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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十三章 北境王都と、最後の選択

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第158話 地下記録庫


 北境王都を離れる前に、ソアたちはもう一度、最終記録保管庫へ戻っていた。


 理由は単純だった。


「……ねえ、エリアスさん」


「どうした、ソア」


「地下に、まだ記録が残ってるんだよね?」


「ああ。最終記録保管庫とは別に、王都の地下には旧記録庫がある。そこには、公開用に整理される前の記録が保管されていた」


「じゃあ、どうして最初から見せてくれなかったの?」


「……場所を忘れていたわけではない」


「うん」


「ただ、私は長い間、そこへ入ることを避けていた」


 エリアスは、視線を落とした。


「最終記録保管庫に残されていたのは、王国が最後に何を選んだかという記録だ。だが、地下記録庫には、その選択に至るまでの議論や、選ばれなかった案、そして私が表に出さなかった記録が残っている」


「つまり……」


 ソアは眉を寄せた。


「自分が何を隠したのか、全部見なきゃいけないってこと?」


「そうだ」


「そっか」


 ソアは、思ったよりあっさり頷いた。


「じゃあ、行こう」


 エリアスが驚いたように顔を上げる。


「怖くはないのか?」


「怖いよ?」


「……怖いのか」


「そりゃそうでしょ。自分が見たくないものが残ってるかもしれないんだもん」


 ソアは胸当てを軽く叩いた。


「でも、見ないままだったら、ずっと気になっちゃうから」


「……君は、本当に不思議な人間だな」


「よく言われる!」


「褒めてはいない」


「それもよく言われる!」


 ヴァルトが小さく吹き出した。


「いつもの調子だな」


「いつもの調子が一番だよ。緊張しすぎると、鎧の留め具まで固くなった気がするし」


「それはお前の気のせいだろう」


「そうかな……?」


 ソアは胸元の留め具を確認した。


 ガシャッ。


「うん、大丈夫!」


「何を確認したんだ……」


 レイナが苦笑し、ミレイユは肩をすくめた。


 こうして、五人は地下への階段を下り始めた。


     ◇


 階段は、王都の地下深くまで続いていた。


 壁に埋め込まれた銀色の結晶が、足元を照らしている。


 一定の間隔で、古い文字が刻まれていた。


 記録の分類。


 保存年月。


 閲覧権限。


 そして、最後の項目には、何度も同じ言葉が記されていた。


 ――異議申し立て。


「これ、ずいぶん多いね」


 ソアが立ち止まる。


「王国では、記録の内容に異議を申し立てる仕組みがあったのか?」


 ヴァルトがエリアスに尋ねた。


「制度としては存在した。だが、実際には十分に機能していなかった」


「どうして?」


 レイナが問う。


「異議を申し立てるには、記録を閲覧できなければならない。そして、記録を閲覧するためには、権限が必要だった」


「……権限を持つ者が、自分たちに都合の悪い記録を隠していたら?」


「異議を申し立てること自体が難しくなる」


 エリアスは、静かに答えた。


「仕組みはあった。だが、その仕組みを利用できる者が限られていたのだ」


 ミレイユがため息をつく。


「形だけ整っていても、使えなければ意味がないわね」


「……ああ」


 エリアスは否定しなかった。


 ソアは壁の文字を見つめた。


 記録を残すこと。


 記録を読むこと。


 そして、間違いを指摘できること。


 どれか一つでも欠ければ、残された記録は、誰かの都合のいい物語になってしまう。


「……難しいなあ」


「また難しいと言っているぞ」


 ヴァルトが言う。


「だって、本当に難しいんだもん。でも……」


 ソアは一歩、前へ進んだ。


「難しいからって、諦める理由にはならないよね」


 その言葉に、誰も異を唱えなかった。


     ◇


 やがて、階段の先に大きな扉が現れた。


 扉の中央には、王冠を囲む七本の線。


 その下に、見慣れない文字が刻まれている。


 エリアスが手を伸ばした。


「ここが旧記録庫だ」


 扉に触れると、銀色の光が走った。


『記録保持者を確認』


『第八の記録、継承手続きを確認』


『閲覧を許可します』


 重い音を立てて扉が開く。


 その向こうには、無数の記録結晶が並ぶ広大な部屋が広がっていた。


 壁一面の棚。


 天井近くまで伸びる階層。


 床には、記録を運ぶための古い魔導装置が並んでいる。


 だが、部屋の奥には、ぽっかりと空いた空間があった。


 棚が並んでいたはずの場所だけが、不自然に空白になっている。


「……あそこは?」


 ソアが尋ねた。


 エリアスの表情が変わった。


「私が、記録を移した場所だ」


「移した?」


「正確には……公開審議に提出される予定だった記録を、別の保管領域へ移した」


「どうして?」


 エリアスは、すぐには答えなかった。


 やがて、棚のひとつから、古びた記録結晶を取り出した。


「王都の外で、魔力供給が不足しているという報告だ。複数の村から、同じ内容の報告が届いていた」


 結晶が淡く光る。


 空中に、当時の記録が映し出された。


 ――北方地域、魔力供給不足。


 ――農地の維持に支障。


 ――治癒魔法の使用制限。


 ――接続制限計画の再検討を要請。


 ソアの表情から、笑顔が消えた。


「これを、審議に出さなかったの?」


「……ああ」


「でも、王都の人たちが知らなかったら、対策できないじゃない」


