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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十二章 帰還と、忘れられた王国

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第156話 世界を救うということ


 ――最終記録保管庫。


 重い扉が、ゆっくりと開いていく。


 その向こうに広がっていたのは、巨大な円形の部屋だった。


 壁一面に銀色の結晶が埋め込まれ、床には複雑な魔法陣が刻まれている。


 部屋の中央には、七本の柱。


 その先に、小さな台座がひとつだけ置かれていた。


「……ここが、最後の記録保管庫」


 エリアスが呟いた。


「私が最後にここを訪れたときには、すでに封鎖が始まっていた。記録を確認する時間も、誰かに渡す時間もなかった」


「じゃあ、ずっと気になっていたんだね」


 ソアが言った。


「……ああ」


 エリアスは頷いた。


「私は何を守れたのか。何を守れなかったのか。そして、あの日に別の選択をしていれば、何かが変わっていたのか」


「……」


「その答えを知るのが、恐かったのかもしれない」


 ソアは彼の横に立った。


「恐くても、見に行こう。ここまで来たんだから」


 エリアスは少しだけ目を見開き、それから頷いた。


「……そうだな」


     *


 台座へ近づくと、銀色の文字が浮かび上がった。


 ――記録保持者、エリアス・ヴァルネ。


 ――最終意思を確認します。


 エリアスは一度、目を閉じた。


 そして、台座に手を置く。


「私は、エリアス・ヴァルネ。北境王都の記録管理官だ」


 声が、部屋の中に響いた。


「私が記録を残すことに固執し、公開を制限したことを認める。私の判断によって、後世の人々が知る機会を失ったことも」


 銀色の光が、彼の手から広がっていく。


「それでも、私は記録を消したくなかった。王都の人々が生きた証を、なかったことにしたくなかった」


 エリアスは顔を上げた。


「だから、今度こそ決めたい。何を残し、誰に渡し、どうすれば次の時代が自分たちで選べるのかを」


 一瞬の静寂。


 そして――。


 ――最終意思を受理しました。


 七本の柱が、順番に輝き始めた。


 中央の台座から銀色の光が立ち上り、部屋全体を包み込む。


 ソアたちの目の前に、古い王都の姿が映し出された。


     *


 そこにいたのは、王都が滅びる直前の人々だった。


 王族。


 研究者。


 兵士。


 商人。


 そして、王都の外から訪れた人々。


 彼らは大きな会議室に集まり、ひとつの計画について話し合っていた。


 ――世界樹との接続制限計画。


 計画の目的は、王都の魔力供給を安定させること。


 だが、その実施には、王都の外にある村々への魔力供給をさらに制限する必要があった。


「王都を守らなければ、周辺の町もいずれ魔物に襲われる!」


 王族の一人が叫ぶ。


「しかし、これ以上供給を減らせば、外の村では生活を維持できなくなります!」


 研究者が反論する。


「王都の機能を失えば、すべての地域が危険にさらされる!」


「そのために、なぜ外の人々だけが犠牲にならなければならないのですか!」


 会議室は、激しい議論に包まれていた。


 誰もが、自分の守りたいものを持っていた。


 王都の家族を守りたい者。


 周辺の村を守りたい者。


 魔物から人々を守るため、確実な供給を求める者。


 そして、誰もが失うことを恐れていた。


「……」


 ソアは映像を見つめた。


 そこには、分かりやすい悪人はいなかった。


 誰もが何かを守ろうとしていた。


 けれど、守ろうとするものが違うたびに、誰かが選択の外へ追いやられていった。


 やがて、王族の一人が告げた。


「……接続制限計画を実施する」


 会議室が静まり返る。


「これは一時的な措置だ。王都の供給が安定すれば、再びすべての地域を接続する」


 その言葉を、エリアスは黙って聞いていた。


 ソアは隣の彼を見た。


「……一時的なつもりだったんだね」


「ああ」


 エリアスは苦しそうに答えた。


「誰も、最初から永遠に切り離すつもりではなかった」


 しかし、映像は続く。


 制限が始まると、王都の魔力供給は安定した。


