ現れていないことを。
そして。
この直後――
「……あれ?」
私は剣を振った。
ブンッ!
空を切った。
「…………」
ゴブリンは、普通に避けていた。
「……」
私はもう一度振った。
ブンッ!
また空振り。
ゴブリンが首を傾げる。
「…………」
私は思った。
もしかして――
「私……」
三十キロの鎧を着たまま、必死に剣を振る。
ブンッ!
ゴブリンは避ける。
ブンッ!
また避ける。
「…………」
「…………」
私とゴブリンの間に、妙な沈黙が流れた。
そして私は、ようやく気づいた。
「……攻撃、当たらないんだけど」
異世界生活、開始早々。
私の最大の問題は――
防御力ではなかった。




