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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十二章 帰還と、忘れられた王国

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第157話 記録を受け取る者


 最終記録保管庫の中央で、銀色の光が静かに揺れていた。


 壁一面に刻まれた文字。


 王都の最後を記録した映像。


 そして、そのすべてを見届けたソアたち。


 長い沈黙のあと、保管庫に声が響いた。


『記録保持者候補、ソア・ミュスカ』


「はい」


『第八の記録を継承しますか』


 ソアはすぐには答えなかった。


 胸元の《巡りの雫》が、淡い光を返している。


 八つ目の記録。


 歴史から消された人々の声。


 力を持たなかった者たちの選択。


 そして、正しいことをしようとした人々が、いつの間にか誰かを傷つけてしまった記録。


 そのすべてを、自分が受け継ぐ。


「……受け継いだら、どうなるの?」


『記録への接続権限が付与されます。過去の記録の閲覧、保存、伝達が可能になります』


「未来のことが分かったり、すごい力が使えたりする?」


『該当しません』


「だよねー……」


 ソアは肩を落とした。


「ちょっとくらい便利な力があってもいいのに」


「今の説明を聞いて、最初に気にするところがそこなのか?」


 ヴァルトが呆れた声を出す。


「だって、継承って言われたら、すごい力をもらえるのかなって!」


「お前は世界を救ったあとでも、相変わらずだな」


「鎧の修理代は世界を救っても安くならないからね!」


「それは記録保管庫に訴えても無駄だと思うぞ」


「分かってるよ!」


 レイナが小さく笑った。


 ミレイユも口元を緩める。


 いつものやり取り。


 けれど、ソアはすぐに真剣な顔へ戻った。


「……でも、ひとつ聞きたい」


『質問を許可します』


「私が継承したら、この記録は私のものになるの?」


 銀色の光が揺れた。


『継承者には記録の管理権限が付与されます』


「管理って、公開するかどうかを私が決めるってこと?」


『その解釈は可能です』


「じゃあ、駄目」


 ソアは即答した。


 エリアスが顔を上げる。


「……ソア?」


「だって、それじゃあ今までと同じじゃない」


 ソアは保管庫の壁を見回した。


「昔の王国は、自分たちを守るために世界樹の力を集めた。始源の管理者は、失うのが怖くて力を独り占めしようとした。エリアスは、記録が間違って伝わるのが怖くて、見せるものを選んだ」


「…………」


「みんな、守りたかったものがあったんだよね」


 誰も否定しなかった。


「でも、守るために全部自分で決めたら、そこから外れた人の声が聞こえなくなる」


 ソアは胸当てに手を置いた。


 そこには、これまでの戦いでついた傷が残っている。


「私だって、ひとりで全部守ろうとしたら、きっと失敗するよ」


 レイナが静かに頷いた。


「私も、以前は自分だけで守ろうとしていた。けれど、それでは守れないものがあると知った」


「私もね」


 ミレイユが腕を組む。


「誰かを失うのが怖いからといって、その人の行動まで縛ってしまえば、それは守ることとは違うわ」


 ヴァルトも、ゆっくりと口を開いた。


「力を持つ者が、何を守るかだけでなく、何を犠牲にするかまで勝手に決めてはいけない。俺も、それを忘れていた」


 ソアは仲間たちを見た。


 そして、保管庫へ向き直る。


「私、記録を受け取るよ」


『継承の意思を確認しました』


「ただし!」


 ソアは人差し指を立てた。


「私ひとりを、記録の持ち主にはしない」


『……』


「記録を残す人。読む人。自分のことが間違って書かれていたら、訂正を求める人。公開してほしくないことを伝える人。そういう人たちが、ちゃんと関われる仕組みを作りたい」