 その一方で、外の村々では生活が苦しくなり、魔物への対処も難しくなった。


 王都では、制限を解除すべきだという声が上がった。


 だが、今度は別の不安が生まれていた。


 供給を戻せば、再び王都が危険にさらされるのではないか。


 人々は、その不安を理由に制限を続けた。


 やがて、臨時の措置は制度となり、制度は当然の仕組みとなった。


 そして――。


 王都を守るために作られた仕組みは、王都を守ることそのものが目的になっていった。


「……」


 レイナが、静かに拳を握った。


「最初の選択が、次の選択を縛っていったんだな」


「そうね」


 ミレイユが頷く。


「一度犠牲にしたものを取り戻すには、自分たちが間違っていたと認めなければならない。だから、間違いを認めないために、さらに多くを犠牲にするようになった」


 ソアは、映像の中の人々を見つめた。


「……怖かったんだね」


 エリアスが顔を上げる。


「自分たちの選択が間違っていたって認めたら、今まで犠牲になった人たちに、何も返せなくなるって思ったのかもしれない」


 ソアはゆっくりと言葉を続けた。


「でも、認めないままにしたら、これからも犠牲になる人が増えちゃう」


 その言葉に、エリアスは目を閉じた。


「……ああ」


 短い返事だった。


 だが、その声には、長い年月の後悔が込められていた。


     *


 映像が切り替わった。


 今度は、王都の地下にある研究施設。


 中央には、巨大な魔力制御装置が設置されていた。


 その前に立つのは、黒い衣をまとった男。


 始源の管理者だった。


 彼は王国の人々に向かって、静かに語りかけていた。


「人々は、自分の持つ力を手放せない。失うことを恐れ、他者に奪われることを恐れ、最後には自分の力を守るために他者を切り捨てる」


 彼の声は冷静だった。


「ならば、すべての力を一つにまとめればいい。誰かが独占するのではない。争いそのものを起こせない仕組みを作ればいい」


 研究者の一人が尋ねる。


「その仕組みが、いつか壊れたら?」


「壊れないように管理する」


「管理する者が誤った判断をしたら?」


「その判断も、私が正す」


 ソアは眉を寄せた。


「……全部、自分で決めるつもりだったんだ」


「そうだ」


 エリアスが答えた。


「彼は、誰かが間違えることを許せなかった。だから、自分以外の者が選ぶ余地をなくそうとした」


「……でも、管理者だって間違えるよね」


「そうだ。彼もまた、恐れから目をそらしていたのだろう」


 映像の中で、管理者は魔力制御装置へ手を伸ばした。


 装置が輝く。


 世界樹の流れが、一本の経路へと集められていく。


 だが、装置の端には小さな警告が表示されていた。


 ――循環機能、低下。


 ――局所的な魔力不足、発生。


 ――制御対象外の地域、増加。


 管理者は、その警告を見つめた。


 そして、静かに表示を消した。


「……っ」


 ソアは息を呑んだ。


 彼は知らなかったわけではない。


 自分の仕組みが、誰かを苦しめていることを知っていた。


 それでも、止められなかった。


 自分の計画が間違っていたと認めれば、失ったものを取り戻せなくなると考えていたからだ。


 管理者もまた、過去の選択に縛られていた。


「……結局」


 ソアが呟く。


「みんな、失うのが怖かったんだね」


 レイナが頷く。


「だから、守るために力を集め、力を集めるために誰かを切り捨てた」


「そして、切り捨てたことを認められなくなった」


 ミレイユが続けた。


「……それが、あの王国の終わりにつながったのね」


     *


 映像は、王都の最後の日へと移った。


 街には警報が響き渡り、銀色の光が空を覆っている。


 人々は逃げ惑い、兵士たちは崩れた街路で魔物と戦っていた。


 世界樹との接続は限界を迎え、制御装置は暴走を始めていた。


 その中で、王都の人々は最後の選択を迫られていた。


 装置を維持すれば、王都の一部は守られる。


 しかし、そのためには残された魔力をすべて集中させなければならない。


 装置を止めれば、王都の防御は失われる。


 だが、世界樹の流れが再び広がる可能性があった。


「……止めるべきです!」


 研究者の一人が叫んだ。


「装置を停止すれば、外の地域へも魔力が戻る可能性があります!」


「だが、王都の防御が失われる!」


「このままでは、世界樹そのものが壊れてしまう!」