「そうだ」


 エリアスは、記録結晶を握りしめた。


「私は、王都の防衛が不安定になることを恐れた。制限を解除すれば、王都の魔力供給も不安定になる可能性があったからだ」


「それで、報告を隠した……?」


「公開すれば、接続制限を見直す議論が始まる。私は、その議論によって王都が危険にさらされることを恐れた」


 レイナが厳しい表情で言った。


「けれど、議論を避けた結果、王都の外にいた人たちは危険にさらされた」


「……その通りだ」


 エリアスは、目を閉じた。


「私は、誰かを守るために判断したつもりだった。だが、その判断で誰が危険にさらされるのかを、正面から見ようとしなかった」


 ソアはしばらく黙っていた。


 責める言葉なら、いくらでも出てきた。


 それでも、ここで必要なのは、エリアスを許すことでも、責め続けることでもない。


 何が起きたのかを、正確に残すことだった。


「……この記録、ちゃんと残そう」


 ソアは言った。


「エリアスさんが何を考えて、何を怖がって、何を選んだのか。隠された報告に何が書かれていたのか。全部」


「私の言い分も、か?」


「うん。でも、エリアスさんの言い分だけじゃなくて、被害を受けた人たちの記録も一緒に」


 ソアは、空白になった棚を見上げた。


「片方だけ残したら、また同じことになっちゃうから」


 エリアスは、長い間、何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりと頷いた。


「……分かった」


     ◇


 そのときだった。


 部屋の奥で、ひとつの記録結晶が光った。


 続いて、もうひとつ。


 さらに、三つ、四つ。


 銀色の光が、空白の棚の周囲へ集まっていく。


『未公開記録を検出』


『公開審議記録との照合を開始』


『記録の不一致を確認』


『閲覧者の意思を確認してください』


 ソアは目を瞬かせた。


「……えっと。私たちが見てもいいってこと?」


『記録には、公開可能な情報と、個人の意思を確認すべき情報が含まれています』


『すべての記録を一律に公開することは推奨されません』


「……そっか」


 ソアは頷いた。


「じゃあ、まずは中身を確認して、公開していいものと、本人たちの意思を確かめる必要があるものを分けよう」


 ミレイユが感心したように目を細めた。


「少しずつ、考え方が変わってきたわね」


「えっ、そう?」


「ええ。以前なら、全部見てから考えようと言っていたでしょう?」


「……言ってたかも」


「言っていたな」


 ヴァルトが即座に同意する。


「私も覚えているわ」


 レイナまで頷いた。


「みんな、そんなに覚えてなくていいよ!」


 ソアが頬を膨らませる。


 けれど、すぐに笑った。


「……でも、そうだね。記録を受け継いだからって、何でも自由にしていいわけじゃないんだ」


 彼女は、光る結晶へ手を伸ばした。


 触れる直前に、もう一度、仲間たちを見る。


「一緒に確認してくれる?」


「もちろんだ」


 レイナが答える。


「ひとりで抱え込むつもりなら、止めるわよ」


 ミレイユが続ける。


「俺も手伝う。今度は、俺自身の判断から逃げないためにな」


 ヴァルトも頷いた。


 最後に、エリアスが一歩前へ出た。


「これは、私が隠した記録だ。私も、最後まで向き合う」


「うん!」


 ソアは、結晶に触れた。


 銀色の光が、五人の足元へ広がる。


 記録の整理が始まった。


 それは、一瞬で終わる仕事ではない。


 失われた声のすべてを取り戻すことも、過去の選択をなかったことにすることもできない。


 それでも、誰かが一方的に決めていた記録の行方を、少しずつ変えていくことはできる。


 ソアは、光の中に浮かぶ文字を見つめた。


 そこには、王都の外で暮らしていた名も知らない人々の言葉があった。


 ――私たちの暮らしも、記録に残してください。


 ――王都を憎んでいたわけではありません。


 ――ただ、私たちの声を聞いてほしかったのです。


「……ちゃんと残すよ」


 ソアは小さく呟いた。


「今度は、誰かひとりの判断で消えたりしないように」


 胸元の《巡りの雫》が、穏やかに輝いた。


 遠く離れた世界樹から、かすかな温もりが伝わってくる。


 記録を受け取ることは、過去を背負い続けることではない。


 過去に何があったのかを知り、その声を未来へ渡すこと。


 そして、未来の誰かが、自分たちとは違う答えを選べるようにすることだ。


 ソアは、もう一度、仲間たちを見た。


「よし。まずは、この棚から!」


「……どれくらいあると思っているんだ?」


 ヴァルトが棚の上を見上げる。


 天井まで、記録結晶がびっしりと並んでいた。


「…………」


 ソアは固まった。


「……これ、何日かかるの?」


「さあな」


「鎧の修理より長い?」


「それは確実だろう」


「そんなぁぁぁぁ!」


 地下記録庫に、ソアの悲鳴が響いた。


 ミレイユが笑い、レイナが肩をすくめ、ヴァルトが呆れたように首を振る。


 エリアスも、ほんの少しだけ笑った。


 かつて、この場所で隠された記録は、誰かの判断によって未来から切り離されていた。


 今、その記録は、複数の人間の手によって、再び未来へつながろうとしている。


 すべてを正しくすることはできない。


 それでも、間違いを見つけたとき、声を上げられるように。


 声を上げた人が、記録から消されないように。


 ソアたちは、最初の一つを手に取った。


 北境王都の過去を、本当の意味で未来へ返すために。

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