 ソアは少し考えてから、付け加えた。


「もちろん、誰かの大切な秘密を勝手に公開するのも違うと思う。記録を残すことと、何もかも暴露することは同じじゃないから」


 レイナが頷く。


「記録を守ることと、人を守ること。その両方を考える必要があるのね」


「うん!」


 ミレイユがエリアスを見た。


「その仕組みを作るなら、あなたにも働いてもらわないとね」


「……当然だ」


 エリアスは、今度は目を逸らさなかった。


「私が隠した記録を整理する。削除されたものと、当時の人々が自ら閉じたものを区別する。何が確認できて、何が分からないのかも明記する」


 彼は一度、深く息を吸った。


「そして、私が判断を誤った経緯も残す。私の行為を正当化するためではない。後世の者が、同じ過ちを繰り返さないために」


「うん。それがいいと思う」


「ただし、私の責任を記録に残したからといって、それで償いが終わるわけではない」


「そうだね」


 ソアは穏やかに答えた。


「記録を残すのも、これからの行動も、両方必要なんだと思う」


 エリアスは小さく頭を下げた。


「……ありがとう」


「お礼を言うのは、まだ早いよ」


「厳しいな」


「だって、これから大変なんでしょ?」


「……ああ。途方もなくな」


「じゃあ、一緒に頑張ろう!」


 ソアが笑う。


 エリアスは、ほんの少しだけ笑い返した。


     ◇


 保管庫の中央に、新たな文字が浮かび上がった。


『継承条件を更新します』


『第八の記録は、単独管理を前提としません』


『記録の保存、閲覧、伝達は、関係者の意思と異議申し立ての機会を尊重するものとします』


『継承者は、記録を独占する者ではありません』


『記録を次へ渡す者です』


 銀色の光が、部屋全体へ広がった。


 壁に刻まれていた記録が、一つずつ淡く輝いていく。


 消されていた王国の議論。


 声を上げられなかった人々の証言。


 世界樹との接続を断たれた村の暮らし。


 そして、王都を守るために選ばれた決断と、その決断によって失われたもの。


 すべてが、元の場所へ戻るわけではない。


 失われた記録の中には、もう復元できないものもある。


 誰が何を考えていたのか、最後まで分からないものもある。


 それでも。


 残っているものまで、誰かの都合で消させはしない。


「……これで、終わり?」


 ソアが尋ねた。


『第八の記録の継承手続きは完了しました』


「そっか」


 ソアは少しだけ寂しそうに笑った。


「じゃあ、これからは私たちがやっていくんだね」


『肯定します』


「……うん」


 彼女は胸元の《巡りの雫》に触れた。


 淡い光が、指先に伝わる。


 かつては、何かを手に入れることが強さだと思っていた。


 力を得ること。


 装備を身につけること。


 失わないように、しっかりと抱え込むこと。


 けれど今は、少し違う。


 大切なものを、ただ自分の手元に置いておくだけでは、次へ渡せない。


 誰かに託すには、相手を信じる必要がある。


 そして、自分が間違っているかもしれないと認める必要もある。


「……難しいね」


 ソアが呟いた。


「何がだ?」


 ヴァルトが尋ねる。


「世界を変えるってこと」


 ソアは仲間たちを見た。


「魔物を倒したら終わり、みたいな話じゃないんだね」


「それだけで済むなら、どれほど楽だったことか」


 ミレイユがため息をつく。


「でも、全部を一度に解決する必要もないわ。間違えたら、また考えればいい」


 レイナが続けた。


「ひとりで決めず、互いに確かめながらね」


「うん!」


 ソアは元気よく頷いた。


「よし。じゃあ、まずはこの記録を、ちゃんと次の人に渡せるようにしよう!」


 その瞬間。


 保管庫の床から、銀色の光が一本の道のように伸びた。


 王都の外へ。


 帰還者の村へ。


 さらに、その先の世界へ。


 記録は、ひとつの場所に閉じ込められたままではなくなった。


 それぞれの場所で保存され、必要な人が確かめられるよう、少しずつ仕組みが動き始めたのだ。


「……これなら、私がいなくなっても大丈夫かな」


 ソアが呟く。


「最初から、そうであるべきだったのだろうな」


 エリアスが答えた。


「記録を受け継ぐ者がいなくなった途端に失われるのなら、それはまだ、誰かひとりに頼りすぎている」


「うん。だから、みんなで続けられるようにするんだよ」


 ソアは満足そうに頷いた。


 そのとき、胸元から小さな光がこぼれた。


 《巡りの雫》が、静かに輝いている。


 遠く離れた世界樹から、かすかな温もりが伝わってきた。


 ソアには、その温もりが誰のものなのか分かった。


「……シード」


 返事の代わりに、光が一度だけ瞬いた。


 ――なくなったものも、きえてない。


 あの小さな声が、心の中によみがえる。


「うん」


 ソアは微笑んだ。


「ちゃんと、次へ渡していくね」


     ◇


 保管庫を出るころには、銀色の光は落ち着いていた。


 エリアスは、王都に残って記録の整理を始めるという。


 彼が向き合わなければならない過去は、まだ多い。


 それでも、今度は隠れるためではなく、記録を次へ渡すために残るのだ。


「ソアたちは、これからどうする?」


 エリアスが尋ねた。


「まずは村に戻るよ。それから、ギルドに報告して……」


 ソアは指を折って数え始めた。


「修理代を払って、装備を点検して、ご飯を食べて、できればお風呂にも入って……」


「最後の二つは、今すぐ必要そうだな」


 ヴァルトが笑った。


「だって、ずっと歩きっぱなしだったんだよ!」


「それは否定しない」


 レイナも頷いた。


「私も、そろそろ休みたいわね」


 ミレイユがソアの胸当てを指差した。


「その前に、あなたは鎧の修理代をどうするの?」


「…………」


 ソアの笑顔が止まった。


「……それは、帰ってから考える」


「十二枚の金貨だったかしら?」


「ミレイユさん、今それ言う!?」


「現実から目を逸らしても、請求書は消えないわよ」


「分かってるよぉぉぉ!」


 王都の静かな通路に、ソアの悲鳴が響いた。


 エリアスは、その声を聞きながら笑った。


 かつて、この場所で交わされていたのは、力を誰に集めるかという議論だった。


 今、ここで交わされているのは、誰が何を負担し、どうすれば一緒に歩いていけるかという話だった。


 小さな違いかもしれない。


 けれど、その違いこそが、これからの世界を変えていくのだろう。


 ソアたちは、帰還者の村へ続く道を歩き出した。


 八つ目の記録は、もう誰かひとりの秘密ではない。


 それは、過去を忘れないためだけのものでもなかった。


 未来の誰かが、自分の頭で考え、自分の意思で選ぶために残されたものだ。


 そして、その選択を支えるために。


 ソアたちは、自分たちの足で歩いていく。


 重い鎧を鳴らしながら。


 それぞれの傷も、失敗も、手放せない大切なものも抱えたまま。


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