 議論は、再び始まった。


 そして、決断の時が来た。


 王族の一人が、震える声で命じる。


「……装置を停止せよ」


 魔力制御装置が、ゆっくりと停止していく。


 その瞬間、王都を覆っていた光が消えた。


 街路が崩れ、塔が倒れ、銀色の結晶が広がっていく。


 だが、完全に消える直前。


 装置の中央から、細い光が世界樹へと伸びた。


 誰かが、最後の力を使って循環をつなぎ直したのだ。


 その光は、王都の外へ向かって伸びていく。


 遠くの村々へ。


 山を越えた集落へ。


 そして、世界の各地へ。


 それは王都を救う光ではなかった。


 世界全体へ、もう一度力を巡らせるための光だった。


「……あれが」


 エリアスが呟いた。


「私が知らなかった、最後の記録……」


 映像の中に、一人の人物が映った。


 王都の記録管理官。


 若き日のエリアスだった。


 彼は倒れた人々を助けながら、記録板を抱えて走っていた。


 そして、最後にひとつの台座へたどり着く。


 台座には、こう刻まれていた。


 ――記録は、誰か一人の所有物ではない。


 ――記録は、未来の選択を奪うためではなく、未来が選ぶために残す。


 エリアスは、その文字を見つめた。


「……私は、これを読んでいたのか」


 彼は苦しそうに顔を覆った。


「なのに、私は……」


 ソアは、何も言わずに隣に立った。


 やがて、映像が消えた。


 部屋の中央には、七本の柱と、銀色に輝く台座だけが残された。


     *


 しばらくして、ソアが口を開いた。


「……ねえ、エリアスさん」


「……何だ?」


「世界を救うって、難しいね」


 エリアスは顔を上げた。


「……ああ」


「世界樹を直せば、全部解決するわけじゃない。力が巡るようになっても、誰かが誰かを傷つけることはあるし、間違ったことをする人もいる」


 ソアは、自分の手を見つめた。


「でも、だからって何もしなかったら、もっとひどくなるかもしれない」


「……そうだな」


「じゃあ、世界を救うって……」


 ソアは少し考えた。


「みんなが絶対に間違えないようにすることじゃないんだね」


 レイナが、静かに頷いた。


「間違いを完全になくすことはできない。だが、間違いに気づき、正し、次の選択につなげることはできる」


「そのためには、誰かの声を聞く必要があるわね」


 ミレイユが言った。


「自分が守りたいものだけを見ていたら、必ず見えなくなるものがあるから」


 エリアスは、中央の台座を見つめていた。


 長い年月、彼は記録を守ることだけを考えてきた。


 記録が失われないように。


 誰かに利用されないように。


 誰かが誤った判断をしないように。


 その結果、彼自身が記録を閉じ、未来の人々が選ぶ機会を奪っていた。


「……私は、守ることを理由にして、決めることから逃げていたのかもしれない」


 エリアスが呟いた。


 ソアは首を横に振った。


「逃げてたことに気づいたなら、ここから変えればいいよ」


「……君は、簡単に言うな」


「うん。私も、難しいことは苦手だから!」


「そこは胸を張るところではないだろう……」


 レイナが苦笑した。


 ソアも笑う。


 しかし、すぐに真剣な表情へ戻った。


「でもね。エリアスさんがこれから何をするかは、エリアスさんが決めていいんだよ」


「……私が?」


「うん。過去にしたことは消せない。でも、これからのことまで、過去に決められなくていいと思う」


 エリアスは、長い間黙っていた。


 やがて、ゆっくりと頭を下げた。


「……ありがとう、ソア」


 その声は、かつて記録保持者として名乗っていたときよりも、ずっと穏やかだった。


     *


 台座の上に、新たな文字が浮かび上がった。


 ――最終記録、確認完了。


 ――記録保持者の意思を再確認します。


 ――公開範囲を指定してください。


 エリアスは、その文字を見つめた。


 かつてなら、すべてを閉じていただろう。


 あるいは、誰にも判断を委ねず、自分だけで公開範囲を決めていたかもしれない。


 だが、今は違った。


「……すべてを一度に公開することはしない」


 エリアスは、はっきりと告げた。


「個人の生活や、当事者の同意が必要な記録は、勝手に公開しない。だが、王国の政策、私が隠した反対意見、管理者が削除した記録、そして世界樹との接続制限がもたらした影響については、検証できる形で残す」


 文字が淡く輝く。


「記録に関わる人々が、自分たちで判断できるようにする。必要なら、記録の訂正や異議申し立てもできる仕組みを残したい」


 エリアスは、一度だけソアたちを振り返った。


「……これが、今の私の選択だ」


 ソアは笑って頷いた。


「うん。いいと思う」


 レイナも頷く。


「それなら、私たちも協力できる」


「私もよ」


 ミレイユが杖を肩に担いだ。


「ただし、公開する前に、どこまで誰が確認するのか、きちんと決める必要があるわね。急いで結論を出すべきではないわ」


「……ああ。そうだな」


 エリアスが台座へ手を置いた。


 ――最終意思を記録しました。


 ――公開計画の準備を開始します。


 銀色の光が、静かに部屋を満たした。


 それは、すべての問題が解決したという光ではない。


 過去を消さず、誰か一人に未来を委ねず、それでも前へ進むための光だった。


     *


 保管庫を出るころには、窓の向こうに夕日が差し込んでいた。


 長い間、閉ざされていた王城に、柔らかな光が広がる。


 ソアは、少しだけ背伸びをした。


「……ふう。いっぱい考えたね」


「お前は、考えたあとに何を食べるかも考えていたようだが」


 レイナが言う。


「そ、それは別の話だよ!」


「さっきからお腹が鳴っているわよ」


 ミレイユが笑った。


「うう……。だって、今日はずっと歩いてたし……」


 ソアはお腹を押さえた。


「それに、昔の王都にはミルクのお菓子があったんだよ? 食べてみたかったなあ……」


「もう何百年も前の店だぞ」


「分かってるよ……」


 ソアは名残惜しそうに市場の方を振り返った。


 そして、胸元の鎧をぽんと叩く。


「……でも、いつかこの街で、またお菓子を作れるようになったらいいね」


 エリアスが目を見開いた。


「……この街で?」


「うん。街を元通りにするのは大変だと思う。でも、全部を昔のままに戻す必要はないんでしょ?」


 ソアは、夕日に照らされた街を見つめた。


「今ここにいる人たちが、これからどう暮らしたいかを考えて、新しい街にしていけばいいんじゃないかな」


 エリアスは、ゆっくりと街を見渡した。


 何百年も、彼は失われた王都を元に戻すことばかり考えていた。


 けれど、かつての王都をそのまま再現したところで、同じ問題が繰り返されるかもしれない。


 残すべきものは、建物の形だけではない。


 過去の人々が何を願い、何を誤り、何を未来へ託したのか。


 それを知ったうえで、新しい選択をすること。


「……そうだな」


 エリアスは微笑んだ。


「今度は、私一人で決めないようにしよう」


 ソアは満足そうに頷いた。


「うん!」


 その直後。


 ガシャッ。


 胸当ての留め具が、小さく鳴った。


「……あ」


 ソアの顔が固まる。


「どうした?」


 レイナが尋ねた。


「……今の音、修理代に響くかな」


「まだ気にしていたのか!?」


「だって、十二枚分の金貨が……!」


「十二枚の金貨を一枚ずつ数えるな!」


 ミレイユの突っ込みが、夕暮れの王城に響いた。


 エリアスは、とうとう声を上げて笑った。


 失われた王都。


 閉ざされた記録。


 取り戻せない過去。


 それらは、これからも簡単には解決しないだろう。


 それでも、彼らはようやく、過去を守るだけではなく、未来を選ぶための一歩を踏み出した。


 世界を救うということ。


 それは、誰かがすべてを正しく決めることではない。


 間違いを認め、他者の声を聞き、何度でも選び直せる道を残すこと。


 ソアはまだ、その答えのすべてを知らない。


 けれど、今はそれでよかった。


 彼女には、一緒に考えてくれる仲間がいるのだから。